民主主義と選挙制度

11月5日に行われた2024年米国大統領選挙で利己主義をポピュリズムで糊塗したトランプ氏が圧勝しました。

11月11日の兵庫県知事選挙では県議会で知事の不信任決議案が全会一致で可決されて失職した斉藤元彦氏が疑惑の真偽不明の状態で当選しました。

二つの選挙で人の本性を信じた私の希望的予想は裏切られました。

自分の価値観と異なる対立集団の主張も、その構成員が抱える苦境や苦情を知り、自分も同様の苦境に立たされていると、正当なものと思われてきます。

しかし、選挙は民主主義を実現するための一つの基本手段であり、人民の「人権、自由、平等」を守った上で政治を実行する自分の代行者を選ぶ制度です。

人間は、感情が伴わないと行動せず、知性だけで行動を起こすことはないと言われています。

選挙がお祭り騒ぎのようになり、或いはSNSを駆使して人々の感情を煽動し、正常な判断力を阻害するものにすることは断じて許してはなりません。

民主主義は人民のための政治を目指し、ポピュリズムも人民第1主義を意味します。

民主主義とポピュリズムの違いは、選挙で選ばれた政治家の人格の違いにあると思います。

民主主義では政治家は真摯に人民のためを思い、ポピュリズムでは自分の利益を利己的に追求するでしょう。

ポピュリストであるヒットラーは、1929年の世界恐慌に喘ぐ議会制民主主義のヴァイマル共和国で、経済的に苦境に立つ人々を人民のためと煽動して選挙に勝利しナチス党首として首相になって権力を把握し、民主主義国家を忌まわしい独裁体制のナチスドイツ変貌しました。

人民第1主義のポピュリズムが人民のための政治を目指す民主主義を破滅させるのは奇妙なことです。

民主主義は政治家が人民のための政策を自ら考え出し人民にアピールして支持を得ようとするのに対し、ポピュリズムは対立者やその政策の欠点を人民に訴えて支持を得ようとする傾向が強い気がします。

野党はポピュリズムに陥りやすいですが、政策をしっかり提示し、人民が政策重視で選挙権を行使することが、ポピュリズムから民主主義を守るために大切なことだと思います。

トランプ氏の言動を見ていると利己的で人格的に米国大統領にふさわしいとは思えませんが、ノーベル賞受賞のために変貌することを望んでいます。

斉藤兵庫県知事の人格情報および兵庫県庁の体質に関する情報は少なく、兵庫県民が斉藤氏を再選した是非は闇の中です。

しかし、その後に発覚したPR会社による斉藤氏のSNS戦略支援に関する記事を読むと人々の感情に訴えるポピュリズムの顔が垣間見えます。

在任中は自分のためではなく、県民のために県政に邁進されることを望みます。

戦争は悪である

人間社会に戦争という病がいまだに蔓延し、世界中に感染する恐れさえあります。

戦争の病原体と対処法について多くの人が我が事として真剣に考える必要があると思います。

1932年の二人の超偉人アインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』に束縛され、あるいは諦観を抱かされてか、このテーマが具体的に論じられることが少ない気がします。

アインシュタインの「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」の問いに対するフロイトの答えは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」後に、「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」でした。

その7年後に第二次世界大戦が勃発し、現在もウクライナ戦争、イスラエル・ガザ戦争など止むことがありません。

文化が最も発展した国の一つと思われるアメリカの大統領候補トランプ氏の本能的欲求から発せられる対立候補に対する非難、中傷、それを無意識に熱狂的に支持する支持者を見ていると、文化とは程遠い現状にむなしさを感じます。

しかし、勇気を絞ってアインシュタインとフロイトの答えを具体化して実行する方策を各国民が考えなければならない緊急時に差し掛かっているのではないでしょうか。

各国民が戦争防止策を議論し、戦争に関して持っている、無意識下にある道徳的な規範(超自我)、本能的な欲求(イド)、両者のバランスを調整する自己意識(自我)を再認識するだけでも戦争の抑制に繋がると思います。

例えば、ロシアの侵攻に対するウクライナの応戦は、ウクライナ国民のイド(生きる、独立、自由、誇りなどの無意識下の欲求)が超自我(戦争は国民の命、生活を犠牲にするので最悪とする無意識下の規範)を超えるので、自我がやむを得ないこととしているのだと考えます。

ロシアのウクライナ侵攻については、反体制ロシア国民の自我は、プーチンのイド(権力指向、百歩譲ってロシアの防衛機制)は良識あるロシア国民の超自我に対する詭弁であり、ウクライナ侵攻は許されるものでないとしているでしょう。

米国共和党員のトランプ支持を見ていると、共和党は正しいという常日頃は無意識下にある超自我が大統領選挙中には強く意識され、共和党員の自我がトランプ候補は不道徳という超自我より共和党勝利というイドに偏向しているのだと思います。

このような非定常時にも人々の自我が一つのイドに捕らわれることなく、イドと超自我との正しいバランスのとれた判断を行えるようにするために、無意識下にある他の超自我と、それに基づくイドを認識させることが大切です。

例えば、トランプ候補が大統領になると独裁体制を築き、民主主義が危険に晒される可能性があるとの正確性の高い情報が世に出ると、多くの共和党員の自我は民主主義を守るというイドを共和党勝利というイドより優先させるでしょう。

世界各国で戦争は国民の命、生活を犠牲にするものであり絶対に行ってはならないということを幼少時から教育して意識しやすい超自我にするとともに平和の大切さを常に訴えることによって、国民の自我が戦争指向の政策を選択することはなくなると思います。

一例として、先端技術の憲法AIを用いて社会情勢を分析し、確率の高い分析結果を公表して人々に意識させることによって、人々の自我が一つのイドに捕らわれることなく、イドと超自我とを正しく調整し、常に平和指向な判断を可能とするシステムの実現が必要です。

憲法AI支援民主主義

農耕革命以降、人類は小国家を築いて領土拡張や資源確保、差別や宗教などのために国家間で戦争を繰り返し、国威高揚を価値観のベースに据え、殆どの国で国家主義体制が取られてきました。

産業革命によって、生産性が飛躍的に向上し、働く人々の権利を守ろうとする社会 主義思想や人民主権が提唱されるようになり、民主主義国家が隆盛になりました。

しかし、現在でも民主主義国家に内在する不公平や矛盾により人民の不満は解消されていません。

因みに現在の若者、中年、老年の不満をChatGPTで調べたところ、次のようでした。

若者の不満:

経済的な不安、社会の不公平、環境問題への関心、政治への不信感

中年の不満:

キャリアと仕事の不安定さ、家族や個人生活のバランス、健康問題と生活習慣、社会的地位と自己実現、経済的な不安

老人の不満:

経済的な不安、健康と医療、孤立と社会的孤独、高齢差別や理解不足、住環境の問題

国会議員が政治資金を如何に不明瞭に収集・使用するかの方策に国会の大切な時間を浪費するのではなく、人民主権の価値観のもと国民の不満を如何に解消するかの方策に有効使用していただきたいものです。

国民の不満が許容値を超えると、民主主義が崩壊し、独裁者が台頭した史実もあります。

国民に人民主権の思想が行き渡らず、現在においても国家主義体制を継続している国も多数あります。

民主主義体制は不合理な面もあり、金もかかりますが、国民が窮地に陥って民主主義体制を否定し、中国、ロシア、北朝鮮などをほくそ笑ますことは絶対にあってはなりません。

情報革命が進み、生成AIが加速度的に実用化されている現在、憲法AI(Constitutional AI)が注目されています。

憲法AIは、最後にしたい第二次世界大戦を教訓にして作成された国連の「世界人権宣言」など人類が守るべきいくつかの指針に基づいてモデルを訓練した有益性と安全性のバランスを高めた生成AIです。

憲法の中身や運用方法に万全の注意を払う必要がありますが、憲法AIを活用して、生産性やコミュニケーションなどを大改善し、国民の経済、健康、環境、政治、自己実現、孤独などの不満を解消するとともに、戦争によらないで国際紛争を叡智で解決することができる、憲法AI支援民主主義(Constitutional AI aided Democracy)を実現したいものです。

民主主義こそ国民を守る

スウェーデンの研究所によれば、民主的な国は60の国と地域であるのに対し、非民主的な国は119の国と地域に上り、ブラジル、インド、トルコ、ハンガリーなど権威主義的な傾向を強めている国の数が、民主化に向かう国の2倍以上あると報告しています。

「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「多様性」などを尊重する民主体制が、なぜ後退するのか考えてみました。

ヒトは生存するために集団をつくる本性を備えており、集団を作る本来の目的はメンバーの命と生活を守るためだと思います。

優れたリーダーに統率された集団は、メンバーの力を結束して有益な目標を達成し強い集団となり、多数の集団を統合して国をつくりました。

国が強くなるためには強いリーダーを擁する権威主義が有効であることは、国民が同じ方向を向き目的を効率的に達成することができるからだと思います。

しかし、純粋に国民の命と生活を守るための政治を行ったと言われる堯や舜は史記に登場する伝説上の帝王であり実在しないでしょう。

権威主義体制において体制と価値観を異にする人々の命と生活を担保し国力向上にも参画できる仕組みを作ることが一つの理想ではないでしょうか。

ところが権威主義体制では国力向上や国の威信が目的になり、その達成に熱心になり過ぎて全ての国民の命と生活を守るという本来の目的を忘れてしまいます。

また、権威主義は政治的な権力が一部の指導者に集中するので独善、不正、独裁体制誕生の温床になり、ひとたび独裁体制や独裁者が利己的あるいは独善的な自分の価値観を実現するための政治を始めると国民、特に体制と価値観を異にする国民は悲惨な状態に陥ってしまいます。

ヨーロッパにおいては19世紀に個人を国王などの束縛から解放し自由を実現させる自由主義的な改革がなされ、民主主義的な思想も取り入れられて現代民主主義国家が誕生したのに対し、ロシアではニコライ一世が自由主義的革命運動を抑圧して専制君主制を継続しました。

そして、ロシア皇帝は、皇帝の権力によって国民は繁栄と栄光に導かれるという専制主義をロシア国民に信じ込ませロシア大国を統治し続けました。

プーチン独裁者はロシア大国の復活という時代錯誤な独善的な自分の価値観を実現するためにウクライナに侵攻し、ウクライナ人の多数の命と生活を奪うという暴挙を続けています。

ゼレンスキー政権はウクライナ国民の命を守り日常生活を奪還するために28万人弱のロシア兵の命を奪っていますが、国民の命と生活を守るという国の目的を達成するための行為として認められています。

国民が人権、言論、多様性を尊重し、国家権力がその国民によって選出される民主主義は、一部の指導者に国家権力が集中し、国民がそれに盲従する権威主義より国の力や威信高揚の面では効率が悪くなるでしょう。

しかし、ヒトが仲間の命と生活を守るという目的を達成するために集団を作ったという原点に立ち返って考えると、民主主義は、国民が各自の思いを実現する場を確保するという国が果たすべき本来の目的を達成するベターな体制だと思います。

ところが、民主主義の盟主であるアメリカにおいて、権威主義的なトランプ氏の影響を受ける共和党が大統領選に勝つためという利己的な理由でウクライナ支援予算の成立を妨害し、民主主義圏内の一国であるウクライナの国民をプーチンの蛮行から救うことを阻害して民主主義の弱さを露呈しています。

国民の命と生活が確実に守られた状態で、国民が個性を発揮し楽しく生きることで国の力や威信が高められる民主的な国の数が増えることを願っています。

我国は、経済格差の拡大を阻止しつつ国力を増大する経済財政改革、国民のために活動する政治家を選出するための金のかからない選挙制度改革、政治への関心が高く個性豊かな才能を育てる教育改革など民主主義の弱点を是正する施策を果敢に実施し、新しい民主制の豊かな日本を世界に示していきたいものです。

市民の行動力が指導者層の独善を防ぐ

大統領は在任中の行為で起訴されないという免責特権があったのでトルーマン元大統領は原爆投下に踏み切り第2次大戦を終結させたとの詭弁で、トランプ氏は大統領特権で自身が起訴されている議会襲撃事件について起訴されるべきでないと主張しています。

トランプ氏が自分の大統領再選欲のみから画策した独裁志向行動と、善し悪しは別として戦時下で国益を求めて出したトルーマンの決断とを同列扱いする稚拙で厚顔無垢な人格に唖然とし、トランプ氏に依存する極めて独善的な岩盤支持層の存在に不安を感じます。

独裁志向は傲慢がもたらす利己的な強欲であり、独裁者の待望は人民の嫉妬・憤怒がもたらす依存心という怠惰であり、人類が歴史的に繰り返してきた大罪です。

人の才能・容姿・生い立ちなどは千差万別で、如何ともしがたく、人生の成功・不成功、幸福・不幸は一つの物差しで計れるものでなく、計るべきものではないでしょう。

しかし、自分の天性に適した各自の大望にむかって目標を順次立て、知力と身体と感情の総合力で目標を達成するために行動し、目標達成の喜びを楽しみながら生きているか否かは、人生の幸せ、成功を計る万人共通の尺度だと思います。

この尺度を帰納法的に証明している成功者の一人が、高校1年生のときに作った目標達成シートに従って目標を順次立て実行して野球人生を楽しみながら成功している大谷翔平選手だと思います。

スヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」も生まれ持った才能・容姿・生い立ちを受け入れ努力して幸せを勝ち得た様々な成功者の経験談でしょう。

これから言えることは、国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動できる場を提供することが国を作る目的だと思います。

ところが昨今、指導者層の腐敗あるいは独裁に支配される国が増え、自分の目標を行動力で達成して喜びを感じる健全な市民の権利を脅かし蹂躙しています。

「魚は頭から腐る。」という諺がありますが、魚には頭を支える五臓六腑があります。腐った頭を作るのは五臓六腑です。腐った指導者層がその独善的な欲望の実現に市民を利用する国が増えているのは、国の五臓六腑である市民のなかに、特に怠惰という大罪を冒し、自ら考えて行動することを放棄し他人に依存して欲を満たそうとする腐敗部分が増えているからではないでしょうか。

より多くの健全な市民が他人に任せることなく自らの考えを新鮮な血液として世の中に発信し行動に移し続けることが、多様性を尊重する大きな世論を新鮮な血流として国全体に循環させ市民の腐った部分を治癒するとともに指導者層の腐敗や独裁を防止することになると考えます。

市民による市民のための政府

現在、市民が幸せな日常生活を営む社会を築くための市民による政府が世界各国で後退しているのは何故でしょうか。

南北戦争を開戦したリンカーン大統領は、「人民の、人民による、人民のための政府は不滅である。」と戦中の1863年に演説し、アメリカ合衆国が拠って立つ自由と平等の原則を表現しました。

市民のための政府の後退は、「市民による」の弱体化に起因するところが大きいような気がします。

福沢諭吉は、1872年の「学問のすすめ」で「身も独立し、家も独立し、天下国家も独立するために、誰もが人間普通日用に近き実学を学ぶべきである。」と述べています。

市民が農業、工業、商業などの実学をしっかり学ぶと、各人が独立し、家庭も安定し、よい政治家を選出することができ、市民のための政府を築くことができると解釈しました。

しかし、日本において与党の自民党は、市民の生活苦を解消するどころか、パーティー券を巡る裏金問題で立証の可否はさておき実質的な法律違反を定常化してきました。

多くの日本市民が実学を机上で学ぶだけで、内在する個の原点である独立心を肌で学ぶことを怠ってきたせいでしょうか、同質性と現状維持を望み大勢に従って選んできた政治家が市民のためではなく、自分と利害を同じくする小集団のための政治を行ってきたことの帰結のような気がします。

アメリカにおいては、独裁志向のトランプ氏が本年大統領選挙の共和党候補に有力視されています。

世論力学(オピニオンダイナミクス)理論の第一人者である高知工科大学の全卓樹教授とフランス・国立科学研究センターのセルジュ・ガラム博士が2020年に共同で発表した論文によると、自分の意見を譲らない「確信者」と、他人の意見に影響を受ける「浮動票者」を想定し、集団全体の意見の変遷を数値の変化で捉えるシミュレーションにおいて、確信者の数を25~30%超まで増やした途端に浮動票者全員が確信者の意見に転じたとのことです。

共和党のトランプ岩盤支持層の間でこのような現象が起きていると想像します。共和党全体に伝染しないことを祈ります。

イスラエルにおいても、汚職で退陣したネタ二ヤフ氏が、岩盤支持党であるリクードを中心とする連立で首相に再選されました。

パレスチナとの和平交渉の決裂、衝突や暴力の応酬が続くなか、支持率が25%程度であったリクードの意見が独裁色の濃いエタニヤフ政権を誕生させ、市民のためではなくシオニズム集団のための戦争を過剰に激化継続させています。

ロシア、中国、北朝鮮などの独裁体制国家では、市民のためではなく独裁者の野望のための政治が行われています。

市民が育っておらず抑圧されている独裁国家では、市民の政府を擁する国家群による制裁、独裁政権の失策・内紛、独裁者の死亡などによる体制の弱体化に応じて市民が蜂起するのを待つしか他に良い方法はないのでしょうか。

独裁国家が滅びることを望みますが、滅亡後に市民に実学を学ばせ独立心を植え付ける社会を提供する責任が滅亡させた国家群にあることを、ソ連崩壊後のロシアでロシア市民が困窮し独裁者プーチンを誕生させた史実を肝に銘じておく必要はあると思います。

生成AIにかける夢

チャットGPTがオープンAIによって昨年リリースされて以来、米国では生成AIブームが起こり、マイクロソフト、アルファベット、グーグル等が開発、利用を強力に牽引しています。

日本では今秋の経済対策に生成AIの開発や利用支援策が盛り込まれました。

反面、AIの安全性に関する非営利団体であるセンター・オブ・AIセーフティー(CAIS)が、「AIによる人類絶滅のリスクを低減することを世界的な優先事項とするべきだ。」とする声明文をブログに掲載し、オープンAIのサム・アルトマンCEO、グーグル・ディープマインドのデミス・ハッサビスCEO、AIの先駆者であるジェフリー・ヒントン博士やヨシュア・ベンジオ教授など600名の主要なAI研究者と著名人がこれに署名しています。

質量とエネルギーの等価性を証明し原子エネルギーの開発に貢献したアインシュタインが、原子爆弾の恐ろしさ予知しながらも、敵国ナチスドイツの原爆開発を空想してルーズベルト大統領に早期開発を提言した史実を教訓に、生成AIの開発、利用と並行してAIの危険性対策を講じておく必要があると考えます。

CAISの声明文では、AIの兵器化、AIによる偽情報の拡散、AIによる権力の集中、人類のAI依存による衰退などを警告しています。

AIによる兵器の製造禁止、偽情報の拡散防止、生成物の著作権問題などについては信頼性の高い早急な法整備や啓蒙活動が望まれます。

人間は自分の意見をかなり強く持っている人でも、多数意見、繰り返される意見、信頼する者の意見に徐々に感化されます。

従って、長年使っている生成AIのアルゴリズムに偏向した価値観が組み込まれていると多くの使用者がその価値観に染まっていき、権力の集中に繋がることもあり得るでしょう。

また、生成AIは学習データから一見新しいコンテンツを生成しますが、学習データは既存対象をデータ化したものであるので、極めて長い期間で見ると生成AIのコンテンツは多様性を失っていくと考えます。

多くの人がAIに依存し自ら思考しなくなると、人類は多様性、延いては生き甲斐を喪失し滅亡してしまう恐れがあります。

人間は身体と知力と感情を備えています。

身体について、人間は自動車等の機械に馬力で負けましたが、身体と知力と感情を使うスポーツ等で自ら技術アップしていく面白さを体感し、機械に依存し過ぎることなく共存しています。

知力について、人間が感情を移入して創作した創作物といえども何か過去のものがベースにあります。

過去の多数のデータに基づいて生成された生成AIのコンテンツに鑑賞者が何らかの感情を感じることもあるでしょう。

このことで人間の創作物とAIのコンテンツは同じと言えるでしょうか。

創作は創作者がその時の思いを創作物に移入して表現する創作者側の行為であり、創作という行為および創作物の出来映えにもっと上手くなりたいという夢を追いかけているのだと思います。

人間は知力の一部で生成AIに負けましたが、知力と身体と感情の総合力で様々な夢を追いながら人生を楽しみ続けるでしょう。

このように人類はAIを道具として利用し、人間にふさわしい生き甲斐を見つけて生存する生命力、存続しなければならない使命を持つものだと思います。

日本では、AIの開発や利用支援策を経済対策に盛り込み、NEC、富士通、NTTなどが開発を推進しています。

欧米ではAIの規制法案の検討が強力な開発、利用と同時進行しています。

日本でも生成AIの弊害をミニマイズするための法整備、啓蒙活動を利用支援策に入れて推進されることを願います。

原子力を利用して原爆をつくり、6千個弱の核弾頭を時代錯誤な独裁者の手に委ねている愚かを繰り返さないように、生成AIの危険性排除対策を遅れなく講じつつ、生成AIを活用して貧困、病気、環境問題、3K労働などを解消し、人間が文化活動を謳歌できる社会の実現を楽しみにしています。

戦争を抑止する価値観の多様性

NHKのドキュメンタリー番組 プロフェッショナル 仕事の流儀で、 殺到するグランメゾンの料理人たちの中心で魚をさばいていた、静岡県焼津市にある一見普通の魚屋さんが、魚の味について哲学的な美味しさではなく、各個人が体で感じる美味しさを追い求めていきたいと言っていました。

食通の求めるそれぞれの味を引き出せる魚を届けて堪能してもらうのが嬉しいのだと理解しました。

新鮮な魚を客に届けるために実直に働く年老いた父親の姿が、喧嘩っ早い息子の心の葛藤を、魚屋の情熱に刷新したのでしょうか。

人は、天賦の才能、育った環境、受けた教育、接した人々などの影響を受けながら、自分のものの見方、好き嫌い、延いては価値観を手探りしながら形成します。

自分の価値観を持てた人は、その価値観に合致した目標を達成することによって充実感に満たされ生きる喜びを体感することができます。

しかし、自分の価値観の不確実性ゆえに親や世間の価値観を刷り込まれてしまった人は、自分にマッチしない価値観に基づく目標を達成したとしても、その喜びは希薄なものとなり満足感を心の底から実感することができないでしょう。

また、生きることは存在することであり、高い能力を持つ人間は、他人からその存在を認めて欲しいという欲求を生まれながら備えていると思います。

社会や他人の役に立つこと、協力してことを成すことに喜びを感じる価値観はこの欲求から派生すると考えます。

ところで、8月6日、9日の原爆の日に、被爆の惨状や核抑止力の危うさを知りながら核兵器廃絶の後退が無力感を込めて語られていました。

8月15日の終戦記念日に戦争の不条理、悲惨さを知りながら何故未だに根絶できないか議論されていました。

日本は、原爆の日を被害者の立場で語り、終戦記念日を加害者の立場で語るのではなく、独善的な価値観を持った独裁者層の出現、その価値観の国民への浸透、近視眼的になされる開戦の決断、終戦の難しさと被爆の惨状という、人が知能を持つが故に呪縛される戦争から解放されるための一連の教訓として反面教師的に提供することを考えてもよいのではないでしょうか。

国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動することで生きる喜びに満たされた国が自ら開戦を宣言することはないでしょう。

貴重な経験をした日本は、国民が多様な価値観を尊重し、それぞれの生き甲斐が他人から認められる喜びに満ちた社会を築いて世界に示すことによって、戦争の愚かさを強くアピールして戦争を抑止できるのではないでしょうか。

21世紀に独裁体制が現存する不思議

国民の大部分を占める庶民の意に反して極めて独善的な独裁体制が21世紀においても出現する不思議を考えてみました。

人間の営みは、寝て起きて食べるために働き、欲することをする中に喜怒哀楽を感じて日常生活を送ることではないでしょうか。

欲することは人によって千差万別ですが、次の5つの欲に大別できると思います。

・他人や社会に貢献すること(貢献欲)

・学芸・スポーツで個人的な能力・成果を高めること(文化欲)

・他人を支配すること(支配欲)

・他人の指示・欲求に従うこと(忠誠欲)

・肉体的・物質的欲求に従うこと(物欲)

各人の5つの欲の強さ割合は、遺伝子、生い立ち、教育、経験等によって決まり、個人の個性を形作るのでしょう。

類は友を呼ぶと言いますが、同じ欲の強い人達が結集し易い傾向にあり、国は、同じ欲の強い人達で緩く形成された5つの集団で成り立っていると思います。

このような状況で、国が存続の危機に面したとき、支配欲の強い集団は、他国に支配されることを強く嫌い、他の集団をリードして戦争に勝利します。

成功体験を味わった集団は支配欲を一層強め、忠誠欲や物欲の強い集団を巻き込んで自国民をも独善的に支配し独裁体制を完成するのではないでしょうか。

独裁体制が内在する腐敗体質によって滅んだ後に樹立された民主的な政治体制において、独裁体制での非人道で独善的、不平等で不自由な政治に対する憤りや恐怖を実感した人の数は時がたつにつれて減少していきます。

このような状況下で国が存亡の機に立たされると、支配欲の強い人達がまたぞろ行動を開始します。

人は感情を伴わないと行動しないので、独裁体制に対する怒りや恐怖を実感していない世代は目前の危機回避に目を奪われ、独裁体制の再現を許してしまうのではないでしょうか。

民主体制を増やし、独裁体制の増殖を抑える方策を文化欲や貢献欲の強い人達が中心になって創出し、社会に仕組むことが必要だと思います。

5つの欲は、人類が自然の脅威や敵を克服して生き続けるための天性であり、個人から無くしてしまうことはできません。

人は誰しも、貢献欲、文化欲、支配欲、忠誠欲、物欲の全てを持っており、その強さ割合によって、貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげたマザーテレサのようにも、殺人鬼と呼ばれるプーチンのような独裁者にもなるという現実を全ての人が認識することから始まるでしょう。

5つの欲の強さ割合が極端に偏らないように、貢献欲の強い人は、特に支配欲、文化欲の強い人は忠誠欲、支配欲の強い人は貢献欲、忠誠欲の強い人は支配欲、物欲の強い人は文化欲を増やすような個性にあった子供教育も必要ではないでしょうか。

貧困は国民の不満を煽り、国を窮地に追いやり、支配欲の強い人達が活躍する格好の場を提供します。

民主国家は、貧困国の自立のための経済援助を、独裁国家の貧困国の支配のための経済援助と明確に異なることが分かる形で推進する必要があると思います。

そして、日本だけでなく世界各国において支配欲の強い人達の政治活動には常日頃から警戒し、特に国が窮地に立たされているときは独裁体制に移行する企てを早期に摘まなければなりません。

民主制は国民ひとり一人が保持・育成するものであり、特に、貢献欲、文化欲の強い人達がもっと政治に関心を持ち、自分たちが活躍する場の民主体制を広げていくという覚悟を持つときだと思います。

国民のための国家でなければならない

文明が高度に発達した現代社会において、プーチンが大義なきウクライナ侵攻を続行し、虚偽の自己弁明を厚顔無恥に繰り返していることに憤懣やるかたなく、ロシアに絶対勝たせてはいけないと思います。

人々が小集団のムラを結成した一次的な理由は、互いに協力してより豊かな生活を得るためでした。

克服目標が自然災害である場合、ムラの住民は全く協力して目標達成に協力することができます。

多くのムラが紛争を経て統合された国がさらに統合され、国民の役割が細分化された国家では,様々な価値観を有する集団が多数存在し利害が交錯する状態になります。

克服目標が政権の大義なき侵略であっても、政権打倒行動は不成功のときは国家への反逆となり、利害が交錯する多数の集団が存在するなかで、多くの集団が政権打倒に躊躇無く協力できるとは思いません。

長い年月を掛けてプーチン支持者で固められた現政権下において、プーチンの狂行を自分や家族の危険を顧みずにロシア国内で公然と批判できるロシア人がほとんどいないことを強く非難できない気もします。

克服目標が個人、集団、国家間の紛争である場合は、生活の場の確保、アイデンティティー、誇りや恐怖など様々な利害や感情が錯綜するので、小さな理不尽は当初は見逃されがちであり、それが時間の経過とともに成長し、気がついたときには独裁者プーチンのような大きい理不尽に成長し、対策が困難な状態になってしまうのでしょう。

人間は己の力で様々な目標を達成して多様な喜び感創造主と共感することが存在意義であると思います。

そのために、人はそれぞれの存在意義を尊重しながら他人と協力して各自の目標を達成するために集団ひいては国家を形成したのでしょう。

人は国家のために存在するものではなく、国家によって生存させてもらっているものでもありません。

国民が国のために働きたいと思うのは、人の欲や愛が化体した目標を達成するためでしょう。

ウクライナをロシアの一部と主張するプーチンがウクライナ市民の生命や日常を奪うことは国民より国家に重きを置く国家主義の発露であり、断じて許される行為ではありません。

プーチンのウクライナ侵攻を成功させて国家主義に弾みをつけさせることは、日本の子孫の生きる喜びにとっても大きな禍根を残すことになると思います。

必死で戦うウクライナの人々を他人事ではないとの思いも込めて何らかの形で激励し続けたいと思います。