創造主の価値観、人間の価値観、国家の価値観

世界各国のコロナ対策の違い、トランプ大統領の利己的な振る舞い等を見ていると、人間と国家と創造主との関係を改めて考える良い機会になりました。

経済活動を優先すればコロナウイルス感染者が増加し、コロナウイルス対策を優先すれば経済が悪化し、何れかに偏り過ぎると国民の命を犠牲にするとの二律背反に直面し、国家は国民の命を守るために存在するが、自己中心的な指導者の下では国民の命を守ることができないことを再確認しました。

また、近時、人間は創造主から与えられた価値観と乖離した自己中心的な価値観、例えば経済最優先、競争延いては戦争も肯定しかねない価値観に基づいて行動していることへの警鐘のように思いました。

創造主の価値観

「無」と対峙する「有」である創造主は、自然や人間の営みを無作為に変遷させることによって、「有」を実体として具現化し、存在を実感されているのではないでしょうか。

変化が無いこと又は作為的或いは規則的な変化では、創造主は「有」を確認することができないと想像します。従って、変遷が無作為であることは必須です。しかし、変遷の先に滅亡があっては存在を実感できなくなるので、創造主は自然や人間の営みの中に、存続に必要な基本ルールだけは仕込まれたように思います。

人間の価値観

而して、創造主が人間に仕込まれた基本ルール、換言すれば人の遺伝子に組み込まれた基本的な価値観は、先ず、「生きる喜び」であり、それを達成するための「生きる力を習得する喜び」および「他人と協力する喜び」です。

創造主は、人間に多様性に富んだ大きな変遷を具現化させるために、脳内に自分の概念の世界と価値観を自由に構築する、謂わば、概念形成能力を与えられたと思います。

しかし、人間は、この概念形成能力を我欲のために使用し、基本的な価値観からずれた価値観を追い求めていることが多い気がします。

「生きる喜び」は、自分の価値観に基づく目標に向かって行動することです。自分の目標を我欲や世俗的な価値観に基づいて設定しては、「生きる喜び」を実感することはできません。

生きる力は、身体的能力、知的能力、心的能力であり、「生きる喜び」を実現するための手段です。ところが、生きる力は強いことが望ましいので、「生きる力を習得する喜び」も基本的な価値観になります。

そして、生きる力の強さを計るために、各種能力について他人との比較、競争が行われます。

自分の能力向上の尺度としての競争は良いのですが、最終目標が能力向上ではなく勝つことになると、他人も同じ基本的な価値観を有するということが忘れられ、心的能力である協調性や優しさが弱体化します。

現在の利己中心的な風潮や虐めの根源はこの辺りにありそうな気がします。

他人や集団と協力することは、一人では弱い人間が生き延びるために不可欠なことであり、協力して役に立ちたいとの価値観を遺伝子に刷り込まれ、「他人と協力する喜び」も基本的な価値観になったと思います。

他人に協力して認められると嬉しいものですが、他人と協力することが目標ではありません。各自がそれぞれの価値観に従って立てた同じ目標を達成するために仲間と協力する喜びも、「生きる喜び」を実現するために極めて重要であり、基本的な価値観になったのでしょう。

他人や集団の価値観に従うだけでは、自分の個性に基づいた「生きる喜び」を実感することができず、人々の千差万別な能力で多様性に富んだ生きる喜びを実現するという創造主の意図に反することになります。

国家の価値観

国家の基本的な価値観は、各人が「生きる喜び」を実現するためのベースである命や環境を守ることであります。

しかし、国家も人の命や環境を守るために与えられた権力を誤用し、国家の基本的な価値観からずれた価値観を追い求めているケースが多いような気がします。

多くの民族、慣習、宗教等が存在し、さまざまな理由で近しい人々が集団延いては国家を形成して、国民に「生きる喜び」を実現する場を保障することは、人間に多様性に富んだ大きな変遷を具現化させるという創造主の意図に沿うものです。

ところが、次に述べるような場合は、国家の基本的な価値観に基づいた政治が行われていないと思います。

・国家が国民の思想統一を計る。

例えば、中国のように十数億の人々が国家という一つの価値観をもった有機体になることは、生きる喜びの十数億の多様性を期待する創造主の意図に反します。

社会秩序や地球環境などを、「生きる喜び」を具現化する良い場に維持できない。

例えば、地球温暖化対策に消極的なトランプ大統領は、国家や人間の基本的な価値観に無知であり、指導者の資格がないでしょう。また、一部の米国民は銃で自分の命を守ることを誇りとするのではなく恥とし、暴力排除を国家に委託できる社会を築くことに注力して欲しいです。

・戦争を肯定し武力を背景に国家間の紛争解決を図る。

人の命を守るために形成した国家がその権力で殺し合いを強要し人類を滅亡に導くことは、「生きる喜び」を具現化して「有」を創造主とともに実感するという人間の根本を否定するものであり、許しがたい矛盾です。

・「生きる喜び」を実現できない貧困層が存在するほど国家財政が悪い、或いは、国民間に経済格差がある。

自分の価値観に従って生きるためには、最低生活の保障は必要です。

・指導者が利己的に国家権力を使う。

多くの人は、権力や富を手に入れると利己的になるので、国民は政治に関心を持って発言する必要があると思います。

・国民が質の高い教育を受けられない。

各国民が人間の基本的な価値観に基づく行動を繰り返すことによって成長することを学び、実行することが強い国家の基礎です。

人々が、国家に命や生活環境の保護を委託し、各人が生きる力を習得し、他人や集団と協力して、「生きる喜び」を具現化できる社会を築きたいものです。

人間の価値観と個人の価値観を保障する国家の価値観を

今回のコロナウイルス対策において、ノーベル賞受賞学者、医者、科学者を含む多くの国民がSNSで政策提言されていました。

旧態依然とした国家の価値観から決別するために、国民が国家に期待する政策をSNSなどの情報技術を利用して実名で提案し、各分野の専門家で構成した中立的な組織で集約して国政に反映する仕組み、いわばIT組込み民主制(IT Incorporated Democracy)を作りたいものです。

今回は、その前提となる人間の価値観と個人の価値観と国家の価値観について考えてみました。

人間の価値観

創造主から託された人間の価値観は、生きる歓びをより多くの人々が体感することです。

人間の基本的な価値観である真・善・美は、人間が物質の世界で生きる歓びを体感するための法則です。

創造主は、無の対極にある有(存在)を強く共感するために、個性の異なる多くの人々が真・善・美をいろいろな形で実現し、生きる歓びを体感することを人間に託されたと思います。

真は、嘘偽りのない本当のこと、真理、自然法則などで、存在し続ける或いは生き続けることの根底にある真理です。

善は、人の役に立つ、協力する、他人を尊重する、誠実である、自然を大切にするなど、人々が共存するための道徳的な原則です。

美は、文化や自然において現出される事象の変化や調和で、多くの人に感動、勇気、快感などを与えて、生きることに意欲と魅力を与える原動です。

個人の価値観

個人の価値観は、各個人が人間の価値観を自分に適合させて展開するものです。人間は、各自の能力、興味、環境などで異なる概念の世界を脳内に構築し他人と共有する能力を有するので、それぞれの個性に基づいた個人の価値観を各自の脳内に形成します。

人は、他人や集団から押付けられた目標でなく、自分の価値観を実現するための目標を達成したときに大きな歓びを感じます。

集団の価値観に賛同して個人の価値観とした人々が、この集団の価値観を実現するための目標を共に達成することに大きな歓びを感じることも真実です。

人間の価値観は、多くの人々が生きる歓びを体感することであるので、各人が他人の価値観の実現を妨害すること、或いは他人の存在を否定することは絶対許されないことであります。異質な価値観に賛同する必要はありませんが、その存在を認めることは、人間の価値観が求めることです。

古い国家の価値観

権威主義体制、全体主義体制、民主主義体制など政治体制に様々な試みがなされてきましたが、正解は未だに見つかりません。

大国の野心ある指導者は、ローマ帝国以来、自分への権力集中と利己的な価値観の実現のために、国家の価値観を覇権主義に置き、戦争を前提とする覇権争いを国民の生きる歓びを犠牲にして繰り返してきました。

共産主義国家は、人間の精神的自由を犠牲にしても、国が経済的に発展することによって報酬を平等に分配することを目指しています。

民主主義国家においても、格差の拡大、利己主義の横行、国家機関の硬直化が進んでいます。

このような国民の犠牲の上に成り立つ国家の価値観は、より多くの国民が真、善、美に基づいた個人の価値観ひいては人間の価値観を実現することを保障するという国民の期待する国家の価値観ではありません。

現在の内外の政治家の真理や道義が無く、美学を感じない言動には、社会に与える影響が大きいだけに、国家の価値観が創造主から託された人間の価値観から大きく乖離していく危機感を感じます。

最近、日本においても、民意(国民の価値観)から乖離した政策(国家の価値観)が強行されていることに危惧を感じます。

新しい国家の価値観

経済的に豊かになり、情報技術か高度に発達した近代社会において、国民が国家に委託しなければならない事項は変化し、国家の価値観も社会の変化に応じて変えていかなければなりません。

国民が国家に期待することは、他の国より軍事力で強くなることではありません。強い国の国民であることによって、いわれなき自信を持つことはできるでしょうが、個人にとっては裏付けのあるものではなく、世界に通じる人間の価値観の実現を妨げる妄想にすぎません。

国家に求めるものは、より多くの国民が、個人の能力、興味に応じて活動できる場所と環境を提供することであり、個人の価値観を実現するための生活に必要な収入を得ることができて、各自が目標を達成する歓びを実感できる社会の仕組を考案し、実施することです。

多くの国民が個人の価値観を実現する歓びを実感できる国家は、各国民が裏付けのある自己肯定感に満ち、おのずから強い国家になります。

社会の複雑化と組織の硬直化に対抗するために、ITを活用して日本の民主制に直接民主主義的要素を加味し、国民が期待する国家の価値観を実現可能な新しい民主制を模索するときではないでしょうか。