価値観の空洞化

利己的な指導者の横暴、戦争の頻発、
貧富の差の拡大、いじめ等の社会問題が蔓延し、

理想・信念・希望・努力・協調・倫理などの内的価値を示す言葉が
市民に虚しく届く価値観の空洞化が進む社会に向かっている気がします。

この憂慮すべき社会状況の主要な原因は、
欲望が、知性と社会構造によって過剰に増幅され、自己目的化され、
強欲に変貌したことにあります。

本来、目的達成の手段、あるいは褒美として獲得する
富・権力・名声といった外的価値が、欲望の強欲化によって
目的そのものに変化し、高い価値を得るようになりました。

これに伴って、人々あるいは社会は、理想などの内的価値を疎んじ、
富などの外的価値に過度に高い評価を与え、
それらを有する人を、その人格・能力を判断することなく尊敬するという
価値観の空洞化が進みました。

価値観の空洞化を防ぐために何をするのか。

強欲に囚われた国民は、利己的な指導者を選出するのでしょう。

利己的な指導者の意思決定が強い影響を与える社会は、
理想などの内的価値から程遠い社会になります。

それは神的存在の「存在の持続」に参与する人間の社会ではありません。

これを防ぐためには、
欲望を強欲に変貌させないというひとり一人の覚悟が必要です。

我々の意思決定能力が、その覚悟を選択するための一助となることを願い、
欲望が強欲へと変貌するメカニズムを考察しました。

欲望の正体は「エネルギー」である
欲望は悪ではありません。

むしろ、人が行動するための根源的なエネルギーです。
・成長したい
・認められたい
・安定した生活を得たい

これらはすべて、存在の持続をより活性化しようとする力の現れです。

つまり本来、欲望は目的達成のためのエネルギーです。

では、なぜ強欲に変わるのか

問題は、欲望が「方向づけられないとき」に起きる。

人間に働く生命体法則によれば、人は次のような特性を持っています。
・目先の利益に引き寄せられる
・他者との比較で欲望を膨らます
・自分を正当化する

この結果、欲しいものは、
「必要な分」ではなく
「他人より多く」が基準になります。

ここで欲望は、推進力から
奪い合いの力へと変質します。

これが「強欲」です。

もう一つの落とし穴ー「自己目的化」
さらに見落とされがちな危険があります。

それは、手段であるはずの欲望が、目的そのものにすり替わることです。

本来は、
・より良く生きるための収入
・成長するための成果
・誰かに価値を届けるための行動

など手段であったはずが、
・お金を増やすこと自体が目的になる
・勝つことそのものが目的になる
・他人より上に立つことが目的になる

この状態が「自己目的化」です。

そしてここに、極めて重要な視点があります。

「社会の役に立っているか」という軸を失った瞬間、
欲望は自己目的化しやすくなる。

逆に言えば、
・誰かの役に立っているか
・価値を提供しているか

という基準を持ち続けることで、欲望は社会と接続され、
暴走ではなく循環へと変わります。

自己目的化を防ぐ最も本質的な条件は、
欲望を「社会との関係」の中に置き続けることなのです。

分岐点はどこにあるのか
欲望がエネルギーになるか、強欲になるか。
その分岐点はたった一つです。

それは意思決定の質である
欲望をどこに向けるかを決めるのが、意思決定能力です。

・正しく向ければ → エネルギー
・逆に向ければ→強欲

つまり、強欲とは、欲望の問題ではなく、意思決定能力の敗北です。

欲望をエネルギーにする5つの方法
ではどうすれば、欲望に飲まれず、活かせるのか。
答えは、「設計」です。

方向を決める
欲望を目的に接続する。

「もっと欲しい」ではなく、「何のために必要か」を明確にする。

これにより、エネルギーが分散せず、前に進む力になります。

足るラインを決める
「どこまでで十分か」を先に定義する

強欲は、もっと・もっと・・・から生まれる。
だからこそ、ここまででよい、という基準を持つ。

これがブレーキになります。

時間軸を伸ばす
長期で価値があるかを問う

短期的な快楽は、ほぼ確実に強欲へ向かう。
一方で長期視点は、欲望を質の高い行動へ変えます。

社会との関係で確認する
その欲望は誰かを壊していないか

強欲は必ず、どこかに歪みを生む。
自分だけでなく、全体を見られるかどうか。

ここに分岐があります。

ワンテンポ置く
欲望と行動の間に「間」をつくる。

欲望は速く、理性は遅い。
だからこそ一呼吸おく。

それだけで、衝動は意思決定に変わります。

そしてもう一つ「努力」が分岐を決める
ここで重要な現実があります。
欲望をエネルギーに変えるには、必ず努力が必要です。

なぜなら、
・方向を定め続けること
・自己目的化を修正すること
・足るラインを守ること

これらはすべて、意識し続けなければ維持できないからです。

一方で強欲は違います。
・放っておけば自然に膨らむ
・努力なしに加速する

つまり、
・エネルギー化には「努力」が必要
・強欲化には「努力が不要」

この非対称性こそが、
人が強欲に流れやすい本当の理由です。

本質は「抑えること」ではない
多くの人は、欲望を抑えようとします。
しかしそれは本質ではありません。

抑えるのではなく、
使う側に立つこと。

欲望に使われるのではなく、
欲望を使う。

この立場の違いが、社会の質を決めます。

最後に、
欲望は、存在の持続を活性化するエネルギーともなれば、
存在を焼き尽くす強欲ともなり得ます。

違いはただ一つ。
それを設計しているかどうかです。

欲望は抑えるものではありません。
設計するものです。

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