コンピューターゲームはスポーツといえるか

1.はじめに

コンピューターゲームを部活動に取り入れる高校が増加し、高校対抗のコンピューターゲーム全国大会が、全国eスポーツ選手権と銘打って千葉県で8月に開催されます。このような動き、或はコンピュータが生活に役立つ道具としての領域を越えて人の人たる領域を侵犯していくとき、人々が概念の世界のみで生息するように習慣付けされ、「自ら考えた欲しいものを遂に得たときに感じる生身の感動と喜び」を徐々に忘れ去り、人の存在意義を見誤っていくことを危惧します。

2.コンピューターゲームのスポーツ誤認動向

2022年に中国で開催されるアジア競技大会ではコンピューターゲームが正式種目になります。

JOCはコンピューターゲームをスポーツとして正式に認めておらず2022年のアジア競技大会のeスポーツ日本代表選手は、現時点ではJOCが派遣する日本代表ではないとしています。

以前アジア競技大会で囲碁が正式競技として採用された際は、JOCは当時設立された囲碁の団体(全日本囲碁連合)を承認団体として認可していたといいます。囲碁をスポーツとするアジア競技大会の見識を疑います。

IOCは2018年12月8日にコンピューターゲームをオリンピックのメダル種目として採用するという議論は、時期尚早であるとの見解を示しました。IOCは見解で時期尚早とした理由として、ゲームの内容に暴力や差別を含むことなどを挙げましたが、競技性の高いゲームは伝統的スポーツに比肩する身体能力を必要とするとしています。また、日本eスポーツ連盟は、ゲーム遂行の操作を指先だけではなく体の他部位の運動も必要する最新ゲームでは、伝統的なスポーツと同様に身体能力が必要であるとし、IOCへの加盟要件が整ってきたとしています。

千葉国体の開催に合わせて、全国都道府県対抗eスポーツ選手権が千葉県で10月に開催されます。

3.スポーツの定義

3-1. オリンピック憲章では、オリンピズム(オリンピック精神)の根本原則を「オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。・・・スポーツをすることは人権の1つである。・・・」とし、スポーツを直接定義していません。しかし、このような記載からオリンピック憲章でのスポーツは、肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させるために資する行為であると理解します。

3-2. スポーツについて、例えば、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典では、「競争と遊戯性をもつ広義の運動競技の総称。激しい身体活動や練習の要素を含む。・・・本来,人間が楽しみと,よりよき生のためにみずから求め自発的に行なう身体活動であり,ルールを設けそのなかで自由な能力の発揮と挑戦を試み,最善を尽くしてフェアプレーに終始することを目標にする。・・・」と定義しています。

3-3. してみれば、スポーツとは、身体を意志、思考、記憶力などの精神活動を活用して鍛え、身体と精神を調和して健全に発展させることによって、楽しみや生きがいを実感できる人生を実現するための一手段であると思います。

4.eスポーツの定義

4-1. 日本eスポーツ連盟によれば、「eスポーツ(esports)」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉であり、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉える際の名称。」としています。すなわち、コンピューターゲーム、ビデオゲームを使った対戦をスポーツ競技として捉えただけのものであり、スポーツであるとは言っていません。

4-2. スポーツでないコンピューターゲームにeスポーツと名称を付けてスポーツと混同させた日本eスポーツ連盟に責任がありますが、コンピューターゲームを語るときにeスポーツと謂ったマスコミも、言霊の宿る言葉で自分の考えを伝えるプロとして反省の余地があるのではないでしょうか。

5.コンピューターゲームがスポーツでない理由

4-1. スポーツは、設定した目標の達成を目指して身体と精神が連動した身体運動で表現する技の実演であります。このため、その技に理想とされる体の動きの理想イメージを脳内に描き、理想イメージを実現できるように身体を鍛錬し、自分固有の身体特徴に合わせて理想イメージを何度も修正し、晴れの舞台で実力を発揮できるように練習を繰り返し、精神的強さも鍛えておかなければなりません。

コンピューターゲームは、ゲーム遂行の操作を指先だけでなく体の他部位を使用したとしても、技を主として身体運動で表現するものではありません。

4-2. スポーツは自分の頭で考えて自分にとって理想的な身体運動のイメージを脳内に築き、それを実現するためにどの筋肉をどのように鍛え、どのように使うか頭を使って工夫する必要があります。技を実演するときにも、状況に合わせて頭を使って身体運動に変化を加えることが求められます。

これに対し、コンピューターゲームは、他人が作成した概念の世界で、決められた動作のイメージを素早く選択するだけであり、頭を使って深く考えていると逆に負けてしまいます。コンピュータ-ゲームは人の考える力を退化させ、正しい判断力を奪っていく虞もあります。

4-3. スポーツには視力が大切です。そのため視力を鍛えることも行われています。

人間の目は水晶体の周囲の「毛様体筋」が緊張したり、ゆるくなったりしてピントを調節しますが、コンピューターゲームのようにスクリーンにピントを合わせた状態が長時間続くと毛様体筋が緊張し続け目が疲れて近視の原因になります。

4-4. スポーツは、身体(物質の世界)と脳(概念の世界)を調和して発展させ、技を身体で表現するものであります。

これに対し、コンピューターゲームは、概念の世界のみにおいて、身体をほとんど使わず脳をフル回転させて競うものであります。これにより、脳はコンピューターゲームに容易に洗脳され、自ら考えることを放棄して中毒症状を呈することが起きると思われます。

4-5. スポーツは、最終とする目標を達成するために、多面的な努力が必要です。例えば、身体を鍛える数段階の目標、理想のイメージを描く目標、自分の理想のイメージに到達するまでの複数段階の目標、精神的弱さを克服する複数の目標などがあります。そして、これらの目標を一つずつ努力して達成したときに得られる多くの喜びと感動が有ります。

これに対し、コンピューターゲームは、一つのコンテンツを長く続ける性格のものではなく、商業的理由や飽きられないために新しいコンテンツを次から次に注ぎ込んで新しい目標を設定するもののようです。

このように、コンピューターゲームでは、大きな目標達成は小さな目標達成の積み重ねの先にあり、これらを一生の間に楽しみながら充実して実践するという「人の心」を育てる場を提供することはできません。

5. おわりに

WHO(世界保健機関)がゲーム障害を、ゲームに熱中し、利用時間などを自分でコントロールできなくなり、日常生活に支障がでる病気として、国際疾病分類に加える見通しとしているときに、コンピューターゲームを高校の部活動に取り入れることは、若者の精神的、肉体的な健全な発育を任務とする教育者が行ってはならないことではないでしょうか。

また、スポーツでないコンピューターゲームをオリンピックのメダル種目に認定することは、目先の利害に惑わされることなく、声を大にして阻止すべきものと思われます。