何を求めて生きるか

1.はじめに

人は行動するとき、意識してか無意識かに拘わらず、何らかの成果を求めています。生きることは、この行動することの連続です。各行動は、行動しているときの充実感、行動を終えたときの満足感が違い、この違いは、行動する者の成果への欲求度合い、行動の困難性、社会への貢献と社会からの評価などが関係するように思います。生まれてから死ぬまでの限りある期間であり、成長、成熟、老化と身体が変化する一生の中で、行わなければならない時期に、如何なる成果を求めて、どのような行動を行えば、生き甲斐のある人生を送ることができるのかに興味を持ちましたので、若い人が若い内に考えられるとよいと思って投稿しました。

2.何かを求める行動の種類

(1) 基礎生活をするための行動

基礎生活をするためには、例えば、立つ、座る、歩く、手を動かす等の行動が不可欠です。健康時には、無意識に行動しており、この行動に満足感を味わうことはほとんどありません。しかし、病気や怪我をすると、歩けるようになること、手を動かせるようになることが求める成果となり、この同じ行動に喜びを感じます。

(2) 肉体的快感を得るための行動

美食、嗜好物、スリル、セックス、物等から得られる快感という成果を求める行動も楽しい行動の一つです。しかし、快感は、変化が少なく、受動的で精神的高揚も少ないので、マンネリ化します。快楽主義に陥ると、人生でもっと大切なものを見失ってしまう危険性があります。また、社会への貢献はほとんどないでしょう。

(3) 精神的満足を得るための行動

芸術鑑賞、旅行、読書等から得られる、知識、精神的高揚、心のやすらぎ等の成果を求める行動です。受動的ですが、得られた成果を他の行動に活かすことができます。読書等は、自分の志を達成するための行動の一環として行われることもあります。

(4) 他人の承認を求める行動

他人から認められるという成果を求める行動です。他人に認められたい、尊敬されたいという欲求は、人間誰もが本来もっている欲望であると考えます。しかし、他人に認められることを主目的とした行動は他人の喜びを願ってする行動ではありません。自分の志を達成することを主目的とし、成果が他人に喜びをもたらして感謝された行動とは、たとえ他人の評価を意識していたとしても、雲泥の差があると思います。

(5) 愛情を求める行動

他人または動物から愛情を注がれるという成果を求める行動です。この欲望は人間誰もが本来もっていると考えます。犬を抱くと、お返しに頬を舐めてくれます。世の中、ギブアンドテイクが原則です。

(6) 愛情を注ぎたい行動

人間社会にアガペーの愛はあるのでしょうか。例えば、命の危険をかえりみずに、愛する者を助ける行動は、たとえ二次的な気持があったとしても、愛情を注ぐという行動だと思います。

(7) 志の実現を求める行動

人は、社会に貢献するために成したいこと、成りたい人を志として持ち、志の実現という成果を求めて行動します。行動する者は、成果達成への熱意、行動の困難性、社会への貢献と社会からの評価が高い程、行動や成果に対してより大きい充足感や喜びを感じるのではないでしょうか。

人生には生涯を掛けて求める成果だけでなく、人の役に立つという成果あるいは趣味的に求める価値ある成果が沢山あります。これらの成果も達成するまでに要する苦労、時間、必要な能力、他人からの感謝の気持などに応じて成果達成に対する満足感や嬉しさが異なります。

(8) 創造主の褒美を求める行動

如何なる成果を求めるかは各人に委ねられていますが、成果達成への熱意、行動の困難性、成果の社会や他人への貢献と社会からの評価、他人からの感謝によって、達成感、満足感の質、大きさに違いがあります。この違いが創造主からの褒美の差のように思います。

3.生涯のどの時期に如何なる成果を求めて行動するのか

(1)人生プラン

生涯のどの時期に如何なる成果を求めて行動するかは、人生をより実りある楽しいものにするために大切な人生プランだと思います。人は、何を成果として求めて行動するかを任されていますので、自分の価値判断、興味、能力、環境などに基づいて、社会に貢献するために自分が人生で成したいこと、成りたい人を志として心に描き、その志を実現するために人生の各ステージで成すべきこと、得るべきことを、各ステージでの求める成果として行動することは有効であると思います。

この志を実現するための行動に、人の役に立つという成果あるいは趣味的に求める価値ある成果を達成するための行動を適当に散りばめて行えば、人生をより充実して楽しく過ごすことができるような気がします。

古代中国では、人生を四つの季節に区分し、青春では勉学に励み、朱夏では志の実現を目指しながら社会や家族のために働き、白秋では前の二つの季節で学んだことを活かして自分の内面を芳醇させ、玄冬では終活するとしています。各季節に年齢をあてはめることは個人差、時代差があり、あまり意味がないと思いますが、適当な時期に適切な行動をする大切さを教えています。特に、若い時に色々なことを学んで実り多い人生の準備をすることを説くのは古代から変わらない教えです。今回のテーマのようなことを、若いときに学校または家庭で教わることも、実り多い人生を実現するための一助になると考えます。

(2)人生プランの路線変更

志を持って大いに努力をしたが成果が得られない場合はあります。しかし、最初から志を小さくする必要はないと考えます。自分の価値基準、興味、能力、環境などを勘案して、最善と思われる志をたて、腹を括って努力し行動すれば、欲しい成果を手中にできるでしょう。しかし、それでも報われなかったときは、そのステージで、その時点での自分の価値基準、興味、能力、環境などを再構築し志を変更し、覚悟を決めて努力し行動すれば、自分に適した成果を手中にできると考えます。人生は、限りある期間の中で如何に多くの喜び、充実感を手に入れるかを主要な目的としていると考えますので、先の志を達成できなかったことを引きずるような時間的余裕は無く、新しい志を目指して達成感を楽しめばよいでしょう。

4.おわりに

人生は時間に限りがあり、死は万人に訪れます。しかし、死を忌み嫌っているだけでは、実り多い楽しい人生をプランして実現することは難しいと考えます。若い時に、死を直視し、限りある期間に何を求めて生きるかということを学び考えることが、今、求められているような気がします。さらに、人生には志の実現という成果だけではなく、求める価値のある魅力的な成果が山ほどあります。これらの成果も、限りある期間に適当に散りばめて求めれば、人生を幸せ感に満ちたものにできるのではないでしょうか。

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