世界では親近感のあるハンガリーやポーランドで独裁制が進むなど非民主主義国が台頭し、民主主義国が少数派に転落しました。
そして、ミャンマーでは国家秩序を守るとの理由で国軍が国民を銃殺し、中国では国家統一を維持するとの理由で新疆ウイグル自治区の多数のウイグル人を強制収容あるいは虐殺しています。
このような状態を見て国家は何のために存在するか考えていました。
そんなとき、オリンピック2020のソフトボール選手上野由岐子選手が勝利インタビューで、「今日のこの試合、勝てたことは自分にとってもすごく嬉しいですし、チームにとっても大きな勝利だったと思います。」と語りました。
そして、男子サッカーの久保建英選手が、「自分が点を取ってチームも勝ってとても嬉しい。」と喜びました。
男女二人の名選手の言葉から人は、先ず、自分の技量が向上し上手く機能したことに歓喜し、次に、自分の属する社会に貢献できたことを嬉しく思う性状を備えたものであることを再認識しました。
勿論、個人競技でも、各選手は自分の目標達成と表裏一体の心技体の鍛錬向上に努力するのでしょう。
この性状を発露して自分の命、才能、欲望などを自己実現することが人間の根本権利であり、これに適した環境を得るために集団生活を始めたのが、人間社会の原点、意義だと思います。
多様化、高度化した社会の役割を効率的に達成するために、集団は組織化されて集落となり、集落間の紛争を経て国家が形成されました。
外国との紛争や国内の権力闘争に勝つために国家は硬直に組織化され、強い指導者を求め、強い国家に属すること、貢献することが人間本来の目標であると錯覚している人が増えつつあるように感じます。
このような社会は、歴史的にも独裁者出現の温床になります。
独裁制国家では、人間社会の誕生意義に反する国家目標が容易に設定され、国家の存在意義が国民の根本権利に不当に優先され、人間が社会生活することの意義に反することになります。
お国のためにとの目標もありましたが、個性豊かな才能を磨くという自分の目標を達成した証として何かの役に立てて嬉しいという人の本質とは異質なものでしょう。
人間の本質的な性状の発露を阻害する国家権力の行使は、国家の存在意義に悖り、人の根本権利を侵すものであります。
より多くの国民がより質の高い生き甲斐を自由に求め、平等に実現できる自由平等な生きる場を提供することが、本来の国の適正な政治だと思います。
反面、国民は国家に属し、恩恵を被るので、適正な政策に協力しなければなりません。
また、人は誰しも他人の根本権利を侵すことを許されません。
例えば、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令されているときに、路上でビールを飲む人達は、国の政策に違反して他人の根本権利を奪う可能性のある危険な行為を行っているので、法的に取り締まってもよいと思います。
コロナ渦での路上飲酒は、我欲であり、人の根本権利ではないでしょう。
国民に自由平等な生きる場を提供するという国の政治の本来の姿からぶれることなく、ポピュリズムに陥ることなく、十分に理論展開して国民を丁寧に説得し、コロナ渦のような状況下での無責任な行為を取り締まる法整備は行うべきであると思います。