富と権力志向の社会から自己実現と協力志向の社会へ

現代においても、中国、ロシア、ミャンマー等では、今の指導者を中心とする支配者層は、国民の命や人権を蹂躙して、支配者層の利益を追求しています。

佐賀県吉野ヶ里遺跡を訪れたときに、国と民との関係に思いを巡らせたことがありましたので、日本における国と民との変遷を概観し、どのような国と民の関係がよいのか模索してみました。

日本の国と民の関係の変遷

旧石器時代は 狩漁や採集で季節ごとに移動しており、狩漁採集に適した小集団で行動していたので、狩漁採集を協力して行う程度の社会活動であり、経験の深い人が親族中心の小集団を先導して移動していたと思います。

縄文時代は、次第に定住生活へと移行し、数多くのムラが生まれました。しかし、富を蓄積するほど生産性は高くなく、各人ができることで他人と協力して食料を得ることがムラに貢献することであり、自然の恵みによって生かされているという価値観で、食べ物を平等に分配し、貧富の差はあまりなかったようです。

弥生時代になると、水稲農耕を主とした生産経済によって富の蓄積が可能になり、貧富や身分の差が生じ、「ムラ」間で土地や水の争いが起こり、「ムラ」が国に統合され、富者がムラ間やムラ内の紛争解決に専念する支配者層になり、農民などの民を支配するようになりました。

これに伴い人々は、「富」と「権力」という欲望に目覚め、富と権力を求めて活動するようになりました。

この富と権力は手中にすると喜びが大きく常習性があるので、人々は満足するところがなく際限なく求めます。さらに、富と権力は、他の欲望に比して他人から奪うものとの性状があり、本質的に自己中心的なものです。

しかし、富と権力に目覚めた日本人は、支配者層の価値観で動く国と被支配者層の民が組織的に富を求め、2万年以上続いた旧石器時代、1万年以上続いた縄文時代に較べて極めて短い2千3百年程の短い期間に今の日本国と国民の関係を築いてきました。

大富豪の大王を中心に多くの「くに」を統合した大和朝廷に始まる天皇中心の時代になると、富の生産量も多くなり、税制も制定され土地と農民は天皇や貴族のものとなって国の財政が安定し、支配者層の支援を受けて武士、僧侶、芸術家などが活動できる国になります。支配者層の価値観から文化や宗教が大切にされましたが、農民を含む人口の大部分を占める民に人権はありませんでした。

争いを武力で解決する専門家である武士の集団が支配する鎌倉から江戸時代になると、戦に強い武家を作るために、主君に仕えることが大切な価値観になります。従って、足軽や農民などの民も、主君に仕えることを第一義に考えなければなりません。

文明開化した明治から昭和初期の日本は、近代化がメインテーマであり、明治維新をリードした元武士の一部を中心とする支配者層の価値観に偏り、民の価値観を実現する政策が執られていたか疑問視する声もあります。

争いを武力で解決する武士が支配する国が終わって10年ほど経過すると、不幸にも、武力第1主義の軍人指導の軍国主義時代に入ります。明治維新を推進した元武士達の価値観に偏った富国強兵政策の申し子でしょうか。

民が生きるための手段として作った国が第一義に存在し、その国に民が命を無条件で捧げるとの非論理性は、軍国主義国家の支配者層の権力志向の極みとしか言えません。

戦後、日本は主権在民を憲法に定め、国民は、物資の生産や製造のみならず、政治、文化活動など自分の能力に適した活動に自分の価値観を定める自由を手にしました。

その中で、日本人は富と権力を求めて努力を重ね、世界が驚く速さで経済大国の地位を獲得しました。

しかし、今、富と権力という欲望を目標に設定し、その目標達成に喜びを感じる生き方に疑問を感じる人々が増えています。

世の中が裕福になり、強い絆の集団に属さなくても生きていける社会になって、自己中心的な富と権力を求めるより、他人と共に喜べる目標達成に努力したいとの価値観が広まってきたのでしょうか。

これからの国と民の関係

上述した日本の国と民の関係の変遷をみると、国民は戦後に、ようやく支配者層から開放されましたが、富と権力の欲望を満たすために走り続けてきた気がします。

昨今の働き方改革、グリーン社会の実現、パワハラ非難、ジェンダー差解消運動などは、富と権力志向の価値観の見直しが始まっていることを示すものだと思います。

富と権力志向の価値観から決別するためには、人々は自分の能力に合わせた「自分のなりたい姿、社会に貢献できる活動」を自己実現の目標として設定し、その目標を達成するための努力と結果に喜びを感じ、国は国民のかかる活動を保障する機関であるとの国と国民全体の強い共通認識を確立することが必要であります。

そのためには、このような価値観を幼少時から教育し、体験させる教育政策が国の大切な役割になります。

縄文人も富と権力を求めませんでしたが、富の量が皆で分けるほどしか得られなかったためであり、現代のような消費社会とは事情が異なります。しかし、1万年も続いたという事実から、皆で協力するためにムラを作り、自然の恵みによって生かされているという価値観の社会は魅力的であった気がします。

富と権力志向の価値観から自己実現と協力志向の価値観に舵を切るとしても、産業が衰退し富が不足すると、民はその時の国を批判し富と権力志向者を歓迎し、国家主義、独裁主義、国粋主義、軍国主義の台頭を許すたことは世界史上の事実です。

このような歴史的な失敗を繰り返さないために、富の生産は人が生きるためのベースであるので、産業政策は人材育成を含めて国の大きな務めになります。自己実現と協力志向時での産業政策は、富と権力志向時より難しいと思いますが、日本が中国やロシアと伍していくためにも働き方改革やコロナ渦でのテレワーク等の先に良い方策を見つけなければなりません。