憲法改正について(2)

先回の投稿では、明治憲法の瑕疵が軍部をシビリアンコントロールできなくした一因ではないかと述べました。そのとき、ドイツにおいて何故ナチスが台頭したのか疑問に感じました。そして、その理由を考えましたので、今回投稿します。

議会制民主主義共和国として誕生したヴァイマル共和国で、1919年の選挙後に開かれた国民議会で、当時、世界で最も民主的とされたヴァイマル憲法が制定されました。かかる憲法下で、ナチス党が躍進し、ヒットラーの独裁を許した要因の中にも日本国憲法の改正に活かせる教訓があるのではないかと考えました。

1.ヒットラーに独裁を許したと考えられる主な要因を以下に列挙します。

(1)ヴァイマル憲法が問題点を内在

直接選挙で国家元首たる大統領を選出し、大統領は、首相を任免し、非常時には憲法を停止できました。また、大統領は議会の解散権を有し、議会は首相を罷免できました。

ヒトラーは、大統領に強大な権限を与え過ぎたヴァイマル憲法の問題点を突いて、大統領緊急命令を布告させ、反体制勢力を弱体化していきました。そして遂には、彼が率いる政府に、ほぼ全権利を憲法に拘束されない状態で授権させる全権委任法を、大統領を抱き込んで国会で成立させました。このとき、ナチ党機関紙は、ヴァイマル共和制は崩壊し、第三帝国が始まったと宣言し、ヒトラーは、独裁者の道を邁進することになります。

(2)不景気

第一次世界大戦の敗戦(1919年)により莫大な賠償金を課せられ、ドイツが不景気であったときに世界大恐慌(1929-1933年)が追い打ちをかけました。

(3)政情が不安定

敗戦で職を失った大量の軍人や失業者が武装組織ドイツ義勇軍に参加し、温存されていた帝国時代の支配層の後援を得て、国軍の右翼軍人とともにヴァイマル共和国政府を右側から攻撃しました。ドイツ共産党も勢力を拡大しつつあり、政府を左側から攻撃しました。

(4)ドイツ国民の隷属

第一次世界大戦の休戦条約に調印したヴァイマル共和国政府への不満、ドイツ革命後の混乱と旧帝政ドイツの支配者層の温存、不景気、ヒトラーの巧みな演説、彼の率いるナチ党の弾圧・デマゴギー(デマ)などにより多くのドイツ国民は、ヒトラーとナチ党に煽動、隷属されることになったと思われます。

2.日独で一党独裁の成立を許した共通要因

(1)憲法の問題点

明治憲法およびヴァイマル憲法は、国民主権、基本的人権、軍隊の文民統制に関する規定が不十分であったと思われます。

(2)不景気と政情の不安定

ドイツでは、第一次世界大戦後の不景気に加え世界大恐慌に陥り、国民に不満が鬱積しました。また、ヴァイマル共和国誕生後に政情不安が残り、選挙でナチ党が議席数を増やしていきました。日本では、世界大恐慌、昭和恐慌により経済が悪化し、ロンドン海軍軍縮条約の調印を巡って政情が不安定になり、犬飼首相が暗殺され、政党政治が打倒されていきました。

(3)多くの国民の隷属

国内経済が悪化するなかで、国際社会において孤立化が進むと、全体主義、民族主義が台頭し、独裁体制が構築され、軍部が台頭してきました。このような流れの中で、多くの国民が生存のために消極的に体制に隷属せざるをえなかったことを非難できるでしょうか。このような歴史から学び、いかなる状況下においても、かかる過ちを繰り返さないですむ憲法などの体制を国民の英知を結集してつくることが大切と考えます。

3.上記要因を考慮に入れた憲法改正の模索

(1)独裁体制の阻止と軍隊の文民統制

独裁者、独裁体制の阻止と軍隊の文民統制のベースとなる国民主権、人権尊重および国防に関する基本的で重要な条項については、改正不可あるいは改正を厳しくすることもありうると考えます。これらの規定の改正が時代の流れに応じて必要となった場合でも、一時の熱病で改正することを防ぐために、ことの良否を正確に選別する時間軸を判断に加えるために、改正案について1年位のインターバルを置いて2回ほど国民投票で賛否を問うようにすることはいかがでしょうか。民主主義は、独裁体制に比して時には非効率でありお金と時間を要しますが、生きる喜びの源泉である心の自由を守る覚悟と努力を人々に求めてもなお余りある価値あるものと考えます。

このように時間とお金を掛けて憲法の改正について国民的な議論を行う中で、日本国民はどのような国を目指しているのかを世界に発信することができ、各国の理解と信頼を得ることができると思います。日本国憲法の改正は、国内問題であるので、各国の理解を得る必要などないとの考えは、各国の距離が、時間的、情報的、物流的、価値観的に近くなった第4次産業革命の時代においてはガラパゴス化につながります。

(2)教育、情報公開

歴史に学ぶことを子供たちに教えることも歴史教育の一つの目的と思います。後世になると、どの出来事が時代の流れを変えたターニングポイントとなった出来事であるかが明らかになります。憲法改正を検討するに際し、世界史における日本の国内外の行動からターニングポイントとなった出来事を抽出し、これらを当時の世界状勢などを勘案して評価し、再発を阻止すべきであれば現在の世界状勢も考慮した上でかかる出来事の再発阻止に必要な憲法改正を行わなければならないと思います。時代の流れを大局的に把握することが憲法改正の議論に肝要と考えます。

昨今、ターニングポイント以外の出来事を議論するために多大の労力を費やし過ぎではないでしょうか。これら出来事は記録としてできるだけ正確に残すべきですが、時代の流れの結果として起こった面もあり、いくら議論してもかかる時代の流れを阻止するための建設的な成果をもたらすものではありません。

独裁体制の阻止と軍隊の文民統制には、教育と情報公開が大きい役割を果たします。日本の安全を保障するために特に秘匿することが必要な情報を保護する法律は必要ですが、国民の知る権利との調整が憲法上でとられているでしょうか。昭和に起こったターニングポイントとなった出来事を日本の国内問題として評価し、日本をどのような国にしたいかを生徒間で議論させる歴史教育がなされているでしょうか。このようなことは、憲法の改正条文に明記されなくても、憲法を改正する背景として議論され、付記にでも記載されることを願います。

(3)国民の愛国心

国民的議論から生まれた改正憲法は、日本国民が理想とする国の姿を描くものであり、愛国心のベースとなります。従って、国際問題、天災などで不況となり、あるいは政情が不安定になっても、日本国民は誇りを持って改正憲法を順守し、日本の繁栄と尊厳を維持するものと確信します。

憲法改正について

はじめに

昨今の南・東シナ海における中華人民共和国の海洋進出、北朝鮮の核・ミサイル問題およびトランプ政権のアメリカ・ファーストなど国際情勢が穏やかでないとき、日本国のあり方を示す日本国憲法の改正を各国民が考える必要があると思い、社会の常識と判断力を備えると自負する一日本人からみた日本国憲法の改正の要否について考察してみます。

明治維新からソ連崩壊までの間に発生し、日本の国状の変遷に大きな影響を与えた重要な出来事を年代順に別紙に示しました。これにより、近代史における日本の国状の変遷を大局的に把握し、国状の変遷において問題と考える出来事を見出し、かかる問題出来事の発生の要因を探りました。そして、戦争の抑止および日本国の名誉を維持向上する観点から日本国憲法の改正の要否について考察しました。もとより、この間に起こった種々の出来事の真否、違法性、責任の所在を検討するものではありません。

本論

1.大政奉還から第1次世界大戦までは、世界の列強国が帝国主義、植民地主義であった世界情勢下で、維新に貢献した元老の存在もあり、日清戦争、日露戦争を含めて日本の政治に問題ないと考えます。

2.日露戦争終結後、ルーズベルト大統領は、米国のシナ進出の野望もあったろうが、日本の依頼に応じて日露講和条約の締結を斡旋しました。その後、日本は、米国による満州鉄道への出資を認める予備協定の覚書を交わしながら、直後にその覚書を一方的に破棄しました。この件は、以降の日米関係に大きな悪影響を与えたと考えます。

3.満州鉄道への出資を拒否されたことに不快を感じたと思われる米国は、第1次大戦後に米国の利権に影響を与え出した日本に脅威を覚え、関係の深い英国を勧誘して米、英、仏、日の間で四カ国条約を締結しました。これにより日英同盟が終了したことは残念です。

4.浜口内閣がロンドン海軍軍縮条約に調印したことを、野党、右翼が統帥権干犯と非難しました。これが内閣の軍への干渉を困難にする論拠となったことは不幸なことです。また、明治憲法を「不磨の大典」として条文の改正を不可能にする考え方があったことも問題です。現実に起こった改正の論は、翼賛政治体制を合憲とするために利用されたことは時代の流れでしょうか。

5.明治憲法は、「天皇は陸海軍を統帥する」「各国務大臣天皇を助けて責任を果たす」と規定し、議員内閣制を採用しませんでした。統帥権干犯問題は、明治憲法の瑕疵を突く主張であり、元老の生存者数の減少も相俟って、その後、陸海軍を文民統制(シビリアンコントロール)できなくなった要因となります。

6.浜口雄幸首相狙撃、満州事変、親軍化した立憲民政党の犬飼内閣の発足、犬飼毅暗殺、退役海軍大将の齋藤内閣誕生と続いて、軍部の勢力が増大し、第1-3次近衛内閣において大政翼賛会が結成され一党独裁の国家社会主義となりました。このような流れに入ると制止不能です。かかる流れに入る前に方向を転換可能とする方策を事前に準備しておく必要があります。

7.日中戦争、日独伊三国同盟から第2次世界大戦に突入は、各国益を追求するのが各国の政治であることを鑑みれば当事の国際情勢から当然の流れです。

8.敗戦後20年弱でオリンピックを開催するまでに驚異的な復興を成した日本の国状、共産主義のソビエト連邦の崩壊、中国の共産党一党独裁を見るとき、民主主義、自由主義、議会内閣制等を規定した日本国憲法の果たしてきた役割は大きいです。そして、日本国憲法は、明治憲法73条の憲法改正手続に従い、第90回帝国議会の審議を経て1946年11月3日に日本国憲法として公布され、1947年5月3日に施行された明治憲法の改正憲法であるという位置付けを再認識して、その改正の要否を考えるのが良識ある態度と考えます。

結論

1.明治憲法の瑕疵が、軍隊の文民統制を困難にしたことを勘案すれば、日本国憲法を必要に基づいて改正することに異論はないと考えます。

2.明治憲法を「不磨の大典」としていたことも問題です。日本国憲法は、時代において瑕疵ありと国民が認めるに至った条項は改正すべきです。

3.国際上問題となる出来事が発生した場合、或いは発生が予見される場合、それが日本国憲法の瑕疵によるときは、戦後に明治憲法を改正したように、憲法を改正しなければなりません。国際的な出来事の事実関係を正確に把握しておくことは大切ですが、相手国を非難するだけでは、何ら解決の糸口にならず、良好な国際関係を築くことはできません。

4.明治憲法の瑕疵が軍部をシビリアンコントロールできなくした一因と考えますが、議会内閣制を規定する日本国憲法下では、国民の心と教養を涵養することによって軍隊の文民統制は可能と考えます。勿論、軍隊の文民統制を確実に達成するために必要な改正は行わなければなりません。

5.日本は米国軍によって守られることを前提にしているとの見方を完全に否定しきれない日本国憲法は、日本の防衛が米国の国益によって左右されるという欠陥を内蔵します。従って、日本国は日本国民が守るということを決意した上で、日本軍およびその許容行動を規定する日本国憲法の改正を、日本国民の誇りの維持向上、日本国の国際社会での名誉向上の観点からも望まれます。

6.内閣総理大臣が内閣を統轄し、国権の最高機関である国会に責任を問われ、国会議員は国民に責任を問われるという基本原理から選挙の重要性を学び、近代史から国際情勢の変遷を学ぶ等の学校教育のあり方、情報公開の在り方などに関する日本国憲法の現規定が十分であるか否かを検討する必要もあります。

おわりに

国際情勢の変化、人間社会の変化に応じて日本国憲法も国民の賛同を得た上で改正しなければならないことは言うまでもありません。憲法改正の良否を論ずることにこれ以上時間を費やすることなく、戦争の抑止、日本国の安全保障および日本国の名誉を維持向上する観点から日本国憲法の改正を衆知を結集して作成しなければなりません。国際情勢が大きく変化している中で、緊急事態が生じてから、拙速な改正を行うのではなく、十分時間をかけて日本国の永続的な繁栄に資する日本国憲法の改正を推進するときと考えます。

 

別表