概念の世界を脳内に築き、これを言葉で他人と共有する能力を備える人間(ホモ・サピエンス)は、約20万年前に誕生したといわれています。
アメリカの学術誌、原子力科学者会報の世界終末時計は、人間滅亡までの残り時間を2022年時点で100秒としています。
人間は、誕生があれば絶滅があることを甘受し、我欲が招く核戦争や気候変動などで生存期間を自ら短くすることなく、世界の人々が各自の価値観を具現化して創造主と喜びを共感できる社会を築くという人間共有の価値観を実現した後に、終焉あるいは次生人類にバトンタッチしたいものです。
人間は、古来、各自の価値観とは別に、人間全体に役立つ、いわば人間共有の価値観を築いて互いに協力し生き延びてきたように想像します。
現在、民主主義国家と独裁国家との間で、それぞれの人間共有価値観が異なり、核戦争さえ危惧されています。
科学技術の発達により各国の距離感が短くなったことによる、経済的、軍事的な利害衝突頻度が増大した現代において、全世界に通用する人間共有価値観が希求されています。
古代においては、狩猟や採集などで生計を立てており、人間共有の価値観は、協力して狩猟や採集を行い食物を獲得することであったと想像します。
農耕、牧畜などの生産経済に移行すると人々は集落を形成し、富や権益の争奪戦を勝ち抜いて多くの集落を国に統合した王様の価値観を人間共有の価値観にしていったと思います。
以降現在に至るまで、地球上で無敵の能力を持つ人間は、天分を忘れ、国の間の戦争を人間の歴史のように繰り返しています。
18世紀末には欧米で、市民が決起して王の価値観に反逆し、自由と平等を求めて自ら政治を行うことを人間共有の価値観として民主主義国家を設立しました。
ところが、民主主義と相性がよく、産業革命で確立した資本主義の発達にともなって帝国主義が出現し、強い国家を形成することを人間共有の価値観にしました。
20世紀にはソ連、中国で、資本主義での貧富の差を解消するために社会主義が提唱され、生産手段を個人で所有せず社会で共有して平等な社会を実現することを人間共有の価値観にする社会主義国家が誕生しました。
しかし、経済活動を国家が管理することは、官僚の汚職、国民の不満・意欲低下などを招き、ソ連は崩壊しました。
中国では共産主義こそ人間共有の価値観であると固執し権力の魔力に捕らわれた中国共産党が政治面で一党独裁を固守し、経済面では共産主義と矛盾する市場経済を導入しました。
民主主義も共産主義も創案者の価値観は、人々の貧富など格差社会の解消であり、これは現世界の人間共有価値観として認められるでしょう。
古代の獲得経済では、権力闘争もなく人々が協力して狩猟や採集を行い、食物を獲得して分配し生計を立てていたので、貧富の格差が小さい社会を築いていました。
人間の歴史は戦争の歴史だと反省しながらも戦争を繰り返しているのは、人間共有の価値観の歴史から分かるように、国が形成され支配者層が出現し、国内外で権力闘争が生じるようになってからのことです。
農耕、牧畜などから発達した生産経済では、食物は豊富に生産されますが、平等に分配されずに格差社会が世界中に蔓延するのは、各自が夫々自分の価値観を持つことを相互に尊重するという心の食物が、教育や啓蒙の不足あるいは支配者層の思惑から人々に平等に分配されていないという精神的格差から生じるように思います。
国の権力者は権力志向で利己的になる傾向があるので、能力に応じた各自の価値観を実現するために人々が互いに協力する国を築くことを、権力者に頼ることなく、弱いホモ・サピエンスが協力して生き延びてきたように、各国の市民みずからが協力して人間共有の価値観にすることが必要ではないでしょうか。
ロシアや中国などの独裁者の利己的行為に対抗するために、民主主義国家の戦争に対応する政策は対処療法として進めざるを得ないと思いますが、精神的格差を解消するという戦争を無くすための根本療法を世界レベルでの市民運動として興隆させることが急務だと思います。