神的存在と共感して生きる

世界は未完成で、人はその一部

私たちはつい、
「神は万能で、世界は完成に向かっている」
と考えがちです。

しかし、もし世界が完成に向かっているのなら、
なぜ同じような苦しみや不条理がいつまでも繰り返され、
なぜ人は考え、悩み、工夫し続ける必要があるのでしょうか。

このブログでは、
世界は未完成であり、その源にある神的存在も万能ではない
という立場をとります。
神的存在が完成していれば、何もする必要がなく全く変化のない状態となり、無(何もない状態)と同じになります。

人は「補う存在」として生まれてきた

神的存在を含む世界が未完成であるなら、
そこには「補う役割」が必要になります。

その役割を担うのが、
身体と精神を持つ人間です。

人は、考え、選び、行動することで、
世界を心身で実感することです。

生きる意義は「喜びを共有すること」

人が生きる意味は、
ただ命令に従うことでも、
苦しみに耐えることでもありません。

自分で定めた目的に向かって生き、
その各過程で感じる喜びを、
神的存在と共感し、共有すること

これが、生きる意義だと考えます。

目的は独りよがりであってはいけない

ただし、目的は何でもよいわけではありません。

その目的は、
世界を、少なくとも損なわないものである必要があります。

そうでなければ、
世界を補うどころか、傷つけてしまうからです。

神的存在とは何か

ここで言う神的存在とは、
人の上に君臨する支配者ではありません。

無(何もない状態)に向き合いながら、
世界の「あること」を支え続ける存在
です。

だから神的存在は、
人とともに世界を生き、
人の喜びによって豊かになります。

人が多様であるほど、世界は豊かになる

人がそれぞれ違う人生を生き、
違う喜びを見つけることで、
世界は一色ではなくなります。

その多様な喜びが、
神的存在にとっての豊かさでもあります。

命は有限だからこそ意味がある

人の命は永遠ではありません。
死後に別の世界があるとも限りません。

だからこそ、
一世代ごとに新しい喜びが生まれ、
それが神的存在と共有されていく
のです。

終わりがあるから、
今を生きる意味が立ち上がります。

生き切ることが、世界に役に立つ

人は自分の目的を生き切ることで、
喜びを神的存在と分かち合い、
同時に「役に立てた」という満足を得ます。

それは、
誰かに評価されるためではなく、
世界にそっと手を添える行為です。

おわりに

世界は未完成です。
だからこそ、人は必要とされています。

生きることそのものが、
神的存在を源とする世界への参加である

私はそう考えています。

戦争は平和の延長線上にある

市井の日常生活を破壊する戦争は絶対悪ですが、平和の延長線上に戦争が起こることは歴史的事実であり、理論的にも納得できます。

平和が続くと国家間に経済力や軍事力の差、利害紛争、国民の価値観の相違などによる緊張が蓄積し、限界点を超すと戦争が起こります。

例えば、ナポレオン戦争後にヨーロッパで続いた平和の約100年間で蓄積,増大された経済・同盟・国威の競争が、バランスを崩して第一次世界大戦をもたらしました。

ヴェルサイユ条約で目論んだ平和は、ドイツの過剰な経済的負担、国民の屈辱を強いるという緊張を取り切れないものであったので、ナチスの台頭を許し、第二次世界大戦に至りました。

平和時に国家間に生じた経済・軍事・技術力の変動や紛争などから不満や緊張が蓄積され、我慢の限界に達した不満国が戦争で現状の打開を図ることは、不満を持つ国の経済的困窮、国民の屈辱など条件が整えば現実に起こりうることです。

反戦運動は、戦争がプレートの衝突や沈み込みで生じる歪みが限界点を超えると発生する地震のような現実の現象であるとの認識をベースにし、国家間の緊張を緩和、除去する日常的な活動に重点を置くのが良いと考えます。

現在の戦争装置は、国家の行政・軍・経済・民間社会を組み込んだ集合体であり、戦争と平和の境界を曖昧にし、民衆が戦争反対を唱えにくい世界構造にしています。

戦争装置は、直接的な軍事衝突だけでなく、民間社会を組み込み、サイバー戦、民間技術の軍事化、経済制裁・情報操作を行います。

このような環境下では、為政者が国際的な不必要な緊張を招くような発言・行動を行わないように、市民が政治に興味を持ち、為政者の資質、行動を常に注意深くチェックし、社会に向けて自分の考えを示す必要があります。

各分野での生身の市民交流が緊張を緩和し、軍事衝突を防止する強力な反戦活動になります。

各国の民衆が、例えば翻訳機能付きオンラインコミュニティを複数の国を跨いで多数立ち上げ、意見・情報・友好を交換する市民交流も有効な反戦活動になると考えます。

戦争装置はサイバー戦を駆使するので、情報空間の透明性、正確性を確保する活動は緊張を緩和します。

戦争装置は、恐怖・怒り・欲望などの生存の衝動をエネルギーにして緊張を増大するので、それを共存の衝動のエネルギーとして制御し、国および市民が、他と共に成す喜びを実践して戦争装置がもたらす緊張を緩和することが必要だと考えます。

統治と煩悩

支配者による統治は、約1万年前に農耕が始まり土地と財の所有が発生し、人の煩悩の発露である紛争を解決し秩序を維持する必要が生じたときに始まりました。

ホッブス(17世紀)は、人は自然状態では煩悩に支配され互いに争うので、安全のために権力者ひいては国家に統治を委ねたと言っています。

煩悩は、欲望・怒り・無知といった「生存の衝動」のかたちで現れる、生きようとする意志であり、生存と人間らしく生きるエネルギーとなります。

人が煩悩を制御することなく放任すると、互いに敵対して殺戮を繰り返す「滅亡の衝動」となります。

欲望が理性を超え、怒りが慈悲を忘れ、無知が真理を覆うとき、人は他者を敵とみなし、傷つけ合います。

ところが、人は、煩悩を認めエネルギーとして制御し、自分の成したいことを他人と協力して成すことに喜びを感じる「人間らしく生きる衝動」を備えています。

滅亡の衝動を抑え、人間らしく生きる衝動を安全に発揮して、人の存在意義と繁栄を確保するために、人類は集団社会、国家を形成して国民を統治し、権力、法律、社会慣習で滅亡の衝動を制御しています。

農耕草創期の良識ある紛争裁き役が、国の誕生で王になり、時代が進むにつれて権力を集中し煩悩に囚われて民衆を支配しました。

産業革命によって生産性が飛躍的に向上し、民衆の権利を守ろうとする人民主権がルソーによって提唱され、民主主義国家が誕生しました。

民主主義国家といえども、選出された為政者が煩悩に囚われ、自由・平等・安全という公共の責務を忘れたとき、国家は自国の利益のみを追う利己的な体制へと転落し、国益の名のもとに、戦争という地獄絵を現実に描き出します。

21世紀になっても戦争が絶えることがないのは、煩悩を制御できない為政者が厳しい国難に直面したとき、支配欲・恐怖・無知といった煩悩に支配され、一部の民衆と煩悩を共鳴して国益を守るという名目で戦争を起こし、滅亡の衝動を現実化するためだと思います。

世界中の人々が人間らしく生きる衝動を具現化して人間の存在意義を達成するためには、以下に例示するような戦争抑止の具体策を常に実行しなければならないと考えます。

・民衆が為政者の言動を注意深く監視し、煩悩を制御する能力の低い人を為政者に選出しない。

・戦争は国難時に為政者の支配欲・恐怖・無知といった煩悩に民衆の煩悩が愚かにも共鳴したときに起こるということを、史実も含めて広く国民に継続的に教育する。

・大多数の民衆が、煩悩を正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きる衝動を発露して人生を楽しむ。

・煩悩をあるがままに認めたとき、他国の為政者の滅亡の衝動を抑止するための防衛力は必要である。

・民衆による国際的文化交流は為政者の煩悩を凌駕する。

戦争を抑止するには、国民が煩悩を否定せず正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きることを楽しんで人間の存在意義を達成することがベースになると考えます。

戦争は絶対悪

戦争は開戦の理由が何であろうと、一端始まると人間のベースにある自分の生命を維持しようとする生存本能が脅かされる現実が当事国民の面前に現れます。

戦争は、この驚怖が優勢な当事国になくなるまで長期化し、莫大な数の人命が失われ、甚大な物質的、文化的損失をもたらします。

2023年のハマスによるイスラエル奇襲攻撃、2022年のプーチンによるウクライナ侵攻、遡れば1941年の日本海軍による真珠湾攻撃などがもたらした人的、物的被害の大きさと、国民が被る想像し難い心身の苦痛と、核使用の驚怖を考えると、戦争は絶対に始めてはなりません。

人間は他の動物と同様に自分の生命を維持しようとする生存本能を備えています。

仲間と協力して自分の生命を守るために集団を形成します。

自分の生命を脅かすものは、例えば隣人、同国民の他集団であろうとも排除しようとするのが生存本能です。

国の存続を脅かすものは、国民の生存本能を脅かすものとなるので、開戦の動機となります。

動物は自分が深手を負うことが明らかな戦いには本能的に挑みません。

戦争は人間の動物的な生存本能の発露が原点にありますので、国の存続を防衛するために多数の民主国家が同盟を結んで軍事力を強化することは、覇権国家による開戦防止の有効な手段の一つでしょう。

しかし、軍事力で劣勢になった覇権国家が、相手に先攻される恐怖から生存本能に刺激されて開戦に踏み切る危険が残ります。

動物において生存本能の主要な対象は食と生殖です。

農地を争奪する戦争は歴史的に終焉していると考えます。

生殖は個体と個体の争いであり、集団間の争いではありません。

してみると、現代における戦争は、単なる生存本能の発露ではなく、権力集中が進んだ指導者の偏狭な或いは独善的な考えがもたらしていると考えます。

いずれの国でも大多数の民衆は、生来的に戦争を欲していませんが、指導者の考えに煽動され、あるいは相手国の脅威や自国の全体主義的圧力に生存本能を脅かされ戦争に加担させられていくのでしょう。

権力集中は、経済的、政治的に強い国家の実現に役立ちます。

反面、偏狭な或いは独善的な考えを持つ指導者、即ち独裁指向の指導者によって戦争に突入される危険があります。

戦争を阻止するのは、生来的に戦争が嫌いな大多数の国民が、独善的な強い国家になることを求めず、独裁指向の指導者が出現しないように常日頃から監視することだと考えます。

強いアメリカを求め、トランプを大統領に選出した米国民の失敗を他山の石とし、日本経済に悪い影響をあたえるとしても、パレスチナを国家として正式承認できる人を総理大臣にしたいものです。

偏狭、独善な考えは、食に影響を与えるほど経済状態が悪いときに、煽動、ポピュリズムによって国民に拡散します。

SNSやAIの普及によっても国民が煽動される危険性が増しています。

これらの事実を踏まえ、戦争の悲惨さをもっと人目にさらけ出し、人命が偏狭、独善な考えより絶対に大切であることを如何なる煽動にも惑わされることなく即答できる社会環境を維持することが必要です。

独裁指向者は、ポピュリズム、煽動を駆使して独裁体制を徐々に築いていきます。

国民が偏狭、独善な考えに煽動されていくことを防止するために、AIを使って現指導者の独裁者指数を表すプログラムが作成されることを切に願います。

言語観念空間の意義

人間を他の動物から完全に峻別するヒトの能力は、人間が言語観念空間を形成し、言語観念空間に形成した過去、現在、未来の自分を認識できることだと思います。

ここでいう「言語観念空間」とは、他人とのコミュニケーションツールである言葉によって人間が構築する抽象的な思考の領域を指します。

この能力が、言語観念空間の過去の自分と現実空間の自分との違いから何かを学び、求める未来の自分に向かって学びを活かし現実空間の自分に行動を起こさせます。

これによって、例えば、成功や失敗、楽しさや苦しさなどを経験してきた言語観念空間の時々の過去の自分と現実空間の現在の自分とから目標とする未来の自分を言語観念空間に自分の価値観を踏まえて描くことが出来ます。

価値観も言語観念空間に築かれるものですが、現実空間で生命を維持するために大切なことは本能として生まれながら現実空間で遺伝子に書き込まれ、必要時に現実空間で実現されます。

本能以外の価値観は、経験や教育から社会規範を学び、成功や失敗、喜怒哀楽を通して言語観念空間に築かれていくと考えます。

人間は、このような他の動物が持たない能力を備えて地球上に存在することの幸せと喜びを常に新鮮な気持ちで感受し、言語観念空間の意義を考え人間の責任を果たさなければなりません。

想像力を働かせれば困っている人や人間以外の生物の痛みや苦しみを言語観念空間に描いて多くの人と共有することが出来ます。

言語観念空間の意義は、自分や回りの生物の苦痛を取り除き、喜びを与える役目の要になることです。

人間の務めは、自分や回りの生物の苦痛を取り除き、喜びを共有することです。

最近、社会の閉塞感が大きくなり過ぎたためでしょうか、自分らしく生きることを望む人が増えています。

自分らしくは、自分の価値観を大切にすることはよいのですが、「自分らしさ」を優先するあまり、周囲の人の価値観や状況を軽視し、対立あるいは戦争になることがありす。

例えば、プーチンはロシア大国の復活という時代錯誤な独善的な自分の価値観を大切にし、ウクライナ人の価値観や現状を無視しウクライナ侵攻を続けています。

ネタニヤフはハマスを倒すという価値観を優先し過ぎ多くの民間人を犠牲にしてガザ市の制圧を目指しています。

トランプは経済開発と国際的投資の機会としてネタニヤフのガザ市制圧を承認しています。

金正恩は金家の存続のために自国の兵士をウクライナ戦争に派遣しています。

民衆は他者との調和、社会的責任を配慮して自分らしさ求めるとともに、自分らしさを独善的に政治に反映する政治家が選出されることを、候補者が当選したときの姿を言語観念空間に描いて防止し、戦争を問題解決の手段とする指導者が出現することを防がなければなりません。

指導者はじめ世界の人々は、自分らしを強行したときに生じる罪なき被害者の苦痛を想像力を働かせて自分の苦痛として言語観念空間に描いて、言語観念空間を有する人間の行為と対極にある、現実空間の身体を破壊する本能的な行為の戦争を阻止する責任があります。

どのような姿勢で生きるか

人間は欲しいものを探し、見つけては獲得に務め、手に入れることによって味わえる喜びを求めて生きていると思います。

社会を大多数の人が喜びを求めて生きることができる環境にするために、人類は何世代にも渡って試行錯誤を繰り返して社会規律・慣習・法律を築いてきました。

宗教も社会に合わせて漸進あるいは改革し同様の役割を果たそうとしているのでしょう。

社会規律・慣習・法律や宗教の教えは一人一人の価値観の形成に様々な形で影響を与え、全体として社会の秩序維持に役立っています。

個々人も、本能的に「自己保存」と「自己利益」を優先する傾向にありますが、幼少期から各自の生活環境の中でさまざまな経験を繰り返し、欲しいもの、大切なものを探し出して価値観を築いていきます。

各自の生活環境、例えば、属する社会の慣習、幼児教育などが各人の価値観の形成に大きく影響します。

幼少期に欲しいものを見つけ出して熱中し、手に入れた喜びを体験することは、自分の価値観を形成する出発点になります。

幼児は自分中心の視点いわゆる万能感で世界を理解し始め、親や周囲の大人との関わりを通して価値観を形成していきます。

万能感を否定し過ぎると自信喪失や自己否定につながり、認め過ぎると傲慢や挫折に弱い傾向になり、適度に認めながら現実を学ばせると挑戦心・自己肯定感を持ちます。

自分の価値観を土台にして自己確立がなされると、成したいことを他人軸ではなく自分軸で探し出すようになり、達成した喜びや満足感も他人軸に支配されて成した場合に比べて比較にならないほど大きくなり、自己肯定感も強くなります。

幼児遊びを制限して親の価値観を押しつけ、あるいは自己保存と自己利益に反して虐待まがいなことを行うと、自己確立どころか自己否定するようになり、脳の発達や人間関係にトラブルをもたらします。

大人になるにつれ、幼少期に培った価値観の通りに欲しいものを手に入れることは難しくなります。

望みが叶わないと自信を失い、劣等感を抱いて無気力になり、自己肯定感が低下する傾向があります。

挑戦に敗れ自信を失ったときにどのように対処すればよいか、どのような姿勢で生きるかを上述の内容を含め心理学的見識も含めて学生に分かりやすく教える必要があると思います。

時には、今までにしたことを振り返り、それをしたのは、自分が欲したのか、流行っていたからか、親のプレッシャーからかなどと自問すると自分の人生の楽しみ度を自己評価できるでしょう。

場合によっては、コンプレックスからその原因を見つけ出して解放されるかもしれません。

宗教コンプレックスからの解放(その2)

地球環境の悪化、世界情勢の混迷、政治の貧困、貧富の差の拡大、偏差値偏重、生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などにより社会に不安と諦めが充満しています。

これは、実質賃金の失われた30年間の微減傾向、出生率の低下、若者のオンラインカジノ賭博依存症の増加、常識を逸したセクハラ・パワハラの横行、不登校の小中学校児童生徒数の増加などの社会活力の低下として表面化しています。

日々の暮らしに窮し将来が見えない人々に、自分の才能と欲求に合った「何か」を行うことが出来たとき、或いは行って感謝されたきに感じる生きる喜びを繰り返すことが人生の目的ではないでしょうかと問いかけても、うるさいお節介ととられるでしょう。

法然が浄土宗を開いた時代は、現在と同様に困窮や閉塞感が庶民社会に充満していたと思われます。

法然は、南無阿弥陀仏と称えれば誰でも極楽に往生できると説いて、如何ともし難く、声もなく尊厳を踏みにじられた人々に現世での居場所を提供したと考えます。

現代の庶民は、法然が開宗した時代より貧困でなく声を発することが出来ます。

まだ他力に頼るのではなく、より多くの庶民が自力で生きる喜びを楽しむ方策を試行錯誤するときだと思います。

人は太古の昔から必要なことを協力して実現するために役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観として共有してきました。

殺生(命を奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)の十悪行は罪になる不善な行為であるとされたお釈迦様の教えも、社会の価値観を明示したものだと考えます。

十悪行をしないことが人生の目的ではありません。

他人と共に生きる喜びを体感するために十悪行を行ってはならないのです。

冒頭で例示した社会の閉塞感の原因を取り除くためには、我々庶民が声を上げ行動を起こさなければなりません。

一部の人に任せている環境保護活動に、より多くの人々が参加することによって地球環境の悪化を防ぐことができます。

政治の貧困を解消するための第一歩は、私たち庶民一人ひとりの行動です。まずは、7月の参議院選挙に多くの庶民が参加することから始めましょう。

功罪両面あるも、その弊害は深刻である偏差値偏重については、SNS等によって社会の一つの価値観として定着されることを阻止し、創造力や非認知能力も重視する社会の価値観に庶民自ら意識改革する必要があると考えます。

生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などについては、生成AIやSNSは、自分の才能と欲求に合ったことを行うための道具として使うものであると認識することで解消すると思います。

宗教コンプレックスからの解放

最近、若者の殺傷事件、SNSを悪用した闇バイト事件、聖職者や教職員による性暴力などが頻発し、人々の社会規範を遵守する倫理観が低下しています。

社会規範は、集団を作って存続してきた人類が長い年月をかけて築いた善悪の判断基準です。

倫理観が低下した背景には、はき違えた個人主義や多様性の蔓延、世界中の多くの指導者による社会規範違反、科学の発達により悪行は罰せられるという教えの効力低下、貧富の差の増大など社会の混迷状態があるでしょう。

しかし、それ以外にも宗教上の問題があるように思います。

仏教で罪になる不善な行為は、因果の法則によって悪い結果を生む十悪行であると、悟りを開いたお釈迦様が説いています。

十悪行は、殺生(いのちを奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)です。

キリスト教で罪になる行為は、神の求める義を示す十戒に反する行為です。

十戒は、キリスト教の旧約聖書において神(ヤハウェ)がモーセを通してイスラエルの民に与えた道徳的・宗教的な戒めです。

十戒は、他の神を拝むな、ヤハウェの名前を不敬に使うな、父母を敬え、殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、隣人の妻を欲するな、隣人の財産を欲するな、です。

仏教の一宗派では、人間の根源的に持っている煩悩が悪業の原因であり、人は煩悩を克服できないので念仏して阿弥陀を信じれば救われると説いています。

キリスト教では、人は生まれながら罪を背負っているので十戒を自らでは守れないが、キリストの愛と恵みを信仰する者は守れるとしています。

人間は独立・自律性をこのように全面的に否定されると、自己肯定感が低下し自信を失い、混迷した社会情勢下では社会規範に沿った善悪の判断ができなくなる傾向があると思います。

例えば、十悪行の原因である煩悩あるいは十戒に反する欲望に堪えたときの満足感や成果は悟りの一歩あるいは恵みであるので更に追求せよと説かれると、人間は宗教コンプレックスから解放され本性に従って、他人と争うことなく集団で楽しく生きることができるようになる気がします。

キリスト教と同じ神(ヤハウェ)を信仰するユダヤ教では、救世主は未だに到来していませんが役割はユダヤ人をローマから解放し、地上にユダヤ王国を建てることです。

宗教の対象を選ばれた民族ユダヤ人としていることは容認できませんが、救済を地上での幸福と共同体の繁栄としている点は共鳴できます。

全人類の繁栄と、ひとり一人の生きる喜びを人間の知恵によって実現することが求められています。

ひとり一人が集団の中で個性に応じて目標を達成し生きる喜びを創造主とともに共感することが生きる目的であり、互いに尊重し合うことが社会規範のいの一番であるとする考えが大切だと思います。

自己確立とコンプレックス

人は数回の反抗期で未熟な自我に目覚め、長い年月を掛けて自分の成したいことを追い求めて生活する中に、自己を漸次確立し、感情を満たされた幸福な人生を送るものだと思います。

自己確立度あるいは幸福度は、自分の成したいことを追求する熱意と達成度を追求期間で積分した大きさになるでしょう。

幸福感は自分の感情が満たされている状態を自らが作り出して認識することであるので、その前提として自分の成したいことを見出す自己確立がベースになると考えます。

自分が成したくて成したことが他人にも認められて褒められると幸せいっぱい夢いっぱいになることでしょう。

この自己確立を時に邪魔するものがコンプレックスです。

自己確立は、自分らしさを認めて、他人と比べずに自分の軸で生きることです。

コンプレックスは、逆に他人の価値観に支配されて自分を過少評価することです。

コンプレックスには、容姿に対するコンプレックス、学歴コンプレックス親との関係からくるコンプレックスなどありますが、いずれも他人の目が気になって自分の心に根付く負う必要もない心の傷です。

容姿に対するコンプレックスは、自分に全く責任のないことで一番大切な自分の心に傷をつける極めて無意味なこだわりです。

学歴コンプレックスは、世間の軸に囚われて頭をよぎる過去の失敗の亡霊がもたらす自己確立の揺らぎではないでしょうか。

親との関係からくるコンプレックスは、過干渉、無関心などから自己確立を阻害された状態の産物であることを認識することから治癒できるでしょう。

深刻な社会問題である少子化は、自己確立が不十分で幸福度の低い若者が子供に同じ思いをさせたくないとの優しさが一因であると言われています。

若者に自己確立を促すためには、子供の頃から過干渉せず、放任し過ぎず、自分の長所や成したいことを自ら認識するように指導することが根本であることを再確認し実行する必要があると考えます。

価値観と政治体制の試行錯誤

個人や社会の価値観は政治体制と互いに影響し合い時代とともに変わることは歴史が示しています。

人は太古の昔から生存に役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観を形成してきました。

狩猟採集時代は、男性が狩猟、女性が採集で食物を得る分担があり、女性の地位も比較的高かったと思われます。

農耕時代になると、力仕事が多くなり男性の労働が増え、定住し財を蓄積相続し、家父長制が広がりました。

食物を耕作する土地を王国間で奪い合う古代文明から中世(封建社会)になると、領主が農民を支配しました。

土地を武力で奪い、守ることに高い価値がありました。

商業資本主義が発展した近世では中央集権国家が奴隷貿易や植民地支配の主導権を争いました。

産業革命後の近代は、食物の他にも様々な財が大量生産され、民主主義が普及し、帝国主義、社会主義が台頭しました。

IT、AIなどの科学技術が急速に発展した現代は、様々な政治体制を試行錯誤した後に民主体制を選択した国、民主主義を試行錯誤することを独裁体制が阻止している国、国民が強いリーダーを求めている国など異なる政治体制が混在しています。

現在、民主体制は他の政治体制より人の心地よい生存に役立つ価値観を国民に提供すると考えます。

しかしながら民主体制も試行錯誤して価値観を社会情勢や科学技術の発展に合せて更新しなければ崩壊するでしょう。

議会制民主主義共和国として誕生し、民主的なヴァイマル憲法を擁したヴァイマル共和国は、不景気、ヒトラーの巧みな演説、ナチ党のデマ、煽動などに対抗できる価値、政治を提供することが出来ず崩壊し、ヒトラーの独裁体制を誕生させました。

最近、米国では民主党政権が格差の拡大、IT技術革新などに対応した価値観に基づく政策、法整備を行うことができず、独裁的なトランプ政権を誕生させました。

民主体制で大切な価値を有する人権は、自由・平等・多様性です。

しかし、人が生存するために最も大切なものは食物です。

現民主体制も、全ての国民がひもじい思いをせずに食物を得ることができるような経済・社会改革を優先的に実施しなければ崩壊の憂き目に遭うでしょう。

「衣食立りて礼節を知る」は、生身の人間が試行錯誤して得た価値観でしょう。

試行錯誤は、課題解決のために熟慮した方策の実行の失敗を分析し、修正した方策を実行することを繰り返して課題を解決することです。

例えば、高関税が経済全体に与える影響を分析することなく性急に高関税を課すようなことは、試行錯誤ではなく、価値観における高関税の価値の優先順位を低くするだけです。

IT技術革新により情報戦略が飛躍的に有効になった現代、民主体制はデマ、煽動、ポピュリズムの標的になります。

このような前代未聞の状況下では、人権の一部を制限しても民主体制を固守できる法・制度改革を迅速かつ適切に実施することが急務であると考えます。