個人と国家と憲法改正

今から2500年も前に孔子が、政治は軍備、経済、いずれよりも信頼が大切であると説いています。しかしながら、最近の政治のなされようをみるとき、国民が信頼をよせうるものか疑問を抱かざるを得ません。

間違った国の政策に従わないといけない恐怖

戦争経験を持つ人は、間違った政策が公権力で行使されることの恐怖や憤りを肌身で感じたと思いますが、戦後に育った我々はそのような恐怖を実感することはあまりありませんでした。

しかし、今回のコロナウイルス対策では、現状把握に不可欠なPCR検査を受けるための要件を厚生労働省の自己都合で設定され、PCR検査数を増やすための方策を迅速に進めることなく時間を徒過しました。

PCR検査を受ける自由を奪われて早期治療を受けられずに亡くなられた方々の無念を思い、また、それが誰にでも起こりかねないと思ったとき、間違った国の政策に従わなければならない状況下での個人の無力さに怖さを感じました。

人間は変わることができないのか

人間が本質的に孔子の教えを忠実に実行できるものであれば、人間社会は争いのない平和なものとなっているでしょう。

しかし、孔子から2500年が経過しても戦争が起こり、多くの国において利己的で誤りを恥じない指導者が闊歩し、多くの人々が自分の目標を目指して楽しく生きる権利を奪われようとしています。

この事実を少し別の角度から見ると、人が生きることは、持って生まれた業を克服して自分の価値観を実現することに意義があることを示唆しているのでしょうか。

そして、人の心の成長は一世代限りであり、本質は世代を経ても変わらないと考えると、人間は、経済、文化、地球環境の変化につれて社会の価値観を変化させ、その中で各人がそれぞれ異なる自分の目標を達成する喜びを感じるために生きている気がします。

さらに、生と死(存在の世界と無の世界)を繰り返すことによって、創造主から託された生きる喜びをより強く実感できるのではないでしょうか。

憲法改正について

人間は、生活環境に合わせて社会の価値観を変化させるものであり、一つの社会の価値観の時代、例えば江戸時代でも265年で終焉し、価値観の全く異なる明治時代に突入しています。

このようなことから、日本国憲法の改正も、世界情勢を含めた社会環境が大きく変わらない時まで有効なものとして、現在社会の価値観をベースにして作成されるのがよいと思います。

感覚的にとはいえ、国家権力に対する個人の力の圧倒的な弱さを感じたとき、国家と国民との基本的な権利義務を定める憲法の大切さを改めて認識しました。

両者の関係の中で大切なものは、国家権力の行使と国民のチェック機能との関係と、生命を国家に捧げる戦争の許容要件であるように思います。

国家権力の行使と国民のチェック機能

公文書改ざん及び政治における隠蔽の阻止、公文書公開を保障できる条文の作成に叡智を結集したいものです。

例えば、参議院の主要な役割を国政調査とし、参議院議員を国務大臣に任命することを禁止するなどして国政をチェックする機能を強化するようなことをしてもよいのではないでしょうか。

衆議院は、国会議員の愚行調査に貴重な時間を浪費すること無く、国民が真に必要とする政策を実現するための立法に専念して欲しいものです。

国会議員の資格に、政策能力を追加し、議員の不正行為や政策能力不足調査を参議院の主任務とし、衆議院の補佐業務を副任務とするなどの改革があってもよいような気がします。

いずれにしても、参議院議員の国政調査権を強化し、政府や国会議員の不正や不適性が、週刊誌に頼ることなく、国民の前に開示される仕組みが必要です。

このような参議院議員は、立法権を常時は有さず、緊急時に限定しておけば、国民の審判を選挙で受けるので、三権分立を犯すことなく、行政を監視し、縦割り行政や黒塗りされた資料開示などの問題も解消されると思います。

戦争許容要件

戦争は国民の楽しく生きる権利を奪うものであり、決して許されるものではありません。

ましてや、世界で5000万~8000万人の死者を出した第2次世界大戦から75年しか経っておらず、唯一の被爆国である日本において、戦争を許容する価値観は日本国民にはありません。

しかし、人類の歴史、本質らしきところから考えると、戦争対策を備えない憲法は、現在の米国、中国、ロシアの覇権争い、北朝鮮、シリア問題などの国際情勢、および現在の世界の価値観からみても、非現実的なものと言わざるをえないでしょう。

この大きな二律背反に上手く対処することが、日本国と国民に大きな繁栄と歓びをもたらすことも真実のように思われます。

戦争放棄を明言できるような国際情勢でない現時点では、戦争を許容する厳しい要件を憲法に如何に明記するかに叡智を結集しなければなりません。

各国が平和を維持するためには、各人が自分の目標を達成するために他人との協力が必要であるのと同じように、各国が他国と協力することは不可欠です。

日本が同盟国の協力を得て戦争を回避しながら、同盟国の戦争回避に協力しない日本国は現在の日本国民の価値観からしても望む姿ではないでしょう。

日本は、自分から戦争を開始することはなく、戦争が起きる前に相手と何処までも話し合うとの前提のもとで、例えば、日本或は同盟国に向かって攻撃が開始された瞬間に相手国に攻撃可能な条項はいかがでしょうか。

世界の経済情勢が世界平和に強力な影響を与えることは、第2次世界大戦や今回の世界的なコロナウイルス感染からも明白な真実であります。

日本国憲法前文に記載された平和主義を世界で実現するために、平和主義国の自立的な経済活動を可能にするような国際的な経済協力の推進を目指す条項も意義があるように思います。

新しい価値観をめざして

人間は、農耕革命、産業革命などによって価値観を大きく変化させてきましたが、現在IT革命によって価値観を変えようとしています。

日本は、今一度奮起して、例えば、ミサイルの発射を素早く察知して堕とせるような技術開発によって核兵器の無力化を図り、価値観の大変革を起こしたいものです。

情報革命が急展開する世界で、情報を秘匿したい人々の影響下で国政の情報革命に消極的な日本の価値観がガラパゴス化しないためにも、国民がSNSなどで政策を提案し、国政に反映できる仕組みの作成が急務であると思います。

“個人と国家と憲法改正” への1件の返信

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