統治と煩悩

支配者による統治は、約1万年前に農耕が始まり土地と財の所有が発生し、人の煩悩の発露である紛争を解決し秩序を維持する必要が生じたときに始まりました。

ホッブス(17世紀)は、人は自然状態では煩悩に支配され互いに争うので、安全のために権力者ひいては国家に統治を委ねたと言っています。

煩悩は、欲望・怒り・無知といった「生存の衝動」のかたちで現れる、生きようとする意志であり、生存と人間らしく生きるエネルギーとなります。

人が煩悩を制御することなく放任すると、互いに敵対して殺戮を繰り返す「滅亡の衝動」となります。

欲望が理性を超え、怒りが慈悲を忘れ、無知が真理を覆うとき、人は他者を敵とみなし、傷つけ合います。

ところが、人は、煩悩を認めエネルギーとして制御し、自分の成したいことを他人と協力して成すことに喜びを感じる「人間らしく生きる衝動」を備えています。

滅亡の衝動を抑え、人間らしく生きる衝動を安全に発揮して、人の存在意義と繁栄を確保するために、人類は集団社会、国家を形成して国民を統治し、権力、法律、社会慣習で滅亡の衝動を制御しています。

農耕草創期の良識ある紛争裁き役が、国の誕生で王になり、時代が進むにつれて権力を集中し煩悩に囚われて民衆を支配しました。

産業革命によって生産性が飛躍的に向上し、民衆の権利を守ろうとする人民主権がルソーによって提唱され、民主主義国家が誕生しました。

民主主義国家といえども、選出された為政者が煩悩に囚われ、自由・平等・安全という公共の責務を忘れたとき、国家は自国の利益のみを追う利己的な体制へと転落し、国益の名のもとに、戦争という地獄絵を現実に描き出します。

21世紀になっても戦争が絶えることがないのは、煩悩を制御できない為政者が厳しい国難に直面したとき、支配欲・恐怖・無知といった煩悩に支配され、一部の民衆と煩悩を共鳴して国益を守るという名目で戦争を起こし、滅亡の衝動を現実化するためだと思います。

世界中の人々が人間らしく生きる衝動を具現化して人間の存在意義を達成するためには、以下に例示するような戦争抑止の具体策を常に実行しなければならないと考えます。

・民衆が為政者の言動を注意深く監視し、煩悩を制御する能力の低い人を為政者に選出しない。

・戦争は国難時に為政者の支配欲・恐怖・無知といった煩悩に民衆の煩悩が愚かにも共鳴したときに起こるということを、史実も含めて広く国民に継続的に教育する。

・大多数の民衆が、煩悩を正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きる衝動を発露して人生を楽しむ。

・煩悩をあるがままに認めたとき、他国の為政者の滅亡の衝動を抑止するための防衛力は必要である。

・民衆による国際的文化交流は為政者の煩悩を凌駕する。

戦争を抑止するには、国民が煩悩を否定せず正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きることを楽しんで人間の存在意義を達成することがベースになると考えます。

戦争は絶対悪

戦争は開戦の理由が何であろうと、一端始まると人間のベースにある自分の生命を維持しようとする生存本能が脅かされる現実が当事国民の面前に現れます。

戦争は、この驚怖が優勢な当事国になくなるまで長期化し、莫大な数の人命が失われ、甚大な物質的、文化的損失をもたらします。

2023年のハマスによるイスラエル奇襲攻撃、2022年のプーチンによるウクライナ侵攻、遡れば1941年の日本海軍による真珠湾攻撃などがもたらした人的、物的被害の大きさと、国民が被る想像し難い心身の苦痛と、核使用の驚怖を考えると、戦争は絶対に始めてはなりません。

人間は他の動物と同様に自分の生命を維持しようとする生存本能を備えています。

仲間と協力して自分の生命を守るために集団を形成します。

自分の生命を脅かすものは、例えば隣人、同国民の他集団であろうとも排除しようとするのが生存本能です。

国の存続を脅かすものは、国民の生存本能を脅かすものとなるので、開戦の動機となります。

動物は自分が深手を負うことが明らかな戦いには本能的に挑みません。

戦争は人間の動物的な生存本能の発露が原点にありますので、国の存続を防衛するために多数の民主国家が同盟を結んで軍事力を強化することは、覇権国家による開戦防止の有効な手段の一つでしょう。

しかし、軍事力で劣勢になった覇権国家が、相手に先攻される恐怖から生存本能に刺激されて開戦に踏み切る危険が残ります。

動物において生存本能の主要な対象は食と生殖です。

農地を争奪する戦争は歴史的に終焉していると考えます。

生殖は個体と個体の争いであり、集団間の争いではありません。

してみると、現代における戦争は、単なる生存本能の発露ではなく、権力集中が進んだ指導者の偏狭な或いは独善的な考えがもたらしていると考えます。

いずれの国でも大多数の民衆は、生来的に戦争を欲していませんが、指導者の考えに煽動され、あるいは相手国の脅威や自国の全体主義的圧力に生存本能を脅かされ戦争に加担させられていくのでしょう。

権力集中は、経済的、政治的に強い国家の実現に役立ちます。

反面、偏狭な或いは独善的な考えを持つ指導者、即ち独裁指向の指導者によって戦争に突入される危険があります。

戦争を阻止するのは、生来的に戦争が嫌いな大多数の国民が、独善的な強い国家になることを求めず、独裁指向の指導者が出現しないように常日頃から監視することだと考えます。

強いアメリカを求め、トランプを大統領に選出した米国民の失敗を他山の石とし、日本経済に悪い影響をあたえるとしても、パレスチナを国家として正式承認できる人を総理大臣にしたいものです。

偏狭、独善な考えは、食に影響を与えるほど経済状態が悪いときに、煽動、ポピュリズムによって国民に拡散します。

SNSやAIの普及によっても国民が煽動される危険性が増しています。

これらの事実を踏まえ、戦争の悲惨さをもっと人目にさらけ出し、人命が偏狭、独善な考えより絶対に大切であることを如何なる煽動にも惑わされることなく即答できる社会環境を維持することが必要です。

独裁指向者は、ポピュリズム、煽動を駆使して独裁体制を徐々に築いていきます。

国民が偏狭、独善な考えに煽動されていくことを防止するために、AIを使って現指導者の独裁者指数を表すプログラムが作成されることを切に願います。

宗教コンプレックスからの解放(その2)

地球環境の悪化、世界情勢の混迷、政治の貧困、貧富の差の拡大、偏差値偏重、生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などにより社会に不安と諦めが充満しています。

これは、実質賃金の失われた30年間の微減傾向、出生率の低下、若者のオンラインカジノ賭博依存症の増加、常識を逸したセクハラ・パワハラの横行、不登校の小中学校児童生徒数の増加などの社会活力の低下として表面化しています。

日々の暮らしに窮し将来が見えない人々に、自分の才能と欲求に合った「何か」を行うことが出来たとき、或いは行って感謝されたきに感じる生きる喜びを繰り返すことが人生の目的ではないでしょうかと問いかけても、うるさいお節介ととられるでしょう。

法然が浄土宗を開いた時代は、現在と同様に困窮や閉塞感が庶民社会に充満していたと思われます。

法然は、南無阿弥陀仏と称えれば誰でも極楽に往生できると説いて、如何ともし難く、声もなく尊厳を踏みにじられた人々に現世での居場所を提供したと考えます。

現代の庶民は、法然が開宗した時代より貧困でなく声を発することが出来ます。

まだ他力に頼るのではなく、より多くの庶民が自力で生きる喜びを楽しむ方策を試行錯誤するときだと思います。

人は太古の昔から必要なことを協力して実現するために役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観として共有してきました。

殺生(命を奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)の十悪行は罪になる不善な行為であるとされたお釈迦様の教えも、社会の価値観を明示したものだと考えます。

十悪行をしないことが人生の目的ではありません。

他人と共に生きる喜びを体感するために十悪行を行ってはならないのです。

冒頭で例示した社会の閉塞感の原因を取り除くためには、我々庶民が声を上げ行動を起こさなければなりません。

一部の人に任せている環境保護活動に、より多くの人々が参加することによって地球環境の悪化を防ぐことができます。

政治の貧困を解消するための第一歩は、私たち庶民一人ひとりの行動です。まずは、7月の参議院選挙に多くの庶民が参加することから始めましょう。

功罪両面あるも、その弊害は深刻である偏差値偏重については、SNS等によって社会の一つの価値観として定着されることを阻止し、創造力や非認知能力も重視する社会の価値観に庶民自ら意識改革する必要があると考えます。

生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などについては、生成AIやSNSは、自分の才能と欲求に合ったことを行うための道具として使うものであると認識することで解消すると思います。

価値観と政治体制の試行錯誤

個人や社会の価値観は政治体制と互いに影響し合い時代とともに変わることは歴史が示しています。

人は太古の昔から生存に役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観を形成してきました。

狩猟採集時代は、男性が狩猟、女性が採集で食物を得る分担があり、女性の地位も比較的高かったと思われます。

農耕時代になると、力仕事が多くなり男性の労働が増え、定住し財を蓄積相続し、家父長制が広がりました。

食物を耕作する土地を王国間で奪い合う古代文明から中世(封建社会)になると、領主が農民を支配しました。

土地を武力で奪い、守ることに高い価値がありました。

商業資本主義が発展した近世では中央集権国家が奴隷貿易や植民地支配の主導権を争いました。

産業革命後の近代は、食物の他にも様々な財が大量生産され、民主主義が普及し、帝国主義、社会主義が台頭しました。

IT、AIなどの科学技術が急速に発展した現代は、様々な政治体制を試行錯誤した後に民主体制を選択した国、民主主義を試行錯誤することを独裁体制が阻止している国、国民が強いリーダーを求めている国など異なる政治体制が混在しています。

現在、民主体制は他の政治体制より人の心地よい生存に役立つ価値観を国民に提供すると考えます。

しかしながら民主体制も試行錯誤して価値観を社会情勢や科学技術の発展に合せて更新しなければ崩壊するでしょう。

議会制民主主義共和国として誕生し、民主的なヴァイマル憲法を擁したヴァイマル共和国は、不景気、ヒトラーの巧みな演説、ナチ党のデマ、煽動などに対抗できる価値、政治を提供することが出来ず崩壊し、ヒトラーの独裁体制を誕生させました。

最近、米国では民主党政権が格差の拡大、IT技術革新などに対応した価値観に基づく政策、法整備を行うことができず、独裁的なトランプ政権を誕生させました。

民主体制で大切な価値を有する人権は、自由・平等・多様性です。

しかし、人が生存するために最も大切なものは食物です。

現民主体制も、全ての国民がひもじい思いをせずに食物を得ることができるような経済・社会改革を優先的に実施しなければ崩壊の憂き目に遭うでしょう。

「衣食立りて礼節を知る」は、生身の人間が試行錯誤して得た価値観でしょう。

試行錯誤は、課題解決のために熟慮した方策の実行の失敗を分析し、修正した方策を実行することを繰り返して課題を解決することです。

例えば、高関税が経済全体に与える影響を分析することなく性急に高関税を課すようなことは、試行錯誤ではなく、価値観における高関税の価値の優先順位を低くするだけです。

IT技術革新により情報戦略が飛躍的に有効になった現代、民主体制はデマ、煽動、ポピュリズムの標的になります。

このような前代未聞の状況下では、人権の一部を制限しても民主体制を固守できる法・制度改革を迅速かつ適切に実施することが急務であると考えます。

民間テレビへの期待

民主主義の原点である選挙において当選した米国大統領や兵庫県知事陣営がSNSで拡散した情報の正確性に疑問があるとともに、それを正すべきオールドメディアの対応不足が議論されています。

民衆は正しい情報を通してふさわしい為政者を選出することが出来ます。

また、真実が不明瞭な社会は民衆に漠とした不安感を与え、健全な科学、経済、文化の発展に悪い影響を与えます。

公共テレビ、民間テレビ、SNSは、正しい情報を民衆に提供することによって、民主主義を発展させ、平和を維持し、環境・貧困などの諸問題を解消して、民衆の日常生活を豊かにするという存在意義を有します。

民間テレビは、政治、経済、世事、国際情勢などを真実に反することなく、若干反体制視点から広域に発信することにより、民主主義社会の自由、平等、多様性を保障する意義があると考えます。

さらに、音楽、スポーツなどを人々の楽しめる形で広域に発信することで健全な文化活動を促進し民衆の日常生活を豊かにします。

SNSは誰でも手軽に身近な正しい情報を発信できるメリットがある反面、虚偽情報や発信者の価値観に染まった情報を拡散し民衆を混乱させて判断を誤らせるデメリットがあります。

民間テレビがその社会的意義をアップデートすることなく旧態依然な放映を続けていることに選挙制度延いては民主主義の危機を感じます。

フジテレビの人権問題に関する出直し記者会見は、記者会見自体もさることながら、出直し会見のために任命された新社長がSNSに対するフジテレビの社会的意義を問われて、「フジテレビのリーチはSNSより広域である。」と回答する夢のないものでした。

TBSのワイドショーでコメンテーターがSNSの偽情報をファクトチェックすることなく引用して世間の顰蹙をかいました。

他局でもコメンテーターとしての資質に疑問のある人がワイドショーで他人の意見を受け売りしている場面を散見します。

民間テレビには、SNSや公共テレビでは果たせない社会的意義を熟慮断行されることを願います。

民間テレビには、前述の社会的意義の他に、SNSで発信された影響の大きい偽情報を正す真情報をインターネット等も併用して高い信頼性の基に迅速に配信し、民衆が真実を知ることを確保する民主主義の守護神の一翼を担われることを期待します。

AIは未来に何をもたらすか

AIはタンパク質の立体構造予測、医療診断、自動運転など様々な分野で急速に活用され始め、人類に大きな幸せをもたらすでしょう。

反面、近時各国において、政治の世界、特に選挙などで民衆を煽動し感情に訴えて群衆を特定の考えに誘導する有効な手段として利用されている節があります。

人々がAIやSNSを過信することなく、自ら考えて行動することが、AIを利用して民衆を扇動しようとする政治家の出現を阻止し、延いては戦争の勃発を防いで平和をもたらすと考えます。

民主主義と選挙制度

11月5日に行われた2024年米国大統領選挙で利己主義をポピュリズムで糊塗したトランプ氏が圧勝しました。

11月11日の兵庫県知事選挙では県議会で知事の不信任決議案が全会一致で可決されて失職した斉藤元彦氏が疑惑の真偽不明の状態で当選しました。

二つの選挙で人の本性を信じた私の希望的予想は裏切られました。

自分の価値観と異なる対立集団の主張も、その構成員が抱える苦境や苦情を知り、自分も同様の苦境に立たされていると、正当なものと思われてきます。

しかし、選挙は民主主義を実現するための一つの基本手段であり、人民の「人権、自由、平等」を守った上で政治を実行する自分の代行者を選ぶ制度です。

人間は、感情が伴わないと行動せず、知性だけで行動を起こすことはないと言われています。

選挙がお祭り騒ぎのようになり、或いはSNSを駆使して人々の感情を煽動し、正常な判断力を阻害するものにすることは断じて許してはなりません。

民主主義は人民のための政治を目指し、ポピュリズムも人民第1主義を意味します。

民主主義とポピュリズムの違いは、選挙で選ばれた政治家の人格の違いにあると思います。

民主主義では政治家は真摯に人民のためを思い、ポピュリズムでは自分の利益を利己的に追求するでしょう。

ポピュリストであるヒットラーは、1929年の世界恐慌に喘ぐ議会制民主主義のヴァイマル共和国で、経済的に苦境に立つ人々を人民のためと煽動して選挙に勝利しナチス党首として首相になって権力を把握し、民主主義国家を忌まわしい独裁体制のナチスドイツ変貌しました。

人民第1主義のポピュリズムが人民のための政治を目指す民主主義を破滅させるのは奇妙なことです。

民主主義は政治家が人民のための政策を自ら考え出し人民にアピールして支持を得ようとするのに対し、ポピュリズムは対立者やその政策の欠点を人民に訴えて支持を得ようとする傾向が強い気がします。

野党はポピュリズムに陥りやすいですが、政策をしっかり提示し、人民が政策重視で選挙権を行使することが、ポピュリズムから民主主義を守るために大切なことだと思います。

トランプ氏の言動を見ていると利己的で人格的に米国大統領にふさわしいとは思えませんが、ノーベル賞受賞のために変貌することを望んでいます。

斉藤兵庫県知事の人格情報および兵庫県庁の体質に関する情報は少なく、兵庫県民が斉藤氏を再選した是非は闇の中です。

しかし、その後に発覚したPR会社による斉藤氏のSNS戦略支援に関する記事を読むと人々の感情に訴えるポピュリズムの顔が垣間見えます。

在任中は自分のためではなく、県民のために県政に邁進されることを望みます。

戦争は悪である

人間社会に戦争という病がいまだに蔓延し、世界中に感染する恐れさえあります。

戦争の病原体と対処法について多くの人が我が事として真剣に考える必要があると思います。

1932年の二人の超偉人アインシュタインとフロイトの往復書簡『ひとはなぜ戦争をするのか』に束縛され、あるいは諦観を抱かされてか、このテーマが具体的に論じられることが少ない気がします。

アインシュタインの「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」の問いに対するフロイトの答えは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」後に、「文化の発展を促せば、戦争の終焉ヘ向けて歩み出すことができる!」でした。

その7年後に第二次世界大戦が勃発し、現在もウクライナ戦争、イスラエル・ガザ戦争など止むことがありません。

文化が最も発展した国の一つと思われるアメリカの大統領候補トランプ氏の本能的欲求から発せられる対立候補に対する非難、中傷、それを無意識に熱狂的に支持する支持者を見ていると、文化とは程遠い現状にむなしさを感じます。

しかし、勇気を絞ってアインシュタインとフロイトの答えを具体化して実行する方策を各国民が考えなければならない緊急時に差し掛かっているのではないでしょうか。

各国民が戦争防止策を議論し、戦争に関して持っている、無意識下にある道徳的な規範(超自我)、本能的な欲求(イド)、両者のバランスを調整する自己意識(自我)を再認識するだけでも戦争の抑制に繋がると思います。

例えば、ロシアの侵攻に対するウクライナの応戦は、ウクライナ国民のイド(生きる、独立、自由、誇りなどの無意識下の欲求)が超自我(戦争は国民の命、生活を犠牲にするので最悪とする無意識下の規範)を超えるので、自我がやむを得ないこととしているのだと考えます。

ロシアのウクライナ侵攻については、反体制ロシア国民の自我は、プーチンのイド(権力指向、百歩譲ってロシアの防衛機制)は良識あるロシア国民の超自我に対する詭弁であり、ウクライナ侵攻は許されるものでないとしているでしょう。

米国共和党員のトランプ支持を見ていると、共和党は正しいという常日頃は無意識下にある超自我が大統領選挙中には強く意識され、共和党員の自我がトランプ候補は不道徳という超自我より共和党勝利というイドに偏向しているのだと思います。

このような非定常時にも人々の自我が一つのイドに捕らわれることなく、イドと超自我との正しいバランスのとれた判断を行えるようにするために、無意識下にある他の超自我と、それに基づくイドを認識させることが大切です。

例えば、トランプ候補が大統領になると独裁体制を築き、民主主義が危険に晒される可能性があるとの正確性の高い情報が世に出ると、多くの共和党員の自我は民主主義を守るという超自我を共和党勝利というイドより優先させるでしょう。

世界各国で戦争は国民の命、生活を犠牲にするものであり絶対に行ってはならないということを幼少時から教育して意識しやすい超自我にするとともに平和の大切さを常に訴えることによって、国民の自我が戦争指向の政策を選択することはなくなると思います。

一例として、先端技術の憲法AIを用いて社会情勢を分析し、確率の高い分析結果を公表して人々に意識させることによって、人々の自我が一つのイドに捕らわれることなく、イドと超自我とを正しく調整し、常に平和指向な判断を可能とするシステムの実現が必要です。

憲法AI支援民主主義

農耕革命以降、人類は小国家を築いて領土拡張や資源確保、差別や宗教などのために国家間で戦争を繰り返し、国威高揚を価値観のベースに据え、殆どの国で国家主義体制が取られてきました。

産業革命によって、生産性が飛躍的に向上し、働く人々の権利を守ろうとする社会 主義思想や人民主権が提唱されるようになり、民主主義国家が隆盛になりました。

しかし、現在でも民主主義国家に内在する不公平や矛盾により人民の不満は解消されていません。

因みに現在の若者、中年、老年の不満をChatGPTで調べたところ、次のようでした。

若者の不満:

経済的な不安、社会の不公平、環境問題への関心、政治への不信感

中年の不満:

キャリアと仕事の不安定さ、家族や個人生活のバランス、健康問題と生活習慣、社会的地位と自己実現、経済的な不安

老人の不満:

経済的な不安、健康と医療、孤立と社会的孤独、高齢差別や理解不足、住環境の問題

国会議員が政治資金を如何に不明瞭に収集・使用するかの方策に国会の大切な時間を浪費するのではなく、人民主権の価値観のもと国民の不満を如何に解消するかの方策に有効使用していただきたいものです。

国民の不満が許容値を超えると、民主主義が崩壊し、独裁者が台頭した史実もあります。

国民に人民主権の思想が行き渡らず、現在においても国家主義体制を継続している国も多数あります。

民主主義体制は不合理な面もあり、金もかかりますが、国民が窮地に陥って民主主義体制を否定し、中国、ロシア、北朝鮮などをほくそ笑ますことは絶対にあってはなりません。

情報革命が進み、生成AIが加速度的に実用化されている現在、憲法AI(Constitutional AI)が注目されています。

憲法AIは、最後にしたい第二次世界大戦を教訓にして作成された国連の「世界人権宣言」など人類が守るべきいくつかの指針に基づいてモデルを訓練した有益性と安全性のバランスを高めた生成AIです。

憲法の中身や運用方法に万全の注意を払う必要がありますが、憲法AIを活用して、生産性やコミュニケーションなどを大改善し、国民の経済、健康、環境、政治、自己実現、孤独などの不満を解消するとともに、戦争によらないで国際紛争を叡智で解決することができる、憲法AI支援民主主義(Constitutional AI aided Democracy)を実現したいものです。

民主主義こそ国民を守る

スウェーデンの研究所によれば、民主的な国は60の国と地域であるのに対し、非民主的な国は119の国と地域に上り、ブラジル、インド、トルコ、ハンガリーなど権威主義的な傾向を強めている国の数が、民主化に向かう国の2倍以上あると報告しています。

「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「多様性」などを尊重する民主体制が、なぜ後退するのか考えてみました。

ヒトは生存するために集団をつくる本性を備えており、集団を作る本来の目的はメンバーの命と生活を守るためだと思います。

優れたリーダーに統率された集団は、メンバーの力を結束して有益な目標を達成し強い集団となり、多数の集団を統合して国をつくりました。

国が強くなるためには強いリーダーを擁する権威主義が有効であることは、国民が同じ方向を向き目的を効率的に達成することができるからだと思います。

しかし、純粋に国民の命と生活を守るための政治を行ったと言われる堯や舜は史記に登場する伝説上の帝王であり実在しないでしょう。

権威主義体制において体制と価値観を異にする人々の命と生活を担保し国力向上にも参画できる仕組みを作ることが一つの理想ではないでしょうか。

ところが権威主義体制では国力向上や国の威信が目的になり、その達成に熱心になり過ぎて全ての国民の命と生活を守るという本来の目的を忘れてしまいます。

また、権威主義は政治的な権力が一部の指導者に集中するので独善、不正、独裁体制誕生の温床になり、ひとたび独裁体制や独裁者が利己的あるいは独善的な自分の価値観を実現するための政治を始めると国民、特に体制と価値観を異にする国民は悲惨な状態に陥ってしまいます。

ヨーロッパにおいては19世紀に個人を国王などの束縛から解放し自由を実現させる自由主義的な改革がなされ、民主主義的な思想も取り入れられて現代民主主義国家が誕生したのに対し、ロシアではニコライ一世が自由主義的革命運動を抑圧して専制君主制を継続しました。

そして、ロシア皇帝は、皇帝の権力によって国民は繁栄と栄光に導かれるという専制主義をロシア国民に信じ込ませロシア大国を統治し続けました。

プーチン独裁者はロシア大国の復活という時代錯誤な独善的な自分の価値観を実現するためにウクライナに侵攻し、ウクライナ人の多数の命と生活を奪うという暴挙を続けています。

ゼレンスキー政権はウクライナ国民の命を守り日常生活を奪還するために28万人弱のロシア兵の命を奪っていますが、国民の命と生活を守るという国の目的を達成するための行為として認められています。

国民が人権、言論、多様性を尊重し、国家権力がその国民によって選出される民主主義は、一部の指導者に国家権力が集中し、国民がそれに盲従する権威主義より国の力や威信高揚の面では効率が悪くなるでしょう。

しかし、ヒトが仲間の命と生活を守るという目的を達成するために集団を作ったという原点に立ち返って考えると、民主主義は、国民が各自の思いを実現する場を確保するという国が果たすべき本来の目的を達成するベターな体制だと思います。

ところが、民主主義の盟主であるアメリカにおいて、権威主義的なトランプ氏の影響を受ける共和党が大統領選に勝つためという利己的な理由でウクライナ支援予算の成立を妨害し、民主主義圏内の一国であるウクライナの国民をプーチンの蛮行から救うことを阻害して民主主義の弱さを露呈しています。

国民の命と生活が確実に守られた状態で、国民が個性を発揮し楽しく生きることで国の力や威信が高められる民主的な国の数が増えることを願っています。

我国は、経済格差の拡大を阻止しつつ国力を増大する経済財政改革、国民のために活動する政治家を選出するための金のかからない選挙制度改革、政治への関心が高く個性豊かな才能を育てる教育改革など民主主義の弱点を是正する施策を果敢に実施し、新しい民主制の豊かな日本を世界に示していきたいものです。