早く知る方がより人生を楽しめる 

ラグビーに人生をみる

1.はじめに

今話題のラグビーが人生に酷似していることに驚きと興味を感じました。先ずラグビーは、各選手の役割が大きく異なっており、各選手はその専門職を自分の体力や能力を勘案して選択し、それになることを目標にし、身体と知能を鍛錬して選手の座を獲得し、日本チームという集団の一員になったと思います。各選手は、今回の大会でベスト8になるという集団の価値観を共有し、チームの役に立つという自分の目標を意欲と自信と助け合いで不安や困難を克服して達成したのでしょう。そして、各試合で国民の応援に後押しされて実力を発揮しチーム一丸となってベスト8を勝ち取り、国民に感動を与えるとともに賞賛され、各選手は大きな喜びと満足感を獲得したと思います。以下に、人生の楽しみ方をラグビーから学んでみました。

2.自分の存在意義の体感

人間は脳内に概念の世界と自分の価値観を自由に構築します。そして、正しい自分の価値観を実現する過程と結果に生きる喜びを感じることで、自分の存在意義を体感したとき、「生んでくれてありがとう」と言いたくなるようです。

自分の価値観は、創造主の意に反しない限り正しいものであり、自分が成したいこと、自分の成りたい姿、生き様など自分が実現したい或は憧れるものに対する欲求度合いだと思います。

創造主が人間に望まれることは、各自の正しい価値観を互いに認めて尊重し、協力してより多くの人が楽しく生きることではないでしょうか。従って、自分が望むことでも多くの人が生きづらくなる価値観は正しいものとは言えないでしょう。

個人が価値観に基づいて立てた目標は、美味しいものを賞味すること、趣味を楽しむこと、学芸、産業、スポーツ等において自分が実現したいことを成すこと等、色々なものがあります。

中でも自分の目標達成を他人が喜んでくれたときは、その他人の役に立てたことが確認でき、かつ自分が認められたことを実感できて嬉しさも倍増します。

いずれの場合も、目標を達成するための行動に喜びや悔しさを感じること、いわば目標達成サイクルを繰り返す中で、より多くに人に役に立つ或は喜びを与えることができる能力を順次取得し、自分としてもより大きい喜びを得ることができるようになると思います。

人生は短いようで長いです。子供の頃から意識して大小様々な目標達成サイクルを繰り返えすうちに、自分の大きな目標に向かって成長しながらその時々の生活を楽しめる気がします。

3.人の存在を成立させる主要素

各人が人間として生きる世界は、次に述べる主要素から成り立っていると思います。

鉱物や動植物から構成される物質の世界

・各人が脳内に築き多くの他人と共有している共通概念の世界

・各人が自分自身を存在している者として意識する自己

・物質の世界での各人の身体

・各人が認知能力(思考力、創造力、言語力など)を駆使し、物質の世界の認識、或は既存の共通概念の世界をベースにして脳内に築いた自分の概念の世界 

・各人が非認知能力を駆使し自己の行動に対して動機付けする各人の心

4.人の存在を成立させる各主要素の係わり合い

・人の存在の舞台になるのが、鉱物や動植物から構成される物質の世界です。

・共通概念の世界は、人類が存続するために授かった強力な能力(手段)ですが、人の存在の舞台にはなれません。

・自己は、自分の価値観を形成し、それを実現するための行動と結果に喜びや悔しさを感じる主体です。

・身体は、自分の価値観を物質の世界で具現化するための手段です。

・自分の概念の世界は、自分が脳内に自由に築いた概念の世界であり、自分だけの部分と他人と共有する共通部分があります。創造主は「生の多様性」を求められるので、人は独自の価値観を大切に思い、その実現に大きな喜びを感じるのではないでしょうか。

・各人の心には、自己を支える心、自分の価値観を具現化するのに役立つ心、共通概念の世界で多くの人と協力し、多くの人が共有する価値観を具現化するのに役立つ心があると思います。

心は、いわゆる非認知能力ですが、自分の価値観を具現化するための行動に喜びや悔しさを感じることを繰り返すことによって向上し強くなると思います。

自己を支える心は、自己肯定力、自信、自制心などです。しかし、人は迷いや失敗などで自信を無くし、自分を見失うことがあります。このようなときに、励ましや褒め言葉をもらうと自分の価値観の正当性を再確認でき、その具現化に向かって行動することができます。 

自分の価値観を具現化するのに役立つ心は、目標達成の意欲、情熱、忍耐力、自己抑制力などです。 

共通の価値観を具現化するのに役立つ心は、社交性、敬意、思いやり、感謝などです。 

5.価値観の具現化 

自己は、認知能力を使って自分の概念の世界に日々努力して構築した情報を活用しながら身体で意欲的に行動し、物質の世界において自分の価値観を具現化するために精励します。自分の価値観の具現化といえども周りの人々の親切な協力無くして達成することはできません。また、自分の価値観でもある共通の価値観の具現化には、それに関わる多くの人々が、社交性、思いやり、敬意などを潤滑剤にして協働することが必須です。 

6.おわりに

小学校の先生同士が虐めを行っている日本。憤りを過ぎて、一部の現象とはいえここまできたかと呆れてしまいます。人の養成には長い時間が掛かります。待ったなしです。人生の意義、正しい価値観、自分は何のために生きるかなどについて小学校から教え、自ら考える風土を社会全体で涵養することが急務と思います。

人の心は非認知能力

体と知能と心のコラボした喜び のために

  1. はじめに

いじめ、虐待、ひきこもり、煽り運転、若者の無気力、自殺など心の病を原因とする不幸な社会現象は一向に減少せず、むしろ増加し、悪化しているように感じます。これは、人の心の教育が不足し、自分・他人への肯定感が弱くなり、生き方、生きる喜びを見失った人の数が増加したためではないでしょうか。知能などの認知能力は熱心に教育されていますが、人の心である非認知能力はあまり意識的に育成されていませんので、非認知能力とその育成の必要性を考えてみました。

 2.認知能力と非認知能力

2-1認知能力は、記憶、思考、理解、計算、学習、言語、判断などを行う能力で、脳内に概念の世界を築いて他者と共有する人間固有の強力な生きるための能力です。

2-2最近、非認知能力の大切さが唱えられています。OECDは、非認知能力として目標の達成能力(忍耐力・自己抑制・目標への情熱)、他者との協働能力(社交性・敬意・思いやり)、感情のコントロール能力(自尊心・楽観性・自信)を挙げています。

換言すれば、非認知能力は、自己肯定感、目標への情熱、意欲、忍耐力、思いやり、感謝の気持ち、協調性などを発揮する人の心であり、生きる指針を示す価値観を形成する能力です。また、非認知能力が高いほど、所得やキャリアが高くなると多数の研究結果が指摘しています。

2-3非認知能力の中でも、感情のコントロール能力は、自尊心や自信を含むことから自己肯定感に近いように思います。自己肯定感は、人が生きる上で土台になるものです。

一般的に、現在の子供達の自他への肯定感の低下について、「自分は自分であっていいんだ」という感覚が低いために些細なことで傷つきやすく、また「他者は信頼できる存在だ」という感覚が低いために対人関係で過剰に気をつかったり、逆に攻撃的になりやすい、とされています。

自分の肯定、すなわち自分の存在があって、はじめて目標の達成、他者との協働が成立すると考えると、自己肯定感は、身体を認知能力(知能)と非認知能力(心)で行動させて、目標を達成する過程と結果に喜びを感じるという人間の存在(生きる)意義を実現するための土台であると思います。

これらを勘案して自己肯定能力を、自分の現状を正当に認識し、目標の姿の土台として肯定する能力と定義しました。自己肯定能力は、自己肯定感を強く持つことができるようにするための能力です。

揺らぐ土台の上には、何も建てられないのと同じように、揺らぐ自己を土台にしては、目標すら設定することができません。

正しい自己肯定能力は、自分の今日の姿をダメな姿と思わずにそのまま認めて、目標とする向上した姿の土台であると意識するだけのことであり、子供達に早期に意識付けすることが必要であると思います。このとき、自分だけが正しいと思う意識付けをしないようにする注意も必要でしょう。

現在の自分の価値観や目標が正しいか否か判断するときも、自分の現状を肯定して土台にし、現在の知識や思考力などを使って熟考した上で、必要があれば変更することになります。

2-4他者肯定感

他者も同じ人間であり、自分と同様の人の心を持っていることを、子供同士が楽しく遊び、喧嘩して痛みを感じる中から自ら学び、あるいは大人がしっかり教えて認識させることにより、子供は他者肯定感を持つようになると思います。

 3.非認知能力の育成

非認知能力を伸ばす子育て方法の詳細は、専門家に委ねるとし、ここでは非認知能力発達の弊害になる環境について述べます。

非認知能力は、主として子供の時に発達し、繰り返すことによって比較的容易に習得できるものであります。 非認知能力は10代後半まで鍛えられると言われていますが、 生涯に亘って各自が進歩させていく、楽しく生きるために力と考えます。

人の心は非認知能力であり、畢竟、生きる喜びを実感する能力であると思います。従って、大人でも非認知能力を意識し、目標に向かって行動することを繰り返すことによって非認知能力が 鍛えられ、自分の価値観に基づいて立てた目標達成の過程と結果に存在意義と喜びを一層感じるようになると思います。

特に、親が多忙などで幼少時に非認知能力の教育を十分受けられずに成人した人が、非認知能力を意識し鍛えることで、無気力、ひきこもり等の解消、自らの生きる喜びの発見に繋がるように思います。

3-1コンピュータゲーム、SNSの蔓延

子供達が仲間と遊ばないでコンピュータゲームやSNSに夢中になっています。二人で並んでコンピュータゲームをしても、一人でするよりましであるにしてもコミュニケーション不足です。非認知能力の発達には子供達同士で遊ぶことが有効であることは、種々の研究で明らかにされています。

eスポーツを学校の部活動に入れることをよしとするような教育界の猛省を期待します。

3-2家庭教育不足

忙しい世の中、両親の子供との関わり合い、教育が不足気味です。この対策に学校の認知能力教育専門の先生が非認知能力の育成や心のケアを親に代わって行うことは、質、量の面において不可能でしょう。非認知能力の育成を専門とする先生を各幼稚園や学校に数人配置することが必要であると思います。待機児童の解消も数合わせだけですませることなく、心の教育面も含めて考えて欲しいものです。

3-3学校教育不足

非認知能力は如何なる能力か、非認知能力が人間の生き方にどのような影響を与えるか、非認知能力を伸ばすためには如何なることをするとよいか、などを知識として行動として教育する必要があると思います。

学校教育が受験勉強の影響を受け、認知能力の教育を偏重していることも、全体的な教育のあり方の中で見直す必要があると思います。

 4.おわりに

幼児教育の成果がでるまでには長い年月が掛かります。非認知能力の高い人々が社会を構成し、心の病を原因とする不幸な出来事が激減し、大多数の人が、自分の価値観に従って設定した目標に向かって身体を知能と心によって行動させ、「身体と知能と心のコラボした喜び」を実感できる社会にしたいものです。