戦争は開戦の理由が何であろうと、一端始まると人間のベースにある自分の生命を維持しようとする生存本能が脅かされる現実が当事国民の面前に現れます。
戦争は、この驚怖が優勢な当事国になくなるまで長期化し、莫大な数の人命が失われ、甚大な物質的、文化的損失をもたらします。
2023年のハマスによるイスラエル奇襲攻撃、2022年のプーチンによるウクライナ侵攻、遡れば1941年の日本海軍による真珠湾攻撃などがもたらした人的、物的被害の大きさと、国民が被る想像し難い心身の苦痛と、核使用の驚怖を考えると、戦争は絶対に始めてはなりません。
人間は他の動物と同様に自分の生命を維持しようとする生存本能を備えています。
仲間と協力して自分の生命を守るために集団を形成します。
自分の生命を脅かすものは、例えば隣人、同国民の他集団であろうとも排除しようとするのが生存本能です。
国の存続を脅かすものは、国民の生存本能を脅かすものとなるので、開戦の動機となります。
動物は自分が深手を負うことが明らかな戦いには本能的に挑みません。
戦争は人間の動物的な生存本能の発露が原点にありますので、国の存続を防衛するために多数の民主国家が同盟を結んで軍事力を強化することは、覇権国家による開戦防止の有効な手段の一つでしょう。
しかし、軍事力で劣勢になった覇権国家が、相手に先攻される恐怖から生存本能に刺激されて開戦に踏み切る危険が残ります。
動物において生存本能の主要な対象は食と生殖です。
農地を争奪する戦争は歴史的に終焉していると考えます。
生殖は個体と個体の争いであり、集団間の争いではありません。
してみると、現代における戦争は、単なる生存本能の発露ではなく、権力集中が進んだ指導者の偏狭な或いは独善的な考えがもたらしていると考えます。
いずれの国でも大多数の民衆は、生来的に戦争を欲していませんが、指導者の考えに煽動され、あるいは相手国の脅威や自国の全体主義的圧力に生存本能を脅かされ戦争に加担させられていくのでしょう。
権力集中は、経済的、政治的に強い国家の実現に役立ちます。
反面、偏狭な或いは独善的な考えを持つ指導者、即ち独裁指向の指導者によって戦争に突入される危険があります。
戦争を阻止するのは、生来的に戦争が嫌いな大多数の国民が、独善的な強い国家になることを求めず、独裁指向の指導者が出現しないように常日頃から監視することだと考えます。
強いアメリカを求め、トランプを大統領に選出した米国民の失敗を他山の石とし、日本経済に悪い影響をあたえるとしても、パレスチナを国家として正式承認できる人を総理大臣にしたいものです。
偏狭、独善な考えは、食に影響を与えるほど経済状態が悪いときに、煽動、ポピュリズムによって国民に拡散します。
SNSやAIの普及によっても国民が煽動される危険性が増しています。
これらの事実を踏まえ、戦争の悲惨さをもっと人目にさらけ出し、人命が偏狭、独善な考えより絶対に大切であることを如何なる煽動にも惑わされることなく即答できる社会環境を維持することが必要です。
独裁指向者は、ポピュリズム、煽動を駆使して独裁体制を徐々に築いていきます。
国民が偏狭、独善な考えに煽動されていくことを防止するために、AIを使って現指導者の独裁者指数を表すプログラムが作成されることを切に願います。