創造主の一器官としてのヒト

ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。

ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。

・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力

目標を現実化する実行力。

・自己制御可能な持続する欲望。

・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。

・現象を分析、解明する論理的思考力。

創造主の意思に沿った倫理観。

・欲するものを創り出す創造力。

目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。

創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。

目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。

大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。

数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。

立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。

この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。

ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。

創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。

ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。

他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。

侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。

達成の喜びを想像しうる目標

日常生活を保ちつつ、我が才能と相談して設定した目標を達成して創造主と喜びを共感する人々が、創造主の意図した苦闘する人類だと思います。

自分の成したいことのみを追い求めて日々生活できる人は、科学、芸術、スポーツなどの各分野において天賦の才能に恵まれた数少ないギフテッドで、創造主が人類に示した道標ではないでしょうか。

無分別な若者が特殊詐欺や闇バイト強盗に加担させらされ、人生を台無しにしています。

文部科学省の昨年10月の発表によると、小・中・高等学校及び特別支援学校における「いじめ」の認知件数は61万5千件強で、前年度に比べ19%増加しています。

不登校児童生徒数は24万5千人弱で、9年連続で増加し、過去最多となりました。

国連のSDSNが各国民へのアンケート等に基づいて国民が感じている幸福度を総合的に測り、幸福度の高い国別ランキングを発表しています。

最近公表された世界幸福度報告書2023年版によると、北欧諸国が上位を占め、日本はG7でイタリア33位についで最も低い47位でした。韓国、中国、ロシアは、57位、64位、70位で、最下位はアフガニスタンの137位です。

報告書は、日本と上位の国々を比べると、健康寿命では日本が上回り、1人あたりGDPでも上位と大きな差がないものの、人生の選択の自由度や寛容さに課題があるとしています。

若い人達が子供をつくりたがらず、2022年に生まれた赤ちゃんは80万人を割り込んで少子化が進んでいます。

このような好ましくない社会状況は、日本社会における価値観の均質性とその押しつけに起因しているのではないでしょうか。

ほぼ全員が苦闘する人類である日本国民が、ギフテッドのようになること或いは良い学校、会社、地位等につくという表面的な目標を自分、他人、子供に無知の善意で押しつけている風土があるような気がします。

達成不可能な目標を押しつけられると、苦闘する人類は喜ぶ機会を失い自己否定に陥り、苦闘して生きる意欲を失うのではないでしょうか。

苦闘する人類の能力の種類は、各分野において更に微細化され、高さにおいてもギフテッドに向かって際限なく多層化されているでしょう。

目標は、努力次第で達成することができ、果たしたときの自分の進歩した能力、姿を具体的にイメージできる、達成の喜びを想像しうるものでなければならないと思います。

若い人は各分野でこのような目標達成を繰り返して能力を向上し、人々の生活を豊かにする成果を実現して欲しいものです。

私は高齢者にふさわしい新しい目標を設定し、今まで気づかったことを発見しつつ、ささやかな目標を頑張って達成し生きる喜びを感じています。

自分の個性や才能に応じて設定した目標を苦闘しながら達成することに喜びを感じることが人生の意義であるとして尊重する社会風土を日本国民が醸成し、人生の選択の自由度や寛容さを高めることが日本の社会状況の改善に役立つように思います。

80にして平和を祈る

今年は80にして平和を祈るになりそうです。

個人は心を他に支配された状態、国は他国に支配された状態は平和と言えません。

心を他に支配されない方法が心理学で色々研究されています。

最近、星 友啓著 「全米トップ校が教える自己肯定感の育て方」に書かれていた心理メソッド「ディスタンシング」の一つを行ってみました。

私と同じ悩みを持っている仮想A君を心に描いて声を掛けるのです。

「A君、お前のあの時の努力と準備不足では当然失敗するよ。事実は変わらないが、これから頑張れよ!」でした。

このようにA君を励ますと、私の悩みも霧散し心が軽くなりました。

心が社会や他人の価値観に呪縛され自己肯定感を蝕んでいたのでしょうか。

A君に掛けた言葉が現在の自分の真の価値観であるので、ストンと腑に落ちたのでしょう。

腑に落ちない場合は、自分が尊敬する歴史上の人物Bに悩みを話して励ましてもらうのはいかがでしょうか。

自分が尊敬する人物Bは自分の価値観に近い言葉で励ましてくれそうな気がします。

日本では、心理学や心理メソッドは、心の弱い人のためのもの、あるいは洗脳の道具に近いと考えている人が多い気がします。

そんなものではなく、人々の心を自由に、柔軟に、より強くするものであり、子供たちに早くから教えることにより、不登校、いじめ、自殺などの負の面を改善するだけでなく、自己肯定感が強く、自分の価値観を実現していける強い心の人に育つと思います。

国が他国を支配しようとするのは、支配者が貪欲や妄想に捉えられ、自国民、他国民の自分らしい生き方をサポートするという初志を見失い、国民も支配者の妄想に呪縛され自分の誇りを捨ててしまった成り行きでしょう。

心理メソッドを学んで実践し、自らの心理状態を常に健康に維持する謙虚さを備えた人を為政者に選出することも国民の大きな責務だと思います。

独裁者をなじるだけで平和に役立つ行動ができずに祈るしかないことを悔やみ、学校教育で心理学や心理メソッドを学んだ若者達が強い意志で平和に満ちた社会を築いてくれることを願っています。

基礎的な学習内容 その2

今回は、学習課目の道徳、体育、芸術や美術、社会や理科における基礎的な学習内容を提案します。

文部科学省は、児童生徒が生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けるために、道徳教育の充実を図っているとしています。

生徒が道徳性を知識として学習することも大切ですが、好きなことの知識や経験を積んで脳内の概念の世界を拡大していく楽しみ、成長段階に応じて設定した目標を達成する喜び、多様性ある人々と協力し物事を成す喜びなどを体験学習することによって道徳性が血肉となるものと思います。

これには、子供が築いた概念の世界の話を聞き、目標設定のアドバイスをし、色々な人と接触する機会を作るなど、多様性ある子供の身体、知能、心を使った個性に応じた実体の世界での活動がベースになると思います。

先祖から引き継いだ生命を大切に思う心は、本能だけでなく、各人の活動から得られる喜びや感動などによって育まれるものと思います。

昨今の権威主義下での弱者の軽視、民主主義下での強者の尊大をみるとき、生きる喜びや感動を創造主と共に共感する生甲斐を若者に体感させたいものです。

体育で学習する対象は、主として身体を目的に合わせて効率的に動作させる能力です。

例えば、徒競走で生徒が早く走っている状態は、「実体の世界」での出来事で、生徒は脚や手などの筋肉を上手く使って疾走します。

しかし、ゴールした後に先生が生徒に、「膝をもう少し上げた方がもっと速く走れるよ。」とアドバイスしたとすると、それは先生の「概念の世界」で生徒が走っているフォームについて述べたものです。

生徒が前より速く走るという目標を立て、先生のアドバイスや自分の概念の世界に蓄積した速く走るための情報に従ってフォームを修正し、実体の世界で練習を繰り返し、次回の徒競走でもっと速く走る喜びを体感することが体育で学習することだと思います。

体育は、身体、知能、心を使って目標設定、実行、達成のサイクルを比較的分かりやすく容易に繰り返すことができるように思います。

芸術で学習する対象は、人が心に抱く思いや感情です。

表現者の思いや感情は、その生死に拘わらず、文芸、美術、音楽、演劇・映画などの媒体を介して鑑賞者の概念の世界に復元されます。

表現者は、自分が抱いた思いや感情を実体の世界で表現して鑑賞者の共感を得るために感性と表現力を磨きます。

鑑賞者は、表現者の思いや感情に共感するため、或いは表現力を学ぶために表現物を鑑賞します。

学習科目の社会では、例えば、多様性ある人々の個性を個人および社会に有効に活かす仕組みなど、個人と社会の関係について考えることが求められます。

また、過去に人間が行ってきたことを歴史として書物や文化遺産などで学習し、各自の概念の世界に復元します。

歴史を学ぶ一つの意義は、独裁政治や戦争などの過去の過ちを繰り返さないためにあると思います。

しかし、歴史は人々の概念の世界に築かれた過去の出来事であるので、利己的な為政者や思想家などに歪曲されないように注意しなければなりません。

理科では、実体の世界の物事の性質を学習し、あるいは発見し、言葉や記号や数式で各自の概念の世界に復元します。

そして、物事の性質を利用し、実体の世界において、例えば産業に役立つ技術や病気を治す医療などを開発します。

生徒が、上述のような学習の出発点のようなことを分かりやすい言葉や例題などによって理解すると、自分の概念の世界を広げていく面白さを知り、興味を持ったことについて主体的に学習するようになると思います。

国民の幸福度が低く、国力の相対的低下が危惧される日本において、親や社会の価値観を押付けることなく、子供が持っている興味や才能を気づかせる教育をすることによって、各自の個性に応じた豊かな概念の世界を築き、チャレンジ精神や幸福度の高い国民が増加するのではないでしょうか。

基礎的な学習内容

今月は、先月投稿した共生主義日本国の教育システムを通して、若い人が学ぶと人生をより楽しむことができると思われる基礎的な学習内容を提案します。

例えば、母親が娘に留守番を頼むときに、「あなたの側にいる実体の母は出かけるけれど、あなたの頭の中にはあなたが覚えた母の顔や臭いが概念の世界の母としているから、淋しくなると思い出して我慢してね。」、「あなたと兄さんの頭の中にいる二人の母さんは、似ていると思うけど、どれ位違うのかな。」等の会話を通して概念の世界を幼い子供に徐々に理解させていくことができる気がします。

幼い子供が概念の世界を理解することは難しいと思いますが、様々な工夫と経験を活かして時間をかけて理解させることが必要と思います。

人間が他の動物と大きく異なる点は、5感で感じた「実体の世界」での物事を記憶し、脳内に「概念の世界」を構築し、各自の概念の世界を言葉、絵図、音などを使って他人と共有することができることです。

人は身体、知能、心の三要素から成りたち、個々に相違する三要素に基づいた個性を有します。

そして、個人の成長段階での個性に適合した目標を設定し、この目標達成に喜びを実感しながら、三要素の総合力を成長させていくことが人の生きる意義の大きな一つであり、そのことを人はより若い時に知ることで人生をより楽しくできると思います。

生徒は学校で、国語、算数、理科、社会、体育、音楽、美術など多くの科目を学習します。

各科目で学習する対象の大まかな特徴と学習した対象をどのように利用するかについて知ると、生徒は主体的に学習するようになると思います。

人間は実体の世界における物事、例えば物、物の状態や動き、人の感情などを記憶し、記憶した物事で自分の概念の世界を構築します。

言葉は、先ず自分と他人とが同時に見聞きすることができる実体の世界における物事を表現する符号として自分と他人との間で共有されます。

そして、自分と他人は、言葉を仲介にして自分の概念の世界の物事A1と他人の概念の世界の物事A2が実体の世界における物事Aに対応するものであると認識します。

このようにして言葉は、各自がその概念の世界に記憶した現実の世界での物事や自分が創作した小説や思想などの創作物を他人の概念世界に持ち込んで共有することを可能にします。

しかし、自分と他人では同じ物事Aでも理解や興味が異なるので、自分の概念の世界の物事A1と他人の概念の世界の物事A2は同一にはなりません。

国語は、物事を約束に従って言葉で表現することを学ぶ科目ですので、理論的な面もあります。しかし、国語の対象である言葉は変化する社会の出来事や微妙な人間の感情などを表現するために変化し矛盾を内包せざるをえなくなることもあり、国語は非理論的な面もあるのでしょうか。

言葉は、現実の出来事だけでなく心の産物である感情を他人と共有するための大きな手段ですので、国語では、言葉の使い方だけでなく、他人を思いやる気持、志に向かう勇気など人の心も併せて学習できるようにするとよいのではないでしょうか。

算数で学習する対象は、概念の世界において数を約束に従って理論的に取り扱うことです。

数も実体の世界での物の個数、長さ、重さ、時間などの量を表現する言葉の一つとして各自の概念の世界に形成されるものです。四則演算も実体の世界での「加える」、「減じる」、「同じ量を複数回加える」、「一つの量を等分割する」を概念の世界において数字と符号+,-,×,÷を使って形成したものです。

概念の世界で「10進数」、「0」、「負の数」、「四則演算」、「関数」などが創作され、その後、これらと理論的に矛盾を生じない新しい考え方が次々に創作されました。

各自が概念の世界に構築した数に関する考え方や法則は、実体の世界でグラフや式として紙等に記載することによって他人の概念の世界に容易に取り込むことができます。

また、数は実体の世界で物の個数、長さ、重さ、時間などの量を示すだけでなく、異なる種類の量から別種類の量を算出し、或いは異なる種類の量の関連性を表すことができます。

例えば、数は、物体が移動した距離を表す数を移動に要した時間を表す数で割った数によって物体の移動速度を表すことができます。

今回は紙面の都合上これまでとし、主として身体を学習の対象にする体育、心を対象にする音楽や美術、実体と概念の世界の物事を対象とする理科や社会については次号に回します。

共生主義日本国の学習システム

国の学習システムは国家の根幹を成すものであり、各国ともより優れた学習システムを模索して試行錯誤を繰り返しています。

国力は、国の経済、政治、軍事、文化、福祉などの総合力です。

従って、学習システムにおいて国家の実益を優先し過ぎると短期的には国力が高揚しますが、長期的には国民が疲弊し幸福感が低下して国力が低下すると思います。

共生主義日本国の学習システムは、各国民が自分の目標達成に喜びを感じて生きるための能力を習得するとともに、日本の国力高揚におおいに資するものでなければなりません。

学習システムには、家庭・学校・社会での教育、自己学習、社会風土からの示唆などがあります。

人間が誕生後最初に受ける教育は、家庭教育です。

両親の深い愛情と後ろ姿は、人の生きる大きな力になります。

さらに、両親が躾、生まれ持った才能を活かして生きることの喜び、忍耐力、自他個性の尊重などの基礎能力を子供に授けることは、国民育成の基礎であるとの社会通念を醸成する必要があると思います。

日本の学校教育は、2020年教育改革で思考力重視の方針が出されていますが、まだまだ道半ばの状態ではないでしょうか。

何のために生きるか、勉強するのか、言葉(数字を含む)によって頭の中に構築し言葉によって他人と共有する概念の世界と現実の世界との関係について考えるなど、若い時に自分の頭で考えて論理立てする思考力を鍛えることは、国民が生まれ持った才能を活かして楽しく生きる能力を習得すると共に、国家が科学技術、産業、政治、文化など全ての面で国力を向上するのに有効であると思います。

また、例えば、図工が95点で、国語、算数が40点のA生徒より、図工、国語、算数が60点のB生徒の方が、成績を上位とするような順位付けには弊害がないでしょうか。

A生徒の方がB生徒より劣っていると受け止めかねない評価をすることは、人間の才能は生来多様であることを忘却した人格無視の気がします。

A生徒については、図工においてトップクラスと評価し、国語、算数については社会常識として必要な程度の知識は身につけましょうとコメントすることで、A生徒は、自分の才能で力強く生きる能力を伸ばし、国家に貢献する国民に育つと考えます。

自己学習は、生まれ持った才能を活かして成し遂げたい目標を達成するという欲望を工夫と努力で追い求めるうちに学習することだと思います。

学校教育として、ドイツのように小学校卒業時に、就職を前提とする基幹学校、実務的な職業教育を受けるための実科学校、大学進学のためのギムナジウムから一つを選択する3分岐型教育は、10才で自分の才能を見極めることの困難さ、早くから進路を振り分けることで教育格差、ひいては所得格差が拡大するなどの弊害が生じているようです。

これらを踏まえて共生主義日本国では、中学校に自分の才能、成したいことを見極めるためのカリキュラムを用意し、進路を自ら決定した生徒は、成したいことに応じて選択した例えば、科学、職人、芸術、スポーツなどのコースで学習するというような、個人の生甲斐および国益に供する教育制度の創設が望まれます。

コース選択の誤りに気付いた場合、学生時代はコース変更を可能とし、社会に出た後は選択し直したコースで学習できる福祉政策と関連づけることも必要だと思います。

個人は社会風土からも多くのことを示唆され、自分の価値観の形成に大きな影響を受けます。

現在日本の社会風土は、多様性より均質性を志向する傾向が強いように感じます。

しかし、人間の素質や生活環境は生まれつき個人差があり、各人の成したいことは多種多様です。

自分の成したいことを目標に定め、生まれ持った才能を活かして目標達成に努力することは、社会的評価に関係なく、自分にとっては工夫と喜びの詰まった生きた証になると思います。

勿論、目標達成の成果が他人や社会に貢献し、感謝や称賛を受ければ、喜びは一層大きなものとなるでしょう。

また、安全志向で保守的な国民性からでしょうか。日本社会では、失敗を怖れて冒険しない、敗者復活が困難であると一般的に言われています。

このような日本社会の弱点も多様性を尊重する教育を受けた人々によって改善されていくと思います。

各国民が生まれ持った才能を活かして能動的に生きる国家は、経済的、文化的に豊かで堅牢な国家になると確信します。

自由と平等

NHKの朝ドラで少女が悩みながら成長していく姿を描いた「おかえりモネ」が放映されています。偉人の生涯ではなく、普通の少女の成長を描いたドラマに価値観の多様性の大切さを再確認しました。

独裁制は、人民の大多数が自らの意思に従って行動できず、多様な価値観を具現化できる政治体制ではありません。

各自が多様な才能を発揮して目標を達成し、生きる喜びを創造主とともに共感することが人間の存在意義であり、「無の世界」に対峙する「有の世界」をより多様により強く実感することです。

人間は多様性と変化のある存在を具現化するために、「心」、「知」、「身体」において千差万別であるので、各人の才能も多種多様であります。

現在は、民主制国家においても、価値観の多様性の容認幅が狭く、多くの人が閉塞感を感じているのではないでしょうか。

自由と平等は民主主義の重要な理念です。

自由は、自らの意思に従って行動する権利です。

平等は、ジョン・ロールズの提唱する、自由および機会を平等に受ける権利だと思います。

自分の自由と平等を主張するとき、多様性を担保するために、他人の自由と平等を侵犯することは許されません。

人間は先ず生きなければならないので、本質的に安全志向です。

人々は安全で生気溢れる社会を築くために、社会の安全や自由と平等を侵犯する行為を制限することは否定しません。

昨今、民主制国家において自由と平等が誤用され、価値観の多様性が阻害されて引きこもり等の要因になっているように思います。

変化の激しい現代においては、安全度を測るために学校、職業、会社等を幅のない価値観でランク付けし、各自が考えることなくそのランク付けで安全を担保しようとする人が増えています。

例えば、親が機会の平等を誤用して子供の才能に適さないランクの学校に入学させた場合、子供は才能を活かして生きる自由を奪われ閉塞感を感じるのではないでしょうか。

情報が溢れる多忙な社会において、自分の頭を使うことなく、社会に形成された浅薄な価値観に従って行動することも価値観の多様性を阻害している一因でしょう。

各人の知力、体力、興味、感性、環境、容姿などの個性を生来、千差万別にすることによって、人々が各自の個性を活かして平等に自らの意思に従って自由に行動することにより、多様性に富んだ生きる喜びを人間と共に実感することが創造主の意思だと思います。

人間は、各自の個性に適合した目標を設定し達成しただけでも、成果の大小に拘わらず喜びを感じる性状を備えています。

幸運にも成果を他人から認められると一層大きな喜びを感じます、

このように人々が平等に自由に行動して個性を発揮し、生きる喜びを享受するためには、民主制国家といえども、人々が個性を活かして日々生活し、社会が自由と平等を尊重する多様性に満ちた風土を維持しなければなりません。自由な人および平等な社会を作るには、家庭、学校、社会での民主教育が大切でしょう。

民主教育は各人が利益を得るための創造主の意思に沿った教育であり、独裁者が利己的な利益のために思想統一を図る洗脳教育と全く異なります。

大切なことは、次のようなことを幼少時に教育し、自分の夢を自らの手で実現する力を付けることでしょう。

・自分の個性を発揮して目標を達成すると嬉しいこと。

・目標達成から得た成果に対する他人の称賛を次の目標達成の糧にすること。

・他人も自分と同様に自由および平等の権利を有すること。

・基礎知識の習得など将来の目標達成に有利な目標は適齢期に達成すること。

・生きる喜びに満ちた社会の実現の一助となる目標を自分の才能を活かして達成すること。

国家社会の価値観は社会を構成する国民の価値観で形成されます。従って、このような民主教育を幼少時から分かりやすく時間を掛けて実施することによって自由な人々で構成される平等社会の民主国家が存続できるのではないでしょうか。

自分の目標を達成する喜びを求める生きる方は自己中か

自ら設定した目標達成に夢中になり過ぎて自己中心的と言われている人を見かけます。

人は自分の価値観を具現化する目標達成の喜びを実感するために生きているので、目標達成に夢中になるだけで自己中と言われるのは気の毒な感じもしますが、回りの人の不満を無視し、何らかの埋め合わせをしない場合は、自己中の症状が現れだしたとも言えるでしょう。

自己中とは、謂わば、自分の利益になることにしか関心がなく、回りの人や事物そのものに興味を持てない心の閉鎖状態です。

自己中は、他人や文化、動植物や自然をあるがままに熟視し受入れて自分の興味や関心の対象にできず、生きる喜びを現出することが困難な状態でしょう。

興味のない対象は、記憶を支配する海馬が不必要とし認識し記憶されないそうです。

自己中は、一般的に次のような症状を呈します。

自分は特別な存在だと思っている。

・自分にやさしく他人に厳しい。

・他人のためと言いながら実は自分のため。

・虚勢を張っていて他人からの注意や批判を認めない。

・自分は他人より優位であることを確認したがる。

・自分の利益にならないことに興味や関心が無い。

自己中を治すためには、自己中症状が現れたときに、自分が一番嫌っている自己中に罹っているかもしれないと自己診断するのが第1歩です。

そして、症状と反対の考え方、行動をとるように習慣づけることが有効ではないでしょうか。

人間は、周囲の状況をあるがままに注意深く観察し記憶するとともに、仲間と協調して災難に向かうことが生き残るために不可欠であることを、人類誕生以来、学習し遺伝子に刷り込まれています。

従って、隣人にひょいと会釈するだけでも遺伝子による自然治癒力によって、自分以外への関心が高まり、自己中症状を緩和し、記憶力や人間関係を改善できると思います。

自分の目標達成の喜びを追求する生きる方の根本となる自己肯定感は、謂わば、自分の生き方が正しいと自ら認めることができる心の安定状態です。

自分は正しいと思う点では、自己中に似ていますが、両者は似ても似つかぬ別物です。

自己中は、他者との比較において自分が正しいと妄想している依存状態であるのに対し、自己肯定感は、自分の能力の中に自分の生き方を見つけ出した自立状態であります。

幼少期に、好きなこと、得意なことを上手にこなす経験をさせて、これから生きて行く世の中に、先ず一つでも自分の居場所を根づかせて自己肯定感を持たせることが大切だと思います。

居場所が根づいた安定した状態になると、他人や文化、動植物や自然と深く関わりを持つようになり、記憶力も増大し、自分の居場所を自らの力でどんどん広げていきます。

自分の価値観が自己中であれば自ら設定する目標も自分だけの利益や他人の目ばかり気にした成果を求めるものとなります。

人の役に立ちたいとの願望も人類存続のために遺伝子に刷り込まれているので、自己肯定感のある人の価値観を実現するための目標は他人の役にたつことが大きい比重を占めるものとなるでしょう。

自己中は、幼少期に甘やかされた人が罹りやすい傾向にあります。

自己肯定感は幼少期の教育で根づかせることが大切です。

幼少期の教育の大切さや内容については研究が進み、種々発表されているので、両親、先生や回りの人々が協力し、幼少期に甘やかすことなく、興味のあることを自由にやらせるという二律背反的なことを実現して、喜びに満ちた人生を次世代に受け渡していきたいものです。

生きる喜びに優劣はあるか

創造主は、「無」の対極の「有」である「存在すること」を身体と知能と心で現出することを人間に託されたと思います。

人間による生きる喜びの現出に創造主が直接影響を与えてしまっては、創造主は自らの存在を人間の生きる喜びによって確認することはできません。

人間は、生存する本能(身体)、大脳内に概念の世界を構築し他人と共有する能力(知能)、自分の存在意義を確認できると嬉しいという感情(心)をつの生きる力として授かりました。

そして、必然と偶然が不規則に織り成し絶えず変化する舞台で、人々は生きる喜びを実現するという役割を果たすために何世代にもわたって努力を繰り返しているのではないでしょうか。

生きる喜びの現出は安易なものではなく、各人生は一回限りであり、かつ生老病死の四苦があるなかで、各人が知恵を絞って努力することによって実現できるものであると思います。

各人の生きる喜びの相違

各人の生きる喜びは、各人が自分の才能や環境に適合した自分の目標を小さいものから種々設定し、自分の才能を活かして創意工夫を繰り返し、苦労の末に順次達成することにあると思います。

変化がないこと、同じであることは、「無」と同じであるので、創造主は、各人の才能や環境を、生来、異ならせ、各人の生きる喜びが千差万別になるようにされたと思います。

「存在すること」を身体と知能と心で千差万別に現出するという観点からは、各人の多種多様な生きる喜びは全て同じでしょう。

三つの生きる力は、本来、苦労の末に感受できる生きる喜びを現出するために授かったものであるので、活力旺盛で、さまざまな体様で出現します。

そして、暴走すると、生存する本能は、暴食、色欲、強欲などとして現れ、知能は、虚偽、盲信、思想統一などとして現れ、感情は、嫉妬、憤怒、傲慢などとして現れます。

例えば、多くの人は他人より偉くなること、金持ちになることなどを目標に設定し、結果のみを求めて奮闘しています。

これは、存在を認められると嬉しくなるという本性の発露であり、創造主から委託された生きる喜びの現出の動機付けになるでしょうが、人には自分に適合した目標があることを忘れている気がします。他人との比較に捕らわれた目標の設定では、創造主が求められる生きる喜びを現出できないでしょう。

本能が与えてくれる快楽は、目標達成によって手に入る喜びのように、自信に繋がり、他人に賞賛されることはないでしょう。

身体と心が伴わない知能だけの活動では、理屈ばかりで、熱意と苦労が伴わず、生きる喜びは現出できないでしょう。

自分に適合した目標の達成によって生きる喜びを実感するために

達成した目標が自分に適合していない、目標の達成を他人が評価しない場合など、目標を達成した喜びを実感できない場合もあるでしょう。

目標は自分が成したいことを自分の才能や環境に合わせて自ら設定することによって本気でチャレンジできる気がします。

目標を達成して喜びを実感し、自分の存在を確認するのは、先ず自分ではないでしょうか。この喜びの実感を大切にして自信を深め人生を豊かなものにしたいものです。

人々は、他人の目標達成の結果や努力に感動や謝意を感じたときに、賞賛や信頼を他人に与えます。

目標を如何に設定するか

人間は、創造主から託された生きる喜び(存在の確認)を現出するための知恵を先の世代から受け継ぎ、今の世代で時代に合わせて実践し、後の世代に受け継ぎます。

目標を如何に設定・達成して生きる喜びを現出するかについては、回りの大人や先生が先人の知恵を学び、現代の舞台にアレンジして実践し、それを子供達に躾け、教え、子供の頃からの価値観に定着させる必要があると思います。

これを続けることによって、他人の価値観に左右されることなく、自分の才能や環境に適合した目標を設定、達成することに喜びを感じて生きことを重視する社会の価値観が形成され、人々は自分の生きる場所を見つけ、自信を持って自分の生きる喜びを現出できると思います。

自分の目標を達成するために

多くの人々を眺めるとき、自分の目標設定、実現努力、目標達成の喜びのサイクルを繰り返して生きている人は、 目標が世俗的に小さなことであっても、 いきいきと楽しく生活されています。

これには、自分の価値観を設定する能力、目標を設定する能力、目標を達成する能力が必要です。

このことから、人の生きる目的は、自分の目標を一つ一つ達成する喜びを感じることであるとともに、自分の目標達成に必要な能力を得るために生きているとも言えそうです。

自分の目標設定

人間は社会的な生きものであり、社会目標が達成されることに喜びを感じるでしょう。しかし、これは人間性の一面ではありますが、人は、他から押付けられた目標でなく、自分の価値観を実現する目標の達成により大きな喜びを感じることも真実でしょう。

各人が自分の目標を実現するためには、他人の目標を尊重する信念と、社会の目標達成に協力することがベースにあります。

この関係は、自分の目標、他人の目標、社会の目標が正しいものであることを前提にして成り立つもので、自分と他人および社会との基本関係のように思います。

自分の目標を達成する各人の努力を互いに尊重することが正義の最低条件だと思います。

自らの目標を設定する能力

達成の喜びを自らが感じうる目標設定には、自分の価値観の確立が必要でしょう。自分の価値観の確立には、自分を認識する能力の一つである自己肯定感が基礎になると思います。

確かな自己肯定感によって自分以上でもなく以下でもない自分の欲望、能力を認識し、自分を活かすためには何を大切にするかの自分の価値観を確立できるものと思います。

自分を認識する能力は、自分の感情をコントロールする能力とも謂われます。虚栄心や自分の過小評価を抑制し、冷静に客観的に自分を観察する能力を得ることも大きい目標です。

そして、自分の価値観に基づいて自分のしたいこと、成りたい姿を目標に設定し、この目標から様々な目標が網の目のように拡散し、目標を一つずつ達成してより大きな目標を達成していくのが生きることではないでしょうか。

さらに、知能(知識、思考力)を使って自分の欲望、能力、社会状況に適合した目標を設定する能力も大切でしょう。

目標を達成する能力

目標達成には、各目標に応じた身体的能力、知的能力、心的能力が必要です。

身体的能力は、目標を物質の世界で具体的に実現するための能力です。特に、スポーツや演芸のように目標を身体で実現するものは、目標を身体で実現するための技能を身体的能力として鍛錬する必要があります。

知的能力は、知識、知的労働力や思考力です。

知識は代々伝承することができ、長い世代に渡って累積していくことができるものであり、現代人の知識は、古代や中世に比べ質的、量的に高度で膨大です。これら知識を記憶や調査によって利用する能力が求められます。

知的労働能力は、自らの知識によって社会に貢献する能力です。各種業界で働くための能力は、目標達成に不可欠です。

思考力は、目標の設定、実現過程でフル活動し、自分を世界でオンリーワンにしてくれるでしょう。

心は、自分を認識する能力(自己肯定力・使命感・感受性)、目標の達成能力(忍耐力・自己抑制・意志)、他者との協働能力(社交性・敬意・思いやり)です。

心は、目標を達成する能力の要を担っているにも拘わらず、一世代限りでご破算になってしまいます。したがって、この能力は、世代毎に自ら学んで入手していかなければなりません。

目標は、大きくなるにつれてますます、強い意志、時には使命感をもって困難に耐え、微細な変化に敏感ながら自信を失わず、かつ他人の助けがあってはじめて達成することができるものでしょう。

能力アップサイクル

自分の力、好きなこと、個性に相応しい目標を達成して自分を褒め、喜び、或は目標達成できないことに涙し、自省することを繰り返すうちに必要な能力を高めていくのでしょう。

必要な能力を得ることによって、さらに高い目標を行動で実現できるようになり、嬉しさも倍増していくのではないでしょうか。

各児童に相応しい目標の設定、必要な能力の洗い出しと習得、目標達成の行動のサイクルを経験させる教育を学校、家庭で実践されることを切望します。