神的存在と共感して生きる

世界は未完成で、人はその一部

私たちはつい、
「神は万能で、世界は完成に向かっている」
と考えがちです。

しかし、もし世界が完成に向かっているのなら、
なぜ同じような苦しみや不条理がいつまでも繰り返され、
なぜ人は考え、悩み、工夫し続ける必要があるのでしょうか。

このブログでは、
世界は未完成であり、その源にある神的存在も万能ではない
という立場をとります。
神的存在が完成していれば、何もする必要がなく全く変化のない状態となり、無(何もない状態)と同じになります。

人は「補う存在」として生まれてきた

神的存在を含む世界が未完成であるなら、
そこには「補う役割」が必要になります。

その役割を担うのが、
身体と精神を持つ人間です。

人は、考え、選び、行動することで、
世界を心身で実感することです。

生きる意義は「喜びを共有すること」

人が生きる意味は、
ただ命令に従うことでも、
苦しみに耐えることでもありません。

自分で定めた目的に向かって生き、
その各過程で感じる喜びを、
神的存在と共感し、共有すること

これが、生きる意義だと考えます。

目的は独りよがりであってはいけない

ただし、目的は何でもよいわけではありません。

その目的は、
世界を、少なくとも損なわないものである必要があります。

そうでなければ、
世界を補うどころか、傷つけてしまうからです。

神的存在とは何か

ここで言う神的存在とは、
人の上に君臨する支配者ではありません。

無(何もない状態)に向き合いながら、
世界の「あること」を支え続ける存在
です。

だから神的存在は、
人とともに世界を生き、
人の喜びによって豊かになります。

人が多様であるほど、世界は豊かになる

人がそれぞれ違う人生を生き、
違う喜びを見つけることで、
世界は一色ではなくなります。

その多様な喜びが、
神的存在にとっての豊かさでもあります。

命は有限だからこそ意味がある

人の命は永遠ではありません。
死後に別の世界があるとも限りません。

だからこそ、
一世代ごとに新しい喜びが生まれ、
それが神的存在と共有されていく
のです。

終わりがあるから、
今を生きる意味が立ち上がります。

生き切ることが、世界に役に立つ

人は自分の目的を生き切ることで、
喜びを神的存在と分かち合い、
同時に「役に立てた」という満足を得ます。

それは、
誰かに評価されるためではなく、
世界にそっと手を添える行為です。

おわりに

世界は未完成です。
だからこそ、人は必要とされています。

生きることそのものが、
神的存在を源とする世界への参加である

私はそう考えています。