幸福になるために

丹羽宇一郎氏の著作「人生の価値は最後に決まる!」には、人間の本当の幸福は、仕事で上手くいくとか、 金持ちになるとかの物差しだけで測れるものではなく、 人生の最後に心安らかでいられることだと述べられています。

幸福とは何なのでしょうか。

心安らかな状態とは欲求が満たされている状態でしょう。

欲求には物質的なものと精神的なものがあります。

物質的な欲求は、食欲、金銭欲などで、身体を快適に維持したいと望む欲です。

精神的な欲求は、探究心、向上心、貢献欲などで、自分が成したいことを成し遂げたいと欲する心です。

人は生まれながらにして得意とする能力や生活環境を異にしており、欲求も個性に富んだものとなるのが必然です。

人生は就学期、就労期、老齢期の三つのステージに大きく区分できます。

人間は各ステージにおける身体・精神的な状態と社会的な役割が異なるので、欲求も各ステージに合ったものであるのが必然です。

このような条件を満たした各自の欲求に向かって順次目標を立て自らの力で目標達成したときに人は幸福を感じます。

就学期は学習欲が旺盛であるので、本人の興味を中心に学習欲を満足させて自ら学ぶ心を取得させることが周りに求められます。

本人が気付きにくい、人は何のためにどのように生きるかなどについても就学期に自ら学習して考えさせる環境を提供し誘導することが家庭や学校の務めです。

就労期は働いて自らが物質・精神的欲求を満たしながら社会に貢献する責任が生じます。

就労期ともなれば自分の欲求も確立してきますが、成したいことと働くために成すこととの乖離を埋める努力が必要なこともあります。

当初は成したいことと異なっていた働くために成すことも、努力による成功体験の繰り返しで成したいことに変わるでしょう。

成したいことへの思いが吹っ切れない場合は、休日に成したいことを追い求め、老齢期に熱中するとの割り切り方もあります。

老齢期は、身体・精神的に弱体化していますが、長年の経験を活かして今までできなかったが成したかったことを成したいことに設定し、これに向かって低い目標を順次立てて達成していくことに幸福を感じるのがよいと思います。

老齢期に入る実年令は個人差がありますが、老害にならないうちに成したいことを設定し直すのが幸せへの道でしょう。

自ら学ぶ楽しさ、成したい目標を達成する喜び、感謝や思いやりの心などを子供に教え、職場では成したいことを仕事上で実現し、退職後は就労期の蓄えで物質的に不安なく、やり残したことをマイペースで行える人生を成したいことの一つに設定する人が増えると日本人の幸福度も高くなるでしょう。

人間の多様性

孫からピアノの手ほどきを受けたときに教えられた五線譜に人間の多様性を再確認しました。

音は発生しては消滅し物理的に残存しません。

5本の平行線だけでは何の意味も持ちません。

人は、5線上に書かれた音部記号の書き初め位置を基準音の高さとし、心地よい音の高さを5本の平行線上に示した音符で示すことなどによって、音の芸術である音楽を作曲者の創作時の状態で時間的、空間的に離れた多くの人々の間で共有できる楽譜を創出しました。

楽譜の創出によって音楽世界の表現技術が多様かつ高度に発達し、多くの音楽家が自分の成したいことを音楽に見つけ夢を追い求めて努力しています。

楽譜で音楽の抽象化が進むと実際の楽器では演奏できない音楽を楽譜の中で奏でて楽しんでいる人があるかもしれません。

このようにヒトは基礎となる僅かな約束事の上に無限に広がる深淵な世界を次から次に創り出し、人々は自分の好きな世界の中に成したいことを見つけて楽しく生きることができるもののようです。

ヒトは物事を表現し多くの人々の間で共有できる言葉を創り、科学、文学、哲学、思想などの分野で自己実現に励んできました。

自然科学の世界では、物の量を表す数を生みだし、広くて深く未だに拡大している数学の世界を創り出し、人々は数学の世界を楽しみながら物質の世界で利用し物質的な生活の向上に役立てています。

また、9×9のマス目上での8種類の駒の動き方などを約束しただけの将棋は、知性に富んだ棋士がスーパーコンピュータまで駆り出して人生を賭けて研究する棋界を作っています。

11人に分かれた二つのチームが一つのボールを相手ゴールに蹴り入れれば得点1となるなどの僅かなルールが決められたサッカーは、世界の競技人口が約2億6,000万人と言われ、世界トップクラスのプロサッカー選手メッシの2023年の年俸は200億円弱と推定されています。

鬼滅の刃「無限列車編」が公開2週目にして全米週末興行ランキング1位を獲得するほど世界で人気の高い日本のアニメーションは、作成者が理想とする生き様を疑似の世界でキャラクターに投影し、鑑賞者がキャラクターの感動的な生き方に共感し勇気づけられるのでしょう。

個性に多様性を秘めたヒトは、多様性をそれぞれ発揮して生きる喜びを享受するために様々な世界を作ってきたように思います。

昨今、民主主義国家では弱者救済あるいは倫理上の観点から多様性を尊重することが求められていますが、多様性は生きる世界を次々に創るヒトの本質のように思います。

全く多様性がなく変化しない「存在」は「無」と同じです。

人は自分に適した世界で独自性を発揮して生きる喜び実感し、「無」に対峙する「存在」を多様性のある変化で具現化するものである気がします。

多様な価値を認め自分の価値を大切に生きる

宮崎駿監督の新作アニメ「君たちはどう生きるか」を鑑賞して、矛盾や不条理に満ちた現世を肯定し、個人の二律背反する多様な価値のバランスを取って他人と共に平和に生きる大切さを共感することが出来ました。

二律背反する価値の選択は、例えば漱石の草枕の書き出し「智に働けば角が立つ情に棹させば流される」とあるように人生の節々で知恵を絞ってバランスよく案配しなければならない古くて新しいテーマのように思います。

アニメは、「理想」を求めすぎることなく「人の弱さや現世欲」も認め他人と協力し誇りを持って幸せに生きてくださいと語りかけている気がしました。

価値の選択において「目的を達成するための手段の価値」を「目的の価値」より高くしてしまって不幸に陥ることが多々起こっています。

例えば技を習得するために「競争に勝つ」ことが「技を習得する」ことより大切になると、競争に勝って全てを失う日大のアメフト部のような不幸を招きます。

「国民が幸せになる」ための「強い国家」の価値を高くし過ぎると、ロシアのウクライナ侵攻のように両国民から日々の幸せを奪い悲惨な生活を強いることになります。

ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃が、「他者への慈愛を説くユダヤ教」に潜在する選民思想をネタニヤフ首相にまざまざと彷彿させ、パレスチナ・ガザ地区からハマス延いてはイスラム教徒を排斥するために、ガザ地区のパレスチナ人民を殺戮し悲惨な状態に陥れる暴挙を行わせている気がします。

首都圏では中学入試が常軌を逸して過酷なようですが、入試に合格するためのテクニックを磨くことに専念させ過ぎると、自分の成したいことを実現するために必要な基礎知識を主体的に学べる実行力に富んだ若者の育成は不可能となるでしょう。

自分の価値観を強い意思で実現することは大きな生きる喜びでありますが、他人の価値観にも謙虚に耳を傾けることを怠ると現世を広く知る機会を失い、あるいは他人の尊厳を傷つけて大切な交友を失う羽目になります。

また、人生の目的を大志として具体的に設定し、その達成に向かって努力することは充実した日々を過ごすうえで有効でしょう。

しかし、大志を例えば「ノーベル賞を受賞する」などと具体的に高く設定し過ぎると、多くの人は年齢を重ねるうちに現実とのギャップから大志を忘れ去り、人生を漫然と送ってしまうことに繋がりかねません。

大志を例えば「多くの人に役に立てる学者になる」などとして曖昧さを残しておくと、大志を達成するための手段を目標として自分の成長段階に合わせて順次設定し、大志を忘れることなく目標達成を楽しみながら充実した人生を送れるような気がします。

民主主義こそ国民を守る

スウェーデンの研究所によれば、民主的な国は60の国と地域であるのに対し、非民主的な国は119の国と地域に上り、ブラジル、インド、トルコ、ハンガリーなど権威主義的な傾向を強めている国の数が、民主化に向かう国の2倍以上あると報告しています。

「公正な選挙」「基本的人権の尊重」「言論の自由」「多様性」などを尊重する民主体制が、なぜ後退するのか考えてみました。

ヒトは生存するために集団をつくる本性を備えており、集団を作る本来の目的はメンバーの命と生活を守るためだと思います。

優れたリーダーに統率された集団は、メンバーの力を結束して有益な目標を達成し強い集団となり、多数の集団を統合して国をつくりました。

国が強くなるためには強いリーダーを擁する権威主義が有効であることは、国民が同じ方向を向き目的を効率的に達成することができるからだと思います。

しかし、純粋に国民の命と生活を守るための政治を行ったと言われる堯や舜は史記に登場する伝説上の帝王であり実在しないでしょう。

権威主義体制において体制と価値観を異にする人々の命と生活を担保し国力向上にも参画できる仕組みを作ることが一つの理想ではないでしょうか。

ところが権威主義体制では国力向上や国の威信が目的になり、その達成に熱心になり過ぎて全ての国民の命と生活を守るという本来の目的を忘れてしまいます。

また、権威主義は政治的な権力が一部の指導者に集中するので独善、不正、独裁体制誕生の温床になり、ひとたび独裁体制や独裁者が利己的あるいは独善的な自分の価値観を実現するための政治を始めると国民、特に体制と価値観を異にする国民は悲惨な状態に陥ってしまいます。

ヨーロッパにおいては19世紀に個人を国王などの束縛から解放し自由を実現させる自由主義的な改革がなされ、民主主義的な思想も取り入れられて現代民主主義国家が誕生したのに対し、ロシアではニコライ一世が自由主義的革命運動を抑圧して専制君主制を継続しました。

そして、ロシア皇帝は、皇帝の権力によって国民は繁栄と栄光に導かれるという専制主義をロシア国民に信じ込ませロシア大国を統治し続けました。

プーチン独裁者はロシア大国の復活という時代錯誤な独善的な自分の価値観を実現するためにウクライナに侵攻し、ウクライナ人の多数の命と生活を奪うという暴挙を続けています。

ゼレンスキー政権はウクライナ国民の命を守り日常生活を奪還するために28万人弱のロシア兵の命を奪っていますが、国民の命と生活を守るという国の目的を達成するための行為として認められています。

国民が人権、言論、多様性を尊重し、国家権力がその国民によって選出される民主主義は、一部の指導者に国家権力が集中し、国民がそれに盲従する権威主義より国の力や威信高揚の面では効率が悪くなるでしょう。

しかし、ヒトが仲間の命と生活を守るという目的を達成するために集団を作ったという原点に立ち返って考えると、民主主義は、国民が各自の思いを実現する場を確保するという国が果たすべき本来の目的を達成するベターな体制だと思います。

ところが、民主主義の盟主であるアメリカにおいて、権威主義的なトランプ氏の影響を受ける共和党が大統領選に勝つためという利己的な理由でウクライナ支援予算の成立を妨害し、民主主義圏内の一国であるウクライナの国民をプーチンの蛮行から救うことを阻害して民主主義の弱さを露呈しています。

国民の命と生活が確実に守られた状態で、国民が個性を発揮し楽しく生きることで国の力や威信が高められる民主的な国の数が増えることを願っています。

我国は、経済格差の拡大を阻止しつつ国力を増大する経済財政改革、国民のために活動する政治家を選出するための金のかからない選挙制度改革、政治への関心が高く個性豊かな才能を育てる教育改革など民主主義の弱点を是正する施策を果敢に実施し、新しい民主制の豊かな日本を世界に示していきたいものです。

市民の行動力が指導者層の独善を防ぐ

大統領は在任中の行為で起訴されないという免責特権があったのでトルーマン元大統領は原爆投下に踏み切り第2次大戦を終結させたとの詭弁で、トランプ氏は大統領特権で自身が起訴されている議会襲撃事件について起訴されるべきでないと主張しています。

トランプ氏が自分の大統領再選欲のみから画策した独裁志向行動と、善し悪しは別として戦時下で国益を求めて出したトルーマンの決断とを同列扱いする稚拙で厚顔無垢な人格に唖然とし、トランプ氏に依存する極めて独善的な岩盤支持層の存在に不安を感じます。

独裁志向は傲慢がもたらす利己的な強欲であり、独裁者の待望は人民の嫉妬・憤怒がもたらす依存心という怠惰であり、人類が歴史的に繰り返してきた大罪です。

人の才能・容姿・生い立ちなどは千差万別で、如何ともしがたく、人生の成功・不成功、幸福・不幸は一つの物差しで計れるものでなく、計るべきものではないでしょう。

しかし、自分の天性に適した各自の大望にむかって目標を順次立て、知力と身体と感情の総合力で目標を達成するために行動し、目標達成の喜びを楽しみながら生きているか否かは、人生の幸せ、成功を計る万人共通の尺度だと思います。

この尺度を帰納法的に証明している成功者の一人が、高校1年生のときに作った目標達成シートに従って目標を順次立て実行して野球人生を楽しみながら成功している大谷翔平選手だと思います。

スヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」も生まれ持った才能・容姿・生い立ちを受け入れ努力して幸せを勝ち得た様々な成功者の経験談でしょう。

これから言えることは、国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動できる場を提供することが国を作る目的だと思います。

ところが昨今、指導者層の腐敗あるいは独裁に支配される国が増え、自分の目標を行動力で達成して喜びを感じる健全な市民の権利を脅かし蹂躙しています。

「魚は頭から腐る。」という諺がありますが、魚には頭を支える五臓六腑があります。腐った頭を作るのは五臓六腑です。腐った指導者層がその独善的な欲望の実現に市民を利用する国が増えているのは、国の五臓六腑である市民のなかに、特に怠惰という大罪を冒し、自ら考えて行動することを放棄し他人に依存して欲を満たそうとする腐敗部分が増えているからではないでしょうか。

より多くの健全な市民が他人に任せることなく自らの考えを新鮮な血液として世の中に発信し行動に移し続けることが、多様性を尊重する大きな世論を新鮮な血流として国全体に循環させ市民の腐った部分を治癒するとともに指導者層の腐敗や独裁を防止することになると考えます。

市民による市民のための政府

現在、市民が幸せな日常生活を営む社会を築くための市民による政府が世界各国で後退しているのは何故でしょうか。

南北戦争を開戦したリンカーン大統領は、「人民の、人民による、人民のための政府は不滅である。」と戦中の1863年に演説し、アメリカ合衆国が拠って立つ自由と平等の原則を表現しました。

市民のための政府の後退は、「市民による」の弱体化に起因するところが大きいような気がします。

福沢諭吉は、1872年の「学問のすすめ」で「身も独立し、家も独立し、天下国家も独立するために、誰もが人間普通日用に近き実学を学ぶべきである。」と述べています。

市民が農業、工業、商業などの実学をしっかり学ぶと、各人が独立し、家庭も安定し、よい政治家を選出することができ、市民のための政府を築くことができると解釈しました。

しかし、日本において与党の自民党は、市民の生活苦を解消するどころか、パーティー券を巡る裏金問題で立証の可否はさておき実質的な法律違反を定常化してきました。

多くの日本市民が実学を机上で学ぶだけで、内在する個の原点である独立心を肌で学ぶことを怠ってきたせいでしょうか、同質性と現状維持を望み大勢に従って選んできた政治家が市民のためではなく、自分と利害を同じくする小集団のための政治を行ってきたことの帰結のような気がします。

アメリカにおいては、独裁志向のトランプ氏が本年大統領選挙の共和党候補に有力視されています。

世論力学(オピニオンダイナミクス)理論の第一人者である高知工科大学の全卓樹教授とフランス・国立科学研究センターのセルジュ・ガラム博士が2020年に共同で発表した論文によると、自分の意見を譲らない「確信者」と、他人の意見に影響を受ける「浮動票者」を想定し、集団全体の意見の変遷を数値の変化で捉えるシミュレーションにおいて、確信者の数を25~30%超まで増やした途端に浮動票者全員が確信者の意見に転じたとのことです。

共和党のトランプ岩盤支持層の間でこのような現象が起きていると想像します。共和党全体に伝染しないことを祈ります。

イスラエルにおいても、汚職で退陣したネタ二ヤフ氏が、岩盤支持党であるリクードを中心とする連立で首相に再選されました。

パレスチナとの和平交渉の決裂、衝突や暴力の応酬が続くなか、支持率が25%程度であったリクードの意見が独裁色の濃いエタニヤフ政権を誕生させ、市民のためではなくシオニズム集団のための戦争を過剰に激化継続させています。

ロシア、中国、北朝鮮などの独裁体制国家では、市民のためではなく独裁者の野望のための政治が行われています。

市民が育っておらず抑圧されている独裁国家では、市民の政府を擁する国家群による制裁、独裁政権の失策・内紛、独裁者の死亡などによる体制の弱体化に応じて市民が蜂起するのを待つしか他に良い方法はないのでしょうか。

独裁国家が滅びることを望みますが、滅亡後に市民に実学を学ばせ独立心を植え付ける社会を提供する責任が滅亡させた国家群にあることを、ソ連崩壊後のロシアでロシア市民が困窮し独裁者プーチンを誕生させた史実を肝に銘じておく必要はあると思います。

生成AIにかける夢

チャットGPTがオープンAIによって昨年リリースされて以来、米国では生成AIブームが起こり、マイクロソフト、アルファベット、グーグル等が開発、利用を強力に牽引しています。

日本では今秋の経済対策に生成AIの開発や利用支援策が盛り込まれました。

反面、AIの安全性に関する非営利団体であるセンター・オブ・AIセーフティー(CAIS)が、「AIによる人類絶滅のリスクを低減することを世界的な優先事項とするべきだ。」とする声明文をブログに掲載し、オープンAIのサム・アルトマンCEO、グーグル・ディープマインドのデミス・ハッサビスCEO、AIの先駆者であるジェフリー・ヒントン博士やヨシュア・ベンジオ教授など600名の主要なAI研究者と著名人がこれに署名しています。

質量とエネルギーの等価性を証明し原子エネルギーの開発に貢献したアインシュタインが、原子爆弾の恐ろしさ予知しながらも、敵国ナチスドイツの原爆開発を空想してルーズベルト大統領に早期開発を提言した史実を教訓に、生成AIの開発、利用と並行してAIの危険性対策を講じておく必要があると考えます。

CAISの声明文では、AIの兵器化、AIによる偽情報の拡散、AIによる権力の集中、人類のAI依存による衰退などを警告しています。

AIによる兵器の製造禁止、偽情報の拡散防止、生成物の著作権問題などについては信頼性の高い早急な法整備や啓蒙活動が望まれます。

人間は自分の意見をかなり強く持っている人でも、多数意見、繰り返される意見、信頼する者の意見に徐々に感化されます。

従って、長年使っている生成AIのアルゴリズムに偏向した価値観が組み込まれていると多くの使用者がその価値観に染まっていき、権力の集中に繋がることもあり得るでしょう。

また、生成AIは学習データから一見新しいコンテンツを生成しますが、学習データは既存対象をデータ化したものであるので、極めて長い期間で見ると生成AIのコンテンツは多様性を失っていくと考えます。

多くの人がAIに依存し自ら思考しなくなると、人類は多様性、延いては生き甲斐を喪失し滅亡してしまう恐れがあります。

人間は身体と知力と感情を備えています。

身体について、人間は自動車等の機械に馬力で負けましたが、身体と知力と感情を使うスポーツ等で自ら技術アップしていく面白さを体感し、機械に依存し過ぎることなく共存しています。

知力について、人間が感情を移入して創作した創作物といえども何か過去のものがベースにあります。

過去の多数のデータに基づいて生成された生成AIのコンテンツに鑑賞者が何らかの感情を感じることもあるでしょう。

このことで人間の創作物とAIのコンテンツは同じと言えるでしょうか。

創作は創作者がその時の思いを創作物に移入して表現する創作者側の行為であり、創作という行為および創作物の出来映えにもっと上手くなりたいという夢を追いかけているのだと思います。

人間は知力の一部で生成AIに負けましたが、知力と身体と感情の総合力で様々な夢を追いながら人生を楽しみ続けるでしょう。

このように人類はAIを道具として利用し、人間にふさわしい生き甲斐を見つけて生存する生命力、存続しなければならない使命を持つものだと思います。

日本では、AIの開発や利用支援策を経済対策に盛り込み、NEC、富士通、NTTなどが開発を推進しています。

欧米ではAIの規制法案の検討が強力な開発、利用と同時進行しています。

日本でも生成AIの弊害をミニマイズするための法整備、啓蒙活動を利用支援策に入れて推進されることを願います。

原子力を利用して原爆をつくり、6千個弱の核弾頭を時代錯誤な独裁者の手に委ねている愚かを繰り返さないように、生成AIの危険性排除対策を遅れなく講じつつ、生成AIを活用して貧困、病気、環境問題、3K労働などを解消し、人間が文化活動を謳歌できる社会の実現を楽しみにしています。

幸せな生き方

最近、将棋の世界に21歳の藤井聡太八冠が誕生し、将棋の本質を極めるよう努力し皆様に楽しんでいただける将棋を指したいと語っていました。

スポーツ界では、大谷翔平、三苫薫選手など多くのスポーツ選手が幼い頃から野球、サッカーなどに打ち込み努力して世界の舞台で活躍し人々に楽しみを与えています。

このように若くして自分の才能を生かして成功している人が多くいますが、一市民として幸せな生活を送っていると実感している人も大勢います。

また、幸せとは程遠く戦争、病、飢饉、天災などで地獄のような生活を強いられている多くの人がいます。

ところで、「幸せな生き方」はどのようなものでしょう。

幸福度が高くみえる人々の考え方、教育、仕事のやり方などの情報を収集し、共通する事項が「幸せな生き方」だと帰納法的に探ってみました。

帰納法は、できるだけ多くの実例を挙げてその共通事項を導き出し、共通事項が普遍的な法則であるとする確立した論理的な思考法です。

AIも多くの実例から回答を見つけ出す場合は帰納法と同じであると考え、chatGPTで「幸せな生き方」を質問してみました。

しかし、現時点でのchatGPTの回答は、いくつかのブログの内容を集約したもので帰納法になりませんでしたが、末尾に参考までに添付します。

多くの実例として、世に出た成功者や一般市民の幸せ者は、自分が成したいことを達成し回りの人に喜んでもらっています。

幸せな生き方を実践した果報でしょう。

ところが、成したいことが見つからない人、目標を達成しても他人に喜んでもらえない人、才能を出し切れていない人など幸せな生き方が分かっていても実践できてない人もたくさんいます。

これらの人々は、自分のしたいことに熱中したときには何らかの満足感がえられる事実、多種多様な何れの仕事人がいなくなっても社会が回わらなくなる現実などから帰納法で導いた法則に従って、役に立たないと思われる目標でも熱中すれば幸せな生き方ができることに気づくと思います。

やむなく、戦争、病、飢饉、天災などで生きる意味を見失った人にとって、念仏を唱えるだけで成仏できる親鸞の教えは救いになるでしょう。

念仏を唱えるだけにはなりたくないと、人間は戦争、病、飢饉、天災など諸悪の根源の撲滅に努力してしますが、目標達成に程遠い現状です。

昨今、あるまじきことながら為政者が諸悪の根源になっているケースが多発しています。

このような人類存亡の危機的状況下において多くの幸せ者が、偏狭な思想、卑近な利害や感情、恐怖に捕らわれることなく、利己心を捨てて諸悪の根源の撲滅に一致団結して積極的に行動しなければならないときだと思います。

因みにchatGPTの「幸せな生き方」に対する回答は次のようでした。

「生きる目的を見つけることは、人生において重要な課題の一つです。幸せな生き方を実現するためには、自分自身の目的や意義を明確にすることが重要です。

まず、人生の目的とは自分がどうありたいのか、どんな人として生きたいのかということです。自分の人生における目標や価値観を考えてみましょう。

また、他人と比較して自分の人生の目的を見つける必要はありません。人それぞれ異なる生き方がありますので、自分に合った目的を見つけることが大切です。

生きる目的を見つけるためには、以下の方法が役立つでしょう。

1. 自己分析をする:自分の強みや価値観、興味関心などを考えることで、自分自身の特徴や目指すべき方向性が見えてきます。

2. 目標を設定する:長期的な目標や短期的な目標を設定し、それに向かって行動することで、自分の人生の目的を明確にすることができます。

3. 周りの人との関わり方を意識する:人間関係を大切にし、他人との協力や助け合いを通じて自己成長を促進することも、幸せな生き方への道につながるでしょう。

人生の目的は人それぞれ異なりますので、焦らずに自分自身と向き合い、自分にとって意味のある目的を見つけましょう。幸せな生き方を実現するためには、自分が望む人生を設計し、実現することが重要です。頑張ってください!」

創造主の一器官としてのヒト

ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。

ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。

・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力

目標を現実化する実行力。

・自己制御可能な持続する欲望。

・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。

・現象を分析、解明する論理的思考力。

創造主の意思に沿った倫理観。

・欲するものを創り出す創造力。

目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。

創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。

目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。

大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。

数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。

立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。

この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。

ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。

創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。

ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。

他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。

侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。

戦争を抑止する価値観の多様性

NHKのドキュメンタリー番組 プロフェッショナル 仕事の流儀で、 殺到するグランメゾンの料理人たちの中心で魚をさばいていた、静岡県焼津市にある一見普通の魚屋さんが、魚の味について哲学的な美味しさではなく、各個人が体で感じる美味しさを追い求めていきたいと言っていました。

食通の求めるそれぞれの味を引き出せる魚を届けて堪能してもらうのが嬉しいのだと理解しました。

新鮮な魚を客に届けるために実直に働く年老いた父親の姿が、喧嘩っ早い息子の心の葛藤を、魚屋の情熱に刷新したのでしょうか。

人は、天賦の才能、育った環境、受けた教育、接した人々などの影響を受けながら、自分のものの見方、好き嫌い、延いては価値観を手探りしながら形成します。

自分の価値観を持てた人は、その価値観に合致した目標を達成することによって充実感に満たされ生きる喜びを体感することができます。

しかし、自分の価値観の不確実性ゆえに親や世間の価値観を刷り込まれてしまった人は、自分にマッチしない価値観に基づく目標を達成したとしても、その喜びは希薄なものとなり満足感を心の底から実感することができないでしょう。

また、生きることは存在することであり、高い能力を持つ人間は、他人からその存在を認めて欲しいという欲求を生まれながら備えていると思います。

社会や他人の役に立つこと、協力してことを成すことに喜びを感じる価値観はこの欲求から派生すると考えます。

ところで、8月6日、9日の原爆の日に、被爆の惨状や核抑止力の危うさを知りながら核兵器廃絶の後退が無力感を込めて語られていました。

8月15日の終戦記念日に戦争の不条理、悲惨さを知りながら何故未だに根絶できないか議論されていました。

日本は、原爆の日を被害者の立場で語り、終戦記念日を加害者の立場で語るのではなく、独善的な価値観を持った独裁者層の出現、その価値観の国民への浸透、近視眼的になされる開戦の決断、終戦の難しさと被爆の惨状という、人が知能を持つが故に呪縛される戦争から解放されるための一連の教訓として反面教師的に提供することを考えてもよいのではないでしょうか。

国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動することで生きる喜びに満たされた国が自ら開戦を宣言することはないでしょう。

貴重な経験をした日本は、国民が多様な価値観を尊重し、それぞれの生き甲斐が他人から認められる喜びに満ちた社会を築いて世界に示すことによって、戦争の愚かさを強くアピールして戦争を抑止できるのではないでしょうか。