幸せな生き方

最近、将棋の世界に21歳の藤井聡太八冠が誕生し、将棋の本質を極めるよう努力し皆様に楽しんでいただける将棋を指したいと語っていました。

スポーツ界では、大谷翔平、三苫薫選手など多くのスポーツ選手が幼い頃から野球、サッカーなどに打ち込み努力して世界の舞台で活躍し人々に楽しみを与えています。

このように若くして自分の才能を生かして成功している人が多くいますが、一市民として幸せな生活を送っていると実感している人も大勢います。

また、幸せとは程遠く戦争、病、飢饉、天災などで地獄のような生活を強いられている多くの人がいます。

ところで、「幸せな生き方」はどのようなものでしょう。

幸福度が高くみえる人々の考え方、教育、仕事のやり方などの情報を収集し、共通する事項が「幸せな生き方」だと帰納法的に探ってみました。

帰納法は、できるだけ多くの実例を挙げてその共通事項を導き出し、共通事項が普遍的な法則であるとする確立した論理的な思考法です。

AIも多くの実例から回答を見つけ出す場合は帰納法と同じであると考え、chatGPTで「幸せな生き方」を質問してみました。

しかし、現時点でのchatGPTの回答は、いくつかのブログの内容を集約したもので帰納法になりませんでしたが、末尾に参考までに添付します。

多くの実例として、世に出た成功者や一般市民の幸せ者は、自分が成したいことを達成し回りの人に喜んでもらっています。

幸せな生き方を実践した果報でしょう。

ところが、成したいことが見つからない人、目標を達成しても他人に喜んでもらえない人、才能を出し切れていない人など幸せな生き方が分かっていても実践できてない人もたくさんいます。

これらの人々は、自分のしたいことに熱中したときには何らかの満足感がえられる事実、多種多様な何れの仕事人がいなくなっても社会が回わらなくなる現実などから帰納法で導いた法則に従って、役に立たないと思われる目標でも熱中すれば幸せな生き方ができることに気づくと思います。

やむなく、戦争、病、飢饉、天災などで生きる意味を見失った人にとって、念仏を唱えるだけで成仏できる親鸞の教えは救いになるでしょう。

念仏を唱えるだけにはなりたくないと、人間は戦争、病、飢饉、天災など諸悪の根源の撲滅に努力してしますが、目標達成に程遠い現状です。

昨今、あるまじきことながら為政者が諸悪の根源になっているケースが多発しています。

このような人類存亡の危機的状況下において多くの幸せ者が、偏狭な思想、卑近な利害や感情、恐怖に捕らわれることなく、利己心を捨てて諸悪の根源の撲滅に一致団結して積極的に行動しなければならないときだと思います。

因みにchatGPTの「幸せな生き方」に対する回答は次のようでした。

「生きる目的を見つけることは、人生において重要な課題の一つです。幸せな生き方を実現するためには、自分自身の目的や意義を明確にすることが重要です。

まず、人生の目的とは自分がどうありたいのか、どんな人として生きたいのかということです。自分の人生における目標や価値観を考えてみましょう。

また、他人と比較して自分の人生の目的を見つける必要はありません。人それぞれ異なる生き方がありますので、自分に合った目的を見つけることが大切です。

生きる目的を見つけるためには、以下の方法が役立つでしょう。

1. 自己分析をする:自分の強みや価値観、興味関心などを考えることで、自分自身の特徴や目指すべき方向性が見えてきます。

2. 目標を設定する:長期的な目標や短期的な目標を設定し、それに向かって行動することで、自分の人生の目的を明確にすることができます。

3. 周りの人との関わり方を意識する:人間関係を大切にし、他人との協力や助け合いを通じて自己成長を促進することも、幸せな生き方への道につながるでしょう。

人生の目的は人それぞれ異なりますので、焦らずに自分自身と向き合い、自分にとって意味のある目的を見つけましょう。幸せな生き方を実現するためには、自分が望む人生を設計し、実現することが重要です。頑張ってください!」

創造主の一器官としてのヒト

ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。

ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。

・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力

目標を現実化する実行力。

・自己制御可能な持続する欲望。

・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。

・現象を分析、解明する論理的思考力。

創造主の意思に沿った倫理観。

・欲するものを創り出す創造力。

目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。

創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。

目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。

大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。

数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。

立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。

この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。

ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。

創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。

ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。

他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。

侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。

戦争を抑止する価値観の多様性

NHKのドキュメンタリー番組 プロフェッショナル 仕事の流儀で、 殺到するグランメゾンの料理人たちの中心で魚をさばいていた、静岡県焼津市にある一見普通の魚屋さんが、魚の味について哲学的な美味しさではなく、各個人が体で感じる美味しさを追い求めていきたいと言っていました。

食通の求めるそれぞれの味を引き出せる魚を届けて堪能してもらうのが嬉しいのだと理解しました。

新鮮な魚を客に届けるために実直に働く年老いた父親の姿が、喧嘩っ早い息子の心の葛藤を、魚屋の情熱に刷新したのでしょうか。

人は、天賦の才能、育った環境、受けた教育、接した人々などの影響を受けながら、自分のものの見方、好き嫌い、延いては価値観を手探りしながら形成します。

自分の価値観を持てた人は、その価値観に合致した目標を達成することによって充実感に満たされ生きる喜びを体感することができます。

しかし、自分の価値観の不確実性ゆえに親や世間の価値観を刷り込まれてしまった人は、自分にマッチしない価値観に基づく目標を達成したとしても、その喜びは希薄なものとなり満足感を心の底から実感することができないでしょう。

また、生きることは存在することであり、高い能力を持つ人間は、他人からその存在を認めて欲しいという欲求を生まれながら備えていると思います。

社会や他人の役に立つこと、協力してことを成すことに喜びを感じる価値観はこの欲求から派生すると考えます。

ところで、8月6日、9日の原爆の日に、被爆の惨状や核抑止力の危うさを知りながら核兵器廃絶の後退が無力感を込めて語られていました。

8月15日の終戦記念日に戦争の不条理、悲惨さを知りながら何故未だに根絶できないか議論されていました。

日本は、原爆の日を被害者の立場で語り、終戦記念日を加害者の立場で語るのではなく、独善的な価値観を持った独裁者層の出現、その価値観の国民への浸透、近視眼的になされる開戦の決断、終戦の難しさと被爆の惨状という、人が知能を持つが故に呪縛される戦争から解放されるための一連の教訓として反面教師的に提供することを考えてもよいのではないでしょうか。

国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動することで生きる喜びに満たされた国が自ら開戦を宣言することはないでしょう。

貴重な経験をした日本は、国民が多様な価値観を尊重し、それぞれの生き甲斐が他人から認められる喜びに満ちた社会を築いて世界に示すことによって、戦争の愚かさを強くアピールして戦争を抑止できるのではないでしょうか。

没頭できる対象を大切に

NHK朝ドラの植物学者・槙野万太郎は、心底植物を愛し、NBLの大谷翔平選手は、大好きな野球に没頭し、藤井聡太棋士は、迷い無く将棋に集中しているのでしょう。

これらの人は、幸運にも幼少の頃に我を忘れて没頭できる対象とめぐり合うことができ、才能を伸ばして没頭する対象を生業にして成功しています。

我を忘れて没頭するので、我欲やへつらいなどの邪念がなく、迷いや恐れなく対象に集中できるのではないでしょうか。

谷川浩司十七世名人は、藤井聡太七冠の強さについて次のように述べています。藤井さんの指し手を観ていると、負けることへの恐怖、自玉が危険にさらされることへの恐れ、あるいは自分の読みが正しいのかという恐れといった躊躇や葛藤がないのではと思えるくらい大胆な一手を指す。勝負への執念という意味では、それほど強いとは感じませんね。彼は棋士になったときから一貫して勝つことよりも強くなること、“将棋の真理”を追求することを言っています。

勝負の世界は厳しく、加齢やAIの出現で勝つのが難しくなっても将棋に没頭できる先輩天才棋士だから観える後輩天才棋士感でしょうか。

しかし、大多数の人は、時間を忘れてハマり込む対象で生計をたてることができないのでしょうか。

サッカーに夢中になっている子供に、プロプレイヤーになれるわけがないから苦手な算数でも勉強しなさいと叱ったとすると、子供は自分の感情、才能を否定され自己肯定感を傷つけられるだけでなく、算数には能力がなく、好きなサッカーを禁じられた憎き対象として算数に拒否感を抱くでしょう。

これに対し、サッカーが好きならいろいろ考えて工夫し、本気で練習して上手になりなさい。算数もサッカーと同じようにコツさえ掴めば上手になるから本気で練習しなさいね。分からないところはお父さんがコーチになって教えるよ。と親子で会話するのも楽しそうです。

生計を立てることは大仕事です。

没頭できる生業に簡単に就けるチャンスは稀です。

自分に与えられた仕事に没頭できるようになるヒントは、谷川十七世名人が抱いた対局中の藤井七冠についての心証 「藤井さんは対局中もネガティブな感情を持たずに、純粋に最善手を探すことだけに集中している。これが強さの秘密の一つだと思います。」や、永世七冠の資格を持つ羽生善治九段の世代の棋士についての印象、「羽生さんの世代が今でもトップクラスで戦っているのは、20代頃の蓄積、今の藤井さんと同じですけど、序盤から1時間、2時間と考えてきた財産が大きいと思います。」 あたりにあるような気がします。

幼少の頃に我を忘れて没頭した対象でなくとも、20代頃に毎日何時間も必死に考えて工夫し少しずつコツを掴んで上達してきた対象に対しても愛着が湧いて没頭できる気がします。

没頭できる対象めぐり合うものでなく、覚悟を決めて自らが育てるもののようです。

対象物についてあれこれ必死に考えることの原動力は、自己肯定感の強さにあると思います。

多少生意気な子になりますが、自己肯定感は子供の頃から育てる周りの環境が必要でしょう。

また、没頭できる対象を育てられなかったのではなく、育てなかったのではないでしょうか。

住めば都と言うように、毎日無心に工夫して取り組んで自分なりの進歩を楽しむことが没頭できる対象を育てる気がします。

情と愛

先日、少し合理的過ぎる娘に対して妻が、「私は情の人ですからね。」と反論していました。しばらくして、西洋では、この場合の情は愛なのだろうかと話が進みました。

言い得て妙のようですが、情と愛には根本的な違いがあるような気がします。

情は、創造主から身体、知能、心を授けられた生身の人間の心の発露そのものであります。

従って、情は生来の才能や育った環境で形成される個人の性状が色濃く反映するものであり、時に利己的で身勝手なものになってしまいます。

心が個性と社会との間で利害バランスの取れた情を発露して、人が生きる喜びを謳歌するためには、心を身体や知性でバックアップして強靱に鍛えなければならないでしょう。

愛は、人が他を思う心の発露を知能が定義した色合いが強く、知的な傾向があるものです。

極端な例ですが、博愛主義者に愛すべきとの思いで愛された者が、儀礼的に感謝しても、生きる喜びを創造主と共感することはできないと思います。

名古屋城天守閣の木造復元におけるバリアフリー用昇降設備のあり方ついて、小型昇降設備を途中まで設置する大型昇降設備を最上階まで設置する案を中心に議論されています。

小型昇降設備設置案の主要根拠は、史実に忠実に木造城郭建築を再現し入場者に感銘を与えるとともに後世に残すことです。

大型昇降設備設置案の主要根拠は、車椅子利用者が差別なく安全に最上階まで上れるようにすることです。

歩行可能者は、階段をのぼることに支障がないので、歴史的な木造城郭建築に心を惹かれ、小型昇降設備設置案を心情的に支持します。

車椅子利用者の最上階まで階段をのぼることの不安を知的に、体感的に捉えることなく、史実に忠実な木造城郭建築に意味があるとの知的な見解のみから小型昇降設備の途中までの設置を主張してはいないでしょうか。

車椅子利用者は、階段をのぼることに困難が伴うので、最上階まで安全に上ることに心を惹かれ、大型昇降設備設置案を心情的に支持します。

大型昇降設備を最上階まで設置したことによる木造復元名古屋城天守閣の価値毀損の大きさを知的に捉えることなく、車椅子利用者が最上階まで差別無く安全にのぼるという知的な見解のみから大型昇降設備の最上階までの設置を主張してはいないでしょうか。

名古屋城天守閣の木造復元の趣旨は、先ず、木造建築で復元した名古屋城天守閣を多くの生ける人々が訪れ、木造建築の美しさ、感触、香り、音などを体感することでしょう。

そして、史実に忠実な木造城郭建築の名古屋城を名古屋のシンボルとして後世に残すことにも大きな意義があるでしょう。

木造復元された名古屋城天守閣を訪れる目的は、天守閣の最上階に上ることではなく、各階を木造の階段でのぼりながら木造城郭の豪奢なすばらしさを肌で感じることではないでしょうか。

小型昇降設備設置案の支持者は、史実に忠実であることに拘泥することなく、車椅子利用者が木造の階段を安心してのぼりながら木造城郭のすばらしさを肌で感じることができる具体策を示すことが、個性と社会との間で利害バランスの取れた情を発露することだと思います。

大型昇降設備設置案の支持者は、車椅子利用者が最上階に安全に上ることに拘泥することなく、木造の階段を気持ちよくのぼりながら木造建築の豪奢を体感できる具体策を小型昇降設備設置案の支持者とともに考え出すことが、身体や知性で鍛えられた心の発露のように思います。

人間生存の意図

本来生物は、生きるために生きており、存続する以上の目的はないのでしょうか。

生物の一種である人類も、ダーウィンの進化論の自然選択によって進化し、環境に適応するために知能を発達させ過ぎて、自分達の棲家である地球、延いては人類自体をも存続の危機に立たせているのでしょうか。

人間の生存に何ら意図がなく、自然選択によって存続しているだけだとすると、温暖化あるいは放射能に耐性のある子孫の出現を期待するしかないでしょう。

しかし、人間は何らかの意図によって生存しているので、環境問題や国際紛争などを進歩させた感性や知能で克服することを可能にすると思います。

何らかの意図は、創造主の人間を生存させる意思、あるいは人の生きる喜びを感じる心であり、信仰の世界では神や仏の御心と言われるものです。

現在、世界を二分する民主主義と独裁体制の何れにおいても、物質文化やAIなどの科学技術の発達によって人間生存の意図が不明瞭になってきており、人々の生活にうるおい感がなく、生きているだけ感が増えている気がします。

民主主義国家においても個人主義を履き違え、己の権利を主張し物欲や権力欲などを満たすことが人生の意義であると考える人が多くなっているのではないでしょうか。

このように人々が己の権利を主張し、人間生存の意図が希薄になった社会では、さまざまな価値観が乱立し善悪の区分すら曖昧になってしまいます。

人間が生存し続けるためには、人間の生存を賛美する価値観が人類で共有されることが必要です。

創造主の人間を生存させる意思は、生存に有効な身体と知能と心を人に授けられたことが示しています。

人の心は、目標を達成し社会や人の役に立てたとき、生きる喜びを感じるでしょう。

御心は汝殺すなかれと教えます。

民主主義といえども、人間生存の意図は個人の権利より尊重されるべきものであることを前提にして個人主義や自由、平等が主張されるべきだと考えます。

独裁体制国家でも、一部の独裁支配者層が人間生存の意図を理解し、被支配者層の生きる喜びを侵害しない限り問題はないと思います。

しかし、独裁体制は歴史が示すように時の経過につれて腐敗が進み独裁者層存続の意図に支配されてしまいます。

各独裁体制国家の独裁体制が人間生存の意図より独裁者層存続の意図を重視する警戒度合い、独裁的なリーダーの独裁指向度合いなどを、人間の知能の産物でありながら人間生存の意図を不明瞭にしているAIを使って顕出し、独裁体制が人間生存の意図を侵害することを防止したいものです。

21世紀に独裁体制が現存する不思議

国民の大部分を占める庶民の意に反して極めて独善的な独裁体制が21世紀においても出現する不思議を考えてみました。

人間の営みは、寝て起きて食べるために働き、欲することをする中に喜怒哀楽を感じて日常生活を送ることではないでしょうか。

欲することは人によって千差万別ですが、次の5つの欲に大別できると思います。

・他人や社会に貢献すること(貢献欲)

・学芸・スポーツで個人的な能力・成果を高めること(文化欲)

・他人を支配すること(支配欲)

・他人の指示・欲求に従うこと(忠誠欲)

・肉体的・物質的欲求に従うこと(物欲)

各人の5つの欲の強さ割合は、遺伝子、生い立ち、教育、経験等によって決まり、個人の個性を形作るのでしょう。

類は友を呼ぶと言いますが、同じ欲の強い人達が結集し易い傾向にあり、国は、同じ欲の強い人達で緩く形成された5つの集団で成り立っていると思います。

このような状況で、国が存続の危機に面したとき、支配欲の強い集団は、他国に支配されることを強く嫌い、他の集団をリードして戦争に勝利します。

成功体験を味わった集団は支配欲を一層強め、忠誠欲や物欲の強い集団を巻き込んで自国民をも独善的に支配し独裁体制を完成するのではないでしょうか。

独裁体制が内在する腐敗体質によって滅んだ後に樹立された民主的な政治体制において、独裁体制での非人道で独善的、不平等で不自由な政治に対する憤りや恐怖を実感した人の数は時がたつにつれて減少していきます。

このような状況下で国が存亡の機に立たされると、支配欲の強い人達がまたぞろ行動を開始します。

人は感情を伴わないと行動しないので、独裁体制に対する怒りや恐怖を実感していない世代は目前の危機回避に目を奪われ、独裁体制の再現を許してしまうのではないでしょうか。

民主体制を増やし、独裁体制の増殖を抑える方策を文化欲や貢献欲の強い人達が中心になって創出し、社会に仕組むことが必要だと思います。

5つの欲は、人類が自然の脅威や敵を克服して生き続けるための天性であり、個人から無くしてしまうことはできません。

人は誰しも、貢献欲、文化欲、支配欲、忠誠欲、物欲の全てを持っており、その強さ割合によって、貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげたマザーテレサのようにも、殺人鬼と呼ばれるプーチンのような独裁者にもなるという現実を全ての人が認識することから始まるでしょう。

5つの欲の強さ割合が極端に偏らないように、貢献欲の強い人は、特に支配欲、文化欲の強い人は忠誠欲、支配欲の強い人は貢献欲、忠誠欲の強い人は支配欲、物欲の強い人は文化欲を増やすような個性にあった子供教育も必要ではないでしょうか。

貧困は国民の不満を煽り、国を窮地に追いやり、支配欲の強い人達が活躍する格好の場を提供します。

民主国家は、貧困国の自立のための経済援助を、独裁国家の貧困国の支配のための経済援助と明確に異なることが分かる形で推進する必要があると思います。

そして、日本だけでなく世界各国において支配欲の強い人達の政治活動には常日頃から警戒し、特に国が窮地に立たされているときは独裁体制に移行する企てを早期に摘まなければなりません。

民主制は国民ひとり一人が保持・育成するものであり、特に、貢献欲、文化欲の強い人達がもっと政治に関心を持ち、自分たちが活躍する場の民主体制を広げていくという覚悟を持つときだと思います。

達成の喜びを想像しうる目標

日常生活を保ちつつ、我が才能と相談して設定した目標を達成して創造主と喜びを共感する人々が、創造主の意図した苦闘する人類だと思います。

自分の成したいことのみを追い求めて日々生活できる人は、科学、芸術、スポーツなどの各分野において天賦の才能に恵まれた数少ないギフテッドで、創造主が人類に示した道標ではないでしょうか。

無分別な若者が特殊詐欺や闇バイト強盗に加担させらされ、人生を台無しにしています。

文部科学省の昨年10月の発表によると、小・中・高等学校及び特別支援学校における「いじめ」の認知件数は61万5千件強で、前年度に比べ19%増加しています。

不登校児童生徒数は24万5千人弱で、9年連続で増加し、過去最多となりました。

国連のSDSNが各国民へのアンケート等に基づいて国民が感じている幸福度を総合的に測り、幸福度の高い国別ランキングを発表しています。

最近公表された世界幸福度報告書2023年版によると、北欧諸国が上位を占め、日本はG7でイタリア33位についで最も低い47位でした。韓国、中国、ロシアは、57位、64位、70位で、最下位はアフガニスタンの137位です。

報告書は、日本と上位の国々を比べると、健康寿命では日本が上回り、1人あたりGDPでも上位と大きな差がないものの、人生の選択の自由度や寛容さに課題があるとしています。

若い人達が子供をつくりたがらず、2022年に生まれた赤ちゃんは80万人を割り込んで少子化が進んでいます。

このような好ましくない社会状況は、日本社会における価値観の均質性とその押しつけに起因しているのではないでしょうか。

ほぼ全員が苦闘する人類である日本国民が、ギフテッドのようになること或いは良い学校、会社、地位等につくという表面的な目標を自分、他人、子供に無知の善意で押しつけている風土があるような気がします。

達成不可能な目標を押しつけられると、苦闘する人類は喜ぶ機会を失い自己否定に陥り、苦闘して生きる意欲を失うのではないでしょうか。

苦闘する人類の能力の種類は、各分野において更に微細化され、高さにおいてもギフテッドに向かって際限なく多層化されているでしょう。

目標は、努力次第で達成することができ、果たしたときの自分の進歩した能力、姿を具体的にイメージできる、達成の喜びを想像しうるものでなければならないと思います。

若い人は各分野でこのような目標達成を繰り返して能力を向上し、人々の生活を豊かにする成果を実現して欲しいものです。

私は高齢者にふさわしい新しい目標を設定し、今まで気づかったことを発見しつつ、ささやかな目標を頑張って達成し生きる喜びを感じています。

自分の個性や才能に応じて設定した目標を苦闘しながら達成することに喜びを感じることが人生の意義であるとして尊重する社会風土を日本国民が醸成し、人生の選択の自由度や寛容さを高めることが日本の社会状況の改善に役立つように思います。

国民のための国家でなければならない

文明が高度に発達した現代社会において、プーチンが大義なきウクライナ侵攻を続行し、虚偽の自己弁明を厚顔無恥に繰り返していることに憤懣やるかたなく、ロシアに絶対勝たせてはいけないと思います。

人々が小集団のムラを結成した一次的な理由は、互いに協力してより豊かな生活を得るためでした。

克服目標が自然災害である場合、ムラの住民は全く協力して目標達成に協力することができます。

多くのムラが紛争を経て統合された国がさらに統合され、国民の役割が細分化された国家では,様々な価値観を有する集団が多数存在し利害が交錯する状態になります。

克服目標が政権の大義なき侵略であっても、政権打倒行動は不成功のときは国家への反逆となり、利害が交錯する多数の集団が存在するなかで、多くの集団が政権打倒に躊躇無く協力できるとは思いません。

長い年月を掛けてプーチン支持者で固められた現政権下において、プーチンの狂行を自分や家族の危険を顧みずにロシア国内で公然と批判できるロシア人がほとんどいないことを強く非難できない気もします。

克服目標が個人、集団、国家間の紛争である場合は、生活の場の確保、アイデンティティー、誇りや恐怖など様々な利害や感情が錯綜するので、小さな理不尽は当初は見逃されがちであり、それが時間の経過とともに成長し、気がついたときには独裁者プーチンのような大きい理不尽に成長し、対策が困難な状態になってしまうのでしょう。

人間は己の力で様々な目標を達成して多様な喜び感創造主と共感することが存在意義であると思います。

そのために、人はそれぞれの存在意義を尊重しながら他人と協力して各自の目標を達成するために集団ひいては国家を形成したのでしょう。

人は国家のために存在するものではなく、国家によって生存させてもらっているものでもありません。

国民が国のために働きたいと思うのは、人の欲や愛が化体した目標を達成するためでしょう。

ウクライナをロシアの一部と主張するプーチンがウクライナ市民の生命や日常を奪うことは国民より国家に重きを置く国家主義の発露であり、断じて許される行為ではありません。

プーチンのウクライナ侵攻を成功させて国家主義に弾みをつけさせることは、日本の子孫の生きる喜びにとっても大きな禍根を残すことになると思います。

必死で戦うウクライナの人々を他人事ではないとの思いも込めて何らかの形で激励し続けたいと思います。

自分の特性を活かす

ゴルフの基本というウエブサイトに人の身体の動作の特性は、4つのタイプに分類でき、それぞれのタイプの特性を活かせば、スポーツで最大限の能力を発揮することができ、怪我の防止にも繋がるという4スタンス理論が紹介されていました。

カバンを指先で持つ人はタイプA、掌で包むように持つ人はタイプB、マイクを人差指と中指を添えて持つ人はタイプ1、薬指と中指を添えて持つ人はタイプ2です。

すべての人は、タイプA,Bとタイプ1,2の組み合わせで4つのタイプA1、A2、B1、B2のいずれかに属します。

ゴルフの場合、タイプAはボールを打出す方の前足を軸にし、タイプBは後ろ足を軸にして打ち、タイプ1は足の太ももを内側に回し、タイプ2は外側に回して打つと動作がスムーズになりボールが遠くに飛ぶとのことです。

ゴルフに理想のスウィングは一つしかなく、それを実現するためのコツを見つければ良いと考え、フォームが美しくて優勝回数の多いプロゴルファーのビデオを見て真似ていましたが、根本的に間違っていたことを知らされました。

因みにそのプロゴルファーはタイプA1ですが私はタイプB1でした。

早速試してみたところスウィングが安定し飛距離が若干アップしました。

ゴルフの目標であるスコアアップのために、見た目には最も野暮なフォームのタイプB1を受け入れたいと思います。

多様性を尊重することの大切さは認識しているつもりでしたが、ゴルフのスウィングに一つの道しかないと決めつけていた理由は、勉強不足はたまた「良いものは美しい」の格言に捕らわれていたのでしょうか。

タイプA1でないことを少し残念に思いましたが、タイプB1であることを自己肯定し、その特性を活かしてゴルフの技を習得しスコアアップを楽しみたいと思っています。

各人は得意とする能力が様々であり、記憶力、思考力、感性、運動能力の高いタイプA,B,C,Dと、科学、一次、二次、三次産業、音楽、文芸、美術、スポーツを得意とするタイプ1,2,3,4,5,6,7,8に大別でき、大きく32のタイプに別れそうです。

社会や他人の価値観に捕らわれることなく、自分の能力に適合したタイプをメインに選んで自分の特性を活かすことが、人生において自分の能力を発揮し楽しく充実した生活をおくるコツのように思います。