80にして平和を祈る

今年は80にして平和を祈るになりそうです。

個人は心を他に支配された状態、国は他国に支配された状態は平和と言えません。

心を他に支配されない方法が心理学で色々研究されています。

最近、星 友啓著 「全米トップ校が教える自己肯定感の育て方」に書かれていた心理メソッド「ディスタンシング」の一つを行ってみました。

私と同じ悩みを持っている仮想A君を心に描いて声を掛けるのです。

「A君、お前のあの時の努力と準備不足では当然失敗するよ。事実は変わらないが、これから頑張れよ!」でした。

このようにA君を励ますと、私の悩みも霧散し心が軽くなりました。

心が社会や他人の価値観に呪縛され自己肯定感を蝕んでいたのでしょうか。

A君に掛けた言葉が現在の自分の真の価値観であるので、ストンと腑に落ちたのでしょう。

腑に落ちない場合は、自分が尊敬する歴史上の人物Bに悩みを話して励ましてもらうのはいかがでしょうか。

自分が尊敬する人物Bは自分の価値観に近い言葉で励ましてくれそうな気がします。

日本では、心理学や心理メソッドは、心の弱い人のためのもの、あるいは洗脳の道具に近いと考えている人が多い気がします。

そんなものではなく、人々の心を自由に、柔軟に、より強くするものであり、子供たちに早くから教えることにより、不登校、いじめ、自殺などの負の面を改善するだけでなく、自己肯定感が強く、自分の価値観を実現していける強い心の人に育つと思います。

国が他国を支配しようとするのは、支配者が貪欲や妄想に捉えられ、自国民、他国民の自分らしい生き方をサポートするという初志を見失い、国民も支配者の妄想に呪縛され自分の誇りを捨ててしまった成り行きでしょう。

心理メソッドを学んで実践し、自らの心理状態を常に健康に維持する謙虚さを備えた人を為政者に選出することも国民の大きな責務だと思います。

独裁者をなじるだけで平和に役立つ行動ができずに祈るしかないことを悔やみ、学校教育で心理学や心理メソッドを学んだ若者達が強い意志で平和に満ちた社会を築いてくれることを願っています。

人類の存在意義

人類の存在意義は何なのでしょうか。

「最先端の生命化学を私たちは何も知らない」吉村 保著を読んで、オールマイティの創造主の存在と人類の存在意義を再考させられました。

同著によれば、細胞は、各種タンパク質や各種機能をもった細胞小器官等を内蔵した階層構造の生命の基本単位です。人間は、種々な働きを行う多種類の約37兆個の細胞で構成されています。

各細胞の細胞小器官の一つである核には、人ひとりつくるのに必要な情報であるゲノムを示すDNA鎖が内蔵されています。

各細胞は、人体の臓器や組織に必要な機能や形状を持つように生成され、必要な場所に配置されるようにゲノムに基づいて一つの受精卵から分裂して生成されます。

このような緻密で雄大な生命の仕組み、これを解明していく人類の英知をみるとき、創造主の存在を確信するとともに、人類は突然変異によってではなく、創造主の一部機関として誕生したものであるとの推論に達しました。

「無」と対峙するオールマイティの創造主は、ひとり一人が自らの意思で自由に行動する人類を必要最低限の仕掛けを組み込んで誕生させたと想像します。

そして、創造主は、このような人類のひとり一人が感じる存在観に共感することによって自分の存在を客観的に確認されているのではないでしょうか。

最低限の仕掛けとして、自ら生きる」、「生存を喜ぶ」、「変化する」の能力を人類のDNA鎖に書き込まれたと想像します。

「生きる」は生命欲であり、心身に備わっています。

人は、自分の立てた目標を達成したことに「生存の喜び」を感じます。

全く変化しないことは「無」と同じです。

人類は、DNA鎖に書かれた三つの仕掛けに従いながら環境の転変に対応して変化あるいは進化してきたのではないでしょうか。。

人々の能力、性格、身体、欲望の多様性、および個の生老病死も「変化する」の発露だと思います。

1匹の蜜蜂が生涯で集める蜜の量はティースプーン1杯ですが、世界の年間生産量は200リットル入りドラム缶約600万個にもなるそうです。

人類もひとり一人が個性に応じて活動し、生きる喜びを感じながら変化し、創造主と存在観を共有することに存在意義であると思います。

少人数の人々の存在観では不十分であっても、膨大な数の人々の存在観によれば創造主も自分の存在観を実感できるのではないでしょうか。

戦争は、「生きる」、「生存を喜ぶ」に反して多くの死、悲しみをもたらし、人類をご自身の一部機関として創造された創造主の意思あるいは人類を冒涜するものであります。

絶対主義国家は、一国家の存続、強い国家、独占体制の維持を求めるものであり、国民ひとり一人が生きる喜びを感じつつ変化し生きることによって創造主と存在観を共有するという人類の存在意義に悖るものであります。

各国の為政者は、人類の存在意義を熟考し、我欲追求に汲々とするのではなく、国民ひとり一人が個性を活かし生きる喜びを感じて生活できる場を提供することを政治目標に設定し、高い理想と誇りをもって政治活動に精励して欲しいものです。

余談ですが、例えば、舌の味細胞を一つの受精卵から分裂して舌の特定位置にどのようにして配置するのか不思議に思い、解明済みかもしれませんが、同著の一節「仮説と検証が化学の基本」に従って仮説を立ててみました。

癌細胞は無限に増殖するが、正常な細胞は約37兆個になると増殖が止まると記載されているので、各細胞は何回目の分裂によってできた細胞か認識し記憶していると推測します。

受精卵の背番号を1とすると、1回目の分裂後の2個の細胞は、自分の背番号を1,1+2=2と認識し記憶します。2回目の分裂後の4個の各細胞は、分裂前の2個の細胞の背番号1,2を受け継いだ細胞と、分裂前の細胞の背番号1,2に、分裂回数2から1を引いた回数だけ2を乗算した数(22-1=2)を加えた1+2,2+2の背番号の細胞となります。

同様に、n回目の分裂後の2個の細胞は、分裂前の2n-1個の細胞の背番号を受け継いだ細胞と分裂前の細胞の背番号にn-1を加算した背番号の細胞になり、各細胞は自分の背番号を認識し記憶します。なお、一つの細胞が分裂できなかった場合、隣の細胞が2回分裂するなどの校正情報もDNA鎖に記載されていそうです。

分裂した背番号Aの細胞は、内蔵したDNA鎖に記載された背番号Aの細胞に必要なタンパク質や細胞小器官等を受精卵から備わっているタンパク質や細胞小器官で作成し、その位置に必要な種類の細胞になります。

例えば、舌の味細胞でない背番号Aの細胞から分裂した味細胞になるべき細胞は、ゲノムに基づいてその背番号の味細胞に必要なタンパク質、細胞小器官や形状等を自ら生成し所定位置、所定形状の味細胞になるのではないでしょうか。

このようにして人体を臓器、組織を含めて約37兆個の背番号の付いた細胞で構成することができます。

人は感情が伴わないと動かない

文化、文明が高度に進化した現代社会において、国民を犠牲にする独裁者が多くの国で出現する不可解や、日本の政権与党の政治家が邪教の食い物にされる不思議が起こるのは何故でしょうか。

これらは人間の性質がもたらすものでしょうが、どのような性質が要因になるのか考え、不可思議なことが起こらないようにする手立てを探ってみました。

要因になりそうな特質として、まず、人間は、喜怒哀楽、欲望、恐怖などの感情が伴わないと行動しません。

従って、人間の知性に基づく社会学、自然科学などが高度に進歩した現代においても、知性だけで行動を起こすことはありません。

例えば、史実だけでその顛末の面白さをしらないと歴史を学ぼうと思わないでしょう。

人間は、生きていくために自分を守るという自己保存本能を備えています。

これには、存在し続けたい、自分を守るために真実を曲げる、仲間外れになりたくないなど保身的な面があります。

そして、人間は、経験、教示、想像などに基づいて心像空間を各自の脳内に築き、言葉で他人と共有する心像空間共有能力を備えています。

これは高い文化、文明の形成を可能にする人間の素晴らしい能力ですが、反面、似た者同士が集団を作って他者を排斥あるいは集団の思想に感化、洗脳するという負の側面を有します。

現代社会における独裁者の出現と人間の性質との関係を整理すると、先ず、例えば恐慌、侵略等の危機から国を守った英雄が出現します。

人が窮状時に受けた感謝、信頼などの感情に対する執着は強く、英雄に対する敬畏の感情はその国の社会通念になります。

自己保存本能が異常に高く、他人の欲や自己保存本能を操る才能に長けた独裁志向者が英雄または後継団体に出現し権力を手中にすると、国家の統治機構を自分の親派で固めていきます。

国家が困窮状態あるいは権力闘争状態になると、独裁志向者は、英雄または後継団体に対する国民の畏敬、国民や反対勢力の欲や自己保存本能を巧みに利用して権力を強化します。

独裁者がその強い自己保存本能を発揮する怖さを体験したことがない国民は、独裁者の弊害を理性で理解していても、自分の身に降りかかる恐怖という感情で捉えていないので、独裁志向者が権力を強化していく政策に反対する行動を、各自の自己保存本能も働いて国民的な盛り上がりで行なわないうちに独裁者が誕生します。

日本の政治家が邪教の食い物にされたケースでは、先ず、自分の思いを他人に信頼させて他人の心像空間に入り込む能力、および他人の欲や自己保存本能を操る才能に長けた邪教教祖が出現しました。

邪教教祖は、反共産という思いを日本の大物政治家と共有し信頼を獲得し、何らかの利害関係を築いたと言われています。

大物政治家の子孫である某政治家は先祖が信頼して築いた邪教教団との利害関係を多少の疑義に目をつぶって継承したのでしょうか。

某政治家に近い政権与党の政治家は、某政治家が信頼する邪教教団を自己保存本能も働いて利用したつもりで利用されたのでしょう。

独裁志向者の権力強化策や邪教教団の洗脳活動を阻止するために、独裁者や邪教教団は国民や信者を犠牲にして自分の権力、利益などの我欲を追求するという怖さを、知識としてだけでなく感情面でも国民に強く伝達する工夫が必要だと思います。

ロシアのウクライナ侵略でも、市民の死傷、市街の破壊などの報道が視聴者にウクライナ人の憤怒、悲しみの感情を伝達し、ロシアの蛮行に対する怒りの感情を起こさせたことが、巨大な支援活動の原動力になっていると思います。

大多数の国民もマスコミも、心像空間で邪教を信じるように洗脳された信者やその家族の悲惨を感情で把握することができず、某政治家の不幸な死によって感情に訴えられるまで邪教教団の解散を求める行動を起こさなかったと思います。

報道は事実を伝えるものであり、偏った感情を伝えて人々を煽動することがあってはなりません。

しかし、理不尽な出来事については、被害者の感情を想像させる多くの事実を長期間に渡って伝達し、国民に同情や怒りの感情を誘発させて理不尽を解消する行動を起こさせるような報道を期待します。

プラトンの理想国家ポリティアに学ぶ

プーチン体制の不正で残虐なウクライナ侵攻を他人事として捉え支持する人が多かったロシア国内において、予備役の部分的動員令が発動され危険が我が身に迫ると、抗議デモや市民の国外脱出で混乱が生じていると報道されています。

このような報道に接し、古代アテナイの哲学者プラトンが描いた理想国家および国民をベースに近代における好ましい国家と国民について考えました。

プラトンの描いた理想国家(ポリティア)は、統治者が理性的な知識で国内外の諸問題を上手く解決し、軍人が勇気をもって国家の安泰を維持し、農工商の産業人が欲望を節制して生産に専念するものです。

国民は、知識、勇気、節制を身に着けて、理想国家実現に資することによって幸福になれるとしています。

アテナイ人にとって、国家は人間の生存基盤であり、非国家的な人間は理想的な人間になることができませんでした。

当時、アテナイでは、後に衆愚政治と揶揄される民主政治が行われており、高い徳も能力もない者が統治者になっていました。

このような病めるアテナイを憂い国家のあるべき姿を描いたものがポリティアです。

統治者、軍人、産業人が夫々の徳を有し各職務に専心すれば、国家の徳である正義が実現されるとしています。

このような最高の徳を身につけた哲人政治家が統治するのであれば、国民も国家の役に立てるように努めるでしょう。

しかし、現実には、徳のない統治者が、名誉や富のために利己的に権力を求め、或いは暴力で権力を取得しようとします。

このような現実下では、プーチンの蛮行を防げない責めはさておき、ロシア人の抗議デモや市民の国外脱出に国家に裏切られた国民の悲哀を感じます。

我が国の現状と理想国家との相違点を洗い出し、相違点を如何にすれば小さくできるか検討することによって国民が幸福で強い日本国をつくる糸口にすることができる気がします。

先ず必要なのは、能力が高く国政に専心できる理想的な政治家の輩出です。

各国民が徳の高い政治家を慎重に選挙で選出する弛まない努力が理想国家に近づく第一歩ではないでしょうか。

現実には哲人政治家は存在しえませんので、選出した政治家の行動を国民が注意深く監視し、利己的な政治活動を諫めなければなりません。

さらに、日本国をよくするために国政に携わることを志す高い能力の人が増えるような土壌も必要です。

現代においてもプーチンのような不正な侵略者が出現する以上、国家の重要な役割は、プラトンの時代と同様に、軍が国民と国土を外敵から守ることです。

自衛隊が国軍として勇気をもって日本国を防衛できる体制を構築しなければなりません。

人間は各自が多様な自己実現能力を発揮してそれぞれの目標を達成し、生きる喜びを創造主とともに共感できると幸福になります。

産業人は、科学、産業、芸術、スポーツ、娯楽などの各分野で、自分の才能や興味に合致した「自分のなりたい姿、社会に貢献できる活動」等を目標として設定し、その目標を達成するための努力と結果に喜びを感じながら国家に貢献します。

現在の日本国とポリティアにおいて国家と国民との関係での大きな相違点は、ポリティアでは産業人は国家のために存在するとしたのに対し、現代の日本では民衆のために国家が存在することではないでしょうか。

哲人政治家が統治するポリティアでは、この相違点が国民に大きな負担を負わすことは無いでしょう。

しかし、徳のないプーチンが統治する全体主義国のロシアでは、国民は不正なウクライナ侵略で命を無意味に落とし、或いは兵役を逃れるために国外に脱出するという不幸を余儀なくされています。

民主主義国の日本においても、民衆が過度に自由を求め、欲望を節制することなく国家の調和を乱す活動を繰り返すと、アテナイで起きたように民主政治から衆愚政治に陥落する不幸に見舞われます。

民衆はプラトンのいうように自分の職務に専念するだけでなく政治に関心を持ち、有能で徳のある政治家を選出し、自分の利益を国政に求めるだけでなく、国家にとって有益な意見を発信し、哲人でありえない政治家をサポートし、理性的な知識をもった統治者に育てる必要があると思います。

民主制をより良くできる人を選ぶ

人の不安や迷いを利用し、キリスト教を隠れ蓑にして、我欲を達成した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の宗教的詐欺師に、日本の二人の首相と多くの国会議員が取り込まれていた事実に強い憤りを感じました。

旧統一教会の設立者が一流の詐欺師であることは、彼が16歳のときに、キリストから再臨主の使命を啓示されたとしながら、人々に何らかの救いも与えることなく、莫大な私財を蓄えて92歳で没したことが示しています。

彼が生前に行ったことは、反社会主義の風潮を目ざとく察知し政治家との関係構築のために行ったまやかしの反共運動、人の悩みや不安に付け入った霊感商法、合同結婚式などです。

これら活動によって迷える子羊を食い物にし、政治家の信頼や力を利用して、低俗な利己的欲望を満たしたに過ぎません。

このような政治家を取り込む詐欺師の活動が、警戒されることなく社会に浸透していた事実を目の当たりにしたとき、人の欲望とその達成方法、いわば人生観は人様々であり、新たに付き合う人や選挙での立候補者の人生観を見極める大切さを再認識しました。

人の人生観を見極めることは至難の業ですが、行動が利己的であるか利他的であるかを判断基準にして人を大別してみました。

人間は、生きる喜びを求めるという利己性とともに、他人や社会に貢献したいという利他性を備えています。

他人の利己性を犠牲にして我欲を追求する人生観は、現代社会に求められている価値観の多様性の範疇外のものでしょう。

1.唯利己主義者

他人を利用し犠牲にして自分の利己的な我欲のみを追求する人を唯利己主義者とします。

カルト宗教家、サイコパス、天才詐欺師などがこれに含まれます。

2.准利己主義者

利他的な活動も行うが、自分の強い欲望を満たすためには他人の利用・犠牲を厭わない人を准利己主義者とします。

例えば、政治家としての地位を保つためにカルト宗教団体と関係を持つ政治家、従業員を食い物にするブラック企業の経営者などがこれに含まれます。

3.貢献願望者

自分の才能や欲望に基づいて設定した目標を達成することによって他人や社会に貢献することに喜びを感じる人が貢献願望者で、大多数の人間がこれに含まれます。

より多くの人が生きる喜びを実感できる社会を協力して築くために、貢献願望者は、唯利己主義者や准利己主義者の利己的な行為に常に注意を払わなければならないと気づかされました。

そして、社会の構築を委託する政治家を選出する選挙では、立候補者の人生観を見極めて投票しなければなりません。

また、政治が家業になると、利己主義的な人間関係も伝承される弊害が生じるので、より多くの人が生きる喜びを実感できる社会を築くという志を持つ貢献願望者が積極的に立候補される必要性を感じました。

4.自己探求者

人や社会との関係より、自分が探求したいことについての知識や技能を高めることに熱心な人で、芸術家、学者、職人などに多いです。

政治や地域社会に関心の薄い貢献願望者も自己探求者に近いでしょう。

民主制は、より多くの人が生きる喜びを求めることができる共生社会を築くための制度として現時点では最良のものだと思います。

自己探求者も立候補者の人生観を見極めて投票し、共生社会を自らの手で築くように心掛けなければならないと感じました。

5.自己喪失者

不安、挫折、恐怖、貧困、虐待などによって利己性より利他性を尊重する自己喪失に陥った人が自己喪失者です。

社会による自己喪失者の救済が不十分である場合、唯利己主義者や准利己主義者が自己喪失者を利用するでしょう。

ロシアのウクライナ侵略において、ロシアの軍人は、プーチンに利用されている犠牲者だと思います。

ウクライナの軍人は、ウクライナを侵略から守るという目標を達成するためにロシア軍と戦いウクライナ国民に貢献することに喜びを感じている貢献願望者でしょう。

人は様々な人生観を有し、他人の人生観を見極めることは難しいですが、社会に貢献することによって生きる喜びを実感するという人生感の貢献願望者を、国民のための政治を行うとともに民主制を改善できる議員に選出し、日頃から活動を注意深く見守ることが必要であると思います。

バウマン著 退行の時代を読んで

2017年没のジグムント・バウマンは、著書「退行の時代を生きる」において、ナチスのホロコーストを念頭に置いて人間の内部に潜む残虐性は、文明化の過程でうわべを取り繕ったものの根絶も矯正もされていなく、人間の本性から消えたわけではなかったとしています。

独ソ戦は、残虐性をあらわにした二人の人格破綻者、ヒットラーとスターリンが強迫観念に駆られて繰り広げた殺戮戦であり、勝利国ソ連では、1100万人強の軍人が戦死、行方不明になり、全体では3100万人強の軍人、市民の命が失われました。

独ソ戦勝利を誇るロシア国民には、国のためには自国民および他国民の命を犠牲にしても厭わないとの価値観が根付いているのでしょうか。

その後90年も経たないうちに、スターリンに憧れるプーチンはウクライナを侵攻し、残虐で邪悪な行為を繰り広げています。

人間は、最下層の身体層の上に知能層と心層が重ねられたもので、残虐性は身体層の性状で人間の本性ではないでしょう。

知能層は、コミュニケーションによって他人と共有可能な心像空間を過去の記憶や経験などから脳内に形成し、心像空間に自分の価値観や理想を形成します。

最上層の心層は、残虐性や利己性などの身体層の欲求を抑え、他人への貢献や共存共栄を目的とする種々の目標を達成するために鍛錬しなければならない精神力、例えば、自己肯定力、忍耐力、包容力、集中力、度胸などです。

ヒットラー、スターリン、プーチンは、幼少期に受けた父親からの虐待によって心層に大きな傷を負い、成長期に矯正されることもなく、残虐性をコントロールできずに人間の尊厳を冒瀆しているのでしょう。

人間の存在意義は、各人が多様な才能を発揮して目標を達成し、生きる喜びを創造主とともに共感することだと思います。

同著では、人間は、その残虐性に満ちた自然状態に秩序をもたらすために国家を形成したと述べています。

人間は、有史以来、さまざまな形態の国家を経験する中で、各人が知能層や心層を十分に発育させて存在意義をより高めることができる国家の形態を模索してきました。

現在の民主主義国家は、ジェンダー平等、多様性の尊重などが唱えられ、人間の存在意義を具体化するためによい社会を形成することができると思います。

これに対し、国家の価値観に国民を洗脳する独裁体制国家は、各人が多様な才能を発揮して生きる喜びを体感するという創造主の意思に反するものでしょう。

民主主義国家の国民は、高い知能と成熟した心を働かせ、強い団結と協力でウクライナ支援を継続し、ロシアの残虐行為を阻止すると思います。

今回のロシアのウクライナ侵攻は、ソ連崩壊後再び西側諸国に追い詰められたロシアが、心を病んだプーチン指導者の下で全盛期のソ連に退行を試みた気がします。

ロシアは今回の残虐行為を反省させられることになると思いますが、勝者にも敗者の尊厳を守る対応が求められるでしょう。

バウマンは、民主主義国家は、政治を地方に移譲した結果、地方で同族主義への回帰が進んでいるとしています。同族主義は、国家から個人を解放するものではなく、同じ考え方をする人々が同族集団を作るという思想です。

同族集団は他の集団の考え方を頭から否定するので、よりよい折衷案を生み出す余地がなくなる面があります。

ウクライナ支援に対しても様々な同族集団が現れるでしょうが、民主主義国家は、人間の存在意義を強い心で守り抜くことができると思います。

バウマンは、1980年代から盛んになった新自由主義下では、国家権力を縮小し、自由競争を奨励したことにより、民主主義国家において貧困者が増大するなどの残虐性が増加していると述べています。

民主主義国家において自由競争を唯一無二の政策とすることなく、創造主の意思でもある多様性の尊重を念頭において、自己責任論を多様な価値観の一つとして位置づけ、不平等への回帰を避けなければなりません。

自由競争に疲弊し、同族主義にも癒やされない人々が、自分自身のために生きるという自己への回帰を防止するために、多様な価値観を尊重する政策の実行と社会風土の醸成が望まれます。

全体主義国家に対する危機管理

21世紀に何故、目を覆いたくなるようなプーチン大統領の愚行が出現したのでしょうか。

民主主義国家の全体主義国家に対する危機管理において、技術を含めた通商面で甘さがあったことが一因であると言われています。

そこで、全体主義国家に対する平時からの危機管理について考察しました。

自分の価値観を化体する理想に沿った目標達成の喜びを創造主と共感することが人生の意義と信じている立場から、民主主義に沿った価値観、理想を正とし、それに反するものを誤とします。

人間は、物と時間から成りたつ物質空間と、コミュニケーションによって他人と共有可能な脳内に築いた心像空間からなる現世に目標を定め、「身体」、「知能」、「心」を使って目標達成の喜びを求め、長くも短くもある一生涯を繰り返すもののように思います。

「身体」は、一生涯の間に、成長、成熟し、老化して消失します。

「知能」は、現在の社会情報、知識、思考力に基づいて心像空間を形成し、各種情報、私欲、思考力に基づいて心像空間に自分の価値観や理想を形成します。

知能の一部である知識は、数百世代にも渡って蓄積された知識を吸収し、その上に現世代の知識を積み上げていくことができます。

このため、科学進歩はめざましく、兵器も殺傷能力を飛躍的に増大していきます。

「心」は、欲求および自己抑制力であり、個人一世代限りのもので、年齢とともに向上し、場合によっては稚拙になります。

マズローの欲求5段階でいうと、1段階目の生命を維持する生理的欲求が原始的で一番強く、5段階目の自分の理想を実現する自己実現欲求が最上位ですが一番弱いでしょう。

これが、総論では理想に賛同し、各論ではパンを優先する人間の性の素であり、反面、理想に沿った目標達成の喜びが大きくなる素だと思います。

自己抑制力は、欲求をコントロールする能力であり、執着力、忍耐力、行動力、自己肯定力、自信、集中力、度胸、協調力、包容力などです。

心の発達は、自分の目標を達成するための動機付けとなる欲求と、他人、集団、環境のために自分の欲求を抑制する自己抑制力とを適切に調整する心や、パンを我慢して理想を求める心に近づくことでしょう。

個人の価値観や理想は、欲求、能力、取得知識、成長過程、現状などの個人情報、および世論、国民の価値観、国状、国の歴史などの祖国情報に基づいて形成されます。

プーチン大統領は、一部の国民の価値観、祖国の歴史や現状、個人の欲求、成長過程や現状などから、多くの人々や現世が望まず、創造主の意思に沿わない自分の価値観を化体したソ連帝国という誤った理想を形成したのでしょう。

ソ連帝国は約70年も昔のことであり、世界状勢は現代と大きく異なり、兵器も知識の積み上げで飛躍的に殺傷能力が高くなっている現在のものと異なります。

ところが、プーチン大統領の自己抑制力は、70年前の指導者より向上せず寧ろ権力欲と加齢で稚拙になっていたのでしょう。

プーチン大統領は、時代錯誤した理想と、稚拙な心と、殺傷能力が飛躍的に高くなった兵器とがミスマッチングした状況下で、多くの人々や現世が望まず、創造主の意思に沿わないソ連帝国という誤った理想の実現に向かって行動を開始したと想像します

このような国家指導者の誤った理想を実現するための行動を阻止するための危機管理が強く望まれます。

危機管理の面から、国家指導者の自己実現欲求に基づく価値観や理想が、多くの人々や現世が望むことか、或いは創造主の意思に沿うものか否か平常時から監視し、必要な対策が講じなければなりません。

例えば、対象国の指導者が持っている価値観や理想が誤ったものである度合いを人工頭脳AIを使って判定し、危険値に応じた対策、例えば最先端技術の輸出禁止などを平常時から講じます。

AIへの入力は、指導者の欲求、成長過程、現状などと、祖国の世論、国民の価値観、国状、歴史などが必須項目です。

全体主義国家では、国民は国家のために存在するものであり、国民の価値観もそのように洗脳されています。

全体主義国民の価値観を具現化することは、自分の存在意義である国家が大きくなることであり、指導者が国民の支持を得るために覇権主義を取ることは必然です。

覇権主義を本質的に備えている全体主義国家が存在する以上、各民主主主義国家は応分の軍事力を備え、覇権の実行を一体となって抑止しなければなりません。

全体主義国家との通商は、その国民の個人主義的価値観の理解度に応じて制限する程度の配慮が必要だと思います。

民主主義国家においても、個人の尊重は理想ですが、パンへの欲求はもっと強いです。

民主主義国民が全体主義国家に対する危機管理から生じる経済的な不利益を我慢し、必要な対策の実行に協力することは当然の責務でしょう。

人間の価値観の形成には長い年月を要し、国民の3割ほどの価値観を変えるには半世紀ほども掛かります。

開発途上国への経済支援においても、パンと個人の尊重とをセットにし、少なくとも50年間危機感をもって続けないと、民主主義を根づかせることはできず全体主義の後塵を拝する恐れがあります。

国民は国家のために存在するものであるという価値観を有する全体主義国家の国民も、個人の能力、興味にマッチした各人の価値観を形成し、自分の価値観を化体した理想に沿った目標を達成する喜びを創造主と共感できる世界になることを願います。

ウクライナに勝利を

ウクライナ戦争がウクライナ勝利で早く終結することを希求するなかで、戦争犯罪者に凋落したプーチン独裁者への憤り、人間の弱さに対する虚しさと強さに対する期待、国家権力が国民に与える利害を思いながら、人間が行う行為とその動機について考えました。

人間は生きるための判断基準と学習能力を生まれつき備えています。

例えば、産まれて間もない赤ちゃんも甘いミルクは飲みますが、渋いお茶は吐き出して二度と口にしません。

このことから、行為の動機となる個人の価値観は、生きることに有益な行為は善、有害な行為は悪であるという生来の価値基準が根底にあると思います。

人間は、このような判断基準と学習能力をベースにして自ら行動し、学習し、他人や社会から教えられ、行為に対する自分の価値観を築きます。

人間の行為は、動機によって「行うことを欲する行為」、「行わなければならない行為」、「行ってはならない行為」に区別されると思います。

「行うことを欲する行為」は動機が欲求であるので欲求行為と呼びます。

「行わなければならない行為」は、動機が義務的であるので、義務行為と言えるでしょう。

「行ってはならない行為」は、その行為が有害であるという動機で禁止するので禁止行為とします。

欲求行為は、心理学者アブラハム・マズローの欲求5段階説など種々研究されていますが、自分の能力や興味に基づいて自らが設定した目標に向かって行動し達成したときに実感する存在意義や喜びは、人間の生きることへの動機とも言えるでしょう。

創造主が人間に望まれることは、各自の善い欲求行為を互いに認めて尊重し、協力してより多くの人が楽しく生きることだと思います。

従って、欲求行為でも、例えば、薬物使用や詐欺など自分や他人の善い欲求行為を害する行為は悪い欲求行為でしょう。

人間の知的活動を模して創作されたコンピューターは、出荷時には、学ぶ能力や外部からの要求を取捨する能力を基本ソフトに記憶されているだけですが、学習させることによって、例えば人工知能のように驚くほどの能力を有するようになります。

コンピューターが偶然に出現し得たものではないのと同様に、人類は突然変異で誕生したものではなく、創造主の人間と共に喜びを共感したいという動機から創造されたものであると推測します。

義務行為は、望むか望まないかに拘わらず自分、他人、あるいは集団や国家のために行なわなければならない行為です。

例えば、つらい練習をすること、疲れているときに老人に席を譲ること、当番で掃除をすること、税金を払うことなどが義務行為でしょう。

禁止行為は、例えば悪い欲求行為、脱税、侵略などのように自分、他人、自国あるいは他国にとって有害な行為です。

ロシアのウクライナ侵略は、プーチン独裁者の利己的な行為が4千4百万人強のウクライナ人の善い欲求行為を蹂躙し、創造主の意思に反する禁止行為であることは明々白々です。

ゼレンスキー大統領やウクライナ兵および市民は、独裁者の悪と戦うために行なわなければならない戦闘義務を、愛するウクライナ国を守りたいという善い欲求行為に昇華して勇敢に戦っているように思います。

逆に、ロシア兵は、戦闘義務を独裁者から強要され、禁止行為であるにも拘わらず、創造主の意思に反して戦わなければならないという悲劇に見舞われている気がします。

ウクライナに勝利を

共生主義日本国の学習システム

国の学習システムは国家の根幹を成すものであり、各国ともより優れた学習システムを模索して試行錯誤を繰り返しています。

国力は、国の経済、政治、軍事、文化、福祉などの総合力です。

従って、学習システムにおいて国家の実益を優先し過ぎると短期的には国力が高揚しますが、長期的には国民が疲弊し幸福感が低下して国力が低下すると思います。

共生主義日本国の学習システムは、各国民が自分の目標達成に喜びを感じて生きるための能力を習得するとともに、日本の国力高揚におおいに資するものでなければなりません。

学習システムには、家庭・学校・社会での教育、自己学習、社会風土からの示唆などがあります。

人間が誕生後最初に受ける教育は、家庭教育です。

両親の深い愛情と後ろ姿は、人の生きる大きな力になります。

さらに、両親が躾、生まれ持った才能を活かして生きることの喜び、忍耐力、自他個性の尊重などの基礎能力を子供に授けることは、国民育成の基礎であるとの社会通念を醸成する必要があると思います。

日本の学校教育は、2020年教育改革で思考力重視の方針が出されていますが、まだまだ道半ばの状態ではないでしょうか。

何のために生きるか、勉強するのか、言葉(数字を含む)によって頭の中に構築し言葉によって他人と共有する概念の世界と現実の世界との関係について考えるなど、若い時に自分の頭で考えて論理立てする思考力を鍛えることは、国民が生まれ持った才能を活かして楽しく生きる能力を習得すると共に、国家が科学技術、産業、政治、文化など全ての面で国力を向上するのに有効であると思います。

また、例えば、図工が95点で、国語、算数が40点のA生徒より、図工、国語、算数が60点のB生徒の方が、成績を上位とするような順位付けには弊害がないでしょうか。

A生徒の方がB生徒より劣っていると受け止めかねない評価をすることは、人間の才能は生来多様であることを忘却した人格無視の気がします。

A生徒については、図工においてトップクラスと評価し、国語、算数については社会常識として必要な程度の知識は身につけましょうとコメントすることで、A生徒は、自分の才能で力強く生きる能力を伸ばし、国家に貢献する国民に育つと考えます。

自己学習は、生まれ持った才能を活かして成し遂げたい目標を達成するという欲望を工夫と努力で追い求めるうちに学習することだと思います。

学校教育として、ドイツのように小学校卒業時に、就職を前提とする基幹学校、実務的な職業教育を受けるための実科学校、大学進学のためのギムナジウムから一つを選択する3分岐型教育は、10才で自分の才能を見極めることの困難さ、早くから進路を振り分けることで教育格差、ひいては所得格差が拡大するなどの弊害が生じているようです。

これらを踏まえて共生主義日本国では、中学校に自分の才能、成したいことを見極めるためのカリキュラムを用意し、進路を自ら決定した生徒は、成したいことに応じて選択した例えば、科学、職人、芸術、スポーツなどのコースで学習するというような、個人の生甲斐および国益に供する教育制度の創設が望まれます。

コース選択の誤りに気付いた場合、学生時代はコース変更を可能とし、社会に出た後は選択し直したコースで学習できる福祉政策と関連づけることも必要だと思います。

個人は社会風土からも多くのことを示唆され、自分の価値観の形成に大きな影響を受けます。

現在日本の社会風土は、多様性より均質性を志向する傾向が強いように感じます。

しかし、人間の素質や生活環境は生まれつき個人差があり、各人の成したいことは多種多様です。

自分の成したいことを目標に定め、生まれ持った才能を活かして目標達成に努力することは、社会的評価に関係なく、自分にとっては工夫と喜びの詰まった生きた証になると思います。

勿論、目標達成の成果が他人や社会に貢献し、感謝や称賛を受ければ、喜びは一層大きなものとなるでしょう。

また、安全志向で保守的な国民性からでしょうか。日本社会では、失敗を怖れて冒険しない、敗者復活が困難であると一般的に言われています。

このような日本社会の弱点も多様性を尊重する教育を受けた人々によって改善されていくと思います。

各国民が生まれ持った才能を活かして能動的に生きる国家は、経済的、文化的に豊かで堅牢な国家になると確信します。

共生主義日本国と国民との関係

共生主義日本国を描くために人間の個性および国家の原点および共生主義日本国における国民と国家の権利、義務について考えました。

人は、生後に習得する取得情報と生前から遺伝子に組み込まれた遺伝子情報を有します。

遺伝子情報には、個々に異なる素質と、創造主が遺伝子に組み込まれた人間本性があると思います。

素質は、例えば感受性、創造力、音感、記憶力、運動神経、免疫力、認知能力などで、生まれつき備わった能力です。これらは鍛錬によって向上できますが、生まれつき個人差があります。

取得情報は、社会経験や学習して接する情報を個人の素質で濾過して取得した情報であり、生活環境、家族やまわりの人々からも大きい影響を受けます。

個性は、人間本性、個々の素質および取得情報に基づいて形成される各人の特性で、得意分野、嗜好などにおいて千差万別です。

人間本性は、人間に共通して与えられた特質で、集団の中で個性を発露し合い、共感あるいは競い合うとともに、肉体的または心的に共生することに喜びを感じる生命力だと思います。

集団社会は個性を発露するために不可欠であるとともに、安全の確保、経済活動や社会保障に有効であるので、親族、ムラ、国、国家へと規模が大きくなってきたのでしょう。

国家と国民の関係の原点は、国家は、国民が生きるために必要な集団であるとともに、国民の個性の発露、安全、経済活動、福祉などを担保するための国家政策を実行する義務があります。

各国民は、他の国民の生命力を尊重するとともに、適正な国家政策の実施に対する義務と責任を果たさなければなりません。

集団が国家へと大きくなるにつれて両者の関係の原点が忘れられ、国家(為政者)の価値観が国民の価値観と乖離すると革命や戦争が勃発します。

なお、学術、芸術、スポーツなど多くの分野では、分野別の集団が国境を越えて形成されますが、安全、経済活動、福祉などは担保されません。

このような人間の個性および国家と国民との関係を前提にし、共生民主主義では現行民主主義を次のような点で改良する必要あるのではないでしょうか。

民主主義の重要な理念である自由と平等も、昨今の格差社会の免罪に使われている面もあるので、人間の素質や生活環境は生まれつき個人差があり、多様性ある個性の発露が創造主の意思であることを踏まえて意味づけし直さなければならないと思います。

自由は、他人の個性およびその発露を阻害せず、国家政策に悖らない範囲で自分の個性を制約されることなく表現する権利とします。

平等は、人間は多様性ある個性を差別されることなく表現できる権利とします。

さらに、人権は、すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利とされていますが、昨今の風潮として自分の人権(個性)を利己的に主張するだけで、人権を行使(個性を発露)する場である集団社会に対する責任に欠ける行為が国民や為政者に広がっているように思われます。

社会構造の変革は、歴史的にみて技術革新による富みの生産量増大にともなって起きています。

共生主義日本国においては、国民が従来の納税、勤労、教育の義務を果たして国の財源、国力、人的能力を向上するとともに、情報技術(IT)を活用し、富の生産・分配効率、情報の伝達・利用効率を向上させる必要があります。

戦争は国家が国民に命の供出を求めるものであり、共生主義日本国は戦争する権利を有するか否か大きな問題です。

世界は地域によって変化の時間軸が異なり、異なる時間軸の現在の状態が同時に存在するので、価値観の異なる非民主主義国家が存在します。

民主主義国家においても価値観は時代と共に変化してきた経緯があるので、現在における非民主主義国家を全面的に否定することはできず、非民主主義国家の産業振興や人材育成に協力し、民主主義国家の基盤整備に協力することが非民主主義国家の民主化に役立つ方策だと思います。

ところが、例えば独裁体制国家が独裁者の野心で共生主義日本国を軍事力で侵略する危惧がある現状では、日本国民は国家の軍事行動に参加して軍事力で共生主義および国民の命と人権を防衛する確固たる覚悟を持っていることを内外に示しておく必要があると思います。

しかし、戦争はいずれの国家の多くの国民の命と人権を奪うものであり、共生主義日本国を軍事攻撃から防衛する場合にのみ容認されると思います。

従って、自衛隊を日本国自衛軍とすることは許されますが、日本国軍と称してはならないと思います。

共生主義日本国の軍事力は、侵略を断固許さない程度に強力なものとする必要はあります。

核兵器は、人類の滅亡に繋がり、無の対極の有を創造主とともに実感するという人間の存在意義を否定するものであり、保有すべきでありません。

これにより、日本国憲法第9条を次のように改正します。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するが、他国の武力による我が国への侵略行為に対しては日本国自衛軍の武力を行使する。

② 前項の目的を達するため、核兵器は保有しない。