間違った選択をしないために

人は、完璧と思われる自然法則の下だけでなく、完璧性を抑えることで不公平や不自由、不運といった人生の理不尽が避けられない超自然的法則の下でも生活しています。

さらに人は、選択することができる存在であると同時に、選択せざるを得ない存在として意思決定能力を備えています。

そのため、さまざまな場面で選択を迫られ、何を頼りに決めればよいのか悩むことになります。

天才ピアニストと称される角野隼斗氏ですら、ピアニストとして生計を立てられるのかという現実的な不安に、死ぬほど悩んだとNHKのインタビューで述べていました。

このことは、どれほど才能があっても、人が選択に迷わずにはいられない存在であることを示しています。

人間は、宇宙の「存在」に多様性と主体性を与えることで、宇宙を内包する神的存在が「無」に対峙して「存在」を持続する営みを、より強固なものにするために存在する宿命を背負っています。

したがって、人の進む方向とは、神的存在の「存在」の持続に参加することにあります。

すなわち、人の「生きたい」「人の役に立ちたい」「楽しみたい」という願いは、人の進む方向として、長い人類史の中で社会慣習として根付いてきました。

この願いを具体的に実現するために、人は超自然的法則に反しない範囲で、自分の能力に適した好きなことを「成したいこと」として目的に設定し、目的達成の過程でも楽しみます。

そして、この目的を達成する過程で生じる選択においては、超自然的法則に反しない範囲で「その目的を達成するために何が大切か」が重要な判断基準となります。

目的が定まらない間は、生きることそのものを目的にしてもよいでしょう。

敵対関係にある団体間、国家間で利害が絡むと選択は一層複雑になりますが、人類の存続を否定する選択をした集団は、超自然的法則の枠外にあるため、存続に共鳴する人々の思いによって次第に打ち消されていくでしょう。

人類は、神的存在の「存在」の持続に参加できることに感謝し、喜びを感じる存在だからです。

人はなぜ苦しむのか

人はなぜ、苦しみながら生きるのでしょうか。

それは罰でも偶然でもなく、宇宙のあり方そのものに由来します。

神的存在は、自然法則のもとで変化する宇宙を内包し、消滅の可能性を抱えながら、「無」に対峙して「存在」を持続しています。

人間は、その宇宙に存在し、各人が固有の資質を持ち、自然法則および超自然的法則のもとで現実世界を生きています。

そして、超自然的法則に従って生きるよう誘引されながらも、その法則に背く行為を選び得る自由意思を持ちます。

神的存在が「存在」している状態は、決して安定した状態ではありません。「無」に還らず、常に在り続けることには、本質的な厳しさがあります。

人間が生きることに苦しみが伴うのは、その厳しさが生の条件として現れているからです。

とりわけ、現実世界の中で自由意思を行使して自らの目的を見いだすという難題が与えられています。

目的を定め、苦しみに耐えて目的を達成する過程に喜びを感じること、それ自体も超自然的法則のもとで行われます。

この法則は、「存在」を持続させる方向性を示すだけで、完全ではなく不条理を招くことがあります。

完全であれば現実世界での多様性ひいては人間の存在意義がなくなります。
これにより、神的存在が活性を失い、「存在」の持続が弱体化するからです。

現実世界において、利己主義者は、本来は「苦労が喜びへと結びつく」という超自然的法則を、他者の苦しみを自らの利益に転化する方向へと歪めます。

強者が弱者を支配することを当然のように振る舞い、多くの人が、喜びへと結びつかない苦しみを強いられています。

奇跡的な救済は起こりません。

超自然的法則に反して人を救うことは、法則そのものを否定し、超自然的法則を内包する神的存在を「無」へ還すことになるからです。

それでも希望はあります。

多くの人が自らの目的を見いだし、苦労を引き受け、その中で喜びを得るとき、利己主義者の目論みは力を失います。

人が苦しむのは、神的存在がその「存在」を持続するためです。

そして人が喜びを得るのは、その厳しさを引き受け、自覚的に生きた証なのです。

感謝すること

現実的身体を持たないという不完全性を備えた神的存在は、自然法則のもとで変化する宇宙を内包し、消滅の可能性を抱えながら、「無」に対峙して「存在」を持続しています。

宇宙には、外界に反応する様々な生物(命)が、物理的な自然法則と、生きる方向性のみを示す、不完全で時に理不尽を招く超自然的法則のもと、それぞれに異なる生き様で生息しています。

神的存在は、それら多様な生物が生きること(存在)によって味わう喜びを共有することで、自らの「存在」をより強く確認しています。

とりわけ人間は、現実世界の中で自らの目的を見いだし、その達成の過程で喜びを体感することで、神的存在の不完全性を補いつつ、高度で多様な「存在すること」の喜びを共有する存在です。

そんなわけで、私は就寝前に、今日一日、健康で暮らせたことに感謝します。

「生きたい」という目的を達成し、神的存在の「存在」の持続に参加できたことに、静かな喜びを感じます。

私は、超自然だが万能ではない神的存在と共鳴できます。

あなたは、何に感謝しますか。

たとえば、友の手助けに感謝を伝えるとき、友と共生するという二人の目的達成の喜び、さらに、その喜びを神的存在と共鳴できたことによって、人は深い安心感に満たされるでしょう。

目的の多様性と目標の多層性

私は前に、自分で定めた目的に向かって生き、その各過程で感じる喜びを、神的存在と共感し、共有することが、生きる意義だと述べました。

神的存在は、自然法則のもとで変化する宇宙を内包し、「無」に対峙して「存在」を持続しています。

人間は、その宇宙に存在し、能力や価値観に応じて多様性に富んだ目的を設定し、自然法則および理不尽を招く虞もある超自然的法則のもとで現実世界を生きています。

目的は、現実世界に少なくとも損害を与えないものであればその時点で「やってみたい」と思ったことを設定してよいと思います。

あるいは、「生きること」そのものを目的にしてもよいでしょう。

自分にもっと合うものが後で見つかれば、そのときに変更すればよいのです。

目的を達成するためには、各ステップでその目的を達成するための目標を立て、先ず、その目標を達成した状態にあることが必要です。

各ステップは、意識の深さや時間軸の違いによって、いくつかの層を成しています。

1.即時的な行動の層

その場で取る言動や態度。怒りを抑える、立ち止まる、言葉を選ぶなど。

2.習慣・技能の層

繰り返しによって身につく行動様式。傾聴の習慣、健康管理、学び続ける姿勢など。

3.価値観・判断基準の層

何を優先するか、何を大切にするかという内面的な基準。

4.生き方・目的意識の層

人生全体をどう生きたいかという根本的な方向性。

これらの層は上下関係ではなく、互いに影響し合いながら目的達成を支えています。

大きい目的を達成すれば、たゆまない努力に対する達成感や多くの人々からの称賛など生きる喜びも大きくなります。

しかし、成長段階や老化、病、不運、挫折などしたときは、大きい目的にとっては目標であること、たとえば「言葉を選ぶ」を目的に設定するマイペースが望まれます。

この目的「言葉を選ぶ」を達成するためには、例えば、1.では、「行動する前に一呼吸おく」、2.では、「学び続ける」、3.では、「人間関係を大切にする」、4.では、「他人を大切にする」という目標を達成した状態にあることが必要です。

このような小さい目的でも、人は自分の目的に向かう各過程で生きる喜びを神的存在と分かち合い、同時に神的存在の「存在」の持続に役に立てたという喜びも感じることができます。