哲学者カントは、人間の理性だけでは結論を導くことのできない問題として、「二律背反」を示した。
- 世界には始まりがあるのか、それともないのか。
- すべては単純な要素から成り立つのか、それとも無限に分割できるのか。
- 人間には自由意志があるのか、それともすべては必然なのか。
- 世界には神的存在があるのか、それともないのか。
これらはいずれも、理性によって論証しようとすれば、肯定にも否定にも一定の根拠を見いだすことができる。そのため、人間の理性だけでは最終的な結論には到達できないとカントは考えた。
しかし、この二律背反は哲学上の難問にとどまらない。むしろ、人間の生き方そのものを映し出しているようにも思われる。
人生もまた二律背反の連続である
人は自由を求めながら、集団の中でしか生きることができない。
自分の価値観を大切にしたいと願いながら、家族や社会との調和も求められる。
焦れば失敗しやすい。しかし、怠ければ成長は望めない。
苦労は避けたい。しかし、苦労があるからこそ深い喜びを得られることも多い。
人生とは、一方を選べば解決するものではなく、相反する価値の間で折り合いをつけながら歩み続ける営みなのであろう。
だからこそ、
焦らず、怠けず、諦めず。
この三つの姿勢には普遍的な価値がある。
自分の能力にとって狭すぎず、広すぎない舞台を見つけ、一歩一歩志へ近づいていく。その過程で身近な目標を達成する喜びを積み重ねることができれば、人生は若い頃から充実したものとなる。
科学が進歩しても最後の問いは残る
カントが没したのは一八〇四年である。
その後、一九三八年には核分裂が発見され、現代では物質は素粒子によって構成されていると考えられている。
しかし、それが物質の究極の姿であるかどうかは、なお明らかではない。
素粒子よりさらに深い構造が存在する可能性も否定されていない。
科学は物質を探究し続けているが、その探究の果てには創造の原理という考え方も否定できない。
科学と宗教は対立するものではなく、異なる方向から同じ真理へ近づこうとする営みなのかもしれない。
個人と集団、その均衡をどう築くか
人間は肉体的にも精神的にも集団の中でしか生きることができない。
また、集団を統治する仕組みがなければ争いを抑えることも難しい。このことは長い人類史が示している現実である。
そのため人類は、
- 君主のために生きる。
- 国家のために生きる。
- 宗教の教えを絶対とする。
- 政党の理念を重視する。
- 基本的人権を最優先とする。
など、さまざまな価値観を築き上げてきた。
しかし、誰もが納得する唯一の正解は、いまだ見いだされていない。
一方、多くの人々の生き方を見渡すと、自分の成したいことに向かって努力している人ほど、生き生きと毎日を過ごしているように見える。
その成果が世俗的に大きいか小さいかは本質ではない。
目標へ向かって歩み続ける過程そのものが、生きる喜びを生み出しているのである。
基本的人権とは何か
争い、利己心、嫉妬、嘘。
これらもまた、生き続けようとする生命が持つ負の側面として受け止めなければならない。
しかし、人は本当に自分の成したいことに没頭しているとき、他者との比較や嫉妬から自然に離れ、自分の能力を社会の中で発揮している。
心に何の引っかかりもなく、長い時間黙々と熱中している自分のやりたいことが、自分を深め、他者に役立つ「成したいこと」なのかもしれない。
このような状態は、自分だけの満足ではなく、自らの能力を最も自然な形で社会へ還元している姿でもある。
その事実を踏まえるならば、「自分の成したいこと」を目的とし、それを実現するために努力し、達成する喜びを味わうことは、人間に与えられた最も自然な生き方ではないだろうか。
そして、その生き方を追求する権利こそ、いかなる他人も、いかなる集団も奪うことのできない基本的人権の本質の一つであるように思われる。
人々が互いの目的を認め合い、助け合い、人類の存続を脅かす課題には協力して立ち向かう社会こそ、人間が目指すべき姿ではないだろうか。
二律背反の先にあるもの
神的存在があるとすれば、その目的は、人間に身体と知能と心を与え、「存在」を表現し、実感することを託すことにあったのではないか。
カントは、人間の理性では答えの出ない問いを提示した。
しかし、人生とは答えを得ることではなく、その問いに向き合い続けることに意味があるのかもしれない。
苦労が大きいほど成長も大きく、その先にある喜びもまた大きくなる。
これもまた、人生における一つの二律背反である。
二律背反とは、解決すべき矛盾ではなく、人間が成長するために与えられた「揺らぎ」なのかもしれない。
相反するものの間で揺れ動きながら、自らの志を追い続けること。その歩みの中にこそ、人間が生きる意味があるのではないだろうか。
あなたは日々の人生で、どのような「二律背反」と向き合い、その塩梅を大切にしていますか。
