自分の目標を達成する喜びを求める生きる方は自己中か

自ら設定した目標達成に夢中になり過ぎて自己中心的と言われている人を見かけます。

人は自分の価値観を具現化する目標達成の喜びを実感するために生きているので、目標達成に夢中になるだけで自己中と言われるのは気の毒な感じもしますが、回りの人の不満を無視し、何らかの埋め合わせをしない場合は、自己中の症状が現れだしたとも言えるでしょう。

自己中とは、謂わば、自分の利益になることにしか関心がなく、回りの人や事物そのものに興味を持てない心の閉鎖状態です。

自己中は、他人や文化、動植物や自然をあるがままに熟視し受入れて自分の興味や関心の対象にできず、生きる喜びを現出することが困難な状態でしょう。

興味のない対象は、記憶を支配する海馬が不必要とし認識し記憶されないそうです。

自己中は、一般的に次のような症状を呈します。

自分は特別な存在だと思っている。

・自分にやさしく他人に厳しい。

・他人のためと言いながら実は自分のため。

・虚勢を張っていて他人からの注意や批判を認めない。

・自分は他人より優位であることを確認したがる。

・自分の利益にならないことに興味や関心が無い。

自己中を治すためには、自己中症状が現れたときに、自分が一番嫌っている自己中に罹っているかもしれないと自己診断するのが第1歩です。

そして、症状と反対の考え方、行動をとるように習慣づけることが有効ではないでしょうか。

人間は、周囲の状況をあるがままに注意深く観察し記憶するとともに、仲間と協調して災難に向かうことが生き残るために不可欠であることを、人類誕生以来、学習し遺伝子に刷り込まれています。

従って、隣人にひょいと会釈するだけでも遺伝子による自然治癒力によって、自分以外への関心が高まり、自己中症状を緩和し、記憶力や人間関係を改善できると思います。

自分の目標達成の喜びを追求する生きる方の根本となる自己肯定感は、謂わば、自分の生き方が正しいと自ら認めることができる心の安定状態です。

自分は正しいと思う点では、自己中に似ていますが、両者は似ても似つかぬ別物です。

自己中は、他者との比較において自分が正しいと妄想している依存状態であるのに対し、自己肯定感は、自分の能力の中に自分の生き方を見つけ出した自立状態であります。

幼少期に、好きなこと、得意なことを上手にこなす経験をさせて、これから生きて行く世の中に、先ず一つでも自分の居場所を根づかせて自己肯定感を持たせることが大切だと思います。

居場所が根づいた安定した状態になると、他人や文化、動植物や自然と深く関わりを持つようになり、記憶力も増大し、自分の居場所を自らの力でどんどん広げていきます。

自分の価値観が自己中であれば自ら設定する目標も自分だけの利益や他人の目ばかり気にした成果を求めるものとなります。

人の役に立ちたいとの願望も人類存続のために遺伝子に刷り込まれているので、自己肯定感のある人の価値観を実現するための目標は他人の役にたつことが大きい比重を占めるものとなるでしょう。

自己中は、幼少期に甘やかされた人が罹りやすい傾向にあります。

自己肯定感は幼少期の教育で根づかせることが大切です。

幼少期の教育の大切さや内容については研究が進み、種々発表されているので、両親、先生や回りの人々が協力し、幼少期に甘やかすことなく、興味のあることを自由にやらせるという二律背反的なことを実現して、喜びに満ちた人生を次世代に受け渡していきたいものです。

人の心は非認知能力

体と知能と心のコラボした喜び のために

  1. はじめに

いじめ、虐待、ひきこもり、煽り運転、若者の無気力、自殺など心の病を原因とする不幸な社会現象は一向に減少せず、むしろ増加し、悪化しているように感じます。これは、人の心の教育が不足し、自分・他人への肯定感が弱くなり、生き方、生きる喜びを見失った人の数が増加したためではないでしょうか。知能などの認知能力は熱心に教育されていますが、人の心である非認知能力はあまり意識的に育成されていませんので、非認知能力とその育成の必要性を考えてみました。

 2.認知能力と非認知能力

2-1認知能力は、記憶、思考、理解、計算、学習、言語、判断などを行う能力で、脳内に概念の世界を築いて他者と共有する人間固有の強力な生きるための能力です。

2-2最近、非認知能力の大切さが唱えられています。OECDは、非認知能力として目標の達成能力(忍耐力・自己抑制・目標への情熱)、他者との協働能力(社交性・敬意・思いやり)、感情のコントロール能力(自尊心・楽観性・自信)を挙げています。

換言すれば、非認知能力は、自己肯定感、目標への情熱、意欲、忍耐力、思いやり、感謝の気持ち、協調性などを発揮する人の心であり、生きる指針を示す価値観を形成する能力です。また、非認知能力が高いほど、所得やキャリアが高くなると多数の研究結果が指摘しています。

2-3非認知能力の中でも、感情のコントロール能力は、自尊心や自信を含むことから自己肯定感に近いように思います。自己肯定感は、人が生きる上で土台になるものです。

一般的に、現在の子供達の自他への肯定感の低下について、「自分は自分であっていいんだ」という感覚が低いために些細なことで傷つきやすく、また「他者は信頼できる存在だ」という感覚が低いために対人関係で過剰に気をつかったり、逆に攻撃的になりやすい、とされています。

自分の肯定、すなわち自分の存在があって、はじめて目標の達成、他者との協働が成立すると考えると、自己肯定感は、身体を認知能力(知能)と非認知能力(心)で行動させて、目標を達成する過程と結果に喜びを感じるという人間の存在(生きる)意義を実現するための土台であると思います。

これらを勘案して自己肯定能力を、自分の現状を正当に認識し、目標の姿の土台として肯定する能力と定義しました。自己肯定能力は、自己肯定感を強く持つことができるようにするための能力です。

揺らぐ土台の上には、何も建てられないのと同じように、揺らぐ自己を土台にしては、目標すら設定することができません。

正しい自己肯定能力は、自分の今日の姿をダメな姿と思わずにそのまま認めて、目標とする向上した姿の土台であると意識するだけのことであり、子供達に早期に意識付けすることが必要であると思います。このとき、自分だけが正しいと思う意識付けをしないようにする注意も必要でしょう。

現在の自分の価値観や目標が正しいか否か判断するときも、自分の現状を肯定して土台にし、現在の知識や思考力などを使って熟考した上で、必要があれば変更することになります。

2-4他者肯定感

他者も同じ人間であり、自分と同様の人の心を持っていることを、子供同士が楽しく遊び、喧嘩して痛みを感じる中から自ら学び、あるいは大人がしっかり教えて認識させることにより、子供は他者肯定感を持つようになると思います。

 3.非認知能力の育成

非認知能力を伸ばす子育て方法の詳細は、専門家に委ねるとし、ここでは非認知能力発達の弊害になる環境について述べます。

非認知能力は、主として子供の時に発達し、繰り返すことによって比較的容易に習得できるものであります。 非認知能力は10代後半まで鍛えられると言われていますが、 生涯に亘って各自が進歩させていく、楽しく生きるために力と考えます。

人の心は非認知能力であり、畢竟、生きる喜びを実感する能力であると思います。従って、大人でも非認知能力を意識し、目標に向かって行動することを繰り返すことによって非認知能力が 鍛えられ、自分の価値観に基づいて立てた目標達成の過程と結果に存在意義と喜びを一層感じるようになると思います。

特に、親が多忙などで幼少時に非認知能力の教育を十分受けられずに成人した人が、非認知能力を意識し鍛えることで、無気力、ひきこもり等の解消、自らの生きる喜びの発見に繋がるように思います。

3-1コンピュータゲーム、SNSの蔓延

子供達が仲間と遊ばないでコンピュータゲームやSNSに夢中になっています。二人で並んでコンピュータゲームをしても、一人でするよりましであるにしてもコミュニケーション不足です。非認知能力の発達には子供達同士で遊ぶことが有効であることは、種々の研究で明らかにされています。

eスポーツを学校の部活動に入れることをよしとするような教育界の猛省を期待します。

3-2家庭教育不足

忙しい世の中、両親の子供との関わり合い、教育が不足気味です。この対策に学校の認知能力教育専門の先生が非認知能力の育成や心のケアを親に代わって行うことは、質、量の面において不可能でしょう。非認知能力の育成を専門とする先生を各幼稚園や学校に数人配置することが必要であると思います。待機児童の解消も数合わせだけですませることなく、心の教育面も含めて考えて欲しいものです。

3-3学校教育不足

非認知能力は如何なる能力か、非認知能力が人間の生き方にどのような影響を与えるか、非認知能力を伸ばすためには如何なることをするとよいか、などを知識として行動として教育する必要があると思います。

学校教育が受験勉強の影響を受け、認知能力の教育を偏重していることも、全体的な教育のあり方の中で見直す必要があると思います。

 4.おわりに

幼児教育の成果がでるまでには長い年月が掛かります。非認知能力の高い人々が社会を構成し、心の病を原因とする不幸な出来事が激減し、大多数の人が、自分の価値観に従って設定した目標に向かって身体を知能と心によって行動させ、「身体と知能と心のコラボした喜び」を実感できる社会にしたいものです。