宗教コンプレックスからの解放策

地球環境の悪化、世界情勢の混迷、政治の貧困、貧富の差の拡大、偏差値偏重、生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などにより社会に不安と諦めが充満しています。

これは、実質賃金の失われた30年間の微減傾向、出生率の低下、若者のオンラインカジノ賭博依存症の増加、常識を逸したセクハラ・パワハラの横行、不登校の小中学校児童生徒数の増加などの社会活力の低下として表面化しています。

日々の暮らしに窮し将来が見えない人々に、自分の才能と欲求に合った「何か」を行うことが出来たとき、或いは行って感謝されたきに感じる生きる喜びを繰り返すことが人生の目的ではないでしょうかと問いかけても、うるさいお節介ととられるでしょう。

法然が浄土宗を開いた時代は、現在と同様に困窮や閉塞感が庶民社会に充満していたと思われます。

法然は、南無阿弥陀仏と称えれば誰でも極楽に往生できると説いて、如何ともし難く、声もなく尊厳を踏みにじられた人々に現世での居場所を提供したと考えます。

現代の庶民は、法然が開宗した時代より貧困でなく声を発することが出来ます。

まだ他力に頼るのではなく、より多くの庶民が自力で生きる喜びを楽しむ方策を試行錯誤するときだと思います。

人は太古の昔から必要なことを協力して実現するために役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観として共有してきました。

殺生(命を奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)の十悪行は罪になる不善な行為であるとされたお釈迦様の教えも、社会の価値観を明示したものだと考えます。

十悪行をしないことが人生の目的ではありません。

他人と共に生きる喜びを体感するために十悪行を行ってはならないのです。

冒頭で例示した社会の閉塞感の原因を取り除くためには、我々庶民が声を上げ行動を起こさなければなりません。

一部の人に任せている環境保護活動に、より多くの人々が参加することによって地球環境の悪化を防ぐことができます。

政治の貧困を解消するための第一歩は、私たち庶民一人ひとりの行動です。まずは、7月の参議院選挙に多くの庶民が参加することから始めましょう。

功罪両面あるも、その弊害は深刻である偏差値偏重については、SNS等によって社会の一つの価値観として定着されることを阻止し、創造力や非認知能力も重視する社会の価値観に庶民自ら意識改革する必要があると考えます。

生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などについては、生成AIやSNSは、自分の才能と欲求に合ったことを行うための道具として使うものであると認識することで解消すると思います。

宗教コンプレックスからの解放

最近、若者の殺傷事件、SNSを悪用した闇バイト事件、聖職者や教職員による性暴力などが頻発し、人々の社会規範を遵守する倫理観が低下しています。

社会規範は、集団を作って存続してきた人類が長い年月をかけて築いた善悪の判断基準です。

倫理観が低下した背景には、はき違えた個人主義や多様性の蔓延、世界中の多くの指導者による社会規範違反、科学の発達により悪行は罰せられるという教えの効力低下、貧富の差の増大など社会の混迷状態があるでしょう。

しかし、それ以外にも宗教上の問題があるように思います。

仏教で罪になる不善な行為は、因果の法則によって悪い結果を生む十悪行であると、悟りを開いたお釈迦様が説いています。

十悪行は、殺生(いのちを奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)です。

キリスト教で罪になる行為は、神の求める義を示す十戒に反する行為です。

十戒は、キリスト教の旧約聖書において神(ヤハウェ)がモーセを通してイスラエルの民に与えた道徳的・宗教的な戒めです。

十戒は、他の神を拝むな、ヤハウェの名前を不敬に使うな、父母を敬え、殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、隣人の妻を欲するな、隣人の財産を欲するな、です。

仏教の一宗派では、人間の根源的に持っている煩悩が悪業の原因であり、人は煩悩を克服できないので念仏して阿弥陀を信じれば救われると説いています。

キリスト教では、人は生まれながら罪を背負っているので十戒を自らでは守れないが、キリストの愛と恵みを信仰する者は守れるとしています。

人間は独立・自律性をこのように全面的に否定されると、自己肯定感が低下し自信を失い、混迷した社会情勢下では社会規範に沿った善悪の判断ができなくなる傾向があると思います。

例えば、十悪行の原因である煩悩あるいは十戒に反する欲望に堪えたときの満足感や成果は悟りの一歩あるいは恵みであるので更に追求せよと説かれると、人間は宗教コンプレックスから解放され本性に従って、他人と争うことなく集団で楽しく生きることができるようになる気がします。

キリスト教と同じ神(ヤハウェ)を信仰するユダヤ教では、救世主は未だに到来していませんが役割はユダヤ人をローマから解放し、地上にユダヤ王国を建てることです。

宗教の対象を選ばれた民族ユダヤ人としていることは容認できませんが、救済を地上での幸福と共同体の繁栄としている点は共鳴できます。

全人類の繁栄と、ひとり一人の生きる喜びを人間の知恵によって実現することが求められています。

ひとり一人が集団の中で個性に応じて目標を達成し生きる喜びを創造主とともに共感することが生きる目的であり、互いに尊重し合うことが社会規範のいの一番であるとする考えが大切だと思います。

自己確立とコンプレックス

人は数回の反抗期で未熟な自我に目覚め、長い年月を掛けて自分の成したいことを追い求めて生活する中に、自己を漸次確立し、感情を満たされた幸福な人生を送るものだと思います。

自己確立度あるいは幸福度は、自分の成したいことを追求する熱意と達成度を追求期間で積分した大きさになるでしょう。

幸福感は自分の感情が満たされている状態を自らが作り出して認識することであるので、その前提として自分の成したいことを見出す自己確立がベースになると考えます。

自分が成したくて成したことが他人にも認められて褒められると幸せいっぱい夢いっぱいになることでしょう。

この自己確立を時に邪魔するものがコンプレックスです。

自己確立は、自分らしさを認めて、他人と比べずに自分の軸で生きることです。

コンプレックスは、逆に他人の価値観に支配されて自分を過少評価することです。

コンプレックスには、容姿に対するコンプレックス、学歴コンプレックス親との関係からくるコンプレックスなどありますが、いずれも他人の目が気になって自分の心に根付く負う必要もない心の傷です。

容姿に対するコンプレックスは、自分に全く責任のないことで一番大切な自分の心に傷をつける極めて無意味なこだわりです。

学歴コンプレックスは、世間の軸に囚われて頭をよぎる過去の失敗の亡霊がもたらす自己確立の揺らぎではないでしょうか。

親との関係からくるコンプレックスは、過干渉、無関心などから自己確立を阻害された状態の産物であることを認識することから治癒できるでしょう。

深刻な社会問題である少子化は、自己確立が不十分で幸福度の低い若者が子供に同じ思いをさせたくないとの優しさが一因であると言われています。

若者に自己確立を促すためには、子供の頃から過干渉せず、放任し過ぎず、自分の長所や成したいことを自ら認識するように指導することが根本であることを再確認し実行する必要があると考えます。

価値観と政治体制の試行錯誤

個人や社会の価値観は政治体制と互いに影響し合い時代とともに変わることは歴史が示しています。

人は太古の昔から生存に役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観を形成してきました。

狩猟採集時代は、男性が狩猟、女性が採集で食物を得る分担があり、女性の地位も比較的高かったと思われます。

農耕時代になると、力仕事が多くなり男性の労働が増え、定住し財を蓄積相続し、家父長制が広がりました。

食物を耕作する土地を王国間で奪い合う古代文明から中世(封建社会)になると、領主が農民を支配しました。

土地を武力で奪い、守ることに高い価値がありました。

商業資本主義が発展した近世では中央集権国家が奴隷貿易や植民地支配の主導権を争いました。

産業革命後の近代は、食物の他にも様々な財が大量生産され、民主主義が普及し、帝国主義、社会主義が台頭しました。

IT、AIなどの科学技術が急速に発展した現代は、様々な政治体制を試行錯誤した後に民主体制を選択した国、民主主義を試行錯誤することを独裁体制が阻止している国、国民が強いリーダーを求めている国など異なる政治体制が混在しています。

現在、民主体制は他の政治体制より人の心地よい生存に役立つ価値観を国民に提供すると考えます。

しかしながら民主体制も試行錯誤して価値観を社会情勢や科学技術の発展に合せて更新しなければ崩壊するでしょう。

議会制民主主義共和国として誕生し、民主的なヴァイマル憲法を擁したヴァイマル共和国は、不景気、ヒトラーの巧みな演説、ナチ党のデマ、煽動などに対抗できる価値、政治を提供することが出来ず崩壊し、ヒトラーの独裁体制を誕生させました。

最近、米国では民主党政権が格差の拡大、IT技術革新などに対応した価値観に基づく政策、法整備を行うことができず、独裁的なトランプ政権を誕生させました。

民主体制で大切な価値を有する人権は、自由・平等・多様性です。

しかし、人が生存するために最も大切なものは食物です。

現民主体制も、全ての国民がひもじい思いをせずに食物を得ることができるような経済・社会改革を優先的に実施しなければ崩壊の憂き目に遭うでしょう。

「衣食立りて礼節を知る」は、生身の人間が試行錯誤して得た価値観でしょう。

試行錯誤は、課題解決のために熟慮した方策の実行の失敗を分析し、修正した方策を実行することを繰り返して課題を解決することです。

例えば、高関税が経済全体に与える影響を分析することなく性急に高関税を課すようなことは、試行錯誤ではなく、価値観における高関税の価値の優先順位を低くするだけです。

IT技術革新により情報戦略が飛躍的に有効になった現代、民主体制はデマ、煽動、ポピュリズムの標的になります。

このような前代未聞の状況下では、人権の一部を制限しても民主体制を固守できる法・制度改革を迅速かつ適切に実施することが急務であると考えます。

人生の意義は生きること

我々は今、異常気象、米中の覇権争い、不当な戦争の頻発、貧富差の増大、SNSによるフェークニュースの拡散、核の脅威など不安や恐怖に満ちた混沌の時代の中で、生きる価値、目的や目標を見失い、何となく落ち着かないニヒリズム的風潮にあります。

20、21世紀は絶対的な価値や生きる目的、目標がなくなるニヒリズムの時代になるとニーチェは予言しました。

ニーチェはニヒリズムの時代においては、人は力を得るために知識を取得し、強者になるために力を増大し、強者になることが自分の力を発揮して楽しみや面白さに繋がるとしています。

道徳は弱者が強者を引きずり降ろすことによって、自己正当化するためのものだと批判しています。

ニヒリズム的風潮を煽動し利用して強い権力を手中にした強者は、自己の利益獲得、権力行使を独断専行して楽しんでいます。

例えば、強大な権力を手中にした米ロ大統領は、ロシアのウクライナ侵攻の米露停戦交渉をウクライナ抜きで始めようとしています。

イーロン・マスク氏は、強大な財力に任せて反道徳行為を世界中にばらまいています。

金正恩委員長は、独裁権力で自国軍人の命をロシアに売っています。

確かに価値観は時代と共に変化する部分もあり、絶対的なものではありません。

しかし、現在を生きる民衆が共有する価値観をその時を生きる人々が大切にしなければならない絶対的な価値観とし、生きる目的、目標のベースにすればよいのではないでしょうか。

さらに、肉体的に存続するための食欲などの生理的欲求と、社会集団での一人として存続するための承認欲求などの精神的欲求に基づいて、日々を平和に暮らし、真善美な目標達成に努力する価値は、創造主がヒトの遺伝子に記した遺伝情報の一つで、時代によって変化するものでないと考えます。

全知全能の創造主は完全無欠であるという唯一の弱点を有されていると考えます。完全無欠であるということは、何ら変化する必要が無くなり、存在しない「無の状態」と同じになってしまうのではないでしょうか。

創造主は「無の状態」に対峙する「有の状態」をより多様により強く実感するために、多種多様な性状と才能を備えたヒトを創られたと考えます。

人が「生きる」絶対的な目的は、「生きていること」によって「有の状態」をしっかりと作り、創造主と「存在」を共有することではないでしょうか。

創造主は人が多様な状態で強く「生きる」ために、目標を達成し、人の役に立ち、あるいは他人と共感できたときなどは、達成感や充実感などの喜びを感じるように遺伝情報に仕掛けられたと考えます。

創造主はヒトに代わるものを何時でも何処にでも創れるでしょう。

人間はニヒリズムが産んだ強者に利用されることなく、生きる喜びを創造主と共感しながら自信を持って様々な人生を謳歌することが務めだと考えます。

民間テレビへの期待

民主主義の原点である選挙において当選した米国大統領や兵庫県知事陣営がSNSで拡散した情報の正確性に疑問があるとともに、それを正すべきオールドメディアの対応不足が議論されています。

民衆は正しい情報を通してふさわしい為政者を選出することが出来ます。

また、真実が不明瞭な社会は民衆に漠とした不安感を与え、健全な科学、経済、文化の発展に悪い影響を与えます。

公共テレビ、民間テレビ、SNSは、正しい情報を民衆に提供することによって、民主主義を発展させ、平和を維持し、環境・貧困などの諸問題を解消して、民衆の日常生活を豊かにするという存在意義を有します。

民間テレビは、政治、経済、世事、国際情勢などを真実に反することなく、若干反体制視点から広域に発信することにより、民主主義社会の自由、平等、多様性を保障する意義があると考えます。

さらに、音楽、スポーツなどを人々の楽しめる形で広域に発信することで健全な文化活動を促進し民衆の日常生活を豊かにします。

SNSは誰でも手軽に身近な正しい情報を発信できるメリットがある反面、虚偽情報や発信者の価値観に染まった情報を拡散し民衆を混乱させて判断を誤らせるデメリットがあります。

民間テレビがその社会的意義をアップデートすることなく旧態依然な放映を続けていることに選挙制度延いては民主主義の危機を感じます。

フジテレビの人権問題に関する出直し記者会見は、記者会見自体もさることながら、出直し会見のために任命された新社長がSNSに対するフジテレビの社会的意義を問われて、「フジテレビのリーチはSNSより広域である。」と回答する夢のないものでした。

TBSのワイドショーでコメンテーターがSNSの偽情報をファクトチェックすることなく引用して世間の顰蹙をかいました。

他局でもコメンテーターとしての資質に疑問のある人がワイドショーで他人の意見を受け売りしている場面を散見します。

民間テレビには、SNSや公共テレビでは果たせない社会的意義を熟慮断行されることを願います。

民間テレビには、前述の社会的意義の他に、SNSで発信された影響の大きい偽情報を正す真情報をインターネット等も併用して高い信頼性の基に迅速に配信し、民衆が真実を知ることを確保する民主主義の守護神の一翼を担われることを期待します。

AIは未来に何をもたらすか

AIはタンパク質の立体構造予測、医療診断、自動運転など様々な分野で急速に活用され始め、人類に大きな幸せをもたらすでしょう。

反面、近時各国において、政治の世界、特に選挙などで民衆を煽動し感情に訴えて群衆を特定の考えに誘導する有効な手段として利用されている節があります。

人々がAIやSNSを過信することなく、自ら考えて行動することが、AIを利用して民衆を扇動しようとする政治家の出現を阻止し、延いては戦争の勃発を防いで平和をもたらすと考えます。

民主主義と選挙制度

11月5日に行われた2024年米国大統領選挙で利己主義をポピュリズムで糊塗したトランプ氏が圧勝しました。

11月11日の兵庫県知事選挙では県議会で知事の不信任決議案が全会一致で可決されて失職した斉藤元彦氏が疑惑の真偽不明の状態で当選しました。

二つの選挙で人の本性を信じた私の希望的予想は裏切られました。

自分の価値観と異なる対立集団の主張も、その構成員が抱える苦境や苦情を知り、自分も同様の苦境に立たされていると、正当なものと思われてきます。

しかし、選挙は民主主義を実現するための一つの基本手段であり、人民の「人権、自由、平等」を守った上で政治を実行する自分の代行者を選ぶ制度です。

人間は、感情が伴わないと行動せず、知性だけで行動を起こすことはないと言われています。

選挙がお祭り騒ぎのようになり、或いはSNSを駆使して人々の感情を煽動し、正常な判断力を阻害するものにすることは断じて許してはなりません。

民主主義は人民のための政治を目指し、ポピュリズムも人民第1主義を意味します。

民主主義とポピュリズムの違いは、選挙で選ばれた政治家の人格の違いにあると思います。

民主主義では政治家は真摯に人民のためを思い、ポピュリズムでは自分の利益を利己的に追求するでしょう。

ポピュリストであるヒットラーは、1929年の世界恐慌に喘ぐ議会制民主主義のヴァイマル共和国で、経済的に苦境に立つ人々を人民のためと煽動して選挙に勝利しナチス党首として首相になって権力を把握し、民主主義国家を忌まわしい独裁体制のナチスドイツ変貌しました。

人民第1主義のポピュリズムが人民のための政治を目指す民主主義を破滅させるのは奇妙なことです。

民主主義は政治家が人民のための政策を自ら考え出し人民にアピールして支持を得ようとするのに対し、ポピュリズムは対立者やその政策の欠点を人民に訴えて支持を得ようとする傾向が強い気がします。

野党はポピュリズムに陥りやすいですが、政策をしっかり提示し、人民が政策重視で選挙権を行使することが、ポピュリズムから民主主義を守るために大切なことだと思います。

トランプ氏の言動を見ていると利己的で人格的に米国大統領にふさわしいとは思えませんが、ノーベル賞受賞のために変貌することを望んでいます。

斉藤兵庫県知事の人格情報および兵庫県庁の体質に関する情報は少なく、兵庫県民が斉藤氏を再選した是非は闇の中です。

しかし、その後に発覚したPR会社による斉藤氏のSNS戦略支援に関する記事を読むと人々の感情に訴えるポピュリズムの顔が垣間見えます。

在任中は自分のためではなく、県民のために県政に邁進されることを望みます。

遺伝情報に込められたヒトが存在する意図

ヒトはたった一つの細胞(受精卵)が分裂して形成されます。

細胞は、ヒトをつくる遺伝情報の全容が記されたDNAを内包する核、細胞自体が生きるために必要なエネルギーを生成するためのミトコンドリア、遺伝情報に基づいて人体の各部位に特有なタンパク質を合成し、分裂した細胞を脳、臓器、筋肉、皮膚等を構成する細胞にするリボソーム、細胞内に進入した異物や細胞内の代謝物を消化処理するリンソーム、細胞の表面を覆う細胞膜などから構成されています。

そして、例えば脳細胞の集合体である脳は、肉体的に存続するための食欲などの生理的欲求と、社会集団での一人として存続するための承認欲求などの精神的欲求を生み出します。

一つの細胞が遺伝情報に基づいて分裂してヒトになる神秘、ヒトが遺伝情報に基づいてヒトらしく人生を楽しむ神秘は、到底偶然がもたらせることではありません。

近時医療分野で、悪い遺伝情報の記されたゲノムの一部(悪い遺伝子)を削除し、良い遺伝子に代えるゲノム編集が研究されています。

ゲノムはDNAのヒトをつくる遺伝情報の全容が記された部分です。

ヒトは既存のゲノムの悪い遺伝情報の記された遺伝子を削除することはできますが、ゲノムましてや一つの細胞を一からつくることはできません。

ヒトの細胞にはヒトゲノムがあるように、ヒト以外の例えばマウスの細胞にはマウスをつくる遺伝情報の全容が記されたマウスゲノムがあります。

情報には必ず作成者の意図があります。

ヒトゲノムに記された遺伝情報にはヒトが存在する意図が込められています。

マウスゲノムに記された遺伝情報にはマウスが存在する意図が込められています。

ヒトはマウスなどヒト以外の生き物と明らかに異なる生態を発揮するための遺伝情報をゲノムに記されています。

肉体的に存続するための能力に大きな違いはありませんが、社会集団で他人と協調して存続するための承認欲求を追求することがヒトの遺伝情報に込められた意図のように思います。

承認欲求は、役に立って他人から認められたい、自分の存在価値を自ら認めたいという欲求です。

承認欲求を満たすためにヒトは目標を立て自ら行動し、目標達成したときに欲求を満たすとともに遺伝情報に込められた意図を達成して幸福を感じるのではないでしょうか。

近年、利己的な自己顕示欲を利他的な承認欲求と詐る独裁者が多数の自国民や他国民の命を独裁者の保身のための戦争で奪っている行為は、ヒトの遺伝情報に込められた意図に背く不遜なものであり、人類の存続を否定する万死に値する大罪であります。

ヒトは一つの細胞さえつくれないという事実を認識して謙虚になり、多くの国民が遺伝情報に真摯に耳を傾け、それに込められたヒトの存在意図に従って行動することが、独裁者に国の統治を委ねず、国民自らが国を統治するための重要な基礎であると思います。

中間層が国家を創る

岸田首相は、「新しい資本主義で中間層を分厚くする。」を政権公約の一つにしました。

米民主党のハリス大統領候補は、中間層底上げを経済政策の柱に掲げました。

中間層は大雑把に定義すると、所得が一定の範囲にある人々の集団で、所得水準が富裕層と貧困層との中間に位置します。

OECD全体での中間層の人口割合は約61%であります。

ちなみに1位はアイスランドで約72%、日本は35カ国中14位で約65%、アメリカは下から3番目で約50%です。

独裁国家の中国では約40%,ロシアでは約35%です。

世界一の人口を擁する発展途上国のインドでは約33%です。

トランプを支持する共和党員の姿を見ていると、米国で中間層の割合が減少している悲劇を窺い知ることが出来ます。

統計学的に言えば、母集団の中間部分の要素の性状が母集団の本質を示す場合が多いです。

人格形成と暮らしぶりとは強く影響し合うので、人口比率が最大の中間層の性状が人類の本質を示すと考えてもよいでしょう。

しかし、独裁国家では、中間層の思想・行動は、教育や国家権力によって規制されるので、独裁国家の中間層の性状は人類の本質の歪んだものになります。

インドでの中間層の人口比率がインド経済の発展によって増大することは、独裁者に性状を毒されていない中間層の世界での人口比率の増大をもたらします。

これにより人類の本質を発揮して生きる人々の影響力が増し、戦争の抑止、世界の平和、人類の幸福に繋がると思います。

中間層の性状は、普通の才能を持つ人が、他人を助け助けられながら自分の成したいことを努力して成し遂げたことに喜びを感じる現役中間層が持つ平凡な欲望、性状ではないでしょうか。

富裕層の性状は、一概には言えませんが、特異な才能や環境に恵まれた人の若干自己中心的な傾向があるような気がします。

多くの富裕層が互助精神を発揮して貧困層に富を配分して欲しいものです。

貧困層の性状は、さまざまな性状が混在していて一様ではありませんが、恵まれない環境下で形成された社会への適応性が低い傾向がある気がします。

人々の協力を得ながら恵まれない環境を克服し貧困層から脱出することが望まれます。

中間層の性状を持つ人々は、現在どの層に属するかに拘わらず、中間層の性状こそ人類の本質であるとの認識と自信を持って、自分の成したいことに挑戦したいものです。 さらに政治に積極的に参画して中間層に有利な政策を実現し、延いては発展途上国や独裁体制下の中間層に働きかけて自由体制下の中間層の影響力を増大し、より多くの人々が自分の性状を活かして生き生きと生活できる社会を世界に拡散することが求められています。