人間生存の意図

本来生物は、生きるために生きており、存続する以上の目的はないのでしょうか。

生物の一種である人類も、ダーウィンの進化論の自然選択によって進化し、環境に適応するために知能を発達させ過ぎて、自分達の棲家である地球、延いては人類自体をも存続の危機に立たせているのでしょうか。

人間の生存に何ら意図がなく、自然選択によって存続しているだけだとすると、温暖化あるいは放射能に耐性のある子孫の出現を期待するしかないでしょう。

しかし、人間は何らかの意図によって生存しているので、環境問題や国際紛争などを進歩させた感性や知能で克服することを可能にすると思います。

何らかの意図は、創造主の人間を生存させる意思、あるいは人の生きる喜びを感じる心であり、信仰の世界では神や仏の御心と言われるものです。

現在、世界を二分する民主主義と独裁体制の何れにおいても、物質文化やAIなどの科学技術の発達によって人間生存の意図が不明瞭になってきており、人々の生活にうるおい感がなく、生きているだけ感が増えている気がします。

民主主義国家においても個人主義を履き違え、己の権利を主張し物欲や権力欲などを満たすことが人生の意義であると考える人が多くなっているのではないでしょうか。

このように人々が己の権利を主張し、人間生存の意図が希薄になった社会では、さまざまな価値観が乱立し善悪の区分すら曖昧になってしまいます。

人間が生存し続けるためには、人間の生存を賛美する価値観が人類で共有されることが必要です。

創造主の人間を生存させる意思は、生存に有効な身体と知能と心を人に授けられたことが示しています。

人の心は、目標を達成し社会や人の役に立てたとき、生きる喜びを感じるでしょう。

御心は汝殺すなかれと教えます。

民主主義といえども、人間生存の意図は個人の権利より尊重されるべきものであることを前提にして個人主義や自由、平等が主張されるべきだと考えます。

独裁体制国家でも、一部の独裁支配者層が人間生存の意図を理解し、被支配者層の生きる喜びを侵害しない限り問題はないと思います。

しかし、独裁体制は歴史が示すように時の経過につれて腐敗が進み独裁者層存続の意図に支配されてしまいます。

各独裁体制国家の独裁体制が人間生存の意図より独裁者層存続の意図を重視する警戒度合い、独裁的なリーダーの独裁指向度合いなどを、人間の知能の産物でありながら人間生存の意図を不明瞭にしているAIを使って顕出し、独裁体制が人間生存の意図を侵害することを防止したいものです。