人はなぜ「争いのない社会」に最適化できないのか | 存在の持続という視点から

人間は「存在の持続」に参与して生きている。
しかし同時に、個体としては確実に死へ向かっている。
この矛盾は誤りではない。ただ、最適化の対象が異なるだけだ。

生物は、個体の永続ではなく、
遺伝子という“連続する構造”の持続に最適化されている。
人間は「永遠に続く存在」ではなく、
交代しながら続く仕組みの一部である。
この時点で、完全な持続への最適化は成立しない。

さらに問題を複雑にするのが精神である。
精神(知能・理性・感情・記憶・意志)は、
持続を支える働きと、壊す働きの両方を持つ。

持続を強めるもの
・協力
・共感
・長期視点
・抑制

持続を弱めるもの
・方向性を失った欲望
・怒り
・排除
・短期最適化

重要なのは、後者もまた進化の中で必要だった機能だという点だ。
短期的には、奪う・競う・排除するほうが有利になる場面がある。
だからこの性質は消えない。

加えて、人間は世代ごとにやり直す。
知識は蓄積できても、
体験としての理解は継承されない。
その結果、最適化は連続せず、断続的になる。
人間は「積み上げる存在」であると同時に、
「何度も初期化される存在」でもある。

この構造を重ねると、結論はシンプルになる。
争いは未熟さではない。
倫理の欠如でもない。
構造から必然的に生まれる副産物である。

・個体は有限である
・精神は二面性を持つ
・最適化は世代で途切れる

この三つが揃えば、争いは自然に発生する。

では、人間は「存在の持続」に参与する存在として、何をすべきか。
答えは、本能の否定ではない。
設計への移行である。

・制度で短期的暴走を抑える
・教育で時間軸を拡張する
・記録で記憶を外部化する
・対話で認識のズレを修正する

つまり、
生得的な限界を、後天的な構造で補う。

最後に。
人は持続に参与している。
だが同時に、それを乱す性質も持っている。
この矛盾は消えない。

だから目指すべきは、争いの消滅ではない。
争いの制御である。

争いのない社会とは、善だけでできた世界ではない。
矛盾を前提に、破綻しないよう調整され続ける社会である。
そしてその実現は、本能ではなく、
意識と設計に委ねられている。

自らを自覚し、意思決定能力を備える人間が、
本能の限界を超えて社会を設計し、
破綻しないよう調整し続けながら永続させること。
その営みこそ、超越的存在の方向性と共鳴しつつ、
「存在の持続」に深化を添えて参与する人間の矜持である。

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