共生主義日本国の学習システム

国の学習システムは国家の根幹を成すものであり、各国ともより優れた学習システムを模索して試行錯誤を繰り返しています。

国力は、国の経済、政治、軍事、文化、福祉などの総合力です。

従って、学習システムにおいて国家の実益を優先し過ぎると短期的には国力が高揚しますが、長期的には国民が疲弊し幸福感が低下して国力が低下すると思います。

共生主義日本国の学習システムは、各国民が自分の目標達成に喜びを感じて生きるための能力を習得するとともに、日本の国力高揚におおいに資するものでなければなりません。

学習システムには、家庭・学校・社会での教育、自己学習、社会風土からの示唆などがあります。

人間が誕生後最初に受ける教育は、家庭教育です。

両親の深い愛情と後ろ姿は、人の生きる大きな力になります。

さらに、両親が躾、生まれ持った才能を活かして生きることの喜び、忍耐力、自他個性の尊重などの基礎能力を子供に授けることは、国民育成の基礎であるとの社会通念を醸成する必要があると思います。

日本の学校教育は、2020年教育改革で思考力重視の方針が出されていますが、まだまだ道半ばの状態ではないでしょうか。

何のために生きるか、勉強するのか、言葉(数字を含む)によって頭の中に構築し言葉によって他人と共有する概念の世界と現実の世界との関係について考えるなど、若い時に自分の頭で考えて論理立てする思考力を鍛えることは、国民が生まれ持った才能を活かして楽しく生きる能力を習得すると共に、国家が科学技術、産業、政治、文化など全ての面で国力を向上するのに有効であると思います。

また、例えば、図工が95点で、国語、算数が40点のA生徒より、図工、国語、算数が60点のB生徒の方が、成績を上位とするような順位付けには弊害がないでしょうか。

A生徒の方がB生徒より劣っていると受け止めかねない評価をすることは、人間の才能は生来多様であることを忘却した人格無視の気がします。

A生徒については、図工においてトップクラスと評価し、国語、算数については社会常識として必要な程度の知識は身につけましょうとコメントすることで、A生徒は、自分の才能で力強く生きる能力を伸ばし、国家に貢献する国民に育つと考えます。

自己学習は、生まれ持った才能を活かして成し遂げたい目標を達成するという欲望を工夫と努力で追い求めるうちに学習することだと思います。

学校教育として、ドイツのように小学校卒業時に、就職を前提とする基幹学校、実務的な職業教育を受けるための実科学校、大学進学のためのギムナジウムから一つを選択する3分岐型教育は、10才で自分の才能を見極めることの困難さ、早くから進路を振り分けることで教育格差、ひいては所得格差が拡大するなどの弊害が生じているようです。

これらを踏まえて共生主義日本国では、中学校に自分の才能、成したいことを見極めるためのカリキュラムを用意し、進路を自ら決定した生徒は、成したいことに応じて選択した例えば、科学、職人、芸術、スポーツなどのコースで学習するというような、個人の生甲斐および国益に供する教育制度の創設が望まれます。

コース選択の誤りに気付いた場合、学生時代はコース変更を可能とし、社会に出た後は選択し直したコースで学習できる福祉政策と関連づけることも必要だと思います。

個人は社会風土からも多くのことを示唆され、自分の価値観の形成に大きな影響を受けます。

現在日本の社会風土は、多様性より均質性を志向する傾向が強いように感じます。

しかし、人間の素質や生活環境は生まれつき個人差があり、各人の成したいことは多種多様です。

自分の成したいことを目標に定め、生まれ持った才能を活かして目標達成に努力することは、社会的評価に関係なく、自分にとっては工夫と喜びの詰まった生きた証になると思います。

勿論、目標達成の成果が他人や社会に貢献し、感謝や称賛を受ければ、喜びは一層大きなものとなるでしょう。

また、安全志向で保守的な国民性からでしょうか。日本社会では、失敗を怖れて冒険しない、敗者復活が困難であると一般的に言われています。

このような日本社会の弱点も多様性を尊重する教育を受けた人々によって改善されていくと思います。

各国民が生まれ持った才能を活かして能動的に生きる国家は、経済的、文化的に豊かで堅牢な国家になると確信します。

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