現場情報を国政に反映するシステム

最近、国政と国民の声との乖離が目に付きます。行政におけるイージス・アショア解約問題やアベノマスクの思慮不足・税金の無駄遣い、立法における新型インフルエンザ等対策特別措置法自体およびその改正法の不備、司法における国有地の大幅値引き売却に対する背任や決裁文書改ざん不起訴処分など枚挙に暇がありません。

これは、国会議員や官僚が高い志や現場主義等を放棄し、国民生活の現状や国民の思いを把握していないこと、国民が市井情報や政策案などの発信に消極的で、国政の場に要望事項や政策案などを積極的に提供してこなかったことに起因していると思います。

国民のために働くという志は、国会議員や官僚自らに思い出してもらうことにし、国民が正しく民意を発信し、集約する手段について提案します。

情報技術(IT)が国家の価値観、個人の価値観に与える影響

産業革命が近代民主主義を推進したのと同様に、IT革命は、国際関係、国家戦略、国民生活に大きな変化を与え、国家の価値観、個人の価値観を変えています。

個人の価値観は、人間の価値観を自分に適合させて展開するものですが、集団である国家の価値観の影響を強く受けるので、国家の価値観を生活環境の変動に応じて正しく変化させる必要があります。

国家の価値観は、政府や官僚が決めるものではなく、国民各個人の価値観の共通項あるいは分布であります。

現状は、この活動舞台の大きな変動に対応して国家の価値観、個人の価値観をうまく変化させることができず、戸惑っているように思います。

ITの利用により、人々は自らの五感で体感し、頭で考え、記憶し、身体を動かす地道な努力の末に目標を達成して歓びを感じるという人間の価値観を少しおろそかにしているように感じます。

その現象として、与野党を問わない国政や選挙での失態、SNS上での誹謗中傷や虐め、問題ユーチューバーの愚行、思いつきの一発芸などが世の中に氾濫しています。

産業革命において機械が人間の体力の一部を越したように、IT革命においてITシステムが人間の知能の一部を越しました。

例えば、人間は自動車より速く走れませんが、より速く走るという目標を努力の末に達成して歓びを感じています。

人間は計算や記憶においてITシステムにかないませんが、ITはあくまで課題を解決するための手段であります。

人工知能や超高速通信などだけでは解決できず、人間の独創性、直観、知性、心と身体がITを利用することによって解決できる課題は山積しており、新しい生活環境においても、例えば、環境問題、各種紛争、新型コロナ感染症、ゲーム依存症、生き甲斐喪失、個人の価値観に国家(集団)の価値観が必要以上に影響を与えるなど新しい課題は次から次に発生します。

従って、生きる歓びをより多くの人々が体感するという創造主から託された人間の価値観を再認識し、IT革命後の国家の価値観、個人の価値観を形成しなければならないと思います。

さらに、個人の価値観を広く収集し、集約して国家の価値観を形成することは、ITが高度に発達した現代において初めて可能になったことであり、ITを組み込んだ新しいIT組込み民主制の始まりではないでしょうか。

IT組込み民主制の必要性

日本人の脳にあるセロトニントランスポーターの量は、世界でもいちばん少ない部類に入るため、日本人は、実直で真面目で自己犠牲をいとわない人々だが、不安感が強く、いったん怒ると抑制能力が利きにくいと言われています。

このことは、昨今のSNSでのバッシング、コロナ自粛警察、古くは軍国主義に反対する人々を非国民と非難した風潮など否定しきれない面もあります。

彼を知り己を知れば百戦殆うからずと言いますが、己を知るだけではなく、弱点を補強しておくことが必要です。

平常時に国家の価値観を多くの国民の個人の価値観の共通項あるいは分布として形成し、国民の間で共有しておくことは、日本が強大な危機に面しても国として冷静に対応するために重要のことであります。

政府は2001年にIT戦略本部を立ち上げ、5年以内に世界最先端のIT国家になると宣言しました。しかし、実行が殆ど成されず、今回のコロナ対策での特別定額給付金の給付遅延によって行政デジタル化の遅れが表面化し、日本のIT化が多くの国の後塵を拝していることにやっと気がついたのが実情です。

国民自らが国家の価値観を国民の総意として積極的に形成する必要があります。

IT組込み民主制概要

ITを活用して大衆から市井の情報を収集し国政に反映する民間の非営利の情報提供組合を設立します。

情報提供組合は、IT議員として国会に政策案や意見を提供します。最終的には国会に議席を持ちます。

情報提供組合は、情報技術、政治、経済など各分野の専門家と、例えば数十万人の組合員から構成されます。

情報提供組合は、生活情報、海外情報、課題情報、意見、政策案などの情報を組合員からオンラインで収集し、人工頭脳などを使って分析・集約し、IT議員として国会に提供します。

個人の価値観は集団の価値観の影響を強く受けるので、IT議員が為政者によって操作されないように万全の策を講じなければなりません。AIプログラム、収集した情報などすべて公開が原則です。

これを怠ると、民意を広く募るどころか、IT議員によって思想統一されてしまいます。

国内外の多くの人々が空間を乗り越えてほぼ同じ時間に意思疎通し、同じ課題を解決するために協働可能としたITを手に入れた人間は、ITを争いのために用いることなく平和のために使用し、人間の価値観の実現に役立てたいものです。

自己肯定感

1.はじめに

昨年の暮れ、ゲノム編集された双子の赤ちゃんが誕生しました。DNAはその人の体格、性格、能力などの資質を書いた設計図であると言われています。ヒト受精卵は一個の細胞であり、そのDNAに変更を加えられた人は、その存在を原点で否定され、自己肯定感を持てなくなることはないでしょうか。自己肯定感は人が生きることのべースであり、互いに尊重し合うことが社会の基礎ルールであるとき、病気治療に限定するとしても、核兵器の轍を踏まないためにも、ヒト受精卵の遺伝子操作に慎重過ぎることはないと考えます。また、自己肯定感を持てなくてテロやヘイトクライムに走る若者が世界で増えているように感じたので、自己肯定感について考えてみました。

2.自己肯定感

人の資質は生まれたときから差があります。この差が多様性や変化をもたらし、人類を存在させる創造主の意思と想像します。そして、自己肯定感は、各人がこの差を受入れ、自分の現在の状態を素直な気持ちで把握した上で、自分の現在と将来の存在に意義を感じることだと思います。

2.1 価値観と自己肯定感

人は、自分の価値観をその興味、能力、環境など現在の状態に応じて形成し、それを具現化するために、創造力、努力などその持てる能力を駆使し、些かな成果と自分の進歩を見出したときに、生きる喜びを感じるように思います。

この自分の価値観を形成し具現化する土台が自己肯定感ではないでしょうか。そして、自分の価値観に基づいて目標を設定し、その目標を達成する過程と結果に喜びを感じることを繰り返すうちに自己肯定感を強めていく気がします。

自己肯定感が弱いと、自分の現状を正確に把握することができず、正しい自分の価値観を形成することができません。また、その価値観に基づいて目標を設定したとしても、その目標達成の努力中に小さい困難に会っただけで、設定した目標や努力に迷いを感じ、目標達成を挫折してしまいます。

逆に、自己肯定感が強すぎると、独りよがり、向上心の拒否、自身喪失に繋がり、自分の正しい現状把握ができず目標設定を誤り、場合によっては攻撃の矛先を他人に向けて、いじめ、人種差別などの要因になります。いじめは、被害者の自己肯定感をズタズタにする精神的な殺人であり、加害者もその自己肯定感の歪みを露呈して自分を精神的に殺す二重殺人のようなものです

2.2 自己肯定感を大切にする社会

昨今、記憶力、思考力については、ビッグデータやAIに置き換え可能な領域が増大しています。こんな時代に対応するためにも、人が存在し続けるエネルギーになる「生きることに喜びを感じる」感性を大切にする社会を作ることが求められている気がします。

大好きなことを見つけてそれに集中している人の自己肯定感は強いです。しかし、何かを模索している人の自己肯定感は脆いものです。小さな失敗、他人の批判などによって揺らぎます。人の興味、行いたいことは様々であり、その肯定感の拠り所も千差満別です。従って、資質の異なる多くの人が適切な自己肯定感を持てるように努力し、協力し合い、また、他人の自己肯定感を尊重し、損なわないようにすることが大切だと思います。

人は集団行動動物ですので、他人のために役に立ちたい、他人に認められたいとのゲノム情報がDNAに記録されているようです。従って、他人から褒められると存在を認められたと思い、自己肯定感が強くなり、逆に、他人から批判されると存在を否定されたと感じ自己肯定感が弱くなります。日本では他人をあまり褒めないので、日本人の自己肯定感は弱いと言われています。他人の良いところを褒める習慣を作って皆が生きる喜びを感じる社会を実現したいものです。しかし、誇張した褒め言葉、おべっか、忖度は、相手に強すぎる自己肯定感を持たせることになり、多くの人に迷惑を掛ける可能性があるので注意が必要です。

また、若い人が、その能力を正確に把握するための参考意見を親身になって考え、その人が現在の状態を素直な気持ちで把握して適切な自己肯定感を持つことに協力できる雰囲気が望まれます。

3.おわりに

ビッグデータやAIによって人間の能力の価値が相対的に低下し、SNSなどによって多人数間で情報の共有化が容易になった社会において、適切な自己肯定感を持つことが難しくなってきました。それに対応するために、自己肯定感を大切にする社会の実現、正しい自己肯定感を持つことの大切さを幼少時に教えることが重要と思います。また、「何のために生きるのか」などの哲学的なことを子供の頃から自分の頭で考える社会環境が必要ではないでしょか。

哲学的な考え方の大切さ

1.はじめに

数ヶ月前に本屋さんの店先に、“イェール大学で23年連続の人気講座「死」とは何か”と言う題名の本が山積みされているのに衝撃を受け、その場で購入して読んでみました。衝撃を受けたのは、有名大学で答えの見つからない自問についての講座を長年続けていること、そして優秀な代々の学生がそのような自問に大きな興味を持っていることでした。因みに、著者のシェリー・ケーガン教授は、死後の世界はないと断言しています。創造主が存在するか否かについての記述はありませんでした。

いじめを経験した等のつらい思いをした学生以外は、「死とは何か」、「何のために生きるのか」などについて考えることは少ないと思います。答えの出ない、一銭の得にもなら無いことに時間を使うくらいなら、例えば就職に有利な講義を聞いた方が賢明だというのが、今の日本の親も喜ぶ一般的な選択ではないでしょうか。

ところが、フランスにおいても自分の頭でしっかりとものごとを考え、意見を持ち、論理的に説明できるようになるために哲学的な思考方法が重視され、高校では哲学が必須だということを知り、折しも2020年教育改革で思考力重視の方針が出されていますので、哲学的な考え方の大切さについて考えました。

2.日本での取り組み

平成27年5月28日に日本学術会議哲学委員会哲学・倫理・宗教教育分科会が、(提言)「未来を見すえた高校公民科倫理教育の創生 ─〈考える「倫理」〉の実現に向けて─」を発表し、高校教育での「倫理」がその本来の役割を果たすようにするため、従来の〈知識中心の「倫理」〉 教育から、〈考える「倫理」〉としての倫理教育への転換、を提言しています。

さらに、哲学者の思想や理論を知識として学ぶのではなく、哲学的に思考/対話するための方法および構えの模索が一部の小中学校で実験的に行われています。このような動きは哲学界にはあるようですが、教育界全体延いては社会全体に広がっているようには思われません。

しかし、現実社会では、答えの出しにくい問題を考えて時間と労力をとられるより、信用できそうな人、あるいは周りの人の答えに従う傾向が強いと思います。答えを自分の頭で考えて出すより、正しいとされている答えを多く記憶している方が仕事を早く処理できる場合も多々あります。多くのことを記憶できると、見識が広くなって正しい判断ができ、話題も多くなります。しかし、周りの答えや記憶に頼りすぎ、それが習慣化されすぎると、効率重視社会、インターネット社会の進行につれて常識では考えられない余りにもお粗末な事件が頻発するようになりました。

3.哲学的思考の意義

ハーバード大学等の試験で「あなたは何者ですか」との問いが定番となっているそうですが、この問いに対しては自分の価値観をしっかり持っていないと答えられません。この問いは、人はそれぞれ得意とする能力、興味、立場、環境等を異にする存在であることを大前提としています。先ず、この違いを客観的に把握し、その中で自分の成りたい人、やりたいこと等の目標を立てて、その目標に向かって行動するなかで自分の価値観を構築し、自分の価値観に従って生きることが幸せな生き方であることを前提としています。このように、自分の人生を意義深いものとするために、「自分は何者か」と問うて自分を客観的に見つめることが重要です。

インターネット社会において、ネットいじめ、ネット詐欺が横行し、いくつかの国では悪意情報が民衆を煽動し国政に混乱をもたらしていると言われています。これは情報が氾濫し容易に入手可能になるにつれて、個人での情報の価値判断が困難となり、安易に多数判断に同調する傾向が増大したことと、多くの人が情報の意味や真偽を自分の頭で考える習慣を放棄したためと思います。このような情報過多社会の弊害を無くすためにも哲学的な思考方法を子供の頃から家庭や学校で教える必要があります。

最近、子ども虐待、弱者殺人、煽り運転、SNSへの愚かな投稿など非人道的でヒステリックな犯罪が多発しています。このような幼稚で思慮分別の足りない大人を生む社会的風土は、「自己肯定感がなぜ必要か」など物事を哲学的に自分の頭で考える教育をしてこなかったための産物といえるのではないでしょうか。

4.おわりに

人は千差満別であるからこそ世の中に変化があり、個別的、地理的、時間的に相違、変化することに人間の存在意義があることを大前提とすると、その相違、変化を各人が自分の頭で考えて自分の価値観を構築し、自分の人生を有意義なものとするために、哲学的な思考方法を子供の頃から教える必要があると思います。