ヒトは、創造主から付与されたヒト固有の能力を活かし、己の成したいことを現実化することを通して「無と対峙する存在の喜び」を創造主と分かつために、創造主の一器官的なものとして生かされている気がします。
ヒト固有の能力として次のようなものが考えられます。
・己の成したいこと、成りたい姿を自ら決めて脳内に描く目標設定力。
・自己制御可能な持続する欲望。
・繊細な違いを判別でき器用に動作可能な高機能身体。
・現象を分析、解明する論理的思考力。
・創造主の意思に沿った倫理観。
・欲するものを創り出す創造力。
目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望、高機能な身体は、己の成したいことを現実化するために直接必要な能力です。
創造力、論理的思考力、倫理観は、創造主のものの足元にも及びませんが、それを模したものであり、目標設定能力、実行力、自己制御可能な持続する欲望を支え制御する能力です。
目標設定能力は、各人が経験や自己観察に論理的思考力を働かせ、自分の能力に適した己の成したいことを見いだすでしょう。
大きい目標を達成すると喜びも大きくなるでしょうが、ヒトが喜びを創造主と絶え間なく分かつためには、より多くの人が個性に応じた目標を達成することが必要です。
数十億人が各自の目標を、例えば毎月一回達成できたとすると、ヒトは一秒間に平均して数百回存在の喜びを想像主と分かつことができます。
立ちはだかる困難を克服し目標を現実化して初めて存在の喜びが生まれます。
この目標を現実化する実行力の中身は、失敗の分析、改良、創意工夫、他人との協調、胆力、自己肯定感、執着心、身体などさまざまです。
ヒトは創造力、論理的思考力を働かせて科学、芸術、競技などを創出し、各人は例えば医学、音楽、サッカーなどにおいて、達成段階毎に新たな目標を設定し、諦めることなく目標達成に努力しているのでしょう。
創造主の意思に沿った倫理観に反する目標は、ヒトの尊厳、役割を否定するものであり、達成しても存在の喜びを想像主と分かつことができず、ヒトを滅亡に導くでしょう。
ヒトは創造主を模した創造力、論理的思考力を有するので、独裁者、原理主義者、利己主義者などは自分を過大評価し、己の成したいことは何でも目標に設定して実行してもよいと勘違いしているようです。
他国を侵略する戦争、国民の主体性を奪う独裁政治、原理主義、貧困などは、創造主の意思に沿った倫理観に反するものであり、多くの人が己の成したいことを達成して創造主と喜びを絶え間なく分かつことを妨げます。
侵略戦争、独裁政治、原理主義や貧困を無くすには、ヒトは生きる喜びを創造主と分かつために創造主の一器官として生かされていることに感謝し、ヒトの能力は創造主の能力の足元にも及ばないことを謙虚に認識し、創造主を心から崇拝する気持ちを人々に広く深めなければならないときだと思います。