2017年没のジグムント・バウマンは、著書「退行の時代を生きる」において、ナチスのホロコーストを念頭に置いて人間の内部に潜む残虐性は、文明化の過程でうわべを取り繕ったものの根絶も矯正もされていなく、人間の本性から消えたわけではなかったとしています。
独ソ戦は、残虐性をあらわにした二人の人格破綻者、ヒットラーとスターリンが強迫観念に駆られて繰り広げた殺戮戦であり、勝利国ソ連では、1100万人強の軍人が戦死、行方不明になり、全体では3100万人強の軍人、市民の命が失われました。
独ソ戦勝利を誇るロシア国民には、国のためには自国民および他国民の命を犠牲にしても厭わないとの価値観が根付いているのでしょうか。
その後90年も経たないうちに、スターリンに憧れるプーチンはウクライナを侵攻し、残虐で邪悪な行為を繰り広げています。
人間は、最下層の身体層の上に知能層と心層が重ねられたもので、残虐性は身体層の性状で人間の本性ではないでしょう。
知能層は、コミュニケーションによって他人と共有可能な心像空間を過去の記憶や経験などから脳内に形成し、心像空間に自分の価値観や理想を形成します。
最上層の心層は、残虐性や利己性などの身体層の欲求を抑え、他人への貢献や共存共栄を目的とする種々の目標を達成するために鍛錬しなければならない精神力、例えば、自己肯定力、忍耐力、包容力、集中力、度胸などです。
ヒットラー、スターリン、プーチンは、幼少期に受けた父親からの虐待によって心層に大きな傷を負い、成長期に矯正されることもなく、残虐性をコントロールできずに人間の尊厳を冒瀆しているのでしょう。
人間の存在意義は、各人が多様な才能を発揮して目標を達成し、生きる喜びを創造主とともに共感することだと思います。
同著では、人間は、その残虐性に満ちた自然状態に秩序をもたらすために国家を形成したと述べています。
人間は、有史以来、さまざまな形態の国家を経験する中で、各人が知能層や心層を十分に発育させて存在意義をより高めることができる国家の形態を模索してきました。
現在の民主主義国家は、ジェンダー平等、多様性の尊重などが唱えられ、人間の存在意義を具体化するためによい社会を形成することができると思います。
これに対し、国家の価値観に国民を洗脳する独裁体制国家は、各人が多様な才能を発揮して生きる喜びを体感するという創造主の意思に反するものでしょう。
民主主義国家の国民は、高い知能と成熟した心を働かせ、強い団結と協力でウクライナ支援を継続し、ロシアの残虐行為を阻止すると思います。
今回のロシアのウクライナ侵攻は、ソ連崩壊後再び西側諸国に追い詰められたロシアが、心を病んだプーチン指導者の下で全盛期のソ連に退行を試みた気がします。
ロシアは今回の残虐行為を反省させられることになると思いますが、勝者にも敗者の尊厳を守る対応が求められるでしょう。
バウマンは、民主主義国家は、政治を地方に移譲した結果、地方で同族主義への回帰が進んでいるとしています。同族主義は、国家から個人を解放するものではなく、同じ考え方をする人々が同族集団を作るという思想です。
同族集団は他の集団の考え方を頭から否定するので、よりよい折衷案を生み出す余地がなくなる面があります。
ウクライナ支援に対しても様々な同族集団が現れるでしょうが、民主主義国家は、人間の存在意義を強い心で守り抜くことができると思います。
バウマンは、1980年代から盛んになった新自由主義下では、国家権力を縮小し、自由競争を奨励したことにより、民主主義国家において貧困者が増大するなどの残虐性が増加していると述べています。
民主主義国家において自由競争を唯一無二の政策とすることなく、創造主の意思でもある多様性の尊重を念頭において、自己責任論を多様な価値観の一つとして位置づけ、不平等への回帰を避けなければなりません。
自由競争に疲弊し、同族主義にも癒やされない人々が、自分自身のために生きるという自己への回帰を防止するために、多様な価値観を尊重する政策の実行と社会風土の醸成が望まれます。