戦争は「存在の持続」のために正当化されるのか

人間は、神的存在の「無」に対峙する
「存在の持続」に参与することに喜びを感じて生きる存在です。

そのような人間が、「存在の持続」に多様性と活性化をもたらす
動物を屠殺しその肉を楽しみながら食してよいのでしょうか。

人間および動物には、「存在の持続」方向に生きると
喜びを感じるという生命体法則が働いています。

この冬に世間を騒がせた熊は、どんぐりだけでなく、
鮭などの動物を食べて命をつないでいます。

それは、他の生命をエネルギーとして取り込み、
自ら生を維持するという本能に則った行動です。

したがって、人間が牛肉を食べて喜びを感じるのも、
生きることに根ざした自然な営みであり、
「存在の持続」に資する行動の一つといえます。

ここで視点を転じます。

人間は、富、宗教、思想、さらには政権維持のために、
人が人の命を奪い合う戦争を行います。

人間以外の動物も同種類で争うことはあります。
しかしそれは、生存や繁殖という明確な目的に基づくものであり、
人間の戦争とは質を異にします。

では、戦争は「存在の持続」のために正当化されるのでしょうか

自己に覚醒した人間は、知性によって観念世界を創出します。

そこには、富、思想、創造などからなる文化と、
それが過剰に増幅され自己目的化した妄想が併存します。

したがって、人間に働く生命体法則は、動物的基盤にとどまらず、
観念世界の形成と変容にも作用します。


そして意思決定能力は、この観念世界の影響下において、
様々な選択を行います。

ここで問題になるのは、観念世界の発達によって、
本来は「存在の持続」に資するはずの欲望が、
過剰に増幅され、自己目的化することです。

富への欲望は強欲へと変わり、
思想は排他性を帯び、
正義は他者を否定する力へと変質します。

このとき人間は、「存在の持続」のためではなく、
観念そのもののために行動するようになります。

人間に働く生命体法則は、このような状況において、
意思決定能力に対し、その選択が
「存在の持続」に資するか否かを問い続けます。

しかし、同時に、意思決定能力は、
観念世界の影響から完全に自由ではありません。

むしろ、社会に共有された観念や価値観によって、
方向づけられ、時に歪められます。

ここで、A指導者の意志決定能力が
B国への軍事攻撃を選択した過程を想定してみます。

知性:
・B国は国際法に違反している。
・B国と紛争中のC国からの支援要請が強い。
・人気が下降しているので選挙に負ける。(妄想)
・攻撃すると人気が上がる。
      ↓
  B国を攻撃する。または C国を説得する。  

理性:
・B国の国際法違反は許せない。(倫理性)
・C国を助ける。(一貫性)
・B国攻撃は国際法上問題になる。(規範との整合)
        ↓
      B国を攻撃する。

感情:
・私は特別な人だ。
・選挙に負けたくない。(恐れ)
・C国を助けたい。
       ↓
   感情が理性を後押し。

意志:
・心の葛藤も殆どなく攻撃を選択した。

身体:
・A指導者が軍にB国への攻撃命令を出した。

この重大な意思決定にあたり、A指導者が、
国際社会への影響の大きさ、識者の見解、歴史からの教訓などを、
知性に基づき十分に検討したのかは、なお問われるべきです。

そして、選挙で選ばれたA指導者が、
このような利己的理由で攻撃を開始できることに
戦慄と驚怖を覚えます。

富や思想への欲望が、
知性と社会構造によって過剰に増幅され自己目的化・妄想化したとき、

そうした妄想に囚われた国民が選出した
利己的な指導者の意思決定能力は、
存在の持続に反する選択へと傾く傾向があるのでしょう。

そのような攻撃に国民が晒されているB国の応戦は、
国際法違反の有無とは別に、

必要性と比例性を満たす限り国際法上あるいは
「存在の持続」のために正当化されるでしょう。

しかし、それが報復や観念的正当化に傾くとき、
もはや「存在の持続」に資するものでなくなります。

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