創造主の価値観、人間の価値観、国家の価値観

世界各国のコロナ対策の違い、トランプ大統領の利己的な振る舞い等を見ていると、人間と国家と創造主との関係を改めて考える良い機会になりました。

経済活動を優先すればコロナウイルス感染者が増加し、コロナウイルス対策を優先すれば経済が悪化し、何れかに偏り過ぎると国民の命を犠牲にするとの二律背反に直面し、国家は国民の命を守るために存在するが、自己中心的な指導者の下では国民の命を守ることができないことを再確認しました。

また、近時、人間は創造主から与えられた価値観と乖離した自己中心的な価値観、例えば経済最優先、競争延いては戦争も肯定しかねない価値観に基づいて行動していることへの警鐘のように思いました。

創造主の価値観

「無」と対峙する「有」である創造主は、自然や人間の営みを無作為に変遷させることによって、「有」を実体として具現化し、存在を実感されているのではないでしょうか。

変化が無いこと又は作為的或いは規則的な変化では、創造主は「有」を確認することができないと想像します。従って、変遷が無作為であることは必須です。しかし、変遷の先に滅亡があっては存在を実感できなくなるので、創造主は自然や人間の営みの中に、存続に必要な基本ルールだけは仕込まれたように思います。

人間の価値観

而して、創造主が人間に仕込まれた基本ルール、換言すれば人の遺伝子に組み込まれた基本的な価値観は、先ず、「生きる喜び」であり、それを達成するための「生きる力を習得する喜び」および「他人と協力する喜び」です。

創造主は、人間に多様性に富んだ大きな変遷を具現化させるために、脳内に自分の概念の世界と価値観を自由に構築する、謂わば、概念形成能力を与えられたと思います。

しかし、人間は、この概念形成能力を我欲のために使用し、基本的な価値観からずれた価値観を追い求めていることが多い気がします。

「生きる喜び」は、自分の価値観に基づく目標に向かって行動することです。自分の目標を我欲や世俗的な価値観に基づいて設定しては、「生きる喜び」を実感することはできません。

生きる力は、身体的能力、知的能力、心的能力であり、「生きる喜び」を実現するための手段です。ところが、生きる力は強いことが望ましいので、「生きる力を習得する喜び」も基本的な価値観になります。

そして、生きる力の強さを計るために、各種能力について他人との比較、競争が行われます。

自分の能力向上の尺度としての競争は良いのですが、最終目標が能力向上ではなく勝つことになると、他人も同じ基本的な価値観を有するということが忘れられ、心的能力である協調性や優しさが弱体化します。

現在の利己中心的な風潮や虐めの根源はこの辺りにありそうな気がします。

他人や集団と協力することは、一人では弱い人間が生き延びるために不可欠なことであり、協力して役に立ちたいとの価値観を遺伝子に刷り込まれ、「他人と協力する喜び」も基本的な価値観になったと思います。

他人に協力して認められると嬉しいものですが、他人と協力することが目標ではありません。各自がそれぞれの価値観に従って立てた同じ目標を達成するために仲間と協力する喜びも、「生きる喜び」を実現するために極めて重要であり、基本的な価値観になったのでしょう。

他人や集団の価値観に従うだけでは、自分の個性に基づいた「生きる喜び」を実感することができず、人々の千差万別な能力で多様性に富んだ生きる喜びを実現するという創造主の意図に反することになります。

国家の価値観

国家の基本的な価値観は、各人が「生きる喜び」を実現するためのベースである命や環境を守ることであります。

しかし、国家も人の命や環境を守るために与えられた権力を誤用し、国家の基本的な価値観からずれた価値観を追い求めているケースが多いような気がします。

多くの民族、慣習、宗教等が存在し、さまざまな理由で近しい人々が集団延いては国家を形成して、国民に「生きる喜び」を実現する場を保障することは、人間に多様性に富んだ大きな変遷を具現化させるという創造主の意図に沿うものです。

ところが、次に述べるような場合は、国家の基本的な価値観に基づいた政治が行われていないと思います。

・国家が国民の思想統一を計る。

例えば、中国のように十数億の人々が国家という一つの価値観をもった有機体になることは、生きる喜びの十数億の多様性を期待する創造主の意図に反します。

社会秩序や地球環境などを、「生きる喜び」を具現化する良い場に維持できない。

例えば、地球温暖化対策に消極的なトランプ大統領は、国家や人間の基本的な価値観に無知であり、指導者の資格がないでしょう。また、一部の米国民は銃で自分の命を守ることを誇りとするのではなく恥とし、暴力排除を国家に委託できる社会を築くことに注力して欲しいです。

・戦争を肯定し武力を背景に国家間の紛争解決を図る。

人の命を守るために形成した国家がその権力で殺し合いを強要し人類を滅亡に導くことは、「生きる喜び」を具現化して「有」を創造主とともに実感するという人間の根本を否定するものであり、許しがたい矛盾です。

・「生きる喜び」を実現できない貧困層が存在するほど国家財政が悪い、或いは、国民間に経済格差がある。

自分の価値観に従って生きるためには、最低生活の保障は必要です。

・指導者が利己的に国家権力を使う。

多くの人は、権力や富を手に入れると利己的になるので、国民は政治に関心を持って発言する必要があると思います。

・国民が質の高い教育を受けられない。

各国民が人間の基本的な価値観に基づく行動を繰り返すことによって成長することを学び、実行することが強い国家の基礎です。

人々が、国家に命や生活環境の保護を委託し、各人が生きる力を習得し、他人や集団と協力して、「生きる喜び」を具現化できる社会を築きたいものです。

現場情報を国政に反映するシステム

最近、国政と国民の声との乖離が目に付きます。行政におけるイージス・アショア解約問題やアベノマスクの思慮不足・税金の無駄遣い、立法における新型インフルエンザ等対策特別措置法自体およびその改正法の不備、司法における国有地の大幅値引き売却に対する背任や決裁文書改ざん不起訴処分など枚挙に暇がありません。

これは、国会議員や官僚が高い志や現場主義等を放棄し、国民生活の現状や国民の思いを把握していないこと、国民が市井情報や政策案などの発信に消極的で、国政の場に要望事項や政策案などを積極的に提供してこなかったことに起因していると思います。

国民のために働くという志は、国会議員や官僚自らに思い出してもらうことにし、国民が正しく民意を発信し、集約する手段について提案します。

情報技術(IT)が国家の価値観、個人の価値観に与える影響

産業革命が近代民主主義を推進したのと同様に、IT革命は、国際関係、国家戦略、国民生活に大きな変化を与え、国家の価値観、個人の価値観を変えています。

個人の価値観は、人間の価値観を自分に適合させて展開するものですが、集団である国家の価値観の影響を強く受けるので、国家の価値観を生活環境の変動に応じて正しく変化させる必要があります。

国家の価値観は、政府や官僚が決めるものではなく、国民各個人の価値観の共通項あるいは分布であります。

現状は、この活動舞台の大きな変動に対応して国家の価値観、個人の価値観をうまく変化させることができず、戸惑っているように思います。

ITの利用により、人々は自らの五感で体感し、頭で考え、記憶し、身体を動かす地道な努力の末に目標を達成して歓びを感じるという人間の価値観を少しおろそかにしているように感じます。

その現象として、与野党を問わない国政や選挙での失態、SNS上での誹謗中傷や虐め、問題ユーチューバーの愚行、思いつきの一発芸などが世の中に氾濫しています。

産業革命において機械が人間の体力の一部を越したように、IT革命においてITシステムが人間の知能の一部を越しました。

例えば、人間は自動車より速く走れませんが、より速く走るという目標を努力の末に達成して歓びを感じています。

人間は計算や記憶においてITシステムにかないませんが、ITはあくまで課題を解決するための手段であります。

人工知能や超高速通信などだけでは解決できず、人間の独創性、直観、知性、心と身体がITを利用することによって解決できる課題は山積しており、新しい生活環境においても、例えば、環境問題、各種紛争、新型コロナ感染症、ゲーム依存症、生き甲斐喪失、個人の価値観に国家(集団)の価値観が必要以上に影響を与えるなど新しい課題は次から次に発生します。

従って、生きる歓びをより多くの人々が体感するという創造主から託された人間の価値観を再認識し、IT革命後の国家の価値観、個人の価値観を形成しなければならないと思います。

さらに、個人の価値観を広く収集し、集約して国家の価値観を形成することは、ITが高度に発達した現代において初めて可能になったことであり、ITを組み込んだ新しいIT組込み民主制の始まりではないでしょうか。

IT組込み民主制の必要性

日本人の脳にあるセロトニントランスポーターの量は、世界でもいちばん少ない部類に入るため、日本人は、実直で真面目で自己犠牲をいとわない人々だが、不安感が強く、いったん怒ると抑制能力が利きにくいと言われています。

このことは、昨今のSNSでのバッシング、コロナ自粛警察、古くは軍国主義に反対する人々を非国民と非難した風潮など否定しきれない面もあります。

彼を知り己を知れば百戦殆うからずと言いますが、己を知るだけではなく、弱点を補強しておくことが必要です。

平常時に国家の価値観を多くの国民の個人の価値観の共通項あるいは分布として形成し、国民の間で共有しておくことは、日本が強大な危機に面しても国として冷静に対応するために重要のことであります。

政府は2001年にIT戦略本部を立ち上げ、5年以内に世界最先端のIT国家になると宣言しました。しかし、実行が殆ど成されず、今回のコロナ対策での特別定額給付金の給付遅延によって行政デジタル化の遅れが表面化し、日本のIT化が多くの国の後塵を拝していることにやっと気がついたのが実情です。

国民自らが国家の価値観を国民の総意として積極的に形成する必要があります。

IT組込み民主制概要

ITを活用して大衆から市井の情報を収集し国政に反映する民間の非営利の情報提供組合を設立します。

情報提供組合は、IT議員として国会に政策案や意見を提供します。最終的には国会に議席を持ちます。

情報提供組合は、情報技術、政治、経済など各分野の専門家と、例えば数十万人の組合員から構成されます。

情報提供組合は、生活情報、海外情報、課題情報、意見、政策案などの情報を組合員からオンラインで収集し、人工頭脳などを使って分析・集約し、IT議員として国会に提供します。

個人の価値観は集団の価値観の影響を強く受けるので、IT議員が為政者によって操作されないように万全の策を講じなければなりません。AIプログラム、収集した情報などすべて公開が原則です。

これを怠ると、民意を広く募るどころか、IT議員によって思想統一されてしまいます。

国内外の多くの人々が空間を乗り越えてほぼ同じ時間に意思疎通し、同じ課題を解決するために協働可能としたITを手に入れた人間は、ITを争いのために用いることなく平和のために使用し、人間の価値観の実現に役立てたいものです。

人間の価値観と個人の価値観を保障する国家の価値観を

今回のコロナウイルス対策において、ノーベル賞受賞学者、医者、科学者を含む多くの国民がSNSで政策提言されていました。

旧態依然とした国家の価値観から決別するために、国民が国家に期待する政策をSNSなどの情報技術を利用して実名で提案し、各分野の専門家で構成した中立的な組織で集約して国政に反映する仕組み、いわばIT組込み民主制(IT Incorporated Democracy)を作りたいものです。

今回は、その前提となる人間の価値観と個人の価値観と国家の価値観について考えてみました。

人間の価値観

創造主から託された人間の価値観は、生きる歓びをより多くの人々が体感することです。

人間の基本的な価値観である真・善・美は、人間が物質の世界で生きる歓びを体感するための法則です。

創造主は、無の対極にある有(存在)を強く共感するために、個性の異なる多くの人々が真・善・美をいろいろな形で実現し、生きる歓びを体感することを人間に託されたと思います。

真は、嘘偽りのない本当のこと、真理、自然法則などで、存在し続ける或いは生き続けることの根底にある真理です。

善は、人の役に立つ、協力する、他人を尊重する、誠実である、自然を大切にするなど、人々が共存するための道徳的な原則です。

美は、文化や自然において現出される事象の変化や調和で、多くの人に感動、勇気、快感などを与えて、生きることに意欲と魅力を与える原動です。

個人の価値観

個人の価値観は、各個人が人間の価値観を自分に適合させて展開するものです。人間は、各自の能力、興味、環境などで異なる概念の世界を脳内に構築し他人と共有する能力を有するので、それぞれの個性に基づいた個人の価値観を各自の脳内に形成します。

人は、他人や集団から押付けられた目標でなく、自分の価値観を実現するための目標を達成したときに大きな歓びを感じます。

集団の価値観に賛同して個人の価値観とした人々が、この集団の価値観を実現するための目標を共に達成することに大きな歓びを感じることも真実です。

人間の価値観は、多くの人々が生きる歓びを体感することであるので、各人が他人の価値観の実現を妨害すること、或いは他人の存在を否定することは絶対許されないことであります。異質な価値観に賛同する必要はありませんが、その存在を認めることは、人間の価値観が求めることです。

古い国家の価値観

権威主義体制、全体主義体制、民主主義体制など政治体制に様々な試みがなされてきましたが、正解は未だに見つかりません。

大国の野心ある指導者は、ローマ帝国以来、自分への権力集中と利己的な価値観の実現のために、国家の価値観を覇権主義に置き、戦争を前提とする覇権争いを国民の生きる歓びを犠牲にして繰り返してきました。

共産主義国家は、人間の精神的自由を犠牲にしても、国が経済的に発展することによって報酬を平等に分配することを目指しています。

民主主義国家においても、格差の拡大、利己主義の横行、国家機関の硬直化が進んでいます。

このような国民の犠牲の上に成り立つ国家の価値観は、より多くの国民が真、善、美に基づいた個人の価値観ひいては人間の価値観を実現することを保障するという国民の期待する国家の価値観ではありません。

現在の内外の政治家の真理や道義が無く、美学を感じない言動には、社会に与える影響が大きいだけに、国家の価値観が創造主から託された人間の価値観から大きく乖離していく危機感を感じます。

最近、日本においても、民意(国民の価値観)から乖離した政策(国家の価値観)が強行されていることに危惧を感じます。

新しい国家の価値観

経済的に豊かになり、情報技術か高度に発達した近代社会において、国民が国家に委託しなければならない事項は変化し、国家の価値観も社会の変化に応じて変えていかなければなりません。

国民が国家に期待することは、他の国より軍事力で強くなることではありません。強い国の国民であることによって、いわれなき自信を持つことはできるでしょうが、個人にとっては裏付けのあるものではなく、世界に通じる人間の価値観の実現を妨げる妄想にすぎません。

国家に求めるものは、より多くの国民が、個人の能力、興味に応じて活動できる場所と環境を提供することであり、個人の価値観を実現するための生活に必要な収入を得ることができて、各自が目標を達成する歓びを実感できる社会の仕組を考案し、実施することです。

多くの国民が個人の価値観を実現する歓びを実感できる国家は、各国民が裏付けのある自己肯定感に満ち、おのずから強い国家になります。

社会の複雑化と組織の硬直化に対抗するために、ITを活用して日本の民主制に直接民主主義的要素を加味し、国民が期待する国家の価値観を実現可能な新しい民主制を模索するときではないでしょうか。

個人と国家と憲法改正

今から2500年も前に孔子が、政治は軍備、経済、いずれよりも信頼が大切であると説いています。しかしながら、最近の政治のなされようをみるとき、国民が信頼をよせうるものか疑問を抱かざるを得ません。

間違った国の政策に従わないといけない恐怖

戦争経験を持つ人は、間違った政策が公権力で行使されることの恐怖や憤りを肌身で感じたと思いますが、戦後に育った我々はそのような恐怖を実感することはあまりありませんでした。

しかし、今回のコロナウイルス対策では、現状把握に不可欠なPCR検査を受けるための要件を厚生労働省の自己都合で設定され、PCR検査数を増やすための方策を迅速に進めることなく時間を徒過しました。

PCR検査を受ける自由を奪われて早期治療を受けられずに亡くなられた方々の無念を思い、また、それが誰にでも起こりかねないと思ったとき、間違った国の政策に従わなければならない状況下での個人の無力さに怖さを感じました。

人間は変わることができないのか

人間が本質的に孔子の教えを忠実に実行できるものであれば、人間社会は争いのない平和なものとなっているでしょう。

しかし、孔子から2500年が経過しても戦争が起こり、多くの国において利己的で誤りを恥じない指導者が闊歩し、多くの人々が自分の目標を目指して楽しく生きる権利を奪われようとしています。

この事実を少し別の角度から見ると、人が生きることは、持って生まれた業を克服して自分の価値観を実現することに意義があることを示唆しているのでしょうか。

そして、人の心の成長は一世代限りであり、本質は世代を経ても変わらないと考えると、人間は、経済、文化、地球環境の変化につれて社会の価値観を変化させ、その中で各人がそれぞれ異なる自分の目標を達成する喜びを感じるために生きている気がします。

さらに、生と死(存在の世界と無の世界)を繰り返すことによって、創造主から託された生きる喜びをより強く実感できるのではないでしょうか。

憲法改正について

人間は、生活環境に合わせて社会の価値観を変化させるものであり、一つの社会の価値観の時代、例えば江戸時代でも265年で終焉し、価値観の全く異なる明治時代に突入しています。

このようなことから、日本国憲法の改正も、世界情勢を含めた社会環境が大きく変わらない時まで有効なものとして、現在社会の価値観をベースにして作成されるのがよいと思います。

感覚的にとはいえ、国家権力に対する個人の力の圧倒的な弱さを感じたとき、国家と国民との基本的な権利義務を定める憲法の大切さを改めて認識しました。

両者の関係の中で大切なものは、国家権力の行使と国民のチェック機能との関係と、生命を国家に捧げる戦争の許容要件であるように思います。

国家権力の行使と国民のチェック機能

公文書改ざん及び政治における隠蔽の阻止、公文書公開を保障できる条文の作成に叡智を結集したいものです。

例えば、参議院の主要な役割を国政調査とし、参議院議員を国務大臣に任命することを禁止するなどして国政をチェックする機能を強化するようなことをしてもよいのではないでしょうか。

衆議院は、国会議員の愚行調査に貴重な時間を浪費すること無く、国民が真に必要とする政策を実現するための立法に専念して欲しいものです。

国会議員の資格に、政策能力を追加し、議員の不正行為や政策能力不足調査を参議院の主任務とし、衆議院の補佐業務を副任務とするなどの改革があってもよいような気がします。

いずれにしても、参議院議員の国政調査権を強化し、政府や国会議員の不正や不適性が、週刊誌に頼ることなく、国民の前に開示される仕組みが必要です。

このような参議院議員は、立法権を常時は有さず、緊急時に限定しておけば、国民の審判を選挙で受けるので、三権分立を犯すことなく、行政を監視し、縦割り行政や黒塗りされた資料開示などの問題も解消されると思います。

戦争許容要件

戦争は国民の楽しく生きる権利を奪うものであり、決して許されるものではありません。

ましてや、世界で5000万~8000万人の死者を出した第2次世界大戦から75年しか経っておらず、唯一の被爆国である日本において、戦争を許容する価値観は日本国民にはありません。

しかし、人類の歴史、本質らしきところから考えると、戦争対策を備えない憲法は、現在の米国、中国、ロシアの覇権争い、北朝鮮、シリア問題などの国際情勢、および現在の世界の価値観からみても、非現実的なものと言わざるをえないでしょう。

この大きな二律背反に上手く対処することが、日本国と国民に大きな繁栄と歓びをもたらすことも真実のように思われます。

戦争放棄を明言できるような国際情勢でない現時点では、戦争を許容する厳しい要件を憲法に如何に明記するかに叡智を結集しなければなりません。

各国が平和を維持するためには、各人が自分の目標を達成するために他人との協力が必要であるのと同じように、各国が他国と協力することは不可欠です。

日本が同盟国の協力を得て戦争を回避しながら、同盟国の戦争回避に協力しない日本国は現在の日本国民の価値観からしても望む姿ではないでしょう。

日本は、自分から戦争を開始することはなく、戦争が起きる前に相手と何処までも話し合うとの前提のもとで、例えば、日本或は同盟国に向かって攻撃が開始された瞬間に相手国に攻撃可能な条項はいかがでしょうか。

世界の経済情勢が世界平和に強力な影響を与えることは、第2次世界大戦や今回の世界的なコロナウイルス感染からも明白な真実であります。

日本国憲法前文に記載された平和主義を世界で実現するために、平和主義国の自立的な経済活動を可能にするような国際的な経済協力の推進を目指す条項も意義があるように思います。

新しい価値観をめざして

人間は、農耕革命、産業革命などによって価値観を大きく変化させてきましたが、現在IT革命によって価値観を変えようとしています。

日本は、今一度奮起して、例えば、ミサイルの発射を素早く察知して堕とせるような技術開発によって核兵器の無力化を図り、価値観の大変革を起こしたいものです。

情報革命が急展開する世界で、情報を秘匿したい人々の影響下で国政の情報革命に消極的な日本の価値観がガラパゴス化しないためにも、国民がSNSなどで政策を提案し、国政に反映できる仕組みの作成が急務であると思います。

憲法改正に国民的参加

1.はじめに

日本国憲法の改正の必要性は認められてはいるものの、現在ではとりたてて緊急性がないこと、改正すること自体が、戦争できる国への逆戻りを意味するとの不安、例えば自衛戦争のみ認めるとの条文が将来に拡張解釈される怖れなどから急転開することはないように思います。しかし、このような怖れの無い改正案を多くの国民が考えて準備しておくことは必要であると考えます。18世紀に生まれた民主主義は、自分が自由を求めるのと同様に世界中の他人の自由も認めることを原点としています。このとき自他の自由がぶっつかって争いが生じないようにし、互いに協力してより多くの国民が幸せに生活できる国のあり方を定めたものが憲法であると考えます。このような憲法の改正の内容自体に、多くの国民の思いや意見が反映されることが望ましいと思います。SNSに投稿される多数の人々の意見や感覚をAIで処理し、商品開発や経済活動に利用することが行われています。今回、この手法を憲法改正に利用することを提案します。

2.SNSとAIの利用

日本を愛し、日本国民が幸せに生きるための憲法改正に興味がある人は大勢います。芸術、物作り、研究、スポーツなどに興味があり、政治にあまり関心が無い人も多くいます。政治に興味が無くても、自分が興味のある分野をとおして、人およびその人の集まりである日本のあるべき姿を語る人は多いでしょう。そのような各人が考える日本のあるべき姿をSNSで比較的簡単に多数集めることが可能になりました。憲法改正に興味のある大勢の人が協力すれば、各人が求める日本の姿をSNSで集める仕組みを作り、集まった情報から大勢の日本人が望む日本の姿を表す憲法の素案をつくるAIを開発できるような気がします。これには多くの努力と費用が必要ですが、世界初のSNSとAIによる憲法作成プロジェクトであり、挑戦する価値があると思います。

3.自分の求める日本の姿を誰もが自由に語る社会風土の醸成

自分の求める日本の姿を、誰もが、何時でも、何処ででも、自由に考え語る社会風土と、それを実現可能とする仕組みを確立しておくことは、人々の自由と平和と幸せを永続的に維持するために、大切なことであると考えます。このような観点からもSNSとAIによる改憲案を読みたいものです。そのためには、誰もが簡単に安心して自分の求める日本の姿を投稿することができ、情報操作を防止して情報を正確に把握し、分析できるシステムの実現が不可欠です。

4.国民が求める国の姿リアルタイム可視化システム

政治に対する無関心と無知は、特に、国が経済的あるいは国際的危機に陥ったときに、国を不幸に導く野心家の台頭を導きます。そして、国の逆境時において一時の感情的な判断に左右されないために、長い期間に亘って国民が継続的に求める国の姿をリアルタイムに表すものが必要です。政治に関する無関心と無知を克服し、感情的な判断で国を危うくしないためにも、SNSとAIで国民が求める国の姿を誰もがアクセス可能に可視化するシステムは有効であると思います。

大勢の人から情報を気軽に得るために、例えば、一回の質問はバイアスの掛かっていない選択肢が記載された短いアンケートにするなど工夫が必要です。国民の求める日本の姿は、憲法改正に限る必要はなく例えば、税制、皇室、自衛隊、都道府県制、福祉、各種個人の権利の制限、二院制、死刑、教育、婚姻、育児、宗教、情報開示など極めて多くのテーマがありますが、一回のアンケートは一問に限り、長い期間を掛けて情報を集める覚悟が求められます。

5.おわりに

最近、情報操作、漏洩、安易な自己表現などのSNSの悪い面、および自分の頭で考えなくなる、人の仕事を奪うなどAIの負の面が顕在化し、功罪相半ばする感があります。しかし、SNSとAIは人類が発明した便利な道具であり、道具に使われることなく、便利に使いこなす必要があると思います。自分の求める目標を達成する自由を他人にも認めながら、自分の目標を実現して生きる喜びを実感するという最も人間らしい色々な場面での基本ルールをSNSとAIとをうまく使って作りたいものです。

憲法改正について(2)

先回の投稿では、明治憲法の瑕疵が軍部をシビリアンコントロールできなくした一因ではないかと述べました。そのとき、ドイツにおいて何故ナチスが台頭したのか疑問に感じました。そして、その理由を考えましたので、今回投稿します。

議会制民主主義共和国として誕生したヴァイマル共和国で、1919年の選挙後に開かれた国民議会で、当時、世界で最も民主的とされたヴァイマル憲法が制定されました。かかる憲法下で、ナチス党が躍進し、ヒットラーの独裁を許した要因の中にも日本国憲法の改正に活かせる教訓があるのではないかと考えました。

1.ヒットラーに独裁を許したと考えられる主な要因を以下に列挙します。

(1)ヴァイマル憲法が問題点を内在

直接選挙で国家元首たる大統領を選出し、大統領は、首相を任免し、非常時には憲法を停止できました。また、大統領は議会の解散権を有し、議会は首相を罷免できました。

ヒトラーは、大統領に強大な権限を与え過ぎたヴァイマル憲法の問題点を突いて、大統領緊急命令を布告させ、反体制勢力を弱体化していきました。そして遂には、彼が率いる政府に、ほぼ全権利を憲法に拘束されない状態で授権させる全権委任法を、大統領を抱き込んで国会で成立させました。このとき、ナチ党機関紙は、ヴァイマル共和制は崩壊し、第三帝国が始まったと宣言し、ヒトラーは、独裁者の道を邁進することになります。

(2)不景気

第一次世界大戦の敗戦(1919年)により莫大な賠償金を課せられ、ドイツが不景気であったときに世界大恐慌(1929-1933年)が追い打ちをかけました。

(3)政情が不安定

敗戦で職を失った大量の軍人や失業者が武装組織ドイツ義勇軍に参加し、温存されていた帝国時代の支配層の後援を得て、国軍の右翼軍人とともにヴァイマル共和国政府を右側から攻撃しました。ドイツ共産党も勢力を拡大しつつあり、政府を左側から攻撃しました。

(4)ドイツ国民の隷属

第一次世界大戦の休戦条約に調印したヴァイマル共和国政府への不満、ドイツ革命後の混乱と旧帝政ドイツの支配者層の温存、不景気、ヒトラーの巧みな演説、彼の率いるナチ党の弾圧・デマゴギー(デマ)などにより多くのドイツ国民は、ヒトラーとナチ党に煽動、隷属されることになったと思われます。

2.日独で一党独裁の成立を許した共通要因

(1)憲法の問題点

明治憲法およびヴァイマル憲法は、国民主権、基本的人権、軍隊の文民統制に関する規定が不十分であったと思われます。

(2)不景気と政情の不安定

ドイツでは、第一次世界大戦後の不景気に加え世界大恐慌に陥り、国民に不満が鬱積しました。また、ヴァイマル共和国誕生後に政情不安が残り、選挙でナチ党が議席数を増やしていきました。日本では、世界大恐慌、昭和恐慌により経済が悪化し、ロンドン海軍軍縮条約の調印を巡って政情が不安定になり、犬飼首相が暗殺され、政党政治が打倒されていきました。

(3)多くの国民の隷属

国内経済が悪化するなかで、国際社会において孤立化が進むと、全体主義、民族主義が台頭し、独裁体制が構築され、軍部が台頭してきました。このような流れの中で、多くの国民が生存のために消極的に体制に隷属せざるをえなかったことを非難できるでしょうか。このような歴史から学び、いかなる状況下においても、かかる過ちを繰り返さないですむ憲法などの体制を国民の英知を結集してつくることが大切と考えます。

3.上記要因を考慮に入れた憲法改正の模索

(1)独裁体制の阻止と軍隊の文民統制

独裁者、独裁体制の阻止と軍隊の文民統制のベースとなる国民主権、人権尊重および国防に関する基本的で重要な条項については、改正不可あるいは改正を厳しくすることもありうると考えます。これらの規定の改正が時代の流れに応じて必要となった場合でも、一時の熱病で改正することを防ぐために、ことの良否を正確に選別する時間軸を判断に加えるために、改正案について1年位のインターバルを置いて2回ほど国民投票で賛否を問うようにすることはいかがでしょうか。民主主義は、独裁体制に比して時には非効率でありお金と時間を要しますが、生きる喜びの源泉である心の自由を守る覚悟と努力を人々に求めてもなお余りある価値あるものと考えます。

このように時間とお金を掛けて憲法の改正について国民的な議論を行う中で、日本国民はどのような国を目指しているのかを世界に発信することができ、各国の理解と信頼を得ることができると思います。日本国憲法の改正は、国内問題であるので、各国の理解を得る必要などないとの考えは、各国の距離が、時間的、情報的、物流的、価値観的に近くなった第4次産業革命の時代においてはガラパゴス化につながります。

(2)教育、情報公開

歴史に学ぶことを子供たちに教えることも歴史教育の一つの目的と思います。後世になると、どの出来事が時代の流れを変えたターニングポイントとなった出来事であるかが明らかになります。憲法改正を検討するに際し、世界史における日本の国内外の行動からターニングポイントとなった出来事を抽出し、これらを当時の世界状勢などを勘案して評価し、再発を阻止すべきであれば現在の世界状勢も考慮した上でかかる出来事の再発阻止に必要な憲法改正を行わなければならないと思います。時代の流れを大局的に把握することが憲法改正の議論に肝要と考えます。

昨今、ターニングポイント以外の出来事を議論するために多大の労力を費やし過ぎではないでしょうか。これら出来事は記録としてできるだけ正確に残すべきですが、時代の流れの結果として起こった面もあり、いくら議論してもかかる時代の流れを阻止するための建設的な成果をもたらすものではありません。

独裁体制の阻止と軍隊の文民統制には、教育と情報公開が大きい役割を果たします。日本の安全を保障するために特に秘匿することが必要な情報を保護する法律は必要ですが、国民の知る権利との調整が憲法上でとられているでしょうか。昭和に起こったターニングポイントとなった出来事を日本の国内問題として評価し、日本をどのような国にしたいかを生徒間で議論させる歴史教育がなされているでしょうか。このようなことは、憲法の改正条文に明記されなくても、憲法を改正する背景として議論され、付記にでも記載されることを願います。

(3)国民の愛国心

国民的議論から生まれた改正憲法は、日本国民が理想とする国の姿を描くものであり、愛国心のベースとなります。従って、国際問題、天災などで不況となり、あるいは政情が不安定になっても、日本国民は誇りを持って改正憲法を順守し、日本の繁栄と尊厳を維持するものと確信します。

憲法改正について

はじめに

昨今の南・東シナ海における中華人民共和国の海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル問題およびトランプ政権のアメリカ・ファーストなど国際情勢が穏やかでないとき、日本国のあり方を示す日本国憲法の改正を各国民が考える必要があると思い、社会の常識と判断力を備えると自負する一日本人からみた日本国憲法の改正の要否について考察してみます。

明治維新からソ連崩壊までの間に発生し、日本の国状の変遷に大きな影響を与えた重要な出来事を年代順に別紙に示しました。これにより、近代史における日本の国状の変遷を大局的に把握し、国状の変遷において問題と考える出来事を見出し、かかる問題出来事の発生の要因を探りました。そして、戦争の抑止および日本国の名誉を維持向上する観点から日本国憲法の改正の要否について考察しました。もとより、この間に起こった種々の出来事の真否、違法性、責任の所在を検討するものではありません。

本論

1.大政奉還から第1次世界大戦までは、世界の列強国が帝国主義、植民地主義であった世界情勢下で、維新に貢献した元老の存在もあり、日清戦争、日露戦争を含めて日本の政治に問題ないと考えます。

2.日露戦争終結後、ルーズベルト大統領は、米国のシナ進出の野望もあったろうが、日本の依頼に応じて日露講和条約の締結を斡旋しました。その後、日本は、米国による満州鉄道への出資を認める予備協定の覚書を交わしながら、直後にその覚書を一方的に破棄しました。この件は、以降の日米関係に大きな悪影響を与えたと考えます。

3.満州鉄道への出資を拒否されたことに不快を感じたと思われる米国は、第1次大戦後に米国の利権に影響を与え出した日本に脅威を覚え、関係の深い英国を勧誘して米、英、仏、日の間で四カ国条約を締結しました。これにより日英同盟が終了したことは残念です。

4.浜口内閣がロンドン海軍軍縮条約に調印したことを、野党、右翼が統帥権干犯と非難しました。これが内閣の軍への干渉を困難にする論拠となったことは不幸なことです。また、明治憲法を「不磨の大典」として条文の改正を不可能にする考え方があったことも問題です。現実に起こった改正の論は、翼賛政治体制を合憲とするために利用されたことは時代の流れでしょうか。

5.明治憲法は、「天皇は陸海軍を統帥する」「各国務大臣天皇を助けて責任を果たす」と規定し、議員内閣制を採用しませんでした。統帥権干犯問題は、明治憲法の瑕疵を突く主張であり、元老の生存者数の減少も相俟って、その後、陸海軍を文民統制(シビリアンコントロール)できなくなった要因となります。

6.浜口雄幸首相狙撃、満州事変、親軍化した立憲民政党の犬飼内閣の発足、犬飼毅暗殺、退役海軍大将の齋藤内閣誕生と続いて、軍部の勢力が増大し、第1-3次近衛内閣において大政翼賛会が結成され一党独裁の国家社会主義となりました。このような流れに入ると制止不能です。かかる流れに入る前に方向を転換可能とする方策を事前に準備しておく必要があります。

7.日中戦争、日独伊三国同盟から第2次世界大戦に突入は、各国益を追求するのが各国の政治であることを鑑みれば当事の国際情勢から当然の流れです。

8.敗戦後20年弱でオリンピックを開催するまでに驚異的な復興を成した日本の国状、共産主義のソビエト連邦の崩壊、中国の共産党一党独裁を見るとき、民主主義、自由主義、議会内閣制等を規定した日本国憲法の果たしてきた役割は大きいです。そして、日本国憲法は、明治憲法73条の憲法改正手続に従い、第90回帝国議会の審議を経て1946年11月3日に日本国憲法として公布され、1947年5月3日に施行された明治憲法の改正憲法であるという位置付けを再認識して、その改正の要否を考えるのが良識ある態度と考えます。

結論

1.明治憲法の瑕疵が、軍隊の文民統制を困難にしたことを勘案すれば、日本国憲法を必要に基づいて改正することに異論はないと考えます。

2.明治憲法を「不磨の大典」としていたことも問題です。日本国憲法は、時代において瑕疵ありと国民が認めるに至った条項は改正すべきです。

3.国際上問題となる出来事が発生した場合、或いは発生が予見される場合、それが日本国憲法の瑕疵によるときは、戦後に明治憲法を改正したように、憲法を改正しなければなりません。国際的な出来事の事実関係を正確に把握しておくことは大切ですが、相手国を非難するだけでは、何ら解決の糸口にならず、良好な国際関係を築くことはできません。

4.明治憲法の瑕疵が軍部をシビリアンコントロールできなくした一因と考えますが、議会内閣制を規定する日本国憲法下では、国民の心と教養を涵養することによって軍隊の文民統制は可能と考えます。勿論、軍隊の文民統制を確実に達成するために必要な改正は行わなければなりません。

5.日本は米国軍によって守られることを前提にしているとの見方を完全に否定しきれない日本国憲法は、日本の防衛が米国の国益によって左右されるという欠陥を内蔵します。従って、日本国は日本国民が守るということを決意した上で、日本軍およびその許容行動を規定する日本国憲法の改正を、日本国民の誇りの維持向上、日本国の国際社会での名誉向上の観点からも望まれます。

6.内閣総理大臣が内閣を統轄し、国権の最高機関である国会に責任を問われ、国会議員は国民に責任を問われるという基本原理から選挙の重要性を学び、近代史から国際情勢の変遷を学ぶ等の学校教育のあり方、情報公開の在り方などに関する日本国憲法の現規定が十分であるか否かを検討する必要もあります。

おわりに

国際情勢の変化、人間社会の変化に応じて日本国憲法も国民の賛同を得た上で改正しなければならないことは言うまでもありません。憲法改正の良否を論ずることにこれ以上時間を費やすることなく、戦争の抑止、日本国の安全保障および日本国の名誉を維持向上する観点から日本国憲法の改正を衆知を結集して作成しなければなりません。国際情勢が大きく変化している中で、緊急事態が生じてから、拙速な改正を行うのではなく、十分時間をかけて日本国の永続的な繁栄に資する日本国憲法の改正を推進するときと考えます。

 

別表