人が生き続けることとは

心理学者アブラハム・マズローの欲求5段階説によると、人間の持つ5つの欲求を、生命を維持する生理的欲求から、安全に生きる安全欲求集団に帰属する社会的欲求、他人に認められる承認欲求自分の理想を実現する自己実現欲求へと、生き続ける上で基礎的な欲求から高尚な欲求に向かって順位けしているように思います。

しかし、このように欲求を順位付けすることは、人々が「心」を躍動させて生きる喜びを謳歌することの障壁になっているような気がします。

人間は一生の間、5つの欲求を順位付けすることなくずっと持ち続けています。

寧ろ、生きるために大切な欲求という観点では優先順位が逆転します。そこで、欲求5段階は、生命を維持する欲求から自分の理想を実現する欲求へと、生き続ける上で必要性の高い方から低い方に順位付けしたものと考えると「心」の負担が軽くなると思います。

生命を維持する欲求

人間は生き続けること(「無」の対極の「有」である存在)を創造主から委託されていると思います。

したがって、生きるベースである生命を維持する生理的欲求は人にとって一番大切なものではないでしょうか。また、人間は世代を繋いて生き続けるものですので、子孫を残す欲求も自然なことと思います。

人が他人の生命を奪うことは、他人が自分と同様に一番大切にしている欲求の実現を奪うことであり、さらには、人類の存続を否定することにつながり、絶対に許されることではありません。

安全に生きる安全欲求

人間は存在を具現化するために多様性と変化を備えて生き続ける生きものです。生き続けるためには安全な環境が不可欠であり、人間は安全欲求を生まれながら備え、本能と知能で安全か危険かを察知することにより安全欲求を満たしていると思います。

戦争や貧困状態は安全な環境を破壊し、安全欲求を拒否して多くの人々の生命を奪い、人間の存在意義を根底から否定します。このような劣悪状態の解消を、後述する承認欲求を満たすための重要テーマとしてとらえ、多くの人々が「知」と「心」と「身体」を駆使して協力し弛まぬ努力で徐々にでも解決していきたいものです。

戦争や貧困などで安全欲求すら満たされない状態で生命を奪われた極めて多くの人々の無念を思うとき、我が現状に感謝して生き続けたいです。

集団に帰属する社会的欲求

人は両親はじめ多くの人々のサポートがあって生き続けることができるものであり、集団に帰属する欲求を遺伝子に刷り込まれています。

虐めの常套手段である仲間外しや無視は、人間にとって3番目に大切な集団に帰属する欲求の実現を妨害し、最悪の場合は人の生命を奪う行為であります。仲間外しや無視は、戦争同様に罪深いことであり、人として絶対に許されない行為だと思います。

他人に認められたい承認欲求

人間は両親はじめ多くの人のサポートなしでは生きることができない社会的動物ですので、生来、人の役に立って認められると喜びを感じる承認欲求を持っています。承認欲求を満たす能力と実現する状況に運良く恵まれた人々が社会に貢献し、社会が人の貢献を認める共存関係を築くことによって人間は豊かに生活できるようになってきたと思います。

しかし、例えば社会に迷惑を掛ける行動の動画をSNSに投稿して承認欲求を満たそうとするような未熟者の行為を無くすためには、他人あるいは社会が人を認めて尊敬するのは、その人が習得した能力で他者に貢献したときに限られ、かかる貢献を認められると人は嬉しく感じるということを子供の頃にしっかり教える必要があります。

昨今、病巣のように世界中に拡散している、自分の利益のために権力を乱用する指導者は、社会に貢献することなく自分の存在を誇示する未熟者と同じような行為を行っているのではないでしょうか。

自分の理想を実現する自己実現欲求

幸運にも前述の各欲求を満たすことができ、自ら望む場合は、人は自分の能力、個性、興味にマッチした自分の価値観を形成し、その価値観に基づいて設定した目標を達成する過程と結果に存在意義と喜びを感じるように思います。

自分の価値観は、人間が遠い未来に亘って生き続けるために役立つことに価値を認め、他人の価値観も尊重するものでなければなりません。

人間は多様性と変化のある存在を具現化するために「心」、「知」、「身体」において千差万別であるので、各人の目標も多種多様であります。

そして、自分の理想を実現した結果が人の役に立ち、人々から感謝され認められると、さらなる喜びを感じると思います。

既成の価値観を逆転の発想で少し観点を変えて見るだけで随分気が楽になったように感じるのは私だけでしょうか。