市民の行動力が指導者層の独善を防ぐ

大統領は在任中の行為で起訴されないという免責特権があったのでトルーマン元大統領は原爆投下に踏み切り第2次大戦を終結させたとの詭弁で、トランプ氏は大統領特権で自身が起訴されている議会襲撃事件について起訴されるべきでないと主張しています。

トランプ氏が自分の大統領再選欲のみから画策した独裁志向行動と、善し悪しは別として戦時下で国益を求めて出したトルーマンの決断とを同列扱いする稚拙で厚顔無垢な人格に唖然とし、トランプ氏に依存する極めて独善的な岩盤支持層の存在に不安を感じます。

独裁志向は傲慢がもたらす利己的な強欲であり、独裁者の待望は人民の嫉妬・憤怒がもたらす依存心という怠惰であり、人類が歴史的に繰り返してきた大罪です。

人の才能・容姿・生い立ちなどは千差万別で、如何ともしがたく、人生の成功・不成功、幸福・不幸は一つの物差しで計れるものでなく、計るべきものではないでしょう。

しかし、自分の天性に適した各自の大望にむかって目標を順次立て、知力と身体と感情の総合力で目標を達成するために行動し、目標達成の喜びを楽しみながら生きているか否かは、人生の幸せ、成功を計る万人共通の尺度だと思います。

この尺度を帰納法的に証明している成功者の一人が、高校1年生のときに作った目標達成シートに従って目標を順次立て実行して野球人生を楽しみながら成功している大谷翔平選手だと思います。

スヌーピーの名言「配られたカードで勝負するしかないのさ」も生まれ持った才能・容姿・生い立ちを受け入れ努力して幸せを勝ち得た様々な成功者の経験談でしょう。

これから言えることは、国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動できる場を提供することが国を作る目的だと思います。

ところが昨今、指導者層の腐敗あるいは独裁に支配される国が増え、自分の目標を行動力で達成して喜びを感じる健全な市民の権利を脅かし蹂躙しています。

「魚は頭から腐る。」という諺がありますが、魚には頭を支える五臓六腑があります。腐った頭を作るのは五臓六腑です。腐った指導者層がその独善的な欲望の実現に市民を利用する国が増えているのは、国の五臓六腑である市民のなかに、特に怠惰という大罪を冒し、自ら考えて行動することを放棄し他人に依存して欲を満たそうとする腐敗部分が増えているからではないでしょうか。

より多くの健全な市民が他人に任せることなく自らの考えを新鮮な血液として世の中に発信し行動に移し続けることが、多様性を尊重する大きな世論を新鮮な血流として国全体に循環させ市民の腐った部分を治癒するとともに指導者層の腐敗や独裁を防止することになると考えます。

市民による市民のための政府

現在、市民が幸せな日常生活を営む社会を築くための市民による政府が世界各国で後退しているのは何故でしょうか。

南北戦争を開戦したリンカーン大統領は、「人民の、人民による、人民のための政府は不滅である。」と戦中の1863年に演説し、アメリカ合衆国が拠って立つ自由と平等の原則を表現しました。

市民のための政府の後退は、「市民による」の弱体化に起因するところが大きいような気がします。

福沢諭吉は、1872年の「学問のすすめ」で「身も独立し、家も独立し、天下国家も独立するために、誰もが人間普通日用に近き実学を学ぶべきである。」と述べています。

市民が農業、工業、商業などの実学をしっかり学ぶと、各人が独立し、家庭も安定し、よい政治家を選出することができ、市民のための政府を築くことができると解釈しました。

しかし、日本において与党の自民党は、市民の生活苦を解消するどころか、パーティー券を巡る裏金問題で立証の可否はさておき実質的な法律違反を定常化してきました。

多くの日本市民が実学を机上で学ぶだけで、内在する個の原点である独立心を肌で学ぶことを怠ってきたせいでしょうか、同質性と現状維持を望み大勢に従って選んできた政治家が市民のためではなく、自分と利害を同じくする小集団のための政治を行ってきたことの帰結のような気がします。

アメリカにおいては、独裁志向のトランプ氏が本年大統領選挙の共和党候補に有力視されています。

世論力学(オピニオンダイナミクス)理論の第一人者である高知工科大学の全卓樹教授とフランス・国立科学研究センターのセルジュ・ガラム博士が2020年に共同で発表した論文によると、自分の意見を譲らない「確信者」と、他人の意見に影響を受ける「浮動票者」を想定し、集団全体の意見の変遷を数値の変化で捉えるシミュレーションにおいて、確信者の数を25~30%超まで増やした途端に浮動票者全員が確信者の意見に転じたとのことです。

共和党のトランプ岩盤支持層の間でこのような現象が起きていると想像します。共和党全体に伝染しないことを祈ります。

イスラエルにおいても、汚職で退陣したネタ二ヤフ氏が、岩盤支持党であるリクードを中心とする連立で首相に再選されました。

パレスチナとの和平交渉の決裂、衝突や暴力の応酬が続くなか、支持率が25%程度であったリクードの意見が独裁色の濃いエタニヤフ政権を誕生させ、市民のためではなくシオニズム集団のための戦争を過剰に激化継続させています。

ロシア、中国、北朝鮮などの独裁体制国家では、市民のためではなく独裁者の野望のための政治が行われています。

市民が育っておらず抑圧されている独裁国家では、市民の政府を擁する国家群による制裁、独裁政権の失策・内紛、独裁者の死亡などによる体制の弱体化に応じて市民が蜂起するのを待つしか他に良い方法はないのでしょうか。

独裁国家が滅びることを望みますが、滅亡後に市民に実学を学ばせ独立心を植え付ける社会を提供する責任が滅亡させた国家群にあることを、ソ連崩壊後のロシアでロシア市民が困窮し独裁者プーチンを誕生させた史実を肝に銘じておく必要はあると思います。

生成AIにかける夢

チャットGPTがオープンAIによって昨年リリースされて以来、米国では生成AIブームが起こり、マイクロソフト、アルファベット、グーグル等が開発、利用を強力に牽引しています。

日本では今秋の経済対策に生成AIの開発や利用支援策が盛り込まれました。

反面、AIの安全性に関する非営利団体であるセンター・オブ・AIセーフティー(CAIS)が、「AIによる人類絶滅のリスクを低減することを世界的な優先事項とするべきだ。」とする声明文をブログに掲載し、オープンAIのサム・アルトマンCEO、グーグル・ディープマインドのデミス・ハッサビスCEO、AIの先駆者であるジェフリー・ヒントン博士やヨシュア・ベンジオ教授など600名の主要なAI研究者と著名人がこれに署名しています。

質量とエネルギーの等価性を証明し原子エネルギーの開発に貢献したアインシュタインが、原子爆弾の恐ろしさ予知しながらも、敵国ナチスドイツの原爆開発を空想してルーズベルト大統領に早期開発を提言した史実を教訓に、生成AIの開発、利用と並行してAIの危険性対策を講じておく必要があると考えます。

CAISの声明文では、AIの兵器化、AIによる偽情報の拡散、AIによる権力の集中、人類のAI依存による衰退などを警告しています。

AIによる兵器の製造禁止、偽情報の拡散防止、生成物の著作権問題などについては信頼性の高い早急な法整備や啓蒙活動が望まれます。

人間は自分の意見をかなり強く持っている人でも、多数意見、繰り返される意見、信頼する者の意見に徐々に感化されます。

従って、長年使っている生成AIのアルゴリズムに偏向した価値観が組み込まれていると多くの使用者がその価値観に染まっていき、権力の集中に繋がることもあり得るでしょう。

また、生成AIは学習データから一見新しいコンテンツを生成しますが、学習データは既存対象をデータ化したものであるので、極めて長い期間で見ると生成AIのコンテンツは多様性を失っていくと考えます。

多くの人がAIに依存し自ら思考しなくなると、人類は多様性、延いては生き甲斐を喪失し滅亡してしまう恐れがあります。

人間は身体と知力と感情を備えています。

身体について、人間は自動車等の機械に馬力で負けましたが、身体と知力と感情を使うスポーツ等で自ら技術アップしていく面白さを体感し、機械に依存し過ぎることなく共存しています。

知力について、人間が感情を移入して創作した創作物といえども何か過去のものがベースにあります。

過去の多数のデータに基づいて生成された生成AIのコンテンツに鑑賞者が何らかの感情を感じることもあるでしょう。

このことで人間の創作物とAIのコンテンツは同じと言えるでしょうか。

創作は創作者がその時の思いを創作物に移入して表現する創作者側の行為であり、創作という行為および創作物の出来映えにもっと上手くなりたいという夢を追いかけているのだと思います。

人間は知力の一部で生成AIに負けましたが、知力と身体と感情の総合力で様々な夢を追いながら人生を楽しみ続けるでしょう。

このように人類はAIを道具として利用し、人間にふさわしい生き甲斐を見つけて生存する生命力、存続しなければならない使命を持つものだと思います。

日本では、AIの開発や利用支援策を経済対策に盛り込み、NEC、富士通、NTTなどが開発を推進しています。

欧米ではAIの規制法案の検討が強力な開発、利用と同時進行しています。

日本でも生成AIの弊害をミニマイズするための法整備、啓蒙活動を利用支援策に入れて推進されることを願います。

原子力を利用して原爆をつくり、6千個弱の核弾頭を時代錯誤な独裁者の手に委ねている愚かを繰り返さないように、生成AIの危険性排除対策を遅れなく講じつつ、生成AIを活用して貧困、病気、環境問題、3K労働などを解消し、人間が文化活動を謳歌できる社会の実現を楽しみにしています。

幸せな生き方

最近、将棋の世界に21歳の藤井聡太八冠が誕生し、将棋の本質を極めるよう努力し皆様に楽しんでいただける将棋を指したいと語っていました。

スポーツ界では、大谷翔平、三苫薫選手など多くのスポーツ選手が幼い頃から野球、サッカーなどに打ち込み努力して世界の舞台で活躍し人々に楽しみを与えています。

このように若くして自分の才能を生かして成功している人が多くいますが、一市民として幸せな生活を送っていると実感している人も大勢います。

また、幸せとは程遠く戦争、病、飢饉、天災などで地獄のような生活を強いられている多くの人がいます。

ところで、「幸せな生き方」はどのようなものでしょう。

幸福度が高くみえる人々の考え方、教育、仕事のやり方などの情報を収集し、共通する事項が「幸せな生き方」だと帰納法的に探ってみました。

帰納法は、できるだけ多くの実例を挙げてその共通事項を導き出し、共通事項が普遍的な法則であるとする確立した論理的な思考法です。

AIも多くの実例から回答を見つけ出す場合は帰納法と同じであると考え、chatGPTで「幸せな生き方」を質問してみました。

しかし、現時点でのchatGPTの回答は、いくつかのブログの内容を集約したもので帰納法になりませんでしたが、末尾に参考までに添付します。

多くの実例として、世に出た成功者や一般市民の幸せ者は、自分が成したいことを達成し回りの人に喜んでもらっています。

幸せな生き方を実践した果報でしょう。

ところが、成したいことが見つからない人、目標を達成しても他人に喜んでもらえない人、才能を出し切れていない人など幸せな生き方が分かっていても実践できてない人もたくさんいます。

これらの人々は、自分のしたいことに熱中したときには何らかの満足感がえられる事実、多種多様な何れの仕事人がいなくなっても社会が回わらなくなる現実などから帰納法で導いた法則に従って、役に立たないと思われる目標でも熱中すれば幸せな生き方ができることに気づくと思います。

やむなく、戦争、病、飢饉、天災などで生きる意味を見失った人にとって、念仏を唱えるだけで成仏できる親鸞の教えは救いになるでしょう。

念仏を唱えるだけにはなりたくないと、人間は戦争、病、飢饉、天災など諸悪の根源の撲滅に努力してしますが、目標達成に程遠い現状です。

昨今、あるまじきことながら為政者が諸悪の根源になっているケースが多発しています。

このような人類存亡の危機的状況下において多くの幸せ者が、偏狭な思想、卑近な利害や感情、恐怖に捕らわれることなく、利己心を捨てて諸悪の根源の撲滅に一致団結して積極的に行動しなければならないときだと思います。

因みにchatGPTの「幸せな生き方」に対する回答は次のようでした。

「生きる目的を見つけることは、人生において重要な課題の一つです。幸せな生き方を実現するためには、自分自身の目的や意義を明確にすることが重要です。

まず、人生の目的とは自分がどうありたいのか、どんな人として生きたいのかということです。自分の人生における目標や価値観を考えてみましょう。

また、他人と比較して自分の人生の目的を見つける必要はありません。人それぞれ異なる生き方がありますので、自分に合った目的を見つけることが大切です。

生きる目的を見つけるためには、以下の方法が役立つでしょう。

1. 自己分析をする:自分の強みや価値観、興味関心などを考えることで、自分自身の特徴や目指すべき方向性が見えてきます。

2. 目標を設定する:長期的な目標や短期的な目標を設定し、それに向かって行動することで、自分の人生の目的を明確にすることができます。

3. 周りの人との関わり方を意識する:人間関係を大切にし、他人との協力や助け合いを通じて自己成長を促進することも、幸せな生き方への道につながるでしょう。

人生の目的は人それぞれ異なりますので、焦らずに自分自身と向き合い、自分にとって意味のある目的を見つけましょう。幸せな生き方を実現するためには、自分が望む人生を設計し、実現することが重要です。頑張ってください!」

創造主の一器官としてのヒト

ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。

ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。

・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力

目標を現実化する実行力。

・自己制御可能な持続する欲望。

・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。

・現象を分析、解明する論理的思考力。

創造主の意思に沿った倫理観。

・欲するものを創り出す創造力。

目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。

創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。

目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。

大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。

数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。

立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。

この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。

ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。

創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。

ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。

他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。

侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。

戦争を抑止する価値観の多様性

NHKのドキュメンタリー番組 プロフェッショナル 仕事の流儀で、 殺到するグランメゾンの料理人たちの中心で魚をさばいていた、静岡県焼津市にある一見普通の魚屋さんが、魚の味について哲学的な美味しさではなく、各個人が体で感じる美味しさを追い求めていきたいと言っていました。

食通の求めるそれぞれの味を引き出せる魚を届けて堪能してもらうのが嬉しいのだと理解しました。

新鮮な魚を客に届けるために実直に働く年老いた父親の姿が、喧嘩っ早い息子の心の葛藤を、魚屋の情熱に刷新したのでしょうか。

人は、天賦の才能、育った環境、受けた教育、接した人々などの影響を受けながら、自分のものの見方、好き嫌い、延いては価値観を手探りしながら形成します。

自分の価値観を持てた人は、その価値観に合致した目標を達成することによって充実感に満たされ生きる喜びを体感することができます。

しかし、自分の価値観の不確実性ゆえに親や世間の価値観を刷り込まれてしまった人は、自分にマッチしない価値観に基づく目標を達成したとしても、その喜びは希薄なものとなり満足感を心の底から実感することができないでしょう。

また、生きることは存在することであり、高い能力を持つ人間は、他人からその存在を認めて欲しいという欲求を生まれながら備えていると思います。

社会や他人の役に立つこと、協力してことを成すことに喜びを感じる価値観はこの欲求から派生すると考えます。

ところで、8月6日、9日の原爆の日に、被爆の惨状や核抑止力の危うさを知りながら核兵器廃絶の後退が無力感を込めて語られていました。

8月15日の終戦記念日に戦争の不条理、悲惨さを知りながら何故未だに根絶できないか議論されていました。

日本は、原爆の日を被害者の立場で語り、終戦記念日を加害者の立場で語るのではなく、独善的な価値観を持った独裁者層の出現、その価値観の国民への浸透、近視眼的になされる開戦の決断、終戦の難しさと被爆の惨状という、人が知能を持つが故に呪縛される戦争から解放されるための一連の教訓として反面教師的に提供することを考えてもよいのではないでしょうか。

国民が一つの独善的な価値観に染まることなく、それぞれの価値観に合致した目標に向かって行動することで生きる喜びに満たされた国が自ら開戦を宣言することはないでしょう。

貴重な経験をした日本は、国民が多様な価値観を尊重し、それぞれの生き甲斐が他人から認められる喜びに満ちた社会を築いて世界に示すことによって、戦争の愚かさを強くアピールして戦争を抑止できるのではないでしょうか。

没頭できる対象を大切に

NHK朝ドラの植物学者・槙野万太郎は、心底植物を愛し、NBLの大谷翔平選手は、大好きな野球に没頭し、藤井聡太棋士は、迷い無く将棋に集中しているのでしょう。

これらの人は、幸運にも幼少の頃に我を忘れて没頭できる対象とめぐり合うことができ、才能を伸ばして没頭する対象を生業にして成功しています。

我を忘れて没頭するので、我欲やへつらいなどの邪念がなく、迷いや恐れなく対象に集中できるのではないでしょうか。

谷川浩司十七世名人は、藤井聡太七冠の強さについて次のように述べています。藤井さんの指し手を観ていると、負けることへの恐怖、自玉が危険にさらされることへの恐れ、あるいは自分の読みが正しいのかという恐れといった躊躇や葛藤がないのではと思えるくらい大胆な一手を指す。勝負への執念という意味では、それほど強いとは感じませんね。彼は棋士になったときから一貫して勝つことよりも強くなること、“将棋の真理”を追求することを言っています。

勝負の世界は厳しく、加齢やAIの出現で勝つのが難しくなっても将棋に没頭できる先輩天才棋士だから観える後輩天才棋士感でしょうか。

しかし、大多数の人は、時間を忘れてハマり込む対象で生計をたてることができないのでしょうか。

サッカーに夢中になっている子供に、プロプレイヤーになれるわけがないから苦手な算数でも勉強しなさいと叱ったとすると、子供は自分の感情、才能を否定され自己肯定感を傷つけられるだけでなく、算数には能力がなく、好きなサッカーを禁じられた憎き対象として算数に拒否感を抱くでしょう。

これに対し、サッカーが好きならいろいろ考えて工夫し、本気で練習して上手になりなさい。算数もサッカーと同じようにコツさえ掴めば上手になるから本気で練習しなさいね。分からないところはお父さんがコーチになって教えるよ。と親子で会話するのも楽しそうです。

生計を立てることは大仕事です。

没頭できる生業に簡単に就けるチャンスは稀です。

自分に与えられた仕事に没頭できるようになるヒントは、谷川十七世名人が抱いた対局中の藤井七冠についての心証 「藤井さんは対局中もネガティブな感情を持たずに、純粋に最善手を探すことだけに集中している。これが強さの秘密の一つだと思います。」や、永世七冠の資格を持つ羽生善治九段の世代の棋士についての印象、「羽生さんの世代が今でもトップクラスで戦っているのは、20代頃の蓄積、今の藤井さんと同じですけど、序盤から1時間、2時間と考えてきた財産が大きいと思います。」 あたりにあるような気がします。

幼少の頃に我を忘れて没頭した対象でなくとも、20代頃に毎日何時間も必死に考えて工夫し少しずつコツを掴んで上達してきた対象に対しても愛着が湧いて没頭できる気がします。

没頭できる対象めぐり合うものでなく、覚悟を決めて自らが育てるもののようです。

対象物についてあれこれ必死に考えることの原動力は、自己肯定感の強さにあると思います。

多少生意気な子になりますが、自己肯定感は子供の頃から育てる周りの環境が必要でしょう。

また、没頭できる対象を育てられなかったのではなく、育てなかったのではないでしょうか。

住めば都と言うように、毎日無心に工夫して取り組んで自分なりの進歩を楽しむことが没頭できる対象を育てる気がします。

情と愛

先日、少し合理的過ぎる娘に対して妻が、「私は情の人ですからね。」と反論していました。しばらくして、西洋では、この場合の情は愛なのだろうかと話が進みました。

言い得て妙のようですが、情と愛には根本的な違いがあるような気がします。

情は、創造主から身体、知能、心を授けられた生身の人間の心の発露そのものであります。

従って、情は生来の才能や育った環境で形成される個人の性状が色濃く反映するものであり、時に利己的で身勝手なものになってしまいます。

心が個性と社会との間で利害バランスの取れた情を発露して、人が生きる喜びを謳歌するためには、心を身体や知性でバックアップして強靱に鍛えなければならないでしょう。

愛は、人が他を思う心の発露を知能が定義した色合いが強く、知的な傾向があるものです。

極端な例ですが、博愛主義者に愛すべきとの思いで愛された者が、儀礼的に感謝しても、生きる喜びを創造主と共感することはできないと思います。

名古屋城天守閣の木造復元におけるバリアフリー用昇降設備のあり方ついて、小型昇降設備を途中まで設置する大型昇降設備を最上階まで設置する案を中心に議論されています。

小型昇降設備設置案の主要根拠は、史実に忠実に木造城郭建築を再現し入場者に感銘を与えるとともに後世に残すことです。

大型昇降設備設置案の主要根拠は、車椅子利用者が差別なく安全に最上階まで上れるようにすることです。

歩行可能者は、階段をのぼることに支障がないので、歴史的な木造城郭建築に心を惹かれ、小型昇降設備設置案を心情的に支持します。

車椅子利用者の最上階まで階段をのぼることの不安を知的に、体感的に捉えることなく、史実に忠実な木造城郭建築に意味があるとの知的な見解のみから小型昇降設備の途中までの設置を主張してはいないでしょうか。

車椅子利用者は、階段をのぼることに困難が伴うので、最上階まで安全に上ることに心を惹かれ、大型昇降設備設置案を心情的に支持します。

大型昇降設備を最上階まで設置したことによる木造復元名古屋城天守閣の価値毀損の大きさを知的に捉えることなく、車椅子利用者が最上階まで差別無く安全にのぼるという知的な見解のみから大型昇降設備の最上階までの設置を主張してはいないでしょうか。

名古屋城天守閣の木造復元の趣旨は、先ず、木造建築で復元した名古屋城天守閣を多くの生ける人々が訪れ、木造建築の美しさ、感触、香り、音などを体感することでしょう。

そして、史実に忠実な木造城郭建築の名古屋城を名古屋のシンボルとして後世に残すことにも大きな意義があるでしょう。

木造復元された名古屋城天守閣を訪れる目的は、天守閣の最上階に上ることではなく、各階を木造の階段でのぼりながら木造城郭の豪奢なすばらしさを肌で感じることではないでしょうか。

小型昇降設備設置案の支持者は、史実に忠実であることに拘泥することなく、車椅子利用者が木造の階段を安心してのぼりながら木造城郭のすばらしさを肌で感じることができる具体策を示すことが、個性と社会との間で利害バランスの取れた情を発露することだと思います。

大型昇降設備設置案の支持者は、車椅子利用者が最上階に安全に上ることに拘泥することなく、木造の階段を気持ちよくのぼりながら木造建築の豪奢を体感できる具体策を小型昇降設備設置案の支持者とともに考え出すことが、身体や知性で鍛えられた心の発露のように思います。

人間生存の意図

本来生物は、生きるために生きており、存続する以上の目的はないのでしょうか。

生物の一種である人類も、ダーウィンの進化論の自然選択によって進化し、環境に適応するために知能を発達させ過ぎて、自分達の棲家である地球、延いては人類自体をも存続の危機に立たせているのでしょうか。

人間の生存に何ら意図がなく、自然選択によって存続しているだけだとすると、温暖化あるいは放射能に耐性のある子孫の出現を期待するしかないでしょう。

しかし、人間は何らかの意図によって生存しているので、環境問題や国際紛争などを進歩させた感性や知能で克服することを可能にすると思います。

何らかの意図は、創造主の人間を生存させる意思、あるいは人の生きる喜びを感じる心であり、信仰の世界では神や仏の御心と言われるものです。

現在、世界を二分する民主主義と独裁体制の何れにおいても、物質文化やAIなどの科学技術の発達によって人間生存の意図が不明瞭になってきており、人々の生活にうるおい感がなく、生きているだけ感が増えている気がします。

民主主義国家においても個人主義を履き違え、己の権利を主張し物欲や権力欲などを満たすことが人生の意義であると考える人が多くなっているのではないでしょうか。

このように人々が己の権利を主張し、人間生存の意図が希薄になった社会では、さまざまな価値観が乱立し善悪の区分すら曖昧になってしまいます。

人間が生存し続けるためには、人間の生存を賛美する価値観が人類で共有されることが必要です。

創造主の人間を生存させる意思は、生存に有効な身体と知能と心を人に授けられたことが示しています。

人の心は、目標を達成し社会や人の役に立てたとき、生きる喜びを感じるでしょう。

御心は汝殺すなかれと教えます。

民主主義といえども、人間生存の意図は個人の権利より尊重されるべきものであることを前提にして個人主義や自由、平等が主張されるべきだと考えます。

独裁体制国家でも、一部の独裁支配者層が人間生存の意図を理解し、被支配者層の生きる喜びを侵害しない限り問題はないと思います。

しかし、独裁体制は歴史が示すように時の経過につれて腐敗が進み独裁者層存続の意図に支配されてしまいます。

各独裁体制国家の独裁体制が人間生存の意図より独裁者層存続の意図を重視する警戒度合い、独裁的なリーダーの独裁指向度合いなどを、人間の知能の産物でありながら人間生存の意図を不明瞭にしているAIを使って顕出し、独裁体制が人間生存の意図を侵害することを防止したいものです。

21世紀に独裁体制が現存する不思議

国民の大部分を占める庶民の意に反して極めて独善的な独裁体制が21世紀においても出現する不思議を考えてみました。

人間の営みは、寝て起きて食べるために働き、欲することをする中に喜怒哀楽を感じて日常生活を送ることではないでしょうか。

欲することは人によって千差万別ですが、次の5つの欲に大別できると思います。

・他人や社会に貢献すること(貢献欲)

・学芸・スポーツで個人的な能力・成果を高めること(文化欲)

・他人を支配すること(支配欲)

・他人の指示・欲求に従うこと(忠誠欲)

・肉体的・物質的欲求に従うこと(物欲)

各人の5つの欲の強さ割合は、遺伝子、生い立ち、教育、経験等によって決まり、個人の個性を形作るのでしょう。

類は友を呼ぶと言いますが、同じ欲の強い人達が結集し易い傾向にあり、国は、同じ欲の強い人達で緩く形成された5つの集団で成り立っていると思います。

このような状況で、国が存続の危機に面したとき、支配欲の強い集団は、他国に支配されることを強く嫌い、他の集団をリードして戦争に勝利します。

成功体験を味わった集団は支配欲を一層強め、忠誠欲や物欲の強い集団を巻き込んで自国民をも独善的に支配し独裁体制を完成するのではないでしょうか。

独裁体制が内在する腐敗体質によって滅んだ後に樹立された民主的な政治体制において、独裁体制での非人道で独善的、不平等で不自由な政治に対する憤りや恐怖を実感した人の数は時がたつにつれて減少していきます。

このような状況下で国が存亡の機に立たされると、支配欲の強い人達がまたぞろ行動を開始します。

人は感情を伴わないと行動しないので、独裁体制に対する怒りや恐怖を実感していない世代は目前の危機回避に目を奪われ、独裁体制の再現を許してしまうのではないでしょうか。

民主体制を増やし、独裁体制の増殖を抑える方策を文化欲や貢献欲の強い人達が中心になって創出し、社会に仕組むことが必要だと思います。

5つの欲は、人類が自然の脅威や敵を克服して生き続けるための天性であり、個人から無くしてしまうことはできません。

人は誰しも、貢献欲、文化欲、支配欲、忠誠欲、物欲の全てを持っており、その強さ割合によって、貧困や病に苦しむ人々の救済に生涯をささげたマザーテレサのようにも、殺人鬼と呼ばれるプーチンのような独裁者にもなるという現実を全ての人が認識することから始まるでしょう。

5つの欲の強さ割合が極端に偏らないように、貢献欲の強い人は、特に支配欲、文化欲の強い人は忠誠欲、支配欲の強い人は貢献欲、忠誠欲の強い人は支配欲、物欲の強い人は文化欲を増やすような個性にあった子供教育も必要ではないでしょうか。

貧困は国民の不満を煽り、国を窮地に追いやり、支配欲の強い人達が活躍する格好の場を提供します。

民主国家は、貧困国の自立のための経済援助を、独裁国家の貧困国の支配のための経済援助と明確に異なることが分かる形で推進する必要があると思います。

そして、日本だけでなく世界各国において支配欲の強い人達の政治活動には常日頃から警戒し、特に国が窮地に立たされているときは独裁体制に移行する企てを早期に摘まなければなりません。

民主制は国民ひとり一人が保持・育成するものであり、特に、貢献欲、文化欲の強い人達がもっと政治に関心を持ち、自分たちが活躍する場の民主体制を広げていくという覚悟を持つときだと思います。