多様性尊重と共生主義

昨今、自由と平等を謳う民主主義国家において、権力、利権構造の固定化および経済格差の拡大にともなって人々の幸福感が減少し、閉塞感が増大しています。

その対策として、多様性を尊重するとともに、様々な人々が協力して社会をつくる共生主義をベースにする国家が模索されています。

社会は有史以来、人間がさまざまな苦難に打勝って生きていくために強者が弱者を経済、倫理、武力的に支配する有形無形の階級が時間の経過とともに幾重にも形成され、大多数の弱者層が強者層に正当な権力や利権を要求することが困難な状況になっています。

自由、平等、友愛を標榜しブルジョア民主主義を手に入れたフランス革命も、一人の絶対君主のファミリーと、14万人の聖職者(第1身分)と、40万人の貴族(第2身分)、2600万人の平民(第3身分)の代表であるブルジョアジーとの間の泥臭い権力、利権闘争であり、経済的に弱者であった平民の大部分の農民が獲得した成果はブルジョアジーからのお零れ程度でした。

ブルジョアジーは、平民に属し商業や工業の経営に成功して経済的に強者になった新興勢力です。

フランス革命にみられるように、社会体制の変革は、現体制の亀裂や財政難、新勢力の台頭、新しい思想の出現、技術革新、外国からの干渉のいくつかが同時に発生したときに起きています。

フランス革命前に平等主義や自由主義の研究が盛んに行われて理論武装が行われたように、現代社会において、多様性の尊重や共生主義の思想的裏付けが望まれます。

理想社会を提案する東京パラリンピックでは、社会的弱者と言われる身障者、LGBT、高齢者が健常者と協力して大会を運営しました。

そして、障がいの種類や程度でクラス分けされた選手は、各自の能力に適した目標に向けた努力を結実させたパーフォーマンスを演じて歓喜し、観衆を感動させました。

創造主は「無の世界」に対峙する「有の世界」をより多様により強く実感するために、人間に多種多様な性状と才能を天賦されていると思います。

したがって、人間は各自の性状と才能に基づいて設定した価値観を具現化して自己表現することによって生きる喜びを創造主とともに共感することが存在意義だと思います。

音楽の神童と言われるモーツアルトは、音楽では強者でしたが、経済的には弱者であり、身分や財力で強者であった聖職者や貴族が好むピアノ演奏や作曲を行い、奇行のなかにむなしさを隠していたのでしょうか。

しかし、大司教と決別した後は自分の価値観を自己表現する作曲を行い、貧しいなかにも生きる喜びを体感したような気がします。

若くして亡くなる3年前の手紙で、「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だったころから、・・・目隠しをされて演奏させられたこともありますし、・・・僕が幸運に恵まれていることは認めますが、・・・作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。」と語っています。

共生主義は、東京パラリンピックで提示されましたが、まだ著作や研究が散見される程度であり、国家体制としてどのように具体化していくかの試行錯誤が続くでしょう。

現代の民主主義は、フランスのブルジャジー民主主義より社会的弱者の所有権、参政権、人権等が確立しているので、共生主義は現代民主制の延長線上にあると思います。

しかし、現代民主主義が標榜する自由と平等は、現在の経済活動にマッチした才能に長けた現在の強者に有利に働き、解釈によっては弱者を自己責任として切り捨てる道具にもなり得ます。

共生主義では、自由は、自分の性状と才能に基づいて設定した価値観を具現化する自己表現を経済的に拘束されることなく追求できることであり、平等は、各自の性状と才能で差別されることなく自己表現できることでしょうか。

多種多様な性状と才能を天賦された人間が、天賦の才能を努力で研鑽し自己表現して生きる喜びを実感することが創造主の意思だと思います。

現代民主主義国家において、多くの国民は多様性を尊重し、さまざまな人々が協力し、夢を抱いて生活できる国家を望んでいます。

技術革新の面では、超情報化社会の到来によって人間の能力の一部が、ビッグデータやAI、ロボット等に置き換えられ、人間にしか発揮できない多種多様な能力が求められるようになってきました。

このような状況下で、現代民主主義国家から共生主義国家に、創造主の意図する多様性の尊重を啓蒙し、東京パラリンピック、テレワーク、ベーシックインカムや働き方改革、コロナ渦での教訓などを活かし、日々進歩する情報技術を用いて変革させたいものです。

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