哲学的な考え方の大切さ

1.はじめに

数ヶ月前に本屋さんの店先に、“イェール大学で23年連続の人気講座「死」とは何か”と言う題名の本が山積みされているのに衝撃を受け、その場で購入して読んでみました。衝撃を受けたのは、有名大学で答えの見つからない自問についての講座を長年続けていること、そして優秀な代々の学生がそのような自問に大きな興味を持っていることでした。因みに、著者のシェリー・ケーガン教授は、死後の世界はないと断言しています。創造主が存在するか否かについての記述はありませんでした。

いじめを経験した等のつらい思いをした学生以外は、「死とは何か」、「何のために生きるのか」などについて考えることは少ないと思います。答えの出ない、一銭の得にもなら無いことに時間を使うくらいなら、例えば就職に有利な講義を聞いた方が賢明だというのが、今の日本の親も喜ぶ一般的な選択ではないでしょうか。

ところが、フランスにおいても自分の頭でしっかりとものごとを考え、意見を持ち、論理的に説明できるようになるために哲学的な思考方法が重視され、高校では哲学が必須だということを知り、折しも2020年教育改革で思考力重視の方針が出されていますので、哲学的な考え方の大切さについて考えました。

2.日本での取り組み

平成27年5月28日に日本学術会議哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会が、(提言)「未来を見すえた高校公民科倫理教育の創生 ─〈考える「倫理」〉の実現に向けて─」を発表し、高校教育での「倫理」がその本来の役割を果たすようにするため、従来の〈知識中心の「倫理」〉 教育から、〈考える「倫理」〉としての倫理教育への転換、を提言しています。

さらに、哲学者の思想や理論を知識として学ぶのではなく、哲学的に思考/対話するための方法および構えの模索が一部の小中学校で実験的に行われています。このような動きは哲学界にはあるようですが、教育界全体延いては社会全体に広がっているようには思われません。

しかし、現実社会では、答えの出しにくい問題を考えて時間と労力をとられるより、信用できそうな人、あるいは周りの人の答えに従う傾向が強いと思います。答えを自分の頭で考えて出すより、正しいとされている答えを多く記憶している方が仕事を早く処理できる場合も多々あります。多くのことを記憶できると、見識が広くなって正しい判断ができ、話題も多くなります。しかし、周りの答えや記憶に頼りすぎ、それが習慣化されすぎると、効率重視社会、インターネット社会の進行につれて常識では考えられない余りにもお粗末な事件が頻発するようになりました。

3.哲学的思考の意義

ハーバード大学等の試験で「あなたは何者ですか」との問いが定番となっているそうですが、この問いに対しては自分の価値観をしっかり持っていないと答えられません。この問いは、人はそれぞれ得意とする能力、興味、立場、環境等を異にする存在であることを大前提としています。先ず、この違いを客観的に把握し、その中で自分の成りたい人、やりたいこと等の目標を立てて、その目標に向かって行動するなかで自分の価値観を構築し、自分の価値観に従って生きることが幸せな生き方であることを前提としています。このように、自分の人生を意義深いものとするために、「自分は何者か」と問うて自分を客観的に見つめることが重要です。

インターネット社会において、ネットいじめ、ネット詐欺が横行し、いくつかの国では悪意情報が民衆を煽動し国政に混乱をもたらしていると言われています。これは情報が氾濫し容易に入手可能になるにつれて、個人での情報の価値判断が困難となり、安易に多数判断に同調する傾向が増大したことと、多くの人が情報の意味や真偽を自分の頭で考える習慣を放棄したためと思います。このような情報過多社会の弊害を無くすためにも哲学的な思考方法を子供の頃から家庭や学校で教える必要があります。

最近、子ども虐待、弱者殺人、煽り運転、SNSへの愚かな投稿など非人道的でヒステリックな犯罪が多発しています。このような幼稚で思慮分別の足りない大人を生む社会的風土は、「自己肯定感がなぜ必要か」など物事を哲学的に自分の頭で考える教育をしてこなかったための産物といえるのではないでしょうか。

4.おわりに

人は千差満別であるからこそ世の中に変化があり、個別的、地理的、時間的に相違、変化することに人間の存在意義があることを大前提とすると、その相違、変化を各人が自分の頭で考えて自分の価値観を構築し、自分の人生を有意義なものとするために、哲学的な思考方法を子供の頃から教える必要があると思います。