1. はじめに
昨今の森村学園、加計学園、日大などの一連の騒動において、責任ある人々が虚偽と思われる妄言を恥じることなく吐いているさまを見て、日本国民が長い年月をかけて築いてきた美しい伝統、慣習が損なわれていく方向に動くのではないかと危惧を抱きました。そこで、伝統、慣習延いては人の価値観の形成について興味を持ち、考えついた思いを紹介させていただきます。
2. 生まれながら持っている力
人は生まれながら、生きる欲求、生きる力を持っています。生きる欲求を実現するために、生きる力として五感、記憶力、思考力などの学習能力と創作力を具えています。肉体的な生きる欲求が生命力であり、精神的な生きる欲求が自己実現力ではないでしょうか。生命力は体力の影響を受けるように、自己実現力は感情によって大きく左右されます。感情は、欲求の達成に応じて発せられる心の表現と思われます。肉体的な生きる欲求を満たすために、例えば赤ちゃんはお腹がすき、或いはオムツが濡れて気持ちが悪いと泣きます。授乳し、オムツを替えて欲求を満たすとご機嫌になり笑います。このことから、人間は、肉体的な生きる欲求を満たすと快とし、満たされないと不快とする原始的な価値観を具えています。生命力は食欲、安住欲、性欲など肉体を維持する欲求と考えます。
この原始的な価値観から派生して、人は精神的な生きる欲求が満たされると快となり、自己実現力が高揚して楽しく生きることができると思われます。また、他人から認められたいという価値観は、多くの人と価値観を共有した方が生きて行き易いという原始的なものではないでしょうか。価値観とは、種々の欲求について人が満たすことを求める思いと言えるでしょう。
3. 共通の価値観
人は生きている時の共通の価値観を教育、慣習、経験、生活環境などから学習能力によって学んで形成するものと考えます。従って、真偽、 善悪、美醜についての一般的な価値観も学んで作っていきます。真偽の基準については、例えば、嘘も方便を認める程度は住む世界によって多少異なるように感じます。善悪については、例えば、人を殺すことは絶対に悪いは、切捨御免の時代から大きく変わってきています。美醜についても、平安時代の美人と現在の美人とでは違うような気がします。
人は赤ちゃんのときから両親や周りの人々から社会の一般的な共通の価値観を教えられるとともに、肉体的にも精神的にも大勢で生きる方が楽しいことを知るなかで、社会の慣習や生活環境などに合わせて自分の価値観を形成していくと考えます。
4. 自分の価値観
人は命ある証として自己表現欲求を具えていると思います。従って、自己表現のベースとなる自分の価値観を独自に形成することを求めます。自己表現欲求は大きく、達成したときの喜びは充足感に満ちたものと考えます。この自分の価値観に即した欲求を満たすことが人生を楽しくするキーポイントではないでしょうか。自分の価値観を実現し、他人から褒められたとき、自分の価値観および原始的な価値観に即した欲求が満たされ、喜びも倍増することでしょう。
共通の価値観は各人の能力、個性、興味にマッチしたものではありません。全ての人がノーベル賞やオリンピックの金メダルを狙える才能を具えているわけではなく、自分の能力、個性、興味にマッチした自分の価値観を、共通の価値観に大きく反しない範囲で形成し、自分の価値観に即した欲求を満たしたときに快と感じることが人生の原点、すばらしさと思われます。自分の価値観に従って目標を達成し欲求を満たしたときに達成感を味わい、さらなる快を求めて次の目標に向かうのでしょうか。従って、共通の価値観に縛られていては、自分の価値観に即した欲求を満たすことができず、楽しく生きることはできそうにありません。自分の命は自分だけのものであり、命の証としての自己表現の欲求は自分固有のものであます。例えば、少年野球でサードのレギュラーになりたい、自分に似合う服の色を見つけたいなどが自分の価値観に根ざした欲求ではないでしょうか。他人は人が自分の価値観を実現するために努力する姿勢、なしたことが感動するものであれば賞賛を与えて応援します。お父さん、お母さん、身近に起きた感動に鈍感になっていませんか。もし、子供が興味を持ってカブトムシを飼っているような場合、黒光りして強そうだねと褒めてあげると、子供の自己実現力は高揚し、生きる力が満ちてくることでしょう。
5. おわりに
このように各人が自分の価値観を築いて行動することが、周りの人々に影響を与え、皆が賛同すれば新しい共通の価値観に加えられ、新しい慣習となっていきます。数え切れないほど多くの人々の営々とした営みによって、より多くの人が幸せに生きることができるようにするために共通の価値観、慣習は徐々に変えられていくものと考えます。
ところが、昨今の責任ある人々の妄言は、より多くの人が幸せに生きるためのものでなく、自分の利益を守るためだけのものと感じられます。影響力の大きい人々の妄言は、共通の価値観を悪い方向に偏向させる大きな力となります。このようなときこそ、多くの人々が自分の価値観の品格を堅持して声をあげれば、共通の価値観が悪しき方向に偏向することを阻止することができるのではないかと考えます。