個性・目標・尊重は、なぜ両立しないのか

―― ひとり一人が活きる集団の条件 ――

「個性を大事にしよう」
「目標を達成しよう」
「お互いを尊重しよう」

——この3つ、同時に成立しないと感じたことはありませんか。

学校でも、職場でも、社会でも、
私たちはこう願います。

ひとり一人が個性を発揮し、
目標を達成する喜びを共有し、
互いに尊重し合える集団でありたい。

しかし現実には、

  • 個性を尊重すればバラバラになり
  • 目標を優先すれば個性が抑えられ
  • 尊重を重視すれば遠慮や停滞が生まれる

理想は、なぜ崩れるのか。

その原因は、リーダーの不在だけではありません。
もっと根本的な「構造」にあります。

1. 個性は「自由」にするだけでは機能しない

見落とされがちな前提があります。

個性は、放置しても活きない。

個性とは単なる「違い」ではありません。
集団の中で意味を持ったとき、初めて価値になります。

たとえば、

  • 行動力のある人
  • 慎重な人
  • 論理的に考える人
  • 共感的に支える人

これらは性格の違いではなく、
本来は「役割」になり得るものです。

しかし役割がなければ、

  • 行動力は「独断」に
  • 慎重さは「消極性」に
  • 論理性は「批判」に
  • 共感性は「迎合」に

変わってしまう。

つまり、

個性が活きる条件は一つ。
「自分は何を担う存在か」が明確であること。

個性は「自由」ではなく、
役割と結びついたときに初めて力になるのです。

2. 喜びは「達成」ではなく「貢献」から生まれる

多くの人は、
喜びは「結果」にあると思っています。

しかし本質は違います。

人が本当に満たされる瞬間は、

「自分の行動が全体に意味を持った」と感じたとき

です。

どれだけ大きな成果でも、
関わった実感がなければ、喜びは生まれません。

逆に、

小さな役割でも、
全体に寄与していると感じられれば、
人は深い満足を得ます。

だから必要なのは、

  • 行動が全体にどうつながったかを言語化すること
  • 成果だけでなくプロセスを共有すること

喜びは結果の共有ではなく、
意味の共有から生まれるのです。

3. 尊重とは「優しさ」ではなく「理解」である

「互いを尊重する」とは何か。

ここで重要なのは、
尊重を「優しさ」や「配慮」と捉えないことです。

本質はもっと構造的です。

尊重とは、「違いを機能として理解すること」である。

人はそれぞれ異なる前提で意思決定しています。

  • リスクを避ける人
  • 挑戦を優先する人
  • 論理を重んじる人
  • 感情を大切にする人

これらは対立ではなく、
本来は集団を成立させるための「異なる機能」です。

しかし、

「正しい/間違っている」で見れば対立が生まれる。

一方で、

「役割の違い」として捉えれば、
互いに必要な存在として認識できる。

尊重とは感情ではなく、認識の問題。
理解の構造が整ったときに自然に生まれるものなのです。

4. すべてをつなぐ「一つの条件」

ここまで見てきた

  • 個性
  • 目標
  • 尊重

この3つを同時に成立させる条件は、
実は一つしかありません。

共通の「目的」が、個人の内側とつながっていること

ここで明確にしておきます。

目標は人を動かす。
しかし、動かされた人はいつか疲れる。

目的は人をつなぐ。
つながった人は、自ら動き続ける。

目的は「なぜそれをするのか」という存在理由。
目標は「そのために何を達成するか」という通過点です。

たとえば、

  • 目的:野球が上手くなる
  • 目標:地域リーグ優勝

目的が曖昧なら、個性はバラバラになる。
目的が強制なら、個性は抑圧される。

重要なのは、

「自分のためにやっていることが、結果として全体に貢献している」

という状態です。

このとき初めて、

  • 個性は役割として機能し
  • 貢献が喜びとなり
  • 違いが尊重へと変わる

すべてが一つの流れとしてつながります。

5. 実践のための4つの要素

この状態をつくるために必要なのは、次の4つです。

  1. 個性の可視化(強み・価値観の言語化)
  2. 役割の明確化(何を担うかの設定)
  3. 目的の共有(なぜそれを行うのか)
  4. 貢献の言語化(どう全体に寄与したか)

この4つが揃ったとき、集団は

単なる集合から「機能体」へ

と変わります。

6. それでも最後に必要なのは「リーダー」である

ここまでの構造が整えば、
理想の集団は成立するように見えます。

しかし現実には、

  • 不平
  • 誤解
  • 疲れ
  • 環境の変化

時間とともに、必ず歪みが生まれます。

そのときに必要になるのがリーダーです。

リーダーとは、「目的と個人を接続し続ける役割」である。

人間には、

  • 個性を活かし
  • 他者を尊重し
  • 貢献に喜びを感じる

という方向性があります。

しかし同時に、

  • 楽な方へ流れる
  • 自己中心に傾く

という側面も持っています。

だからこそリーダーは、

  • 集団の方向性を示し
  • 役割を整え
  • 意味を言語化し

メンバーが

「自分はこの集団の持続に参与している」

と感じられる状態を維持し続けなければなりません。

そして最も重要なのは、

個性・貢献・尊重が循環する“空気”をつくることです。

結び:集団は“生きた存在”になれる

人は本来、

「存在の持続に参与している」と感じたときに喜びを得る存在

です。

その欲求を、

集団の持続を活性化する方向へと整流できたとき、

  • 個性
  • 目標
  • 尊重

は対立ではなく、
一つの流れとして統合されていきます。

そしてそのとき、

集団ははじめて「生きた存在」になるのです。

統治と煩悩

支配者による統治は、約1万年前に農耕が始まり土地と財の所有が発生し、人の煩悩の発露である紛争を解決し秩序を維持する必要が生じたときに始まりました。

ホッブス(17世紀)は、人は自然状態では煩悩に支配され互いに争うので、安全のために権力者ひいては国家に統治を委ねたと言っています。

煩悩は、欲望・怒り・無知といった「生存の衝動」のかたちで現れる、生きようとする意志であり、生存と人間らしく生きるエネルギーとなります。

人が煩悩を制御することなく放任すると、互いに敵対して殺戮を繰り返す「滅亡の衝動」となります。

欲望が理性を超え、怒りが慈悲を忘れ、無知が真理を覆うとき、人は他者を敵とみなし、傷つけ合います。

ところが、人は、煩悩を認めエネルギーとして制御し、自分の成したいことを他人と協力して成すことに喜びを感じる「人間らしく生きる衝動」を備えています。

滅亡の衝動を抑え、人間らしく生きる衝動を安全に発揮して、人の存在意義と繁栄を確保するために、人類は集団社会、国家を形成して国民を統治し、権力、法律、社会慣習で滅亡の衝動を制御しています。

農耕草創期の良識ある紛争裁き役が、国の誕生で王になり、時代が進むにつれて権力を集中し煩悩に囚われて民衆を支配しました。

産業革命によって生産性が飛躍的に向上し、民衆の権利を守ろうとする人民主権がルソーによって提唱され、民主主義国家が誕生しました。

民主主義国家といえども、選出された為政者が煩悩に囚われ、自由・平等・安全という公共の責務を忘れたとき、国家は自国の利益のみを追う利己的な体制へと転落し、国益の名のもとに、戦争という地獄絵を現実に描き出します。

21世紀になっても戦争が絶えることがないのは、煩悩を制御できない為政者が厳しい国難に直面したとき、支配欲・恐怖・無知といった煩悩に支配され、一部の民衆と煩悩を共鳴して国益を守るという名目で戦争を起こし、滅亡の衝動を現実化するためだと思います。

世界中の人々が人間らしく生きる衝動を具現化して人間の存在意義を達成するためには、以下に例示するような戦争抑止の具体策を常に実行しなければならないと考えます。

・民衆が為政者の言動を注意深く監視し、煩悩を制御する能力の低い人を為政者に選出しない。

・戦争は国難時に為政者の支配欲・恐怖・無知といった煩悩に民衆の煩悩が愚かにも共鳴したときに起こるということを、史実も含めて広く国民に継続的に教育する。

・大多数の民衆が、煩悩を正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きる衝動を発露して人生を楽しむ。

・煩悩をあるがままに認めたとき、他国の為政者の滅亡の衝動を抑止するための防衛力は必要である。

・民衆による国際的文化交流は為政者の煩悩を凌駕する。

戦争を抑止するには、国民が煩悩を否定せず正しく認めた上でエネルギーとして制御し、人間らしく生きることを楽しんで人間の存在意義を達成することがベースになると考えます。

どのような姿勢で生きるか

人間は欲しいものを探し、見つけては獲得に務め、手に入れることによって味わえる喜びを求めて生きていると思います。

社会を大多数の人が喜びを求めて生きることができる環境にするために、人類は何世代にも渡って試行錯誤を繰り返して社会規律・慣習・法律を築いてきました。

宗教も社会に合わせて漸進あるいは改革し同様の役割を果たそうとしているのでしょう。

社会規律・慣習・法律や宗教の教えは一人一人の価値観の形成に様々な形で影響を与え、全体として社会の秩序維持に役立っています。

個々人も、本能的に「自己保存」と「自己利益」を優先する傾向にありますが、幼少期から各自の生活環境の中でさまざまな経験を繰り返し、欲しいもの、大切なものを探し出して価値観を築いていきます。

各自の生活環境、例えば、属する社会の慣習、幼児教育などが各人の価値観の形成に大きく影響します。

幼少期に欲しいものを見つけ出して熱中し、手に入れた喜びを体験することは、自分の価値観を形成する出発点になります。

幼児は自分中心の視点いわゆる万能感で世界を理解し始め、親や周囲の大人との関わりを通して価値観を形成していきます。

万能感を否定し過ぎると自信喪失や自己否定につながり、認め過ぎると傲慢や挫折に弱い傾向になり、適度に認めながら現実を学ばせると挑戦心・自己肯定感を持ちます。

自分の価値観を土台にして自己確立がなされると、成したいことを他人軸ではなく自分軸で探し出すようになり、達成した喜びや満足感も他人軸に支配されて成した場合に比べて比較にならないほど大きくなり、自己肯定感も強くなります。

幼児遊びを制限して親の価値観を押しつけ、あるいは自己保存と自己利益に反して虐待まがいなことを行うと、自己確立どころか自己否定するようになり、脳の発達や人間関係にトラブルをもたらします。

大人になるにつれ、幼少期に培った価値観の通りに欲しいものを手に入れることは難しくなります。

望みが叶わないと自信を失い、劣等感を抱いて無気力になり、自己肯定感が低下する傾向があります。

挑戦に敗れ自信を失ったときにどのように対処すればよいか、どのような姿勢で生きるかを上述の内容を含め心理学的見識も含めて学生に分かりやすく教える必要があると思います。

時には、今までにしたことを振り返り、それをしたのは、自分が欲したのか、流行っていたからか、親のプレッシャーからかなどと自問すると自分の人生の楽しみ度を自己評価できるでしょう。

場合によっては、コンプレックスからその原因を見つけ出して解放されるかもしれません。

宗教コンプレックスからの解放(その2)

地球環境の悪化、世界情勢の混迷、政治の貧困、貧富の差の拡大、偏差値偏重、生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などにより社会に不安と諦めが充満しています。

これは、実質賃金の失われた30年間の微減傾向、出生率の低下、若者のオンラインカジノ賭博依存症の増加、常識を逸したセクハラ・パワハラの横行、不登校の小中学校児童生徒数の増加などの社会活力の低下として表面化しています。

日々の暮らしに窮し将来が見えない人々に、自分の才能と欲求に合った「何か」を行うことが出来たとき、或いは行って感謝されたきに感じる生きる喜びを繰り返すことが人生の目的ではないでしょうかと問いかけても、うるさいお節介ととられるでしょう。

法然が浄土宗を開いた時代は、現在と同様に困窮や閉塞感が庶民社会に充満していたと思われます。

法然は、南無阿弥陀仏と称えれば誰でも極楽に往生できると説いて、如何ともし難く、声もなく尊厳を踏みにじられた人々に現世での居場所を提供したと考えます。

現代の庶民は、法然が開宗した時代より貧困でなく声を発することが出来ます。

まだ他力に頼るのではなく、より多くの庶民が自力で生きる喜びを楽しむ方策を試行錯誤するときだと思います。

人は太古の昔から必要なことを協力して実現するために役立つ知識や行動を試行錯誤して発見し個人や社会の価値観として共有してきました。

殺生(命を奪う)、偸盗(盗む)、邪淫(性的に乱れる)、妄語(うそ)悪口(中傷)、両舌(他人の仲を裂く)、綺語(へつらう)、貪欲(むさぼりの心)、瞋恚(怒りの心)、邪見(誤った考え)の十悪行は罪になる不善な行為であるとされたお釈迦様の教えも、社会の価値観を明示したものだと考えます。

十悪行をしないことが人生の目的ではありません。

他人と共に生きる喜びを体感するために十悪行を行ってはならないのです。

冒頭で例示した社会の閉塞感の原因を取り除くためには、我々庶民が声を上げ行動を起こさなければなりません。

一部の人に任せている環境保護活動に、より多くの人々が参加することによって地球環境の悪化を防ぐことができます。

政治の貧困を解消するための第一歩は、私たち庶民一人ひとりの行動です。まずは、7月の参議院選挙に多くの庶民が参加することから始めましょう。

功罪両面あるも、その弊害は深刻である偏差値偏重については、SNS等によって社会の一つの価値観として定着されることを阻止し、創造力や非認知能力も重視する社会の価値観に庶民自ら意識改革する必要があると考えます。

生成AIの普及、SNSなどによる他者依存と自己喪失などについては、生成AIやSNSは、自分の才能と欲求に合ったことを行うための道具として使うものであると認識することで解消すると思います。

自己確立とコンプレックス

人は数回の反抗期で未熟な自我に目覚め、長い年月を掛けて自分の成したいことを追い求めて生活する中に、自己を漸次確立し、感情を満たされた幸福な人生を送るものだと思います。

自己確立度あるいは幸福度は、自分の成したいことを追求する熱意と達成度を追求期間で積分した大きさになるでしょう。

幸福感は自分の感情が満たされている状態を自らが作り出して認識することであるので、その前提として自分の成したいことを見出す自己確立がベースになると考えます。

自分が成したくて成したことが他人にも認められて褒められると幸せいっぱい夢いっぱいになることでしょう。

この自己確立を時に邪魔するものがコンプレックスです。

自己確立は、自分らしさを認めて、他人と比べずに自分の軸で生きることです。

コンプレックスは、逆に他人の価値観に支配されて自分を過少評価することです。

コンプレックスには、容姿に対するコンプレックス、学歴コンプレックス親との関係からくるコンプレックスなどありますが、いずれも他人の目が気になって自分の心に根付く負う必要もない心の傷です。

容姿に対するコンプレックスは、自分に全く責任のないことで一番大切な自分の心に傷をつける極めて無意味なこだわりです。

学歴コンプレックスは、世間の軸に囚われて頭をよぎる過去の失敗の亡霊がもたらす自己確立の揺らぎではないでしょうか。

親との関係からくるコンプレックスは、過干渉、無関心などから自己確立を阻害された状態の産物であることを認識することから治癒できるでしょう。

深刻な社会問題である少子化は、自己確立が不十分で幸福度の低い若者が子供に同じ思いをさせたくないとの優しさが一因であると言われています。

若者に自己確立を促すためには、子供の頃から過干渉せず、放任し過ぎず、自分の長所や成したいことを自ら認識するように指導することが根本であることを再確認し実行する必要があると考えます。

創造主の一器官としてのヒト

ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。

ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。

・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力

目標を現実化する実行力。

・自己制御可能な持続する欲望。

・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。

・現象を分析、解明する論理的思考力。

創造主の意思に沿った倫理観。

・欲するものを創り出す創造力。

目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。

創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。

目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。

大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。

数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。

立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。

この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。

ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。

創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。

ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。

他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。

侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。

達成の喜びを想像しうる目標

日常生活を保ちつつ、我が才能と相談して設定した目標を達成して創造主と喜びを共感する人々が、創造主の意図した苦闘する人類だと思います。

自分の成したいことのみを追い求めて日々生活できる人は、科学、芸術、スポーツなどの各分野において天賦の才能に恵まれた数少ないギフテッドで、創造主が人類に示した道標ではないでしょうか。

無分別な若者が特殊詐欺や闇バイト強盗に加担させらされ、人生を台無しにしています。

文部科学省の昨年10月の発表によると、小・中・高等学校及び特別支援学校における「いじめ」の認知件数は61万5千件強で、前年度に比べ19%増加しています。

不登校児童生徒数は24万5千人弱で、9年連続で増加し、過去最多となりました。

国連のSDSNが各国民へのアンケート等に基づいて国民が感じている幸福度を総合的に測り、幸福度の高い国別ランキングを発表しています。

最近公表された世界幸福度報告書2023年版によると、北欧諸国が上位を占め、日本はG7でイタリア33位についで最も低い47位でした。韓国、中国、ロシアは、57位、64位、70位で、最下位はアフガニスタンの137位です。

報告書は、日本と上位の国々を比べると、健康寿命では日本が上回り、1人あたりGDPでも上位と大きな差がないものの、人生の選択の自由度や寛容さに課題があるとしています。

若い人達が子供をつくりたがらず、2022年に生まれた赤ちゃんは80万人を割り込んで少子化が進んでいます。

このような好ましくない社会状況は、日本社会における価値観の均質性とその押しつけに起因しているのではないでしょうか。

ほぼ全員が苦闘する人類である日本国民が、ギフテッドのようになること或いは良い学校、会社、地位等につくという表面的な目標を自分、他人、子供に無知の善意で押しつけている風土があるような気がします。

達成不可能な目標を押しつけられると、苦闘する人類は喜ぶ機会を失い自己否定に陥り、苦闘して生きる意欲を失うのではないでしょうか。

苦闘する人類の能力の種類は、各分野において更に微細化され、高さにおいてもギフテッドに向かって際限なく多層化されているでしょう。

目標は、努力次第で達成することができ、果たしたときの自分の進歩した能力、姿を具体的にイメージできる、達成の喜びを想像しうるものでなければならないと思います。

若い人は各分野でこのような目標達成を繰り返して能力を向上し、人々の生活を豊かにする成果を実現して欲しいものです。

私は高齢者にふさわしい新しい目標を設定し、今まで気づかったことを発見しつつ、ささやかな目標を頑張って達成し生きる喜びを感じています。

自分の個性や才能に応じて設定した目標を苦闘しながら達成することに喜びを感じることが人生の意義であるとして尊重する社会風土を日本国民が醸成し、人生の選択の自由度や寛容さを高めることが日本の社会状況の改善に役立つように思います。

80にして平和を祈る

今年は80にして平和を祈るになりそうです。

個人は心を他に支配された状態、国は他国に支配された状態は平和と言えません。

心を他に支配されない方法が心理学で色々研究されています。

最近、星 友啓著 「全米トップ校が教える自己肯定感の育て方」に書かれていた心理メソッド「ディスタンシング」の一つを行ってみました。

私と同じ悩みを持っている仮想A君を心に描いて声を掛けるのです。

「A君、お前のあの時の努力と準備不足では当然失敗するよ。事実は変わらないが、これから頑張れよ!」でした。

このようにA君を励ますと、私の悩みも霧散し心が軽くなりました。

心が社会や他人の価値観に呪縛され自己肯定感を蝕んでいたのでしょうか。

A君に掛けた言葉が現在の自分の真の価値観であるので、ストンと腑に落ちたのでしょう。

腑に落ちない場合は、自分が尊敬する歴史上の人物Bに悩みを話して励ましてもらうのはいかがでしょうか。

自分が尊敬する人物Bは自分の価値観に近い言葉で励ましてくれそうな気がします。

日本では、心理学や心理メソッドは、心の弱い人のためのもの、あるいは洗脳の道具に近いと考えている人が多い気がします。

そんなものではなく、人々の心を自由に、柔軟に、より強くするものであり、子供たちに早くから教えることにより、不登校、いじめ、自殺などの負の面を改善するだけでなく、自己肯定感が強く、自分の価値観を実現していける強い心の人に育つと思います。

国が他国を支配しようとするのは、支配者が貪欲や妄想に捉えられ、自国民、他国民の自分らしい生き方をサポートするという初志を見失い、国民も支配者の妄想に呪縛され自分の誇りを捨ててしまった成り行きでしょう。

心理メソッドを学んで実践し、自らの心理状態を常に健康に維持する謙虚さを備えた人を為政者に選出することも国民の大きな責務だと思います。

独裁者をなじるだけで平和に役立つ行動ができずに祈るしかないことを悔やみ、学校教育で心理学や心理メソッドを学んだ若者達が強い意志で平和に満ちた社会を築いてくれることを願っています。

基礎的な学習内容 その2

今回は、学習課目の道徳、体育、芸術や美術、社会や理科における基礎的な学習内容を提案します。

文部科学省は、児童生徒が生命を大切にする心や他人を思いやる心、善悪の判断などの規範意識等の道徳性を身に付けるために、道徳教育の充実を図っているとしています。

生徒が道徳性を知識として学習することも大切ですが、好きなことの知識や経験を積んで脳内の概念の世界を拡大していく楽しみ、成長段階に応じて設定した目標を達成する喜び、多様性ある人々と協力し物事を成す喜びなどを体験学習することによって道徳性が血肉となるものと思います。

これには、子供が築いた概念の世界の話を聞き、目標設定のアドバイスをし、色々な人と接触する機会を作るなど、多様性ある子供の身体、知能、心を使った個性に応じた実体の世界での活動がベースになると思います。

先祖から引き継いだ生命を大切に思う心は、本能だけでなく、各人の活動から得られる喜びや感動などによって育まれるものと思います。

昨今の権威主義下での弱者の軽視、民主主義下での強者の尊大をみるとき、生きる喜びや感動を創造主と共に共感する生甲斐を若者に体感させたいものです。

体育で学習する対象は、主として身体を目的に合わせて効率的に動作させる能力です。

例えば、徒競走で生徒が早く走っている状態は、「実体の世界」での出来事で、生徒は脚や手などの筋肉を上手く使って疾走します。

しかし、ゴールした後に先生が生徒に、「膝をもう少し上げた方がもっと速く走れるよ。」とアドバイスしたとすると、それは先生の「概念の世界」で生徒が走っているフォームについて述べたものです。

生徒が前より速く走るという目標を立て、先生のアドバイスや自分の概念の世界に蓄積した速く走るための情報に従ってフォームを修正し、実体の世界で練習を繰り返し、次回の徒競走でもっと速く走る喜びを体感することが体育で学習することだと思います。

体育は、身体、知能、心を使って目標設定、実行、達成のサイクルを比較的分かりやすく容易に繰り返すことができるように思います。

芸術で学習する対象は、人が心に抱く思いや感情です。

表現者の思いや感情は、その生死に拘わらず、文芸、美術、音楽、演劇・映画などの媒体を介して鑑賞者の概念の世界に復元されます。

表現者は、自分が抱いた思いや感情を実体の世界で表現して鑑賞者の共感を得るために感性と表現力を磨きます。

鑑賞者は、表現者の思いや感情に共感するため、或いは表現力を学ぶために表現物を鑑賞します。

学習科目の社会では、例えば、多様性ある人々の個性を個人および社会に有効に活かす仕組みなど、個人と社会の関係について考えることが求められます。

また、過去に人間が行ってきたことを歴史として書物や文化遺産などで学習し、各自の概念の世界に復元します。

歴史を学ぶ一つの意義は、独裁政治や戦争などの過去の過ちを繰り返さないためにあると思います。

しかし、歴史は人々の概念の世界に築かれた過去の出来事であるので、利己的な為政者や思想家などに歪曲されないように注意しなければなりません。

理科では、実体の世界の物事の性質を学習し、あるいは発見し、言葉や記号や数式で各自の概念の世界に復元します。

そして、物事の性質を利用し、実体の世界において、例えば産業に役立つ技術や病気を治す医療などを開発します。

生徒が、上述のような学習の出発点のようなことを分かりやすい言葉や例題などによって理解すると、自分の概念の世界を広げていく面白さを知り、興味を持ったことについて主体的に学習するようになると思います。

国民の幸福度が低く、国力の相対的低下が危惧される日本において、親や社会の価値観を押付けることなく、子供が持っている興味や才能を気づかせる教育をすることによって、各自の個性に応じた豊かな概念の世界を築き、チャレンジ精神や幸福度の高い国民が増加するのではないでしょうか。

基礎的な学習内容

今月は、先月投稿した共生主義日本国の教育システムを通して、若い人が学ぶと人生をより楽しむことができると思われる基礎的な学習内容を提案します。

例えば、母親が娘に留守番を頼むときに、「あなたの側にいる実体の母は出かけるけれど、あなたの頭の中にはあなたが覚えた母の顔や臭いが概念の世界の母としているから、淋しくなると思い出して我慢してね。」、「あなたと兄さんの頭の中にいる二人の母さんは、似ていると思うけど、どれ位違うのかな。」等の会話を通して概念の世界を幼い子供に徐々に理解させていくことができる気がします。

幼い子供が概念の世界を理解することは難しいと思いますが、様々な工夫と経験を活かして時間をかけて理解させることが必要と思います。

人間が他の動物と大きく異なる点は、5感で感じた「実体の世界」での物事を記憶し、脳内に「概念の世界」を構築し、各自の概念の世界を言葉、絵図、音などを使って他人と共有することができることです。

人は身体、知能、心の三要素から成りたち、個々に相違する三要素に基づいた個性を有します。

そして、個人の成長段階での個性に適合した目標を設定し、この目標達成に喜びを実感しながら、三要素の総合力を成長させていくことが人の生きる意義の大きな一つであり、そのことを人はより若い時に知ることで人生をより楽しくできると思います。

生徒は学校で、国語、算数、理科、社会、体育、音楽、美術など多くの科目を学習します。

各科目で学習する対象の大まかな特徴と学習した対象をどのように利用するかについて知ると、生徒は主体的に学習するようになると思います。

人間は実体の世界における物事、例えば物、物の状態や動き、人の感情などを記憶し、記憶した物事で自分の概念の世界を構築します。

言葉は、先ず自分と他人とが同時に見聞きすることができる実体の世界における物事を表現する符号として自分と他人との間で共有されます。

そして、自分と他人は、言葉を仲介にして自分の概念の世界の物事A1と他人の概念の世界の物事A2が実体の世界における物事Aに対応するものであると認識します。

このようにして言葉は、各自がその概念の世界に記憶した現実の世界での物事や自分が創作した小説や思想などの創作物を他人の概念世界に持ち込んで共有することを可能にします。

しかし、自分と他人では同じ物事Aでも理解や興味が異なるので、自分の概念の世界の物事A1と他人の概念の世界の物事A2は同一にはなりません。

国語は、物事を約束に従って言葉で表現することを学ぶ科目ですので、理論的な面もあります。しかし、国語の対象である言葉は変化する社会の出来事や微妙な人間の感情などを表現するために変化し矛盾を内包せざるをえなくなることもあり、国語は非理論的な面もあるのでしょうか。

言葉は、現実の出来事だけでなく心の産物である感情を他人と共有するための大きな手段ですので、国語では、言葉の使い方だけでなく、他人を思いやる気持、志に向かう勇気など人の心も併せて学習できるようにするとよいのではないでしょうか。

算数で学習する対象は、概念の世界において数を約束に従って理論的に取り扱うことです。

数も実体の世界での物の個数、長さ、重さ、時間などの量を表現する言葉の一つとして各自の概念の世界に形成されるものです。四則演算も実体の世界での「加える」、「減じる」、「同じ量を複数回加える」、「一つの量を等分割する」を概念の世界において数字と符号+,-,×,÷を使って形成したものです。

概念の世界で「10進数」、「0」、「負の数」、「四則演算」、「関数」などが創作され、その後、これらと理論的に矛盾を生じない新しい考え方が次々に創作されました。

各自が概念の世界に構築した数に関する考え方や法則は、実体の世界でグラフや式として紙等に記載することによって他人の概念の世界に容易に取り込むことができます。

また、数は実体の世界で物の個数、長さ、重さ、時間などの量を示すだけでなく、異なる種類の量から別種類の量を算出し、或いは異なる種類の量の関連性を表すことができます。

例えば、数は、物体が移動した距離を表す数を移動に要した時間を表す数で割った数によって物体の移動速度を表すことができます。

今回は紙面の都合上これまでとし、主として身体を学習の対象にする体育、心を対象にする音楽や美術、実体と概念の世界の物事を対象とする理科や社会については次号に回します。