社会の変化につれて変わる価値観と変わらない価値観

人は、「知」によって道具、言葉、農業、人文科学、自然科学を進展させ、社会制度、物質世界を変化させてきました。物質世界の変化は、人の「体」に心地よい世界をもたらすと共に、地球温暖化、核戦争という人の「心」を不安にする世界をもたらしました。

社会制度や物質世界の変化は、人が心、知、体を使って生きる舞台である社会を変化させ、舞台の変化に応じて社会の価値観、個人の価値観を変えてきました。

人は各自の価値観を実現して喜びを感じるために生きていますが、社会に不安や不満が満ちている状態では人々の「心」は退行し、独立性を失って社会に依存する傾向が強まります。

人々の心が退行するのに乗じて利己的な支配者層が台頭し、社会をさらなる混乱に導き、地球温暖化あるいは核戦争によって人類を滅亡させる事態が生じないとも限りません。

このようなときこそ、社会の変化につれて変わる価値観と変わらない価値観を峻別し、変わらない価値観を大切にして各人が自分の価値観を確立し、各人の価値観の共通項である社会の価値観が歪められることを防がなければならないと思います。

変わらない価値観

創造主の価値観である永続的な存在を具現化するために、人間に託された変わらない価値観は、 先ず生きること、そして 人類が生き続けるために役立つことを目標にして行動し、その過程と結果に喜びを感じることではないでしょうか。

変わる価値観

各時代を生きる人々が、自ら設定する自分の価値観は、変わらない価値観に反しない範囲内にあっても、その時代の社会によって変わります。

例えば、戦乱時代は、民主主義という社会制度を見出す以前の君主主義社会であったため、君主とともに戦いに勝つことが、その国民(人類)が生き続けるために有益な集団の価値観であり、国民の価値観も勝つために敵人を殺すことに置かれたのでしょう。

しかし、ある人にとっては、戦いに勝つことより大切なことがあり、敵人を殺すことに迷いがあったかもしれませんが、集団の価値観に圧倒されて戦いに勝つことが自分の価値観であると自らを盲信させていたのでしょう。

自然科学の発達によって社会が物質的に豊かになると、この集団の価値観の盲信を疑う心から民主主義が誕生したように思います。民主主義では、変わらない価値観をベースにして個人の特性に応じて利己的でない自分の価値観を自らが設定し、自分の価値観の実現のために楽しみながら行動し、望外の結果として「ありがとう」と誰かに認められることに喜びを感じることができます。

社会の進歩と退行

社会の進歩は、変わらない価値観をベースにして自分の価値観を自らが設定し、その実現のために行動をできる人の数がより多くなることではないでしょうか。

社会の退行は、自分の価値観を自ら考えて設定することを放棄し、社会の価値観に迎合させる人の数が増加することのように思います。

進歩する社会の各人の価値観の共通項である社会の価値観が利己的な支配者層によって歪められないためにも、各人は自分の価値観をしっかり確立し大切にしなければならないと思います。

集団の支配者層の価値観は、その集団の少なくとも過半数の人の役にたつことを実行することにありますが、利己的な支配者層の価値観は、変わらない価値観に反して、自分と利益を共有する集団のごく一部のみに役立つように行動することにあると思います。

現代社会の退行は阻止しなければならない

社会に不安や不満が満ちている状態では人々の「心」は退行し、独立性を失って社会に依存する傾向が強まると言われています。人々の「心」が退行すると社会も退行します。

人類は、狩猟、農耕、工業、高度情報化の各社会を生き続け、平和と戦争を繰り返してきました。高度情報化社会が進行する現代は、各国において社会に不安や不満が充満し、人々が自己中心的になっているような気がします。人々の「心」の退行を防ぐためには、不安や不満の要因を解消することが必要であると思います。

現代社会に充満している不安や不満の要因として、以下のようなものがあります。

・地球温暖化

・核戦争の可能性

・格差社会の拡大

・米国の相対的国力の低下に伴う覇権主義の台頭

・高度情報化による人の権利、能力侵害

・グローバリゼーションのマイナス面

・人文科学、自然科学の発達に対応できていない宗教の無力化

・民主主義を誤解した利己的な個人主義

・人の生き方についての幼少時からの教育不足

人類が社会の退行を続けて核戦争や地球温暖化などで自ら滅亡することは、創造主の価値観に反することであり、大多数の人が望まず、絶対に起こしてはなりません。人類の存在は、誕生があったことから無限ではないでしょうが、終焉は創造主の意思に従いたいものです。

各人が利己的な「心」を抑え、自分の価値観を自らの意思で設定し実行することによって、現代社会の価値観を、武力ではなく知力によって、世界中の人々が「心」を躍動させて生きる喜びを謳歌できる社会の実現に向けることができると思います。

さらに、自己中心的な指導者の出現を阻止し、社会の価値観が創造主の価値観に反したものになることを防ぐことができます。

現代社会の不安や不満の要因の多くは、2千5百年前においても論語などで行われていた「心」の教育がなおざりにされていることから生じている気がします。「人は何のためにどのように生きるのか」などの「心」の教育を社会全体で行うことの必要性を痛感します。

憲法改正に国民的参加

1.はじめに

日本国憲法の改正の必要性は認められてはいるものの、現在ではとりたてて緊急性がないこと、改正すること自体が、戦争できる国への逆戻りを意味するとの不安、例えば自衛戦争のみ認めるとの条文が将来に拡張解釈される怖れなどから急転開することはないように思います。しかし、このような怖れの無い改正案を多くの国民が考えて準備しておくことは必要であると考えます。18世紀に生まれた民主主義は、自分が自由を求めるのと同様に世界中の他人の自由も認めることを原点としています。このとき自他の自由がぶっつかって争いが生じないようにし、互いに協力してより多くの国民が幸せに生活できる国のあり方を定めたものが憲法であると考えます。このような憲法の改正の内容自体に、多くの国民の思いや意見が反映されることが望ましいと思います。SNSに投稿される多数の人々の意見や感覚をAIで処理し、商品開発や経済活動に利用することが行われています。今回、この手法を憲法改正に利用することを提案します。

2.SNSとAIの利用

日本を愛し、日本国民が幸せに生きるための憲法改正に興味がある人は大勢います。芸術、物作り、研究、スポーツなどに興味があり、政治にあまり関心が無い人も多くいます。政治に興味が無くても、自分が興味のある分野をとおして、人およびその人の集まりである日本のあるべき姿を語る人は多いでしょう。そのような各人が考える日本のあるべき姿をSNSで比較的簡単に多数集めることが可能になりました。憲法改正に興味のある大勢の人が協力すれば、各人が求める日本の姿をSNSで集める仕組みを作り、集まった情報から大勢の日本人が望む日本の姿を表す憲法の素案をつくるAIを開発できるような気がします。これには多くの努力と費用が必要ですが、世界初のSNSとAIによる憲法作成プロジェクトであり、挑戦する価値があると思います。

3.自分の求める日本の姿を誰もが自由に語る社会風土の醸成

自分の求める日本の姿を、誰もが、何時でも、何処ででも、自由に考え語る社会風土と、それを実現可能とする仕組みを確立しておくことは、人々の自由と平和と幸せを永続的に維持するために、大切なことであると考えます。このような観点からもSNSとAIによる改憲案を読みたいものです。そのためには、誰もが簡単に安心して自分の求める日本の姿を投稿することができ、情報操作を防止して情報を正確に把握し、分析できるシステムの実現が不可欠です。

4.国民が求める国の姿リアルタイム可視化システム

政治に対する無関心と無知は、特に、国が経済的あるいは国際的危機に陥ったときに、国を不幸に導く野心家の台頭を導きます。そして、国の逆境時において一時の感情的な判断に左右されないために、長い期間に亘って国民が継続的に求める国の姿をリアルタイムに表すものが必要です。政治に関する無関心と無知を克服し、感情的な判断で国を危うくしないためにも、SNSとAIで国民が求める国の姿を誰もがアクセス可能に可視化するシステムは有効であると思います。

大勢の人から情報を気軽に得るために、例えば、一回の質問はバイアスの掛かっていない選択肢が記載された短いアンケートにするなど工夫が必要です。国民の求める日本の姿は、憲法改正に限る必要はなく例えば、税制、皇室、自衛隊、都道府県制、福祉、各種個人の権利の制限、二院制、死刑、教育、婚姻、育児、宗教、情報開示など極めて多くのテーマがありますが、一回のアンケートは一問に限り、長い期間を掛けて情報を集める覚悟が求められます。

5.おわりに

最近、情報操作、漏洩、安易な自己表現などのSNSの悪い面、および自分の頭で考えなくなる、人の仕事を奪うなどAIの負の面が顕在化し、功罪相半ばする感があります。しかし、SNSとAIは人類が発明した便利な道具であり、道具に使われることなく、便利に使いこなす必要があると思います。自分の求める目標を達成する自由を他人にも認めながら、自分の目標を実現して生きる喜びを実感するという最も人間らしい色々な場面での基本ルールをSNSとAIとをうまく使って作りたいものです。