戦争は「存在の持続」のために正当化されるのか

人間は、神的存在の「無」に対峙する
「存在の持続」に参与することに喜びを感じて生きる存在です。

そのような人間が、「存在の持続」に多様性と活性化をもたらす
動物を屠殺しその肉を楽しみながら食してよいのでしょうか。

人間および動物には、「存在の持続」方向に生きると
喜びを感じるという生命体法則が働いています。

この冬に世間を騒がせた熊は、どんぐりだけでなく、
鮭などの動物を食べて命をつないでいます。

それは、他の生命をエネルギーとして取り込み、
自ら生を維持するという本能に則った行動です。

したがって、人間が牛肉を食べて喜びを感じるのも、
生きることに根ざした自然な営みであり、
「存在の持続」に資する行動の一つといえます。

ここで視点を転じます。

人間は、富、宗教、思想、さらには政権維持のために、
人が人の命を奪い合う戦争を行います。

人間以外の動物も同種類で争うことはあります。
しかしそれは、生存や繁殖という明確な目的に基づくものであり、
人間の戦争とは質を異にします。

では、戦争は「存在の持続」のために正当化されるのでしょうか

自己に覚醒した人間は、知性によって観念世界を創出します。

そこには、富、思想、創造などからなる文化と、
それが過剰に増幅され自己目的化した妄想が併存します。

したがって、人間に働く生命体法則は、動物的基盤にとどまらず、
観念世界の形成と変容にも作用します。


そして意思決定能力は、この観念世界の影響下において、
様々な選択を行います。

ここで問題になるのは、観念世界の発達によって、
本来は「存在の持続」に資するはずの欲望が、
過剰に増幅され、自己目的化することです。

富への欲望は強欲へと変わり、
思想は排他性を帯び、
正義は他者を否定する力へと変質します。

このとき人間は、「存在の持続」のためではなく、
観念そのもののために行動するようになります。

人間に働く生命体法則は、このような状況において、
意思決定能力に対し、その選択が
「存在の持続」に資するか否かを問い続けます。

しかし、同時に、意思決定能力は、
観念世界の影響から完全に自由ではありません。

むしろ、社会に共有された観念や価値観によって、
方向づけられ、時に歪められます。

ここで、A指導者の意志決定能力が
B国への軍事攻撃を選択した過程を想定してみます。

知性:
・B国は国際法に違反している。
・B国と紛争中のC国からの支援要請が強い。
・人気が下降しているので選挙に負ける。(妄想)
・攻撃すると人気が上がる。
      ↓
  B国を攻撃する。または C国を説得する。  

理性:
・B国の国際法違反は許せない。(倫理性)
・C国を助ける。(一貫性)
・B国攻撃は国際法上問題になる。(規範との整合)
        ↓
      B国を攻撃する。

感情:
・私は特別な人だ。
・選挙に負けたくない。(恐れ)
・C国を助けたい。
       ↓
   感情が理性を後押し。

意志:
・心の葛藤も殆どなく攻撃を選択した。

身体:
・A指導者が軍にB国への攻撃命令を出した。

この重大な意思決定にあたり、A指導者が、
国際社会への影響の大きさ、識者の見解、歴史からの教訓などを、
知性に基づき十分に検討したのかは、なお問われるべきです。

そして、選挙で選ばれたA指導者が、
このような利己的理由で攻撃を開始できることに
戦慄と驚怖を覚えます。

富や思想への欲望が、
知性と社会構造によって過剰に増幅され自己目的化・妄想化したとき、

そうした妄想に囚われた国民が選出した
利己的な指導者の意思決定能力は、
存在の持続に反する選択へと傾く傾向があるのでしょう。

そのような攻撃に国民が晒されているB国の応戦は、
国際法違反の有無とは別に、

必要性と比例性を満たす限り国際法上あるいは
「存在の持続」のために正当化されるでしょう。

しかし、それが報復や観念的正当化に傾くとき、
もはや「存在の持続」に資するものでなくなります。

皆を幸せにする世論

近年、ドナルド トランプ、習近平、ウラジミール プーチンらに象徴される「強いリーダー像」が世界政治の前面に立っています。

そこでは、制度的抑制よりも個人の決断力が強調され、熟議よりも即断が、複雑な問題の調整よりも単純な対立軸が前景化しやすくなっています。

その影響は政治領域にとどまらず、長い年月を経て培われてきた文化的慣習や倫理観の軽視というかたちでも現れています。

一般に、個人が大望を成就するためには、完成した姿を具体的に描き、その目的を見失わないことが重要だと言われています。

同様に、社会の進む方向もまた、無数の個人が抱く目的の総和――いわば世論の向かう先――によって形づくられます。

多くの個人が抱く目的が人類の滅亡に向かうものであれば、世論の向かう先もまた、滅亡へと傾くでしょう。

したがって、各人の目的の多様性を尊重しながらも、その方向性を緩やかに制約する何らかの基準が必要になります。

その基準が、単なる経験の積み重ねにのみ依拠するならば、時代の空気や多数派の感情によって容易に揺らぎます。

ゆえに、その基準は経験主義を超えた、より根源的な説明に支えられるものであることが望まれます。

それは、言わば「超自然的法則」と呼びうるものです。

次回は、この超自然的法則について、さらに詳しく考えてみたいと思います。

戦争は平和の延長線上にある

市井の日常生活を破壊する戦争は絶対悪ですが、平和の延長線上に戦争が起こることは歴史的事実であり、理論的にも納得できます。

平和が続くと国家間に経済力や軍事力の差、利害紛争、国民の価値観の相違などによる緊張が蓄積し、限界点を超すと戦争が起こります。

例えば、ナポレオン戦争後にヨーロッパで続いた平和の約100年間で蓄積,増大された経済・同盟・国威の競争が、バランスを崩して第一次世界大戦をもたらしました。

ヴェルサイユ条約で目論んだ平和は、ドイツの過剰な経済的負担、国民の屈辱を強いるという緊張を取り切れないものであったので、ナチスの台頭を許し、第二次世界大戦に至りました。

平和時に国家間に生じた経済・軍事・技術力の変動や紛争などから不満や緊張が蓄積され、我慢の限界に達した不満国が戦争で現状の打開を図ることは、不満を持つ国の経済的困窮、国民の屈辱など条件が整えば現実に起こりうることです。

反戦運動は、戦争がプレートの衝突や沈み込みで生じる歪みが限界点を超えると発生する地震のような現実の現象であるとの認識をベースにし、国家間の緊張を緩和、除去する日常的な活動に重点を置くのが良いと考えます。

現在の戦争装置は、国家の行政・軍・経済・民間社会を組み込んだ集合体であり、戦争と平和の境界を曖昧にし、民衆が戦争反対を唱えにくい世界構造にしています。

戦争装置は、直接的な軍事衝突だけでなく、民間社会を組み込み、サイバー戦、民間技術の軍事化、経済制裁・情報操作を行います。

このような環境下では、為政者が国際的な不必要な緊張を招くような発言・行動を行わないように、市民が政治に興味を持ち、為政者の資質、行動を常に注意深くチェックし、社会に向けて自分の考えを示す必要があります。

各分野での生身の市民交流が緊張を緩和し、軍事衝突を防止する強力な反戦活動になります。

AI自動翻訳の進歩によって、言語の壁は取り払われつつあります。この環境を生かし、多数の国の市民が、静かで思考的なオンライン空間の中で、考えや感情を交換できる場を広げていくことが重要です。こうした市民的連帯は、一定の規模を持つことで、社会的な力へと転じます。

戦争装置はサイバー戦を駆使するので、情報空間の透明性、正確性を確保する活動は緊張を緩和します。

戦争装置は、恐怖・怒り・欲望などの生存の衝動をエネルギーにして緊張を増大するので、それを共存の衝動のエネルギーとして制御し、国および市民が、他と共に成す喜びを実践して戦争装置がもたらす緊張を緩和することが必要だと考えます。

統治と煩悩

支配者による統治は、約1万年前に農耕が始まり土地と財の所有が発生し、人の煩悩の発露である紛争を解決し秩序を維持する必要が生じたときに始まりました。

ホッブス(17世紀)は、人は自然状態では煩悩に支配され互いに争うので、安全のために権力者ひいては国家に統治を委ねたと言っています。

煩悩は、欲望・怒り・無知といった「生存の衝動」のかたちで現れる、生きようとする意志であり、生存と人間らしく生きるエネルギーとなります。

人が煩悩を制御することなく放任すると、互いに敵対して殺戮を繰り返す「滅亡の衝動」となります。

欲望が理性を超え、怒りが慈悲を忘れ、無知が真理を覆うとき、人は他者を敵とみなし、傷つけ合います。

ところが、人は、煩悩を認めエネルギーとして制御し、自分の成したいことを他人と協力して成すことに喜びを感じる「人間らしく生きる衝動」を備えています。

滅亡の衝動を抑え、人間らしく生きる衝動を安全に発揮して、人の存在意義と繁栄を確保するために、人類は集団社会、国家を形成して国民を統治し、権力、法律、社会慣習で滅亡の衝動を制御しています。

農耕草創期の良識ある紛争裁き役が、国の誕生で王になり、時代が進むにつれて権力を集中し煩悩に囚われて民衆を支配しました。

産業革命によって生産性が飛躍的に向上し、民衆の権利を守ろうとする人民主権がルソーによって提唱され、民主主義国家が誕生しました。

民主主義国家といえども、選出された為政者が煩悩に囚われ、自由・平等・安全という公共の責務を忘れたとき、国家は自国の利益のみを追う利己的な体制へと転落し、国益の名のもとに、戦争という地獄絵を現実に描き出します。

21世紀になっても戦争が絶えることがないのは、煩悩を制御できない為政者が厳しい国難に直面したとき、支配欲・恐怖・無知といった煩悩に支配され、一部の民衆と煩悩を共鳴して国益を守るという名目で戦争を起こし、滅亡の衝動を現実化するためだと思います。

世界中の人々が人間らしく生きる衝動を具現化して人間の存在意義を達成するためには、以下に例示するような戦争抑止の具体策を常に実行しなければならないと考えます。

・民衆が為政者の言動を注意深く監視し、煩悩を制御する能力の低い人を為政者に選出しない。

・戦争は国難時に為政者の支配欲・恐怖・無知といった煩悩に民衆の煩悩が愚かにも共鳴したときに起こるということを、史実も含めて広く国民に継続的に教育する。

・大多数の民衆が、煩悩を正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きる衝動を発露して人生を楽しむ。

・煩悩をあるがままに認めたとき、他国の為政者の滅亡の衝動を抑止するための防衛力は必要である。

・民衆による国際的文化交流は為政者の煩悩を凌駕する。

戦争を抑止するには、国民が煩悩を否定せず正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きることを楽しんで人間の存在意義を達成することがベースになると考えます。

戦争は絶対悪

戦争は開戦の理由が何であろうと、一端始まると人間のベースにある自分の生命を維持しようとする生存本能が脅かされる現実が当事国民の面前に現れます。

戦争は、この驚怖が優勢な当事国になくなるまで長期化し、莫大な数の人命が失われ、甚大な物質的、文化的損失をもたらします。

2023年のハマスによるイスラエル奇襲攻撃、2022年のプーチンによるウクライナ侵攻、遡れば1941年の日本海軍による真珠湾攻撃などがもたらした人的、物的被害の大きさと、国民が被る想像し難い心身の苦痛と、核使用の驚怖を考えると、戦争は絶対に始めてはなりません。

人間は他の動物と同様に自分の生命を維持しようとする生存本能を備えています。

仲間と協力して自分の生命を守るために集団を形成します。

自分の生命を脅かすものは、例えば隣人、同国民の他集団であろうとも排除しようとするのが生存本能です。

国の存続を脅かすものは、国民の生存本能を脅かすものとなるので、開戦の動機となります。

動物は自分が深手を負うことが明らかな戦いには本能的に挑みません。

戦争は人間の動物的な生存本能の発露が原点にありますので、国の存続を防衛するために多数の民主国家が同盟を結んで軍事力を強化することは、覇権国家による開戦防止の有効な手段の一つでしょう。

しかし、軍事力で劣勢になった覇権国家が、相手に先攻される恐怖から生存本能に刺激されて開戦に踏み切る危険が残ります。

動物において生存本能の主要な対象は食と生殖です。

農地を争奪する戦争は歴史的に終焉していると考えます。

生殖は個体と個体の争いであり、集団間の争いではありません。

してみると、現代における戦争は、単なる生存本能の発露ではなく、権力集中が進んだ指導者の偏狭な或いは独善的な考えがもたらしていると考えます。

いずれの国でも大多数の民衆は、生来的に戦争を欲していませんが、指導者の考えに煽動され、あるいは相手国の脅威や自国の全体主義的圧力に生存本能を脅かされ戦争に加担させられていくのでしょう。

権力集中は、経済的、政治的に強い国家の実現に役立ちます。

反面、偏狭な或いは独善的な考えを持つ指導者、即ち独裁指向の指導者によって戦争に突入される危険があります。

戦争を阻止するのは、生来的に戦争が嫌いな大多数の国民が、独善的な強い国家になることを求めず、独裁指向の指導者が出現しないように常日頃から監視することだと考えます。

強いアメリカを求め、トランプを大統領に選出した米国民の失敗を他山の石とし、日本経済に悪い影響をあたえるとしても、パレスチナを国家として正式承認できる人を総理大臣にしたいものです。

偏狭、独善な考えは、食に影響を与えるほど経済状態が悪いときに、煽動、ポピュリズムによって国民に拡散します。

SNSやAIの普及によっても国民が煽動される危険性が増しています。

これらの事実を踏まえ、戦争の悲惨さをもっと人目にさらけ出し、人命が偏狭、独善な考えより絶対に大切であることを如何なる煽動にも惑わされることなく即答できる社会環境を維持することが必要です。

独裁指向者は、ポピュリズム、煽動を駆使して独裁体制を徐々に築いていきます。

国民が偏狭、独善な考えに煽動されていくことを防止するために、AIを使って現指導者の独裁者指数を表すプログラムが作成されることを切に願います。

宗教コンプレックスからの解放(その2)

地球環境の悪化、世界情勢の混迷、政治の貧困、貧富の差の拡大、偏差値偏重、生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などにより社会に不安と諦めが充満しています。

これは、実質賃金の失われた30年間の微減傾向、出生率の低下、若者のオンラインカジノ賭博依存症の増加、常識を逸したセクハラ・パワハラの横行、不登校の小中学校児童生徒数の増加などの社会活力の低下として表面化しています。

日々の暮らしに窮し将来が見えない人々に、自分の才能と欲求に合った「何か」を行うことが出来たとき、或いは行って感謝されたきに感じる生きる喜びを繰り返すことが人生の目的ではないでしょうかと問いかけても、うるさいお節介ととられるでしょう。

法然が浄土宗を開いた時代は、現在と同様に困窮や閉塞感が庶民社会に充満していたと思われます。

法然は、南無阿弥陀仏と称えれば誰でも極楽に往生できると説いて、如何ともし難く、声もなく尊厳を踏みにじられた人々に現世での居場所を提供したと考えます。

現代の庶民は、法然が開宗した時代より貧困でなく声を発することが出来ます。

まだ他力に頼るのではなく、より多くの庶民が自力で生きる喜びを楽しむ方策を試行錯誤するときだと思います。

人は太古の昔から必要なことを協力して実現するために役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観として共有してきました。

殺生(命を奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)の十悪行は罪になる不善な行為であるとされたお釈迦様の教えも、社会の価値観を明示したものだと考えます。

十悪行をしないことが人生の目的ではありません。

他人と共に生きる喜びを体感するために十悪行を行ってはならないのです。

冒頭で例示した社会の閉塞感の原因を取り除くためには、我々庶民が声を上げ行動を起こさなければなりません。

一部の人に任せている環境保護活動に、より多くの人々が参加することによって地球環境の悪化を防ぐことができます。

政治の貧困を解消するための第一歩は、私たち庶民一人ひとりの行動です。まずは、7月の参議院選挙に多くの庶民が参加することから始めましょう。

功罪両面あるも、その弊害は深刻である偏差値偏重については、SNS等によって社会の一つの価値観として定着されることを阻止し、創造力や非認知能力も重視する社会の価値観に庶民自ら意識改革する必要があると考えます。

生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などについては、生成AIやSNSは、自分の才能と欲求に合ったことを行うための道具として使うものであると認識することで解消すると思います。

価値観と政治体制の試行錯誤

個人や社会の価値観は政治体制と互いに影響し合い時代とともに変わることは歴史が示しています。

人は太古の昔から生存に役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観を形成してきました。

狩猟採集時代は、男性が狩猟、女性が採集で食物を得る分担があり、女性の地位も比較的高かったと思われます。

農耕時代になると、力仕事が多くなり男性の労働が増え、定住し財を蓄積相続し、家父長制が広がりました。

食物を耕作する土地を王国間で奪い合う古代文明から中世(封建社会)になると、領主が農民を支配しました。

土地を武力で奪い、守ることに高い価値がありました。

商業資本主義が発展した近世では中央集権国家が奴隷貿易や植民地支配の主導権を争いました。

産業革命後の近代は、食物の他にも様々な財が大量生産され、民主主義が普及し、帝国主義、社会主義が台頭しました。

IT、AIなどの科学技術が急速に発展した現代は、様々な政治体制を試行錯誤した後に民主体制を選択した国、民主主義を試行錯誤することを独裁体制が阻止している国、国民が強いリーダーを求めている国など異なる政治体制が混在しています。

現在、民主体制は他の政治体制より人の心地よい生存に役立つ価値観を国民に提供すると考えます。

しかしながら民主体制も試行錯誤して価値観を社会情勢や科学技術の発展に合せて更新しなければ崩壊するでしょう。

議会制民主主義共和国として誕生し、民主的なヴァイマル憲法を擁したヴァイマル共和国は、不景気、ヒトラーの巧みな演説、ナチ党のデマ、煽動などに対抗できる価値、政治を提供することが出来ず崩壊し、ヒトラーの独裁体制を誕生させました。

最近、米国では民主党政権が格差の拡大、IT技術革新などに対応した価値観に基づく政策、法整備を行うことができず、独裁的なトランプ政権を誕生させました。

民主体制で大切な価値を有する人権は、自由・平等・多様性です。

しかし、人が生存するために最も大切なものは食物です。

現民主体制も、全ての国民がひもじい思いをせずに食物を得ることができるような経済・社会改革を優先的に実施しなければ崩壊の憂き目に遭うでしょう。

「衣食立りて礼節を知る」は、生身の人間が試行錯誤して得た価値観でしょう。

試行錯誤は、課題解決のために熟慮した方策の実行の失敗を分析し、修正した方策を実行することを繰り返して課題を解決することです。

例えば、高関税が経済全体に与える影響を分析することなく性急に高関税を課すようなことは、試行錯誤ではなく、価値観における高関税の価値の優先順位を低くするだけです。

IT技術革新により情報戦略が飛躍的に有効になった現代、民主体制はデマ、煽動、ポピュリズムの標的になります。

このような前代未聞の状況下では、人権の一部を制限しても民主体制を固守できる法・制度改革を迅速かつ適切に実施することが急務であると考えます。

民間テレビへの期待

民主主義の原点である選挙において当選した米国大統領や兵庫県知事陣営がSNSで拡散した情報の正確性に疑問があるとともに、それを正すべきオールドメディアの対応不足が議論されています。

民衆は正しい情報を通してふさわしい為政者を選出することが出来ます。

また、真実が不明瞭な社会は民衆に漠とした不安感を与え、健全な科学、経済、文化の発展に悪い影響を与えます。

公共テレビ、民間テレビ、SNSは、正しい情報を民衆に提供することによって、民主主義を発展させ、平和を維持し、環境・貧困などの諸問題を解消して、民衆の日常生活を豊かにするという存在意義を有します。

民間テレビは、政治、経済、世事、国際情勢などを真実に反することなく、若干反体制視点から広域に発信することにより、民主主義社会の自由、平等、多様性を保障する意義があると考えます。

さらに、音楽、スポーツなどを人々の楽しめる形で広域に発信することで健全な文化活動を促進し民衆の日常生活を豊かにします。

SNSは誰でも手軽に身近な正しい情報を発信できるメリットがある反面、虚偽情報や発信者の価値観に染まった情報を拡散し民衆を混乱させて判断を誤らせるデメリットがあります。

民間テレビがその社会的意義をアップデートすることなく旧態依然な放映を続けていることに選挙制度延いては民主主義の危機を感じます。

フジテレビの人権問題に関する出直し記者会見は、記者会見自体もさることながら、出直し会見のために任命された新社長がSNSに対するフジテレビの社会的意義を問われて、「フジテレビのリーチはSNSより広域である。」と回答する夢のないものでした。

TBSのワイドショーでコメンテーターがSNSの偽情報をファクトチェックすることなく引用して世間の顰蹙をかいました。

他局でもコメンテーターとしての資質に疑問のある人がワイドショーで他人の意見を受け売りしている場面を散見します。

民間テレビには、SNSや公共テレビでは果たせない社会的意義を熟慮断行されることを願います。

民間テレビには、前述の社会的意義の他に、SNSで発信された影響の大きい偽情報を正す真情報をインターネット等も併用して高い信頼性の基に迅速に配信し、民衆が真実を知ることを確保する民主主義の守護神の一翼を担われることを期待します。

AIは未来に何をもたらすか

AIはタンパク質の立体構造予測、医療診断、自動運転など様々な分野で急速に活用され始め、人類に大きな幸せをもたらすでしょう。

反面、近時各国において、政治の世界、特に選挙などで民衆を煽動し感情に訴えて群衆を特定の考えに誘導する有効な手段として利用されている節があります。

人々がAIやSNSを過信することなく、自ら考えて行動することが、AIを利用して民衆を扇動しようとする政治家の出現を阻止し、延いては戦争の勃発を防いで平和をもたらすと考えます。

民主主義と選挙制度

11月5日に行われた2024年米国大統領選挙で利己主義をポピュリズムで糊塗したトランプ氏が圧勝しました。

11月11日の兵庫県知事選挙では県議会で知事の不信任決議案が全会一致で可決されて失職した斉藤元彦氏が疑惑の真偽不明の状態で当選しました。

二つの選挙で人の本性を信じた私の希望的予想は裏切られました。

自分の価値観と異なる対立集団の主張も、その構成員が抱える苦境や苦情を知り、自分も同様の苦境に立たされていると、正当なものと思われてきます。

しかし、選挙は民主主義を実現するための一つの基本手段であり、人民の「人権、自由、平等」を守った上で政治を実行する自分の代行者を選ぶ制度です。

人間は、感情が伴わないと行動せず、知性だけで行動を起こすことはないと言われています。

選挙がお祭り騒ぎのようになり、或いはSNSを駆使して人々の感情を煽動し、正常な判断力を阻害するものにすることは断じて許してはなりません。

民主主義は人民のための政治を目指し、ポピュリズムも人民第1主義を意味します。

民主主義とポピュリズムの違いは、選挙で選ばれた政治家の人格の違いにあると思います。

民主主義では政治家は真摯に人民のためを思い、ポピュリズムでは自分の利益を利己的に追求するでしょう。

ポピュリストであるヒットラーは、1929年の世界恐慌に喘ぐ議会制民主主義のヴァイマル共和国で、経済的に苦境に立つ人々を人民のためと煽動して選挙に勝利しナチス党首として首相になって権力を把握し、民主主義国家を忌まわしい独裁体制のナチスドイツ変貌しました。

人民第1主義のポピュリズムが人民のための政治を目指す民主主義を破滅させるのは奇妙なことです。

民主主義は政治家が人民のための政策を自ら考え出し人民にアピールして支持を得ようとするのに対し、ポピュリズムは対立者やその政策の欠点を人民に訴えて支持を得ようとする傾向が強い気がします。

野党はポピュリズムに陥りやすいですが、政策をしっかり提示し、人民が政策重視で選挙権を行使することが、ポピュリズムから民主主義を守るために大切なことだと思います。

トランプ氏の言動を見ていると利己的で人格的に米国大統領にふさわしいとは思えませんが、ノーベル賞受賞のために変貌することを望んでいます。

斉藤兵庫県知事の人格情報および兵庫県庁の体質に関する情報は少なく、兵庫県民が斉藤氏を再選した是非は闇の中です。

しかし、その後に発覚したPR会社による斉藤氏のSNS戦略支援に関する記事を読むと人々の感情に訴えるポピュリズムの顔が垣間見えます。

在任中は自分のためではなく、県民のために県政に邁進されることを望みます。